魔女色に染められる弟子
伝承に語られる魔女、イヴ・グランテーゼの弟子になってから早二月。隷属の師弟契約を交わしたカイトは迷いの森の奥にて今日もイヴの修行を受けていた。
イヴの弟子になってまず最初に行ったのはカイトの状態確認。〝魔王〟との戦いで得た傷が癒えるまでは一先ず修行の実施は行わないということで座学がメインとなった
その内容は多岐に渡る。まずはこの世界の成り立ち。国境を隔てて隣接する三つの大国。カイトたちがいる中央国家セントライド。魔族と交わったと一部で噂される亜人が住まう東の大国、唐蘭。自らを絶対なる大国と自称する北の帝国ノーザイン。
それら大国に関して現状カイトが保有する知識をイヴに語り、話しぶりからは迷いの森から百年以上も外に出た気配も無いにも拘らず何故か現在のこの世界の世情についてやたらと詳しいイヴから補足や己の知らない様々な知識を詰め込まれるカイト。
不思議に思いながらも、イヴの持つ知識量の多さに思わず舌を巻き感嘆するカイトはこれもこれから先の自身の糧となると信じて黙々と知識を増やすことに専念した。
「現状、様々な領主や小国をを抱きかかえながらも大国として世界に根を張っているのはこの三国といえよう。
平穏な世界であれば、互いの領土を巡って人間同士の大規模な戦争も開かれておろうが、幸か不幸か遥か昔より人類は同種族で争っている暇などないほど強大な共通の敵と戦っておる」
「魔族ですね」
「そうじゃ。魔族の領地であり、数多の〝魔王〟を要する西の魔族領域グランドロス。魔獣や魔族が蹂躙跋扈するこの領域は人類の不観測領域でもあり、その実態がどのようなものとなっているのかは魔族誕生から今に至るまで明らかにされてはおらん。
もっとも、過去の〝英雄〟の活躍や彼らに近しい実力を持っていた存在によって討伐隊や調査隊が組まれたこともあり、多少なりともわかっていることもあるがのう」
迷いの森に立てられた木製の小さな家屋。その中にポツンと置かれた小さなテーブルと椅子に座り、魔女による非常に分かりやすい説明が進められる。
彼女の弟子となったカイトは次々に口頭で説明される圧倒的な情報を一言一句聞き漏らさないように必死に吸収していく。
「現在グランドロスについてわかっていることは七つの都市が存在するということ。当然、その都市を統べるのは魔族の頂点ともいえる〝魔王〟よ」
「〝魔王〟……」
かつて遭遇した〝魔王〟の一人であるヴァルドの姿を思い返し、知らず知らずのうちにカイトの拳に力が込められる。そんな弟子の様子を見てイヴは微笑する。
「そうじゃ、お主が遭遇したヴァルドもその一人。人類にとっての災禍の化身。闇の精霊が生み出した出来損ないの眷属の頂点たる〝魔王〟。奴らは全部で七人存在する。
かつての〝英雄〟により滅ぼされたり、同族による下克上により代替わりなどはあっても、その数は未だかつて変化しない。
〝魔王〟は七人。これは遥か昔から何故か定められておる絶対数。そして、そんな〝魔王〟に呼応するように〝英雄〟もまたどの時代でも同じ数だけ表れる。
最も、長命な魔族共と違い短命な人類の〝英雄〟は代替わりが激しいがな」
そうイヴが語り、カイトの胸にズキリと痛みが走る。アレンのことを思い出したからだ。
「ということはアレンもまた本来七人揃っていた〝英雄〟の代替わりとして神託を授かっていたということでしょうか?」
「うむ、おそらくそうであろう。先代の〝英雄〟が何らかの理由で亡くなったか、それとも他に理由があったのか。詳しいことは我にもわからぬ。
だが、今確実に言えるのは人類は魔族に対して象徴ともなる絶対的力を持った存在を一人欠いているということよ。
そして、それは既に奴らに知れておる。その理由は貴様が一番よく理解しているであろう」
イヴの問いかけにカイトは頷く。それもそのはず、カイトこそがその理由の当事者だからだ。
「おそらく既に魔族共だけでなく人類にもその事実は知れ渡っているであろう。次代の〝英雄〟が既に生まれているのか、それともまだなのかは現状我らには分からぬ。
外界との交流を断たれているこの場では今の世界の状況を知る術などありはしないのだからな。ククク」
当然のことを口にしながらも、どこか嘘くさい含み笑いを漏らすイヴ。だが、余計なことを口にすれば彼女の機嫌を損ねるとまだ短い月日ながらも彼女の性格を多少なりとも理解していたカイトは口を閉ざして続く言葉を待っていた。
「まあ、今はそんなことを気にしていても仕方あるまい。だいたい、基本的に次代の〝英雄〟が生まれる場合始原の精霊を通じて巫女や聖女が神託を受けるものだからのう」
聞きなれない言葉をイヴから耳にしたカイトは問いかける。
「巫女と聖女ですか?」
