ル・ローゼス家の訪問
カイトが神父であるロットンよりル・ローぜス家がトアル村を視察に訪れると告げられてから一ヶ月ほどの月日が流れた。
いつものようにアレンに連れられ、村の子供たちと共に英雄ごっこに混ざっていると、村に近づく馬車と領主の家紋が印された旗を持った視察団の姿が近づいていることを、村に植えられた大樹に登っていたアレンが気がついた。
アレンに告げられ、すぐさまそのことを神父であるロットンに伝えるためにカイトは教会へと駆け出す。教会では礼拝を終えたロットンがシスターであるコロンと共に教会の中を掃除しており、ル・ローゼス家の方々が訪れたことをカイトが伝えると彼らはすぐさま出迎えの準備に取り掛かった。
「ウィングラム・ル・ローゼス様。遠路はるばるこのような辺鄙な村によくぞお越しくださいました」
村に到着したル・ローゼス家の当主であるウィングラム、そしてその隣に立つ愛娘のイオナ。そして彼らの護衛として共にこのトアル村を訪れた騎士たちを村長とロットンは顔を伏せ、膝を折って出迎える。
「うむ。久しいな、村長。そしてロットン神父よ。此度は視察と名目で訪れはしているものの、実際のところはイオナたっての希望での訪問だ。
そう硬くなることはない。表をあげよ」
ウィングラムの許しを経て村長とロットンは下げていた頭を上げ、この地を治める領主の顔を伺う。まだ三十を半ば過ぎたほどの若き領主。だが、日々自身の治める領地で起こる様々な問題や領主としての地位の重圧もあり、その風貌は実年齢よりもたくましさを感じさせる貫禄とこれまで彼が培ってきた様々な経験からもたらせれていると感じる深みが見られる。
だが、自身に頭を垂れる領民達を見つめる彼の眼差しは優しい雰囲気を感じさせ、己の領地に過ごす民を慈しむその姿からは良き君主としてあるべき風格を感じさせた。
そんな彼の隣に立つ一人娘であるイオナもまた良き君主たる父、ウィングラムを尊敬しているのであろう。まだ幼いながらも懸命に領主たる父の誇りであろうと毅然とした様子で彼の隣に立っていた。
今は亡きウィングラムの最愛の妻であったイデアを思い起こさせる腰まで伸びた金の髪。鋭くつり上がった瞳は父であるウィングラムから受け継いだ力強さを感じさせるが、その瞳に写る民への感情は父と同じように慈愛に満ちたものであり、父と母二人の良い面を受け継いだことを感じさせる。
アレンやカイトと同じ七つの年に先日なったばかりの彼女は、将来は引く手あまたの美女になる予感を人々に抱かせながらも、まだ年相応の様子も見せていた。
先ほどから遠くでこちらの様子を隠れて伺う村の子供たちの元に今すぐにでも向かいたいのか、父や村長、ロットンの話を聞きながらもチラチラと子供たちの方へ視線を向ける姿が見られた。
それに気がついたウィングラムは愛娘の様子に苦笑を浮かべ、
「ふむ。どうもイオナはここで私たちの長話を聞いているよりも、あちらにいる子供たちの輪に入りたいと見える。
村長よ、道中私の護衛をしてきた騎士たちも長旅で疲れているだろうし、ひとまず宿へ案内を頼む」
「ハッ! 貧しい村ではありますが我々にできる精一杯のご歓待をさせていただきたいと思います」
「頼んだぞ。
……さて、イオナ。お前の望んでいたトアル村の再訪だ。お前も今年で七つとなり神託の儀を受ける年となった。
以前より何度も語ってきたが神託の儀を向かえればお前はこれまでのイオナとしての振る舞いからル・ローゼス家のイオナとして私たちが治める民が求める相応しい姿を見せなければならん。
その最後の思い出がこの村で過ごす最後の日々となるだろう。悔いだけは残さず、良き思い出を残すことができるように、楽しく……な」
「はい! お父様!」
「うむ。では、行きなさい。トアル村には一月ほど滞在する予定だ。残された時間を好きなだけ楽しみなさい」
「わかりました。行ってきます」
ウィングラムからの言葉を聞き終えたイオナは待ってましたと言わんばかりの勢いでドレスの裾を両手でつまんで村の子供たちの元へと駆け出した。
二年ぶりの再会となる子供たちの多くは領主の娘でありながら、偉ぶることなく共に遊んだイオナを大歓迎するように向かってくるイオナの元へと駆け寄り、その周りを囲んだ。
「イオナ様久しぶりです! またお会いできて光栄です!」
「イオナお姉ちゃん! 今度はどれくらい村にいられるの?」
「馬鹿、押すなよ! イオナ様! 今日の夕飯は親父が育てた野菜のスープが出るんだ! 絶対美味しいから楽しみにしててくれよ!」
