『Girl From Ipanema ~ジャズ研 恋物語~』
「どうして俺が部長なんですか? 未だに信じられないのですが」(by菊田浩平)
いよいよ4月。そう、4月と言えば新歓と代替わりの時期だ。
新たに部長に指名されたのは、何と菊田。そして俺が副部長だった。「ちょっとポスト逆じゃないですか桜子さん!?」と菊田が泣きそうになっていたのも、もう数週間前。今ではすっかりあきらめたらしく、ついでに仕事も放棄している。新歓時期に割り当てられた1号館の教室の窓辺で、片肘をついて遠い目をしている。
「あ、副部長いたいた。入学式の終了予定時刻は11時ですって」
D年のドラムの沢渡美紀が教えてくれる。C年の頃から快活で楽しいドラムを叩く子だ。教室内をぱっと見回すと、魂の抜けた菊田を除いてみんな楽しそうというか、ソワソワしているようだっだ。
「そんじゃ、ぼちぼち演奏の準備始めましょうか!」
俺の合図で、みんなが野外演奏の準備に取り掛かる。
「ドラムの場所、このあたりでいいですか?」バスドラを運ぶ沢渡が言う。
「うん、そのあたりがベスポジ。エレピはその脇にね」と言うと、D年の荒川姐さんがスタンドを立てる。下僕のD年男たちは、無言でローズのエレピを据え付けた。何というか荒川さんは時々、俺より年上なんじゃないだろうかという独特の雰囲気を持っている。それこそ、「ええ、良くってよ」とか普通に言いそうなのだ。
俺が陣取ったのは、2年前のあの日と同じ場所。桜の下の芝生だ。そう…桜子さんに出会って、あっという間に恋に落ちた。この場所だ。また、ここから始めよう。
「基本、演奏者以外はいつでもこの時期はビラ配りです。道行く新入生にこちらから声を掛けていくなんて、はっきり言ってナンパですが、この時期は許されてます。ちゃんと、吹奏楽経験者とか音楽経験者とかのヒアリングするように。出来れば、オケとか吹奏楽とかビッグバンドに行くであろう新人を捕まえたい」
新歓部屋でそう皆に説明する俺だが、去年なんてもっと酷かった。
「篠崎、そこのチラシ持ってそのへんの新入生に声掛けまくってこい」だけの指示だったのだから。まぁあの時の経験のせいで、変な人見知りはしなくなったかな。こればかりは部活で覚えた将来役立つスキルだと思いたい。「で、入部してもいいかな?って子がいたら、この部屋の、このノートに、名前と学部と連絡先を書いてもらうんだ。いいかい?」俺の言葉に新D年たちは「はい」と答えた。
桜の下でバンドのセットを眺めていると、ふと沢渡美紀が声を掛けてきた。
「先輩~、この後の演奏ですけど”ガルバン”なんていかがですか?」俺は頭に?マークをつけたままだ。
「まー、つまるところ女子だけで楽しくセッションしちゃうんです。女だってジャズやっちゃうよ!って絵面的に楽しそうじゃないですか?」
そこまで言われて納得が行った。メンバーはドラムは沢渡、ピアノは荒川姐、ベースは?
「…あたしもやりたいです」と沢木。急に出てきてびっくりする。かなり影が薄めの物静かな新D年で、派手さは無いが基本に忠実ないい腕をしている。やりたいというなら任せよう。で、肝心のフロントだが…。
「しのざきさん、ここにバリサクがあるじゃないか!」と、いつの間にかバリサク片手に玲奈がどーんと現れた。ああ、ある意味これは予定調和か。こいつら完全に事前に仕組んでやがったな。こいつはお手上げだが、企画としてはすげー面白い。
「…そんじゃ玲奈、ステージは30分くらいだけど、任せていい?」
俺の問いかけに、玲奈は笑った。
「これでもMJGの一員よ? 任せて!」
ふふ、と俺は笑った。聞くだけ無駄というか、杞憂だった。
そして俺は、去年と同じ手の空いた者として俺はチラシ配りの要員となった。
桜の下では、バンドが息を弾ませている。イパネマの娘だ。玲奈の図太いバリのブローに、体育館から出てきた新入生たちがひとり、またひとりと足を止める。既に随分な人だかりが出来ている。絵として見ても、派手で華やかで、彼女たちの笑顔が何より申し分ない。
そうそう。俺もこうやって桜子さんに会って、恋をしたんだ。面はゆい気持ちを隠したまま、俺は「新入生の方ですね? ジャズやりませんか? 楽しいですよ!」と勧誘に励んでいた。そんな折、ふと声を掛けられた。男だ。
