01-遺棄された研究所
「……ねえ、本当にこんな辛気臭いところにお宝が眠ってるっていうの?」
大きな翼を折り畳み、全長五メートル以上もある細長い体で窮屈そうに通路を進みながら、桔梗色の鱗を持つ雌竜・ミストが後ろから尋ねてくる。
「きっとあるって。あるに決まってる」
ダークグレーの服に身を包んだ黒髪の少年・ノキアは振り返りもせずに答えた。
自然と囁くような声になってしまうのは、この場所が不気味なほどの静けさに包まれているせいだ。ノキアの靴とミストの四本足の鉤爪が立てる足音のこだまも、かえってその寂しさを強調するばかりだ。
そこは、誰もいない廃屋。床も、壁も、天井も、見たこともないような白い素材で作られていて、まるで異世界にでも迷い込んだような奇妙な風景を生み出している。
「そりゃ、ずっと昔に遺棄された研究所なんて聞いたら、何かありそうな気はするけど……確証はないんでしょ? なんでそんな風に言い切れるの」
「確証ができるのは、誰かが先に宝を見つけた時だけだよ。それがないってことは、まだ誰も何も見つけてないってことだろ? こんなに大きい研究所なのに、何もないなんておかしいじゃないか。だから、きっとあるよ」
それはずいぶんな論理の飛躍だ、と竜のミストは突っ込みたかったが、それで引き下がるノキアではないことはこれまで散々思い知らされてきた。
それに、来てしまったものはしょうがない。こうなれば、あとは何か見つかってくれることを祈るだけだ。
しかし結局のところ、まる一時間探し回っても収穫はゼロだった。どこもかしこも綺麗に片付けられていて、お宝どころかガラクタすらほとんど見つからない。
「ほらあ、やっぱり何もないじゃないのよ。ノキアのバカ」
ミストは口を尖らせて――といっても竜なので初めから尖ってるのだが――文句を垂れた。
しかし、ノキアはそれを聞いていなかった。
――とくん――
その時ちょうど、ノキアの頭の中に、何かが脈動する音がかすかに聞こえたのだ。それはゆっくりと、しかし確かに脈打っている。
「ミスト、この研究所……何か、いや、誰かいる」
「えっ、誰かって……でも、ここまで誰にも出会わなかったじゃない……」
そう言い返しはしたものの、ミストの声は少し震えている。竜のくせに、意外とホラーには弱いのだ。
「それはそうなんだけど、確かに感じるんだ。多分、こっちの方……」
――とくん――
ノキアはミストには取り合わず、心の奥底に響く鼓動を追いかける。それほどに意識を集中しなければ聞こえないのだ。
研究所の広々とした廊下のくすんだ白い壁に張り付くようにしながら、ノキアは鼓動の聞こえる方へと進んでいく。ミストは不安そうにしていたが、置き去りにされるのも怖いのか、結局は忍び足でついてきた。
――とくん――
やがてふたりは、先程は素通りした部屋まで戻っていた。そこはがらんどうの広い部屋で、重々しい空気が漂ってはいるものの、改めて見返してみてもやはり目ぼしいものは見当たらなかった。
しかしノキアが向かったのは、その部屋の奥の壁だ。一見まっさらなその壁に近づいて、端から端までじっくり観察する。
「こういう時は大抵この辺に……」
不審そうに見ているミストを尻目に、ノキアは壁のある部分を指先で強く押した。すると、継ぎ目ひとつないように見えたその部分がぱかっとめくれて、中からボタンのような突起が現れる。
「……やっぱりね」
ノキアは得意満面でそのボタンを押した。すると壁全体が横にスライドし、内側に奥へと続く回廊が姿を現す。
――とくん――
回廊はこれまでの白い壁ではなく、黒っぽい光沢を放つ金属のようなもので囲まれていた。
「うわぁ、なんかいかにもって感じね……」
ミストが呟く。そして、ふたりは恐る恐るその回廊に足を踏み入れた。
長い回廊の先にあったのは、同じく黒光りする壁に囲まれた円形の部屋だった。直径は十メートルと言ったところだろうか。照明が組み込まれた斜めのラインが壁沿いに何本も走っており、部屋内を明るく照らしている。
「動力が生きてる……? 遺棄されてから百年は経ってるはずなのに……」
空調か何かと思われるかすかなフィーンという音が流れているのを聞き取って、ミストは言った。しかしまたしても、ノキアはそれを聞き流した。それ以上に驚くべき光景が、目の前にあったからである。
「……あそこに浮いてるのは……人……?」
部屋のちょうど中心に、病衣のような白い服を着た一人の少女が宙に磔にされていたのだ。その体の周りに支えとなるものは何も無いが、広げられた両腕と垂れ下がった足は黒い輪の形をしたもので縛られており、それが少女を宙に繋ぎ止めているように見えた。
支えのない首は深く垂れており、長く伸びた銀灰色の髪が顔を隠しているせいで生死は判然としない。
――とくん――
しかし、ずっとノキアの心に聞こえている鼓動は、たしかにこの少女から発せられている。という事は、生きている事は間違いない。ただ、その拍動は異様に遅かったから、やはり普通の状態ではないようだ。
「ノキア、何がなんだか分からないけど、この女の子、生きてるんじゃないの? 助けてあげないと」
「あ、ああ……」
そうは言っても、どういう原理で磔にされているのか分からない。手枷足枷を破壊すればいいようには思えるが、下手に壊そうとすれば、少女にまで怪我をさせてしまう。
ノキアは、手がかりがないか周りを見回した。しかし、照明の入った壁はどこまでものっぺりしているだけで、操作機器のようなものは特に見当たらない。
その時、ノキアは塵一つない床に、小さな紙片が落ちていることに気がついた。拾ってみると掌に乗るほどの大きさの紙に、何か短い文章が走り書きしてあった。それは古い字体で書かれていたが、ノキアにはなんとか読み取ることができた。
「いつかこれを読む誰かの為に……コードは『エンデスティアの園』」
――ドクンッ――
ノキアが書かれた言葉を読み上げた瞬間、聞こえていた鼓動の強さが跳ね上がった。ノキアは驚いて振り向き、背中に負っていた得物――ノキア自身の身長よりも少し長い金属製のクォータースタッフ――を手に取り、少女に向かって構えた。
少女は今や顔を上げ、目を開いていた。その瞳は、まるで夕陽のような黄色味を帯びた赤色だった。
少女の手足を縛っていた黒い輪がひとりでに外れ、ゴトンと音を立てて床に落ちた。しかしそれでも、少女は宙に浮いたままだった。
そして、少女の口から人間味のない無機質な声が発せられた。
「……脅威ヲ確認シマシタ。排除ヲ実行シマス」




