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第三話 春竜祭 前編

 

 リダーニュの民は独特な衣を身に纏う。

 男の平服は魔除けの刺繍が施された帽子を被って、麻の中着の上に着る上衣には襟と袖、裾に帽子と同様の刺繍で飾られ、高貴な者は己の血統を示す家紋がマフラーかスカーフ、または上衣の肩口に描かれている。

 

 女は男と殆ど同様に刺繍で飾られた上衣を着るが、頭に金属や宝石で装飾された帽子かバンダナを被り、ふんわりと広がる美しい刺繍の入ったスカートを好んで着る者が多いようだ。


 ――中略

 

 今までの十六年に渡る人生を、リダーニュの民が身に着ける衣服について研究を続けてきた私だが、家や地方によって多種多様に魔除けの刺繍や家紋が変化する彼らの衣服の全てを把握できた訳では無い。

 ただ、一つだけ解る事は彼らにとって刺繍とは、様々な意味が込められているという事である。

 今も竜と住む民というのは、本当に不思議に満ちた存在なのだと私は再認識した。


 更に興味が湧いたので、以後の人生もリダーニュの民の研究に費やしたいと思う。

 特に私は研究を通して竜という奴に乗りたいのだ。

 かつての私の遠い先祖が乗っていたように、大空を自由気ままに駆けてみたい。


 ラスーノ国 バーチ高等学校 リダーニュ民俗学専攻 クラリッサ・ブランカ

 聖歴一九三六年 夏期第一節の二〇 クラリッサのレポートより抜粋


――春竜祭

 

 リダーニュの中央に位置する領地、カステロの城下町で煌びやかな春竜祭が催されていた。

 この春竜祭は初代竜貴王が行った策である、強敵を下す為に敵前で行ったお祭り騒ぎが起源である。

 今では春竜祭を楽しむ者は身分の隔て無く、皆々は帝国との戦など起きてはいないかのように綺麗な衣服で着飾って、石畳の城下をゆったりと行き交い、年に一度の祭りを楽しんでいた。


 リダーニュ盟約連合という国は、初代の竜貴王がリダーニュの土地の豪族達と盟約を交わし、今のような連合国になってから二百数十年余りが過ぎている。そして、百を超える戦において引き分けが三十ほど、さらに驚くべき事に負けたのは大昔に二度であった。


 戦に決して負けることのない常勝の国。それがリダーニュ盟約連合であり、例え戦時下であっても祭事を行えるほど家臣も民草も一切の曇り無く、日々を安寧に過ごしていた。


 現在のカステロ城下は、色彩豊かな飾りが露店を彩り、鮮やかな色の模様で装飾された豪華な(ほろ)を張った屋台が立ち並んでいる。それらの屋台からは豚を焼く香りや、種なしパンに挟まれた炒めたポロネギと、食べやすい大きさに切られた焼いた兎肉から食欲がそそられる香りが漂っている。

 どこからともなく太鼓を叩く音と、三角形の竪琴の麗美な調べが聞こえてきた。広場では竜住まうリダーニュの地を讃える歌を歌っているようだ。

 このようにカステロ城下は祭り一色に染まっていた。

 

 イブラとアランが聞こえてくる音楽に胸躍らせ、見え香る屋台の御馳走に目移りさせながら、華やかな春竜祭真っ最中のカステロ城下を防寒騎乗服姿で歩いていく。


「アラン、何か食べないか? こうも香ばしい匂いを嗅いでいると、涎が口の中に溜まって仕方ない」


 生唾を繰り返し飲み込むイブラ。イブラの腹からぐうと虫も鳴いた。


「では兄上、あそこの蕎麦(そば)パンなんてどうでしょうか」


「お前は蕎麦パンが本当に好きだなぁ。どこでも食べられるだろうに」


 イブラが呆れたように言ったが、その両眼に春らしい鮮やかな蕎麦パンを捉えて今にも涎を垂らしそうであった。

 あと一押しだと思ったアランが、青い幌の張った屋台を指さした。恰幅(かっぷく)の良い店主が薄く切られた蕎麦パンの上に、香ばしく炒めた玉ねぎや良い色に焼かれた鶏肉を乗せていく。最後にタイムの葉と桃色のゼラニウムの花が一輪、美味しそうな鶏肉の上に添えられた。


