唯一無二の相棒
吹き荒れる暴風と雨の中でもドクドクとけたたましい心音がアレンの耳に響き続ける。
一瞬でも気を抜けばすぐにでも命を刈り取られる予感を感じたアレンは、本能の訴えに従い〝神器〟を顕現させた。
視線の先で周りを照らす火柱の明かりにも負けないほど眩く光り輝く光剣がアレンの手に収まる。
喉はカラカラに渇き、緊張から身体は僅かに強張っている。村の周囲で起こった異変に気がついた村人や騎士たちが続々と家屋から姿を現すが、それに意識を割く余裕もほとんどない。
目を逸らした瞬間が己の最期。〝英雄〟の天職が告げる警告にアレンは視線の先に立つ〝魔王〟を睨み付けたまま大声をあげて村人たちに避難を促す。
「みんな逃げろおおおおおおおおお! 〝魔王〟が現れた!」
その言葉の意味をすぐに理解できたものがどれだけいたのだろう? 突然叫び声を挙げたアレンの言葉の内容を聞いた村人や騎士は困惑する。だが、彼らが正しく現状を理解する暇さえ与える事はなく状況は動いた。
「ふん……。地を這う羽虫など初めから興味はない」
瞬きほどの一瞬。火柱の中より現れた〝魔王〟の姿が掻き消える。いつの間にかアレンの目の前に忽然と現れた〝魔王〟は炎をまとった拳をアレンへと打ち放つ。
「くっ!?」
咄嗟に構えていた光剣を薙ぎ払い、己に向けて放たれた拳に光剣をぶつけるアレン。本来であれば触れた対象を易々と切り裂くはずであった光剣は炎を纏った〝魔王〟の拳と均衡した。
「そんな馬鹿な!?」
驚いている暇などなく、眼にも留まらぬ速さで幾度となく振るわれる〝魔王〟の打撃の数々。その一撃、一撃が触れれば絶命すると予感するほどの威力を秘めた攻撃。どうにか意識を戦いへ集中させ、〝英雄〟の天職から与えられる本能に従い、アレンはそれらを光剣で受け流した。
「ほう、思った以上にやるものだ。生まれたばかりとはいえ流石は〝英雄〟。この程度で易々とくたばるほど柔ではないということか」
想定以上にアレンが戦えると今の攻防で察した〝魔王〟。一連の〝魔王〟の攻撃をどうにか防ぎきったアレンは隙を見つけて距離を取り、息を大きく吸い込んだ。
「なんってやつだよ……。ど、どうにか防げた。けど……」
実際、アレンは今の攻防でさえ限界ギリギリといった状況だった。それもそのはず、以下に人類の頂点と言われる〝英雄〟の天職を授かったとはいえアレンはまだ七つになったばかりの子供。
戦闘技能こそ〝英雄〟の天職より与えられる本能に従った動きでどうにか様になっているように見えても、ロクに戦闘の経験がないのだ。
対して相手は見るからに歴戦の猛者の風格を漂わせる〝英雄〟の天敵である〝魔王〟。先ほどあった攻防でさえ、彼にしてみれば小手調べにもならない一幕だっただろう。
今はまだ格下とアレンに対する驕りがあるからいい。だが、このまま戦闘が続けばすぐにでも今はどうにか保っている均衡は崩れるだろう。
(逃げられない……。そんなことを少しでも考えたらその瞬間に終わりだ)
アレンの叫びと、今のやりとりを見ていたのだろう。村人たちは悲鳴をあげて次々にこの場から避難を初め、騎士たちは剣を抜いてアレンの助力になろうと近づいてくる。
だが、助力をしようと駆け寄ってきた騎士たちを一瞥した〝魔王〟は、まるで気分を害されたとでもいうように顔を歪めると、
「有象無象の虫けら共が。――失せろ」
唾を吐き出す様な嫌悪感と共に放った一言と共に腕を振り払った。振り払われた手からは、まるで小さな太陽ともいえる灼熱を纏った炎の玉の数々が騎士たち目掛けて降り注いだ。
「ぎゃああああああああああ」
「あああああああああああああああああああああああ」
〝魔王〟が放った炎の玉をその身に浴びた騎士たちは僅かに悲鳴を上げ、身に纏っていた鎧と共に消し炭と化した。
アレンの胸の内に悲しみと苦しみが生まれる。そして、目の前で残酷な光景を生み出す〝魔王〟に対する怒りの炎が燃え上がる。
「てめええええええええええええ!」
己を鼓舞するように声を張り、光剣を振りかぶるアレン。繰り出される斬撃の数々はまさに神速。だが、対峙する〝魔王〟も己目掛けて振るわれる光剣を紙一重で避け続ける。
「ふ、ふははははは! よい! 先ほどよりもどんどん動きがよくなっているではないか。我の動きに順応しているということか!
