第六話 プラデラ会戦 前編
――聖歴一五八七年春期第一節の二四。この日の昼頃、リダーニュ盟約連合一二,〇〇〇とゲラシアル・レーヒ帝国二〇,〇〇〇の軍勢がゲンゲ原にて衝突した――
リダーニュ勢の内訳はこのような物であった。
まず、リダーニュ方の上空にいるのは、ラボロ・リーチャ率いる飛竜衆二,〇〇〇騎であり、これはリダーニュ盟約連合のほぼ全ての飛竜である。
率いる彼は朱色の花菱紋が刺繍され、紅く縁取られた白の上衣を羽織っている。その下には、茶色の防寒騎乗服の上に黒い胸当てを付けていた。
彼は比類なき武を誇る武神の如き猛将であった。
御年五八になり、白髪交じりで老いても尚衰えずの老将である。
その民草に語り継がれる二つ名は、たったの一度も傷を負ったことの無い、不死身巨漢の竜騎士。それは他国に轟くほどであり、長髭の竜騎士と言えば彼であった。今回の戦においては、ヴェルコから飛竜衆の番頭を任されている。番頭とは総大将の次席に当たる。その武勇をもって飛竜衆を率いることを期待されていたのである。
右翼に隊列を組んでいるのは、自身と直参の配下の兵の皮鎧を赤く染め上げた、小兵強者の地竜騎士チェバロ・センモルテ率いる地竜衆三,〇〇〇。
彼の率いる地竜衆は津波の如く、敵を八つ裂きにするほどの突破力を秘めている。
陣の中央には、弓矢や長槍、投げ槍で武装した歩兵衆を四,〇〇〇余率いる鱗鎧を着た頬傷の騎士ヤタ・クリストが地竜に跨っている。
残りの三,〇〇〇は歩兵衆の陣の決壊を抑える後詰として陣地の奥に控えていた。
これらのリダーニュの全ての軍勢は、一〇〇から四〇〇ほどの小勢で分けられている。
これは各指揮官の麾下に、郎党や割り当てられた兵を指揮する家臣や家来衆がいる事を意味する。
例として一〇騎持ち、五〇騎持ちなどが有り、その者の格で決められていた。
付け加えてリダーニュの軍勢はいずれも精鋭である。
帝国に数で劣るが、質で勝っているという事であった。
この精鋭の総指揮を取る総大将は、陣の一番奥に控える竜貴王ヴェルコ・ティーゴである。彼は大きな紅い天幕の張られた指揮所にて黙して座っており、手には柄に赤い房飾りと楕円形の板に家紋の描かれた軍配を携えていた。
対する帝国勢の将は全て馬に跨っており、彼らの兵達が拵えた陣は前方に竹で出来た拒馬を波型に等間隔で置いていた。そして、この障害物の前の地形は一五〇歩ほど続く、なだらかに下がる傾斜が有り、リダーニュ方から見ると敵に迫るには、拒馬の前の傾斜を上る必要があった。
この拒馬の後ろに、黒い板金鎧の上に青い袖なし上衣を着た、カーミル・フォーテル侯爵率いる銃士隊を、一〇〇の小勢に分けて二列に縦列配置し、この銃士隊の総数は一,二〇〇に及んだ。
銃士隊は皆、黒い銃士服に黒マントを着て、白い羽をあしらった二角帽を被っている。
陣の左翼では黒い溝付甲冑の高級騎士で編成された一,〇〇〇余りの騎士隊を、ヴァルター・ライジェヒ侯爵が、リダーニュ方の迂回突撃を警戒していた。
彼は黒い溝付甲冑に緑の袖なし上衣を着込み、頭が赤羽で飾られた馬鎧を装着した馬に騎乗し、じっと前を見据えていた。
さらにヴィリー・ワルド侯爵が拒馬の間に、黒い胸甲に黒の仮面を付け、背中に円形の盾を背負った長槍隊六,〇〇〇を配置させて、リダーニュ方の地竜衆による突撃を警戒している。
長槍隊の後方には、槍兵と同様の格好をした弓兵隊三,〇〇〇を率いる、ドミニク・マルトー侯爵が弓兵隊を二列横隊で展開させ、来るリダーニュ弓衆との矢合戦に備えていた。