子供たちに取り囲まれたイオナは彼女の来訪を待ち望んでいた子供たちから一斉に声をかけられる。それにどう言葉を返そうかとイオナが戸惑っていると子供たちの輪を書き分けるように一人の少年が現れた。
「アレン!」
少年の姿を視界に捉えたイオナは全身から溢れる喜びを笑顔に集め、己の前に現れた赤髪の少年の名を呼んだ。
「よっ! 久しぶり。なんか前にあった時よりでっかくなったな」
本来であれば領主の娘に対して一介の村人が使っていいような言葉遣いではないアレンの態度にも、イオナはまったく気にした素振りも見せなかった。
「もう……久しぶりに再会した淑女に対しての言葉とはとても思えませんわね。もっと他に言うべきことはないのですか?」
「ん? う~ん、えっと……」
イオナの問いかけにアレンは腕を組み考えを捻るも、久方振りに再会する淑女への言葉などアレンには思い浮かばない。そんな彼の様子をアレンから少し遅れて現れたカイトが呆れた様子で見た後、彼の耳元に口を近づけ、小声でアドバイスをする。
「ふむ。あ~はい、はい。なるほどな。
あ~。イオナ。その……なんだ。前にあったときよりも一段と綺麗になってすげえ驚いたぞ」
カイトから伝えられたアドバイスを一言一句違わずそのまま伝えるアレン。普段は使わない異性に対する褒め言葉を口にするアレンの様子はどこかぎこちないものだった。
そんな彼の姿を見てイオナは思わず苦笑する。本当ならばアドバイスなどもらわず本心から湧き出た言葉として聞きたかったと思う彼女であったが、己が高望みをしていることも理解しているため、欲しかった言葉を彼の口から告げてもらっただけでも充分だと満足したように微笑んだ。
「ありがとうございます、アレン。そう言っていただけると私も嬉しいです。
それから……」
チラリとアレンの隣に立ち、先ほど彼にアドバイスをした黒髪の少年にイオナは視線を移す。その容姿の珍しさからかつてこの村を訪れた際に何度か言葉を交わしたことがあったことまでは思い出すものの、名前が出てこない。
そのことを察したカイトは、礼と共に己の名を改めて口にした。
「カイトです。イオナ様。二年ぶりのご来訪、心よりお待ちしていました。この旅のご滞在が良きものになるようお手伝いさせていただきたいと思います」
自分と同じ年と思えない恭しい態度を見せる少年に僅かに驚くイオナ。そういえばと、イオナは思い出す。以前の来訪の帰り際、この村の神父の元に身を寄せるこの少年について父であるウィングラムが感心した様子を見せていた。
孤児でありながら、逆境に負けず努力をし、年頃の子供よりも遥かに大人びた様子を見せる少年の姿を見て、付き合いのある他の貴族の子息も彼のように育ってもらいたいとそう語っていたことを。
「お久しぶりです、カイト。貴君の心遣い感謝します。一月という期間ではありますが、世話になります」
「はい。何かあればお申し付けを。神父であるロットンからもイオナ様のお力になるように言いつかっておりますので」
「まあ。それは……ありがたい申し出です。何か困ったことがあったら是非お願いいたします」
「微力ながら、お力になれるように精一杯がんばりたいと思います」
とても七歳の子供同士の会話とは思えない二人のやり取りをそれまで口々に声を上げていた村の子供たちはポカンとした様子で見ていた。
とても口が挟めるような雰囲気ではなかったこともあるが、二人のやり取りを見て自分たちがその会話に入れるとはとても思えなかったからだ。
先ほどまでの遠慮のなさはどこへやら。誰かが先ほどまでの空気を取り戻してくれないだろうか子供たちはその最初の誰かが声を上げないかと互いに視線を向け合う。
そして、そんなときにきまって子供たちの期待に応え、先陣を切るのはアレンだった。
「ったく。なに二人で難しい言葉使って話してんだよ。ほら、せっかくイオナもきたんだ。今日は思いっきり遊ぼうぜ!」
自然のイオナの手を取り、子供たちに向かって声を上げたアレンは彼女の手を引き、先ほどまで皆で遊んでいた場所に彼女を連れて行く。
突然手を引かれたイオナは僅かに驚いた様子を見せるも、ギュッと力強くアレンに握られた己の手を見つめて微かに頬を染めていた。
先頭に立ち先へと進むアレンとイオナ。そしてその後に続く子供たち。そんな彼らの最後に、また今日も騒がしい一日が始まるなと思いながらも楽しそうな笑顔を浮かべながらカイトは彼らの後に続くのだった。