よいぞ! 一方的な蹂躙などつまらないと思っていたのだ。やはり闘争とはこうでなくては!」
笑い声を上げる〝魔王〟の様子はどこまでも余裕に満ち溢れている。本気を出せばすぐにでもアレンを殺す事も出来るだろうに、剣を振るう度、隙を突かれて振るわれる拳を避ける度にどんどんと動きがよくなっていくアレンを見て〝魔王〟は歓喜の雄たけびを上げる。
降りしきる豪雨の中〝英雄〟と〝魔王〟はまるで舞うような攻防を続ける。そこにただの人間が割り込む余地などどこにもなかった。
◇
「〝魔王〟だと!」
轟音の後、他の村人たち同様に宿から外に飛びだしたウィングラムはアレンが上げた叫び声を聞き、驚愕にその表情を染めた。
神託の儀にてアレンが〝英雄〟の天職を授かってから一月も経っていない。ようやく王都に送った使者が辿りついたかどうかといったところであろう。
にも関わらず、魔族にとっての天敵である〝英雄〟の誕生をどこかから嗅ぎ付けたのか、生まれた新星を墜とすべく、絶望からの刺客は送り込まれた。
しかも、よりにもよって魔族最強の存在である〝魔王〟直々にだ。あまりの事態にウィングラムは今すぐにでもその場に崩れ落ちて絶望にその身を委ねてしまいたくなった。
だが、現実はそうもいかない。今も必死になって〝魔王〟と戦い、村人たちが逃げる時間を稼いでいるアレンの姿を視線の先に見たウィングラムは、折れそうになる心をどうにか理性で繋ぎとめて残った騎士や村人たちに指示を飛ばした。
「やむをえん。あの戦いに私たちが入り込む余地など初めからない。
皆! アレンが時間を稼いでいるうちに少しでも、少しでも遠くに逃げるのだ!」
残された人々に向けてそう言い放ったウィングラムは共に外に出てきたイオナの手を引き、一目散にその場から離れようとする。
「お父様! まだ、アレン様が!」
「わかっている! だが、私たちにはどうすることもできんのだ! お前も見たであろう! 先ほど一撃の元に私たちの騎士が一瞬にしてその命を奪われた様を!
あれがが〝魔王〟だ! そして、その〝魔王〟の相手を出来るのは〝英雄〟の天職を持つアレンだけ!
ならば、今の私たちにできるのは彼の戦いの邪魔にならないよう、この場から離れる事だけだ!」
「ですが!」
「聞き分けよ! この場に残ったとて私たちにできることなど何もないのだ!」
駄々をこねる娘を叱咤し、ウィングラムはイオナの手を引いてその場をすぐさま離れた。
「いや! いやあああああああ! アレン様! アレン様!」
徐々に小さくなるアレンの姿を視界に納めながらイオナは悲痛な叫び声を上げるのだった。
◇
「な、んだこれ……」
叫び声を上げて逃げ惑う人々の群れを眺めながらカイトは呆然と立ち尽くしていた。つい数刻前まではいつもと変わらない明日が訪れると思っていた。
だが、今はどうだ? 突如として現れた災厄が村を襲い、なす術もなく人々は一目散に村から離れていく。燃え尽きる事のない火柱が周囲を照らし、そこから舞い散る火の粉は雨にかき消されることなく家屋へと降り注ぎ、家屋を燃やしていた。
赤々とした光景が目の前で世界が目の前で広がっていく。絶望の影が平穏だったトアル村を徐々に侵していく。
何故? どうして? そんな疑問がカイトの脳裏に浮かんでは消えていく。だが、そんなことよりもカイトの脳裏を占めるのは、親友の身の安否であった。
「アレンッ!?」
遙か彼方、闇夜を照らす絶望の光の中、縦横無尽に動く二つの影。一つはアレン。そしてもう一つは……。
「あれが、〝魔王〟……」
手の届かない距離にいるにもかかわらず、その存在を認識するだけで〝魔王〟から発せられる力の強大さを感じて全身が恐怖に震える。ガチガチと歯が重なり音を立てる。
遠く離れた場所でその存在を視認するだけでこれなのだ。実際に〝魔王〟と対峙するアレンの恐怖は想像を絶するものだろう。
「ど、どうすれば……」
そう口にするものの実際に自分ができることなど何もないのだろう。わかっていながらも恐怖で足がすくんでしまいその場から一歩もカイトは動けなかった。
既にロットンやコロンは村人の誘導を始めていた。だが、カイトは彼らのようにかすかに残った勇気を振り絞ることもできなかった。