大取を飾るのは帝国勢の陣の奥深くに隊列を組んだ長槍隊三,〇〇〇、弓兵隊二,〇〇〇をゲラシアル・レーヒ帝国の皇帝ヘルムート・フォン・ゲラシアルである。
彼は自らを魔縁皇帝と名乗り、かつてはラスーノ大陸を統べていた聖王国を滅ぼし、最後まで魔縁皇帝に武力抵抗した聖教団の本山である中央聖神殿を、三万に上る軍勢で隙間なく取り囲んで破壊しつくし、捕らえた老若男女の神官や、その家族、果ては幼い学童の首を刎ねた。
この魔縁皇帝は青鹿毛の馬に跨り、彼の纏う漆黒の板金鎧は見る者を圧倒する出来栄えで、赤と金色で装飾されている。その上に金色の飾緒が付いた赤いマントを羽織り、兜はつけず、彼の堀の深い老練な顔は、遥か遠くのリダーニュ方を見据えていた。
まるで、リダーニュの地を既に我が物としたかのようであり、今の彼を見れば気圧されるような殺気に満ちた御姿であった。
残りは三,〇〇〇ほどの後詰が後方に控えている。
特筆すべきは帝国方の陣から後方の遠く離れた上空を飛んでいる、四〇隻の淡い茶色の気嚢を持った飛行船集団であった。上空に浮かぶそれらは存在しているだけで、飛竜衆の頭に血を上らせた。
飛行船の存在自体が竜騎士の逆鱗に触れたのである。飛竜衆にとって、竜騎士以外の空を飛ぶ異端者共を許せなかったのだ。
――つとリダーニュ方から竜の角笛が、帝国方からは戦鼓とホルンが鳴り響いて、プラデラ会戦の火蓋が遂に切って落とされた。
リダーニュ方の陣から、軍楽兵らにより一角竜の角で出来た長い角笛が『ブオォォォウ』と三回に渡る高い音で鳴らされた。その合図で一,六○○名の皮鎧に胸当てを身に着けたリダーニュ弓兵が、駆け足で陣の最前に出て三列横隊に整列する。
このリダーニュ弓兵は独特の射法で弓を射る。それは長弓と一緒に矢束を右側に持ち、素早く矢をつがえて速射するのであった。帝国の弓兵と比べて、およそ数倍の速さであり、リダーニュ弓兵の長弓は射程も帝国方に比べて長く、数に劣ると言えども分間の投射量的には同等かやや優勢と言えた。
帝国の陣からも軍学兵によって戦鼓が『ダダダダダダダダ』と連続して叩かれ、帝国弓兵隊がリダーニュ方の弓兵隊を射程に収めるべく、二列横隊で小走りに前進した。
それに呼応して、銃士隊横の軍楽兵が戦鼓を『ダ、ダン』と五回ほど鳴らされた。
戦鼓の合図で銃士隊が、長方形の漆黒の大楯を前に若干斜めに立て、盾の影に隠れるようにしゃがみ込み、迫る矢雨に備えた。
長槍隊も密集し円形の盾を上に掲げて流れ矢に備える。
どの帝国兵も額に汗を浮かべて口を引き絞り、これから始まる戦に緊張している様子である。帝国兵の皆々は最強の国と戦っているのだという、恐れと挑戦心が混じった複雑な感情を抱いていた。
――この戦はリダーニュ方が先に動いた。
リダーニュの騎士ヤタ・クリストが静かに手を上に掲げる。
ヤタ・クリストの手が上がり、指揮下のリダーニュ弓衆が弓を引き絞り号令を待つ。ヤタ・クリストの頬傷を有した顔は真っ直ぐと帝国方を向き、鋭い目が帝国方を捉えていた。
そして、ヤタ・クリストがさっと手を降ろし号令する。
「……放てぇ!」
号令と共に無数の矢がリダーニュ弓衆から放たれた。
矢じりが地竜の鋭い歯や犬歯で出来たリダーニュ特有の矢が、大きく弧を描いて飛翔し、帝国方の弓兵隊に殺到する。まるで幾重にも重なり波打つ大波のような矢の雨が、帝国方の弓兵隊の隊列に絶え間なく降り注がれた。
先手を取られた帝国方のドミニク・マルトー侯爵が慌てて「応射だ! 早くしろ!」と弓兵隊に号令を下す頃には、リダーニュ弓衆は二射、三射、四射と圧倒的な速射を浴びせていた。