「薄く切られた蕎麦パンの上に、牛酪(バター)で炒めた玉ねぎと焼かれた鶏肉が乗ってます。きっと美味しいですよ」


「お前がそこまで食べたいなら仕方ない」


 諦めたように涎を拭うイブラ。アランの説得が成ったようである。


 今も(たくま)しい二本の獣脚(じゅうきゃく)で地を駆ける地竜を牽いている若騎士が、店主から蕎麦パンを買っている。買っている人がいるのだから、ここの蕎麦パンが美味しいのは間違いないだろうとアランは得心した。


 アランはすぐさま屋台に赴き店主に「その蕎麦パンはいくらかな?」と尋ねる。


 店主は指を二本立てて「棒銀二枚だよ。ラダーザ家の若騎士さん」と手のひらを差し出した。


「それを二つ欲しい」


「お買い上げどうも。今後ともご贔屓に。食べたら木皿はそこだよ」


 拍子良い喋り方で店主は棒銀四枚を受け取り、棒銀貨を数えて満面の笑みを浮かべた。

 笑みを浮かべた店主に、アランもにこやかな笑顔で返す。

 アランは嬉しそうに木皿の上に乗せられた蕎麦パン二つを持ち、腹を空かせたイブラの元へ戻った。


「兄上、お待たせしました」


「おお、待ちわびたぞ」


 イブラが蕎麦パンを三口で食べ終えて手を払うと、ゆっくり食しているアランに、蕎麦パンを食べた時に抱いた疑問を聞いた。


「この蕎麦パンは実に美味であったが、蕎麦は何割ほどだろうな」


 ちまちま食しているアランが食べ終わると、アランは顎に手を当てて考えを巡らした。蕎麦の風味はリダーニュの蕎麦パンよりも劣るが、炒めた玉ねぎとタイムの葉の香りと濃い味付けが、それを感じさせないようであった。食用ゼラニウムも爽やかな柑橘(かんきつ)系の香りで後味もすっきりする。アランの考えはこのように巡った。


「蕎麦は五割ほどでしょうね。リダーニュの蕎麦パンは多くが七割から八割ですからもっと蕎麦の風味が強く出ます」


 ということは、あの店主はリダーニュの者では無いということである。

 東のセンダード海商国か北のスーフェ公国か、それとも南のヴィルト皇国か。

 アランは店主に猜疑心が込められた視線を向けた。


「もしや南の皇国の密偵でしょうか? 我々がラダーザ家の者であると知っているのも……」


 アランが今一度、笑顔を振りまいて蕎麦パンを売っている恰幅の良い店主に視線を向けた。家紋付きの衣服を身に着けていないアランを、ラダーザ家の者と見抜いた彼はやはりどこかの国の間者なのだろうか。


「だとしても、我々にはどうしようもない。春竜祭に多少の密偵が入り込むのは、今に始まった事でもないしな」


 イブラが恰幅の良い店主を見ながらふっと息を吐くと、アランを呼ぶ大声が聞こえた。アランが振り返ると、竜を牽きながら走ってくる地味な色合いの防寒騎乗服を着た一人の若い騎士が居た。


「アラン様! 帰っておられたのですね! ……春竜祭に行くならば、拙者を呼んでくれても良かったのに」


 笑った後に口を尖らせた、ころころと表情を変えるこの者はラダーザ家の重臣、シュロ・サーゴの嫡子、トリデック・サーゴである。容姿は健康的で竜騎士に相応しい体躯を持ち、茶毛を後ろに纏めて目は髪と同じ色をしている。歳は二十四、背丈はアランよりも少し低い。彼の父シュロ・サーゴは、イブラとアランの父エーバルの叔父にあたる人物で、イブラ達から見ると大叔父に当たる。トリデックに牽かれている緑鱗の竜の名はロウコという(めす)の飛竜であった。


