隷属の師弟契約
己の素性、これまでの人生。トアル村での暮らしやそこで共に過ごした人々。そして親友であったアレンのこと。
今となってはその全てがカイトの胸を抉る傷となり、過去を語るたびに目には見えない傷から血が流れるような痛みを感じながらも彼は話を続けた。
神託の儀を向かえ、始原の精霊によりアレンが〝英雄〟に、そして己が〝精霊士〟という天職を授かった事。その結果として突如として現れた〝魔王〟によりトアル村が襲撃されてアレンと二人で立ち向かい、結果として自分だけが生き残ってしまい、失意の果てに迷いの森の奥へと足を踏み入れたという事を。
全てを語り終え、深く息を吐き出すカイト。黙って彼の話をずっと聞いていたイヴはカイトの話を聞き終えると、
「ふむ、ふむ。そうか……なるほどのう」
カイトが予想していた反応とは全く違ったどこまでも楽しそうな笑みを浮かべていた。
「全く、お主の話しぶりから実年齢より多少は大人びておると感じては思ったのじゃが、なんてことはない。所詮は年相応の子供でしかなったということか」
顔に貼り付けた笑みはそのままに、どこか失望したという話しぶりでカイトを見つめるイヴ。そんな彼女の反応が理解できず思わずカイトは問いかける。
「どういう意味です?」
「なんじゃ? 理解できんのか? まあ、まだ十にも満たぬ子供では仕方もあるまい。
話を聞かせてもらったが、結局お主は〝魔王〟に負け、親友であり人類にとって希望の光ともいえる〝英雄〟をむざむざ無駄死にさせた大罪人ということであろう?」
遠慮の欠片もない事実を淡々とカイトへ告げるイヴ。実際その通りであるためにカイトはイヴへなんの反論もできない。
「それはまあ、よい。実際お主が〝精霊士〟という天職を授かっていようがいまいが迎えた結末は変わりはせんかったであろうからな。
じゃがな、我が気に入らんのはお主が余りにも〝その程度〟で絶望の闇に沈み、無責任に命を投げ出そうとしたことじゃ」
「えっ?」
「ふう……。理解できんといった様子じゃな。なら、教えてやろう。
〝魔王〟により新たに現れた人類の希望であった〝英雄〟は殺された。じゃが、話を聞く限り貴様はその〝英雄〟が命を賭してまでその身を守った存在であろう。
〝英雄〟が一個人のためにその身を投げ打った。その重みを欠片も貴様は理解しておらん。
いいか、小僧。お主にはな、もはや手前勝手にその命を投げ捨てる自由などない。
〝英雄〟という代えの効かない至高の存在。それはお主のせいで失われた。つまり、お主はお主自身がどう思うかなど関係なく、既にその身は〝英雄〟以上の価値があるものと言えるであろう。
天才であろうが、凡夫であろうが、貴様には既に義務がある。命を賭してまで貴様を救った〝英雄〟の代わりにそやつが本来成すはずであった数々の偉業を変わりに行うべき義務がな」
イヴが語る言葉の数々が楔となって次々とカイトの胸に打ち込まれる。肉を抉り、深々と食い込むそれはまるで呪いのようであった。
「でも、僕はアレンのようには……」
「ああ、成れんじゃろうな。貴様は〝英雄〟でないのだから。
じゃが……それがどうした? 〝英雄〟でないから。それだけの理由で全てを投げ出すのか?
それもよい。だが、実につまらんと我ならば吐いて捨てるがな。
〝英雄〟でないからなんじゃ? たったそれだけの理由でお主は諦めるというのか?
村を潰され、友を殺され、人類の希望を奪われ。たったそれだけの事で絶望し、全てを投げ出すのか?