帝国方の弓兵隊の隊列から、体を射貫かれた者達の空気を裂くような悲鳴が上がる。
これでは組織的に撃ち返すのも儘ならず、帝国方の弓兵隊がじり貧であるのは目に見えていた。
リダーニュ弓衆との数の差を早くも詰められているではないかと、ドミニク・マルトー侯爵の頭の中にこのような言葉が頭を過ぎた。
いよいよ以て、リダーニュ方の猛射に耐えかねたドミニク・マルトー侯爵が、額に冷や汗を浮かべ、馬鎧を纏った馬の手綱を引いて翻り、一時後退の合図を出した。
「こ、後退!」
ドミニク・マルトーの合図に合わせて、後退指示の戦鼓が『ドオォン、ドオォン』と全ての弓兵隊が後退するまで鳴らされた。
ドミニク・マルトー侯爵の弓兵隊が一時後退し、リダーニュ弓兵の射程から逃れた頃と時を同じくしたゲンゲ原の上空では、リダーニュ方の飛竜衆が鏑矢陣形をいくつも作って旋回し、ラボロ・リーチャの竜角の角笛による号令を待っていた。
巨漢の竜騎士であるラボロ・リーチャが乗る竜もまた大型で、灰褐色の鱗を天然の鎧としていた。この竜の名は戦竜アニヒラドと言う、リダーニュ随一の名竜であった。
『斯様に苛烈で勇ましく、一竜で百の兵士を相手取れる竜は、まさに不死身巨漢の竜騎士、ラボロ・リーチャに相応しい竜である』と今亡き先代竜貴王フィドが褒め称えた竜である。
――地上の味方に負けじと、リダーニュ方の飛竜衆も攻撃を開始した。
ゆっくりと戦竜アニヒラドを旋回させていたラボロ・リーチャが、長髭を撫でていた手を止め、一角竜の角笛を口元に持っていき『プオォォオ』と空に高音の音色を高らかに長きに渡って響かせる。
この合図に幾つもの鏑矢陣形の先頭を飛ぶ、各々の飛竜衆の隊長騎から『プオォォオ』と高らかに返奏された。
すると、飛竜衆の集団で作られたいくつもの鏑矢陣形が、旋回しながら半径を器用に変化させ、やがて三つの大きな鏑矢陣形を作り上げた。
合図の締めくくりにラボロ・リーチャが角笛を『ブオオオォオオ』と鳴らして、角笛の音に負けぬ大声を張り上げた。
「者共ぉ! 喰い破れぇぃ!」
三つの大きな刃と化した飛竜衆が、帝国方の飛行船集団に殺到した。
その姿はさながら恐ろしい黒い渦のようにも見え、竜らによる身の毛がよだつような咆哮が飛行船の帝国兵達を震え上がらせた。
その四〇隻から成る飛行船集団の一隻に乗艦していた、帝国の見窄らしく粗野な見た目の男が、迫りくる竜騎士達を指さして「来たぞ~! 来ぃたぁぞ~!」と叫び、転げながら船内の廊下を走り非常ベルを叩いて、けたたましく鳴らした。
この男は軍人でも無く、騎士でも無く、高貴な娘を犯して殺した重罪人である。
彼は恩赦と称されて半年間の基礎訓練を受けて、飛行船に乗せられ、今はこの飛行船集団の指揮官を任ぜられていた。
当然ながら飛行船を飛べるようにするだけの訓練である。
顔面蒼白で歯を鳴らして震えながら、甲板のロケット砲座に急いで着く兵達もまた彼と同じように基礎訓練のみを受けた罪人だ。
罪人なのは彼だけで無く、この船に乗る者だけでは無い、プラデラ会戦に投入された飛行船を操る者達は全て、罪深き罪人によって操船されていた。
この飛行船集団は一隻六〇名の罪人から成る飛行船部隊であった。
絶対強者の竜騎士に対峙する彼ら罪人は、不幸にも、いや因果応報にも兵士ですら無いのである。
蒸気機関でプロペラを動かして飛んでいる、この飛行船も蒸気機関の出力が低く、彼らが居る船室も最低限度の作りで周りを囲ってあるだけであった。
本当に布袋と揶揄されるような、急ごしらえの飛行船なのである。