「ああ。そうか、お主はまだ知らぬのか。まあ、無理もあるまい。基本的に〝英雄〟は神託の儀で天職を授かるが、誰が授かるかまでは当事者か天職を授かった時にその場にいたものでなければ分からぬ。
じゃが、いつ〝英雄〟が生まれるのかは事前に分かるのじゃよ。
それがわかるのが巫女や聖女の天職を持つものじゃ。奴らは始原の精霊を通じて人類にとって有益な情報を得ることができる。託宣というやつじゃな。
当然、その託宣には次代の〝英雄〟の誕生に関する情報も含まれる。
基本的にそういった情報が入っていた場合は教会に属する神父どもは血眼になって神託の儀を行うものたちに目を光らせておるものよ。
最も、アレンとやらは完全なイレギュラーであったのだろうな。七つを迎えた際に最初に行う神託の儀で〝英雄〟の天職を授かるなど前代未聞であっただろうし、お主から聞いたウィングラムとかいう領主もそのことに驚いていたという状況を聞くに託宣が事前にあったとも思えぬしのう」
「つまり、仮に次の〝英雄〟が現れるとしたら」
「そうじゃ。巫女や聖女に始原の精霊より託宣がある。それがいったいいつになるかは分からぬが、そう遠くは無いであろう」
そう遠くは無いという言葉を聞いてカイトの中に僅かな焦りが生まれる。強さを渇望しているのに今の自分はこうして知識を増やしているだけ。そんなもどかしさがカイトに焦りを生ませる。
だが、そんな弟子の胸中をイヴは察しているのか指を弾いてカイト頭を叩き、
「これ! 師匠の話を真面目に聞かぬか。全く、人が懇切丁寧に説明をしてやっておるというのに物思いに耽るとは不真面目な弟子よのう」
プリプリと頬を膨らませて怒るイヴ。こうしてみていると伝承に語られているような暴虐と悪逆の限りを尽くした魔女とはとても思えない。
「すみません」
「まあ、お主の考えていることはわからんでもない。どうせすぐにでも力をつけたいという思いでいっぱいなのであろう。
心配せずとも傷が癒えたら嫌というほど鍛えてやる。どうせ修行が始まってしまえば考え事をしている暇もないだろうしな。
ああ、そうだ。そういえば我も一つ言い忘れておった」
「なんですか?」
「そのなよなよとした口調を今すぐやめよ。丁寧な言葉遣いや僕などといった自称はどうにもむずがゆくて仕方がない。
仮にも〝鮮血の女王〟たる我の弟子を名乗るならば対峙した相手から舐められるような口調をするでない」
「え? でも……」
「これは〝命令〟じゃ」
イヴがそう口にした瞬間、カイトの心臓に鋭い痛みが走った。まるで心臓を鷲づかみにされたかのような痛みがカイトを襲い、息をすることもできず苦痛にのた打ち回り椅子から転がり、ジタバタと床を転げ回る。
「ぐっ、ぐううううう」
「おうおう。無様な姿じゃ。ふむ、初めて〝命令〟を下したがこのような反応になるのか。
地を這う羽虫のようにのた打ち回る今のお主の姿は実に我好みじゃ。愛おしく思うぞ、我が弟子よ」
先ほどまで己が抱いていたイヴに対するカイトの印象が反転する。やはりこの少女は伝承どおりの魔女だ。今はただ気まぐれに優しさを見せているだけで、自分が気に入らなければ平然と相手を傷つけ、苦しめる。
そして当の本人はそのことに対してなんの負い目も感じない。それどころか苦しむ相手を見て喜びを感じるという始末の負えなさ。
「痛いか? 苦しいか? すまんな、だがこれも愛しい弟子である貴様を思ってのことじゃ。
心配せずともよい。お主が痛み、苦しみ、傷ついたとしても師である我が責任を持って癒してやろう。それこそ、我なしでは生きられないと口にしてしまうほどにな。
ああ、我はなんと優しいのであろうな。か細く、触れれば壊れてしまうお主の様な子供をこんなにも大切にし、〝英雄〟共の立つ遥かな高みにまで責任を持って導いてやると誓っておるとは。
さあ、カイト。そろそろ痛みも薄れてきたであろう。改めて己は誰か改めて我に語ってみせよ」
床に這い蹲るカイトに白い素肌の足を伸ばし、嗜虐的な笑みを浮かべるイヴ。彼女が自分に何を望んでいるのかを察したカイトは未だに痛みの残る心臓を抑えながら上半身を起こしてイヴの足に口付けをする。
「……ぼ。いや、俺は〝いばら姫〟。〝鮮血の女王〟である魔女。イヴ・グランテーゼの弟子、カイトだ」
これまでと違い、一人称を変えたカイトは記憶にある親友のような口調で改めて自分が何であるのかを師であるイヴに語ってみせる。
そんな弟子の言葉に満足したイヴは膝を曲げて目線をカイトに合わせると、彼の頬に優しく両手を添えた。
「そうじゃ、それでよい。お主は我の大事な、大事な愛弟子よ」
しばらくして再びカイトとイヴの座学は始まった。少しずつ、少しずつ善良で優しい心を持ったカイトを己の色に染め上げる魔女。
本人も自覚しないまま、変化は徐々に進んでいく。それが、幸か不幸かは二人だけの閉ざされた世界に住むカイトには自覚できないまま……。