そんな彼の元にイオナを連れて走ってきたウィングラムが現れた。
「カイトか!」
「ウィングラム様! ご無事だったのですね!」
声をかけられ、どうにか意識を恐怖から浮上させる事ができたカイト。お互いの無事を確かめ、安堵する。
「何をしている! 少しでも遠く、この場から離れよ!」
「で、ですがアレンが……」
「ここからでも見て分かるだろう! あれはもはや人の戦いではない。選ばれた者のみが足を踏み入れる事のできる領域だ。
ただの人でしかない私たちにできる事など何もない! 今はただ、アレンの邪魔にならないようこの場から離れるのだ!」
ウィングラムとて本心ではアレンの力になりたいと思っているのだろう。カイトに語ったその言葉はまるで自分自身に言い聞かせているようだと彼は感じた。
彼の言うとおりだとカイトはこの場を離れる事ができる言い訳をようやく見つけたとでもいうようにウィングラムの言う事に従いその場から立ち去ろうとする。
だが、そんな彼に飛びつき、必死の形相でイオナが懇願した。
「お願い、カイト! アレン様を、アレン様を助けて!」
「イオナ!」
縋るようにカイトの両肩を掴むイオナ。雨に混じって流れる涙でイオナの顔はぐしゃぐしゃになっていた。
「何故ですか! アレン様はたった一人で私たちを逃がすために戦っているのですよ!」
「だが、私たちにはなにもできん! ただの人でしかない……」
「カイトは違います! だってカイトはアレン様と同じように精霊様に選ばれた〝精霊士〟なのです!
ただの人ではありません! ねえ、カイト。お願い……お願いだからアレン様を助けて……」
「――ッ!?」
必死に頼むイオナの言葉を反映するかのように掴まれたカイトの両肩に彼女の爪がきつく食い込む。
(僕は……僕は!)
縋るイオナの強い眼差し。重なる互いの視線。逸らすか? それとも受け入れるか?
逡巡は一瞬。選択は成った。
「……わかった」
「カイト!」
「僕がどれだけアレンの力になれるかわからない。でも、僕たちのことを守ってくれているのがアレンなら、一体誰が彼のことを助けられるんだった話だよね」
以前アレンは言った。
『信頼してるんだよ。お前なら俺がやれないことをどうにかしてくれるってわかってるからな』
誰かのためにその身を投げ出すアレンが自分自身を守る事ができないというのなら、それを成すのは自分だ。そう思ったカイトは今すぐにでもこの場から逃げ出したくなる弱気を打ち払い、駆け出した。
「カイト! 行くな!」
制止の声を上げるウィングラムの忠告を無視し、カイトはアレンの元へと走り出した。
(精霊様……。どうか、どうか僕に力を! アレンを守る力をください!)
信仰する始原の精霊へ心の中で祈りを捧げ、地獄の戦場へカイトは向かうのであった。
◇
「どうした? もう限界か?」
トアル村に降臨してからまるで変わらない余裕を崩す事無く〝魔王〟は息を切らし始めたアレンに問いかけた。
既に一撃必死の攻撃を何度も捌き、紙一重で避け続けてきたアレンであったが、ここまでどうにか繋いできた集中にも限界が訪れ始めてきた。
身体のキレはどんどんと冴えていくのに体力がそれに追いつかない。その証拠についさっきの攻防ではギリギリかわしたと思った一撃が爪の先ほど避けきれず、受けた衝撃の余波から遠くへ吹き飛ばされてしまい、無様に何度も地面を転がった。
どうにか残った力を振り絞り起き上がるも、受けたダメージからもう先ほどのように攻撃を避けることはできないとアレンは理解していた。
(ちくしょう……まるで歯が立たねえ。これが、〝魔王〟。御伽噺なんて目じゃないくらいに本物は強い。
こんな奴に〝英雄〟は何度も戦ってきたのかよ……)
手に持った光剣を地面に突き立て、どうにかその場にふんばるアレン。そんな彼の姿を見て〝魔王〟は溜息を吐いた。
「ふむ、どうやら本当に限界らしい。だが、生まれたばかりでここまで我に喰らいつくとは。
誇っていいぞ〝英雄〟! やはり、貴様らは我ら魔族の天敵だ!」
満足したといった口調で止めの一撃を放つため片手を空へと掲げる〝魔王〟。その手には先ほど騎士たちを一撃の元に消し去った炎が生み出されていた。
(これで……終わりか。みんな、無事に逃げられたかな?)