「なんだトリデックも来たのか」


 イブラが少しつまらなそうな顔をした。


「あっ、イブラ様も居られましたか」


 トリデックがイブラに声を掛けられ頭を下げる。トリデックの眼中にはアラン以外が見えていなかったようで、イブラの存在に気が付き一寸驚いた様子であった。


「まったく、いつもお前は俺を弟のおまけのように扱う」


「いえ、そのようなつもりは……」


 トリデックが苦笑いを浮かべ、先ほどよりも深く頭を下げて謝った。


 トリデックはアランが八歳の時から仕えている従卒であるため、アランの元へ真っ先に駆け寄るのは当然ではあるのだが、イブラはアランのおまけ扱いな対応を面白く思わなかった。


「トリデックも元気そうでなにより。ロウコも……」


 アランがトリデックの後ろのロウコを見て、体を若干後ろに傾け身構える。

 首を伸ばしたロウコが舌をベロンと出して、アランの顔を勢いよく一舐めした。ざらついた生暖かい肌触りと、生臭い匂いにアランが白目を剥く。


「こら! ロウコ! アラン様に何てことするんだ!」


 トリデックがロウコの手綱をぐいと引き、ロウコの頭を下げさせる。


「ロウコの人の顔を舐める癖は、未だに治ってないのか……」


 アランがトリデックから渡された拭き布を受け取り、涎に塗れた顔をごしごしと拭って恨めしそうな顔をトリデックに向けた。


「いや、すみませんアラン様。ロウコの奴、何度言っても聞かなくて、結局舐め癖は幼竜の時から治っておらず……」


 トリデックが頭を深く下げて謝罪する。


「まあ良い。この木皿をそこの店主に返してくれ」


「はっ! トリデックめにお任せあれ!」


 アランはトリデックに空の木皿を渡し、彼が小走りで店主に返しに行くのを見送った。アランの目にはふと、腕を組んで通りを見ながら唸っているイブラが目に入る。


「兄上、どうかなされたのですか?」


「いや、何……こうして城下を歩く人々を見ていると、女連れの男が多く目に入ってなぁ。それに加えて我らの男臭さよ」


「寂しいのでしたら、イブラ様の奥方を呼べばよろしかったのでは?」


 いつの間にかアランの横にいたトリデックが、イブラに最もらしい事を言う。

 

「妻の体が弱くなければ言われずとも連れて来ている」


 イブラが空を見上げながら妻を想って嘆息した。


 イブラの妻は、父エーバルの今は亡き兄の娘で従兄妹にあたる。名をマルフェと言う。マルフェは透明な白肌と長い白髪に赤い目をした、誰もが見た事も無いような見目麗しい姿であった。彼女は何時も透かし模様で装飾された白い寝衣(しんい)姿で、大体はベッドで寝ており、起きている時は外の景色を羨ましそうに眺めて、薄幸な雰囲気を漂わせているような女性である。奇しくも歳はイブラと同じで、元来の体の弱さ故に中々嫁の貰い手が付かず、見かねたイブラが申し出た事で二人は夫婦となった。


 イブラは今も外の景色を眺めているだろう儚げな妻を想って空を見上げ、もう一度嘆息した。


「アラン様、イブラ様は地上にいると本当に真面目になりますね」


 トリデックが小声でアランに耳打ちし、アランは思わず「ふふ」と噴き出した。


「兄上は空に昇ると調子まで昇るそうだからな。今は地に堕ちているから逆なんだ」


 トリデックが「ぶふっ」と噴き出して笑い、二人は悪戯な顔を浮かべてほくそ笑んだ。


 そして、アラン達の陰口の一部始終を聞いていたイブラが、目を細め口端を釣り上げ「聞こえてるぞ、お前ら」と二人の後ろ頭を小突いた。


「兄上、聞こえてましたか……ははは」


 イブラが、小突かれた頭をさするアランへの意趣返しを思いついたようで、こんな提案をした。

 それは、アランが現在最も嫌がる提案であった。


「そうだ、今ここであやつを呼ぼうではないか。男だけでは春竜祭だと言うのに花が無さすぎる」


 イブラがそう言って、アランの腰に下げてあるベルを手に持つと三回鳴らした。


 ベルの軽やかな音が三度鳴らされて数秒後、どこからか風を切る音が、香ばしい香りを乗せて聞こえてやって来た。

※蕎麦パン 蕎麦粉で作られたパン。リダーニュ名物。

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