「お前らぁ! 撃て、撃てぇ! おい、そこのお前ぇ、早くしろぉ! そこのお前もさっさと走れぇ、このボケカスのスカ野郎! この俺が! こ、の、お、れ、が! 死ぬだろがぁ!」
帝国の罪人指揮官が声を張り上げて、仰角が上部の気嚢によって余り取れないロケット砲の射撃命令を出した。恐怖で震えて動けない者には蹴りを尻に見舞った。
「動けぇ! このビチグソがぁ! 動けってんだよ!」
罪人指揮官に蹴りを入れられた太い男が、足を縺れさせながら後方のロケット砲座に着いた。
そして、四〇度ほどの仰角を上げたロケット砲座から一斉に、簡素なロケット弾が多数発射された。
煙を上げながら飛ぶロケット弾は、明後日の方向に拡散しながら飛び、竜騎士に対して損害を与える事、全く以て一つも無く、ロケット弾を派手なだけで大した事が無いと見切った手練れの竜騎士達による接近を許してしまった。
これには罪人達が絶望した。
既に周りに見える友軍の飛行船も煙を噴き、瞬く間に落とされているのである。竜騎士にこの飛行船が通用しないのは、誰の目にも明白であった。
士気が奈落のどん底に堕ちて絶望し、目に生気無く、唯の黒丸と化した罪人達の中で、不意に悲鳴と怒声が上がった。
「取り押さえろ! こいつ味方を刺しやがった!」男の罪人の怒号が飛ぶ。
「竜騎士が殺しに来るなら、みんな死ぬしかないじゃないか! ……おまえも、俺も!」
取り押さえられた金髪の若い男の罪人が言い訳を言い終えると、他の罪人に刺殺されて床に転がった。
「はっ! 何が恩赦だ、これじゃ死刑じゃねえか……俺達を囮にしやがって……」
最期の悪態をついた罪人指揮官が、目前に迫る竜騎士の一群に絶望し心折れ、跪き、手を組み祈る。
彼は自分がかつて殺した貴族の娘のように命乞いした。
こうなるなら、貴族の娘に手を出すんじゃなかった……殺人をするんじゃなかった……。
こう思った罪人指揮官が、堰が切れるように「い、嫌だ、まだ死にたくない、助けてくれ、助けて」と繰り返し呟いていると、乗員から死刑宣告と等しい報告が飛んできた。
「気嚢損傷! 高度維持出来ません! こ、この船は、は、お、おお、堕ち、堕ちますうぅ……! …………うっ……うぅぅ」
報告してきた罪人の男も泣き崩れて座り込んだ。
竜騎士達が放った無数の投げ槍や矢によって気嚢が破られ、罪人を乗せた飛行船が大きく揺れる。直後に罪人達は天井や柱に打ち付けられ、血を体から噴き出し、四肢を粉砕され絶命し、飛行船は帝国方の遥か後方に墜落した。
リダーニュ方の飛竜衆指揮官、ラボロ・リーチャが長髭を棚引かせ、戦竜アニヒラドを、ある飛行船上空に一旦滞空させたのち、巨翼を畳ませ一挙に急降下させた。
戦竜アニヒラドが、上下逆に翻って平行に飛び吶喊した。
鞍を挟む足に途轍もない力が込められ、ラボロ・リーチャが逆さ飛びで飛行船に迫った。
「勢威ぃ!」とラボロ・リーチャは大鎌槍を、飛行船の気嚢に上向きで突き立て、そのまま戦竜アニヒラドの速度を上げ、 ほんの一瞬で大きな気嚢を切破いた。
たったの一騎で飛行船を撃墜したラボロ・リーチャの雄姿に、戦意を極限まで高揚させた飛竜衆が、雄叫びを竜と共に上げて飛行船集団に突貫し、無数の投げ槍と矢を浴びせて、まるで赤子の手を捻るかの如く次々と簡単に撃墜して行く。
最後まで飛竜衆は一人も落とされず、帝国方の飛行船集団に対して十割勝ちであった。
一先ずの勝利の余韻に浸ったラボロ・リーチャが、一角竜の角笛を『ポオオオォオ』と吹き鳴らす。
「飛竜衆! プラデラの城へ補給に戻る! 集まれぃ!」
ラボロ・リーチャが叫んで号令し、四方に散った飛竜衆の隊列が整え終わるのをゆっくりと旋回しながら待っていた。