訪れる死の予感にアレンの脳裏にこれまでのトアル村で過ごした日々が走馬灯のように駆け巡る。
楽しかった毎日。気恥ずかしかったイオナからの好意。いつも己を助けてくれた親友。そして……
(ごめん、母さん……)
これまで自分を育ててくれた最愛の母の顔を最期に浮かべてアレンは死を受け入れるため瞼を閉じた。
「我を楽しませた褒美だ。苦痛を感じる間もなく死ね。若き〝英雄〟よ」
そして死の一撃が放たれた。
(……。……?)
一度は受け入れた絶望。だが、いつまで経っても想像していた死は訪れない。不思議に思い、アレンが再び目を開けると、そこには〝魔王〟からの一撃を生み出した大量の水の壁で防ぐ親友の姿があった。
「ッ!? カイト!」
「くっ、ぐうううううう」
渾身の力を込めて必死の形相で〝魔王〟から放たれた炎をかき消すカイト。既に今の一撃を防いだだけで息は切れ切れになっているが、その瞳に宿った光は強い輝きを生んでいた。
「アレンは……僕の大事な親友だ! 絶対に殺させたりなんかしない!」
突如として絶望の化身たる己の前に現れ、自身の放った一撃を見事防いだカイトを見て、それまでアレン以外の他の人間など虫けら程度にしか思っていなかった〝魔王〟の瞳に初めて興味の感情が宿る。
「ほう……。ただの人間、それも子供が我の一撃を防ぐか。一体どんな手管を弄した?」
「誰が教えるもんか!」
〝魔王〟の問いかけを無視し、カイトは己の周りを漂う光の玉に祈りを捧げる。親友を守る力を貸して欲しいと。
そんな彼の強い思いに応えるように光の玉の一つが〝魔王〟に向かって飛んでいく。
勢いよく飛んだ光の玉である精霊は〝魔王〟とぶつかると、轟音と共に大爆発を引き起こした。
「なっ!?」
これまで余裕の表情を終始浮かべていた〝魔王〟に初めて驚愕の感情が生まれる。
「これは、精霊か! 貴様、何者だ!」
カイト以外に見えていなかった光の玉。いや、精霊の存在を視認できていたのであろう〝魔王〟が鋭い声を上げる。
「〝魔王〟に名乗る名なんてない!」
僅かに生まれた隙を勝機と捉えたカイトは立て続けに精霊を〝魔王〟へと向かわせる。大爆発、突風、降りしきる雨を大量纏めた濁流が次々と〝魔王〟を襲う。
精霊が起こす猛攻に防戦一方となる〝魔王〟。相手の手が止まっているその間に、カイトは後ろに立つアレンに手を伸ばす。
「アレン! 大丈夫!?」
「カイト。お前……」
「ごめん、来るのが遅くなって。本当に……ごめん」
己に謝るカイトの姿を見てアレンはある事に気がついた。何故か〝魔王〟と戦っていても恐怖を感じる事のなかった自分と違い、目の前にいる親友はなけなしの勇気をどうにか振り絞ってこの場にいるのだということを。
その証拠に、今もカイトの足は情けなく震えており、その顔には恐怖の色が見えていた。
だが、そんな状態でも自分を助けるためにこの場に現れてきてくれたことがアレンは他の何事にも変えられないほど嬉しくって、一度は折れかけた心に再び勇気の光が灯るのを感じた。
「……へっ。なに言ってんだよ。助かったぜ、親友。やっぱり、俺の相棒はお前だけだ」
「こんな時になに言って……」
「お前のおかげで元気百倍だ。こうなりゃとことんやってやる!」
先ほどまでの絶望などいつの間にか吹き飛んだといった晴れた笑顔を見せてアレンはカイトに手を伸ばす。
「行くぜ、相棒」
「うん!」
互いの拳を重ね合わせ、二人は〝魔王〟に向かって駆け出した。