「あの、ジャズ研の方ですか?」
「ああ、はい、MJGといいます」
「俺も、入部希望です。トランペット、斎藤祥吾です」すらりとしたスーツ姿に身を包んだ斎藤くんの目つきは本物だった。狙い撃ちでうちに来たんだ。
こういうケースは初めてだったので、脳内処理に時間を掛けたが、答えを導いた。
「さ、斎藤くん。ようこそモダンジャズグループに!」
そのあと移動した新歓部屋の一角で、俺と斎藤くんは話し込んでいた。
「へぇ、小学校からトランペットやってたんだ」俺は斎藤くんの情報をノートにメモする。
「だけどもう吹奏楽にもオケにも飽きちゃったんですよ。自分個人の力が表現できないっていうか、そういうもどかしさを解決してくれるのがジャズなんじゃないか、って」
斎藤くんの話に耳を傾けながら、俺は頷きながらペンを走らせる。経験はないけど、他の音楽のジャンルはどれだけ人を縛るのか…ふと思った。同時に、またとんでもない手練れが仲間になりそうな予感に、俺は微かな不安を抱いた。
「いつも俺ら金曜にセッションやってるんだ。まずは来てみてくれないか?」
「楽器持参でいいですか?」俺の言葉にこいつ…しょっぱなから演るつもりかよ。
「もちろん歓迎するとも」
俺は、苦笑いして答えた。
斎藤くんの面談が終わると、ドラムの大谷が「篠崎先輩」と声を掛けてきた。その隣には、袴姿の女性がいた。
「佐々木結子さんです。入部希望で、希望はサックス。面談お願いできますか?」普段無口な大谷が珍しく流暢に喋っている。俺は居住まいを正すと、「どうぞ。ようこそMJGへ」と佐々木さんをテーブルに招いた。
「高校の頃、サックス吹いてたんです。あ、アルトです。吹奏楽部で」俺はふんふんと頷きながら、新歓ノートに彼女の情報をまとめていく。
「オケかジャズオケか、ここかで今迷ってるんです」佐々木さんは少し俯きがちに言ってくれた。こういうのを正直に言ってくれる子は、俺は好きだ。
「まぁ、まずは僕の立場上”ぜひMJGに”って言いたいところだけど、迷っているなら無理強いはしないよ。ジャズオケに入部してから転部してきた人間もいるからね。さっきステージでバリサク吹いてた子」
「見ました。すごくカッコ良くて、何というか、自由に歌ってるのが羨ましくなって」佐々木さんがニコッと笑う。これまた随分かわいい人が来てくれそうだ。
「先輩、今日の演奏ラストステージです。そろそろ吹いてください」
新勧部屋で佐々木さんのヒアリングをしていた俺は、沢渡に声を掛けられて、ふいに我に返った。時間はそろそろ15時。
「おお、了解。沢渡、例のガルバン良かったぜ。チラシも結構みんな受け取ってくれたし」「ホントですか!?」「うん、本当」
俺は立ち上がると、机の上に置きっぱなしにしたままのガンメタ色のアルトサックスを手にした。「せっかくだから、俺のステージ聴いてく?」と佐々木さんに言う。目を丸くしながらもこくこくと頷く彼女の手を引いて、教室を出た。
野外ステージに着くと、メンバーを確認する。玲奈の他は…というか、いつもの菊田&佐竹組に、倉持と大谷だ。ここでも菊田組かよ、と。まぁ、相性いいんだろうな俺たち。
「篠崎、何やろうか」魂の抜けた部長の菊田は、楽器の前では別人だ。ウキウキしている。「俺のワガママ、聞いてもらっていい?」と俺はみんなに呼びかける。「別にドナリー演れとか言わないなら、構わんぞ」と佐竹。「あんまし遅い曲じゃない方がいいな」と玲奈。「やれと言われりゃついていきます」と倉持&大谷。これなら良さそうだ。
「な、グリーンドルフィンやろう。グリーンドルフィン!」
俺は両腕を真横に伸ばして、「どや」とアピールした。みんな、「しょうがねぇなぁ」みたいな顔をしながら「いいよ、演ろう!」と答えてくれた。
すぐにエレピのイントロ、そしてテーマへ。
ギャラリーに加わった佐々木さんは、目を大きく開いて俺達を見ていた。
俺は思い切りサックスを鳴らした。自分でも気持ちがいいぐらいに。そうして、桜子さんとの出会いが、ぶわっと甦る。新歓のライブで吹いていた姿を、音を。楽しそうに音と遊んでいるような黒髪ロングのスタイル抜群の彼女に恋したときを。
あの時のように上手く吹けているだろうか、楽しめているだろうか? 今はどうでもよかった。この仲間と一緒に創る音楽に、俺は身を委ねていた。