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第二話 飛翔 後編

 

 エスタの大変申し訳なさそうな表情にアランは察した。


「申し訳ありませんアラン様。その日はプラトランドまで行かねばならぬ用事が御座いまして……」


 深々と謝るエスタを見ていたアランは、振られた事を悟り木偶のように固まった。


 アランの顔は泣いてはいないが、心は落涙でクナ湖のように深く溜まり悲しみに溺れるようである。


 春竜祭の時期にエスタは何故、リダーニュ西のプラトランドまで行くだろうか。プラトランドと言えば、リダーニュ盟約連合の領主ヴェタン・ラガンダが治めている領地である。


 ラガンダ家は、先々代の竜貴王から仕えている古参の家系であった。彼らラガンダの投石竜騎隊を、このラスーノ大陸で知らぬ者はいないほど、ラガンダは高名を馳せている。


 アランはこのラガンダに心当たりがあった。正確にはヴェタン・ラガンダの甥にあたる人物に。


 イブラもアランと同様に心当たりを見つけたようで、手を打って納得していた。


「ああ、成程。我らの姉上とアールタ・ラガンダ殿の祝言の準備であったか。確かに姉上は祝言を春竜祭に劣らぬ派手さにすると豪語しておったな」


 イブラが続けて「思わぬ難敵が伏せておったようだ。残念であったな」と気落ちするアランの肩を軽く叩く。


「姉上の戯言かと思っておりましたが、本当に五日も前から準備をするとは……」


 イブラとアランの姉、ピノンのアールタ・ラガンダとの祝言は今日から五日後であり、通常の祝言は二日前から準備するものである。


 であるので、本当に五日も前から念入りに準備をするとはアランは思っていなかった。しかも、リダーニュ盟約連合の西の玄関口であるプラデラの城を、西のゲラシアル・レーヒ帝国が二万の軍勢で攻めた事により今は戦時となっている。いくらリダーニュが強いとは言っても少々非常識であると思わざるを得ない。


 まして、エスタまで呼び出しているとは露ほども思ってはいなかったアランは「姉上は強引だ」と心中でピノンに小言を言いながら、残念そうに溜息をついた。


「アラン様、ピノン様の祝言が終わった後でクナ湖まで一緒に空を飛びませんか? メテオロもスーノと飛びたいと言っておりますし……埋め合わせに如何でしょう?」


 クナ湖はカステロ領の西にある大きな湖である。リダーニュの民草の言い伝えによると、祖竜が火を吹き大氷を溶かして作ったとされるが定かでは無い。


 そもそも現在の竜が火を吹く事など無かったので、祖竜が神格化されているだけなのだろう。


 そんな霊験灼かな湖まで一緒に空を駆けようと提案したエスタは、顔を赤らめ手に持った青いバンダナを握りしめながら俯いており、アランもまた気恥ずかしくなり顔を紅潮させて俯いた。


 スーノとメテオロもお互いに首を伸ばし合って、左右交互に顔を横にくっ付けている。


「で、では、そのように。……エスタ、五日後にまた会いましょう」

 

 アランの心に太陽が照るようであった。一緒に春竜祭を楽しめないのは残念だが、クナ湖の絶景は春竜祭に負ける事は無い。今なら早咲きの巴旦杏(はたんきょう)を見つけて、先に花見をするのも良いかも知れないとアランは心の中で目論んだ。


「良かったではないか! はっはっは!」


 イブラがアランの頭をくしゃくしゃと撫で回す。


 二人はエスタ達と共に二階建ての石造りの休憩所で軽く食事を取った後、竜小屋の竜達に水を与えた。


 スーノとモナトが首を並べて木桶に注がれた水を飲んでいる。隣の大きな餌箱にはクアトランパの木に実る拳大の木の実と大きな鯉が入っていた。


 クアトランパの木の実は、人の頭ほどある大きな白い実をトゲのある殻で覆った木の実で、白栗とも呼ばれる竜の好物である。野生の竜は木から叩き落して砕けたこの木の実を好んで食べるのだ。昔は人間も食べていたそうだが、実のほとんどを白く渋い油が占めるこの実を食べる者は、今やほんのわずかな物好きだけであった。


 その白栗の沢山入った餌箱に、スーノが首を突っ込んでがつがつと食べる。


 モナトはスーノよりも早く白栗を平らげた後、大きな鯉を咥えてスーノの前に差し出す素振りを見せた。スーノが不思議そうに首をかしげる。モナトから鯉を貰おうとゆっくり顔を近づけた途端に、モナトが鯉をばっくりと平らげてしまった。目の前で食べられた鯉を見てスーノが悔しそうに地面に頭を擦りつけている。モナトは弟分のスーノをからかったようだ。


「なあ、アランよ。俺は一つどうしても気になる事があるのだ」


 じゃれ合う竜達を見つめながらイブラが話を切り出した。


「レーヒ帝国との戦の事でしょうか? 父上が我々を連れて行かなかった事が兄上も気掛かりでしたか」


 イブラがアランに振り返ると黙して頷く。


「……九年前、先代の竜貴王であるフィド様が西方作戦の折に陣中で病に倒れ、フィド様の御嫡男ヴェルコ様が後を継がれた」


 アランは「はい」と相槌を打つとイブラが話を続けた。


「だが、ヴェルコ様はクナ湖の漁師の娘との間に生まれた御子。由緒正しき家系でも無く、己こそが竜貴王に相応しいと考えている者も多くいる始末。……ヴェルコ様は本当に厳しい立場に居られる」


 ヴェルコは先代の竜貴王フィドがクナ湖で巴旦杏の花見をしていた際に見染めた、漁師の娘との間で生まれた。その娘は輿入りする前に、クナ湖の神官の家系に養女に出された。本来ならこのようなまどろっこしい事はしない。竜貴王フィドは出自の区別なく召し抱えるほどの器を持っていたのにも関わらず、家臣の離反の種となるのを恐れてこれを承諾したのである。


 それほどまでに、リダーニュの家臣達は竜貴王の血統を重んじたのである。これは竜貴王フィドが家臣に熱狂的なまでに慕われていた事も意味していた。


 二十にも満たぬ若騎士達は九年