ああ、そうか。つまらぬ、実につまらぬ選択じゃな。
何故怒らぬ。何故憎悪せぬ。今お主はこうして生きていて、立ち上がるだけの理由も、背負うべき義務もあるというのに」
まるで扇動者のように次々と言葉を並べて理由をつけて絶望の泥に倒れ伏したカイトを無理やり引きずり起こそうとするイヴ。第三者が二人のやり取りを見ていればそこに善意など欠片もないことにすぐに気づくだろう。
だが、魔女の語る言葉に惑わされて正常な思考をかき乱されている今のカイトはその事に気がつけない。彼に出来たのは、ただ目の前の魔女の言葉に耳を傾けるということだけだった。
「力がない。そう言って起こった過去を清算して新たな人生を歩む事もできよう。
ああ、簡単なことよ。誰もお主を責めはしまい。仕方ない、相手は〝魔王〟なのじゃからな。災禍の化身に牙を向けようなどとは全く愚かな事よ」
「違う……」
「諦念に身を委ね、失意と絶望に抱かれ、いつか訪れる死を穏やかに待つのは甘美であろうな。我さえ黙っておれば誰もお主が新たな人生を歩もうと気づきはせん」
「僕は、僕は!」
「どうした? 険しい顔をして。まるでそんな安寧の日々を無為に過ごすのが嫌なようではないか?」
「僕は……凡人だ。アレンのようになれない」
「そうか。それで?」
己が引き起こしてしまった取り返しのつかない過ちに絶望し、もう命を投げ出してしまおうと考えてすらいたカイトであったが、イヴの語る言葉の数々に耳を傾けるうちに知らず、己の胸の奥底から湧き上がる衝動に気がつく。
それは怒り。それは憎しみ。ドロドロとしたマグマのような醜く、強い感情が絶望の汚泥の底から湧き上がり、それを呑み込み始める。
「あなたの言うとおりだ。僕は……憎い。魔族が、〝魔王〟が! 生まれ育った村を奪って、たった一人の親友を殺した奴らが!
でも、一番憎いのはそんな奴らに対して何も出来ない僕自身だ!
僕には才能がない。力がない。奴らに触れられればかき消されてしまうような種火みたいなものだ。
強くなりたい……。奴らを一匹残らず殲滅できるほど、強い力が……」
心の底からの強い想いを目の前にいるイヴに語って聞かせるカイト。その瞳にはそれまで浮かべていた絶望は既になく、復讐に焦がれる強固な意志の光が宿っていた。
「ク、ククク。
なんじゃ、なんじゃ。できるではないか? ……いい顔じゃ。実に、我好みのな」
そんなカイトの姿を見て実に楽しそうに笑い声を上げるイヴ。己の望んでいた道へとまだ幼い少年を誘導した魔女はお気に入りの玩具を見つけたかのように嬉々とした表情を浮かべて、ある提案をする。
それは、他の誰にもこの玩具を手渡すまいという強い想いを密かに胸の内に抱いて。
「力が欲しいか?」
「欲しい……。たとえ何を犠牲にしても」
「何を犠牲にしてもか。いいぞ、気に入った。ならば、契約を交わすとしよう」
「契約?」
「ああ、そうじゃ。〝いばら姫〟。〝鮮血の女王〟と呼ばれた我が凡人と自称する貴様を強くしてやる。
魔族を滅ぼし、〝魔王〟を討ち果たす〝英雄〟に並び立つほどに!
約束しよう。たとえ才などなくとも我は貴様を遥かな高みへと導いてやると。だがその代償は決して安くはないぞ?
この場で我と契約を交わすことを後悔するほどの痛みと苦しみがこの先貴様を待ち受ける。安寧の日々を選び取ることができたのにも関わらず、むざむざそれを捨てた己に絶望したとしても我は決して貴様を逃しはしない。
これから交わす契約はそういった類のものよ。我の命令には絶対服従。その代わりに貴様は心から臨んだ力を手に入れる。
どうだ? 悪くなかろう?」
契約を迫るイヴ。己に向かって差し伸ばされた小さなその手を取れば、後戻りすることができない闇の世界へとその身を投じることは間違いない。
だが、それでも胸に抱いた闇を受け入れる覚悟と共に、カイトは伸ばされたその手を取った。
「後悔なんて絶対にしない。この先の僕の人生の全てはただ、魔族に対する復讐にのみ使う。そう、決めた」
「よかろう。契約は成立。今この時をもって貴様はこの世界に住まう人類が恐怖と畏怖を抱く魔女、イヴ・グランテーゼの弟子となった」
そうイヴが告げた瞬間、カイトとイヴの周りを幾何学模様の紋様が浮かび上がる。紫色のそれは一瞬の広がりを見せた後、収束してカイトの心の臓に飛び込んだ。
僅かな痛みと共に契約の刻印がカイトに刻まれる。それはイヴが語ったように契約者に絶対の服従を誓う隷属の契約を持った刻印。
「せいぜい、我を失望させぬようにしてくれよ我が弟子よ」
こうして魔女と精霊士の契約は交わされた。後に世界に変革をもたらすことになる精霊士と魔女の師弟生活がこの時を持って始まりを迎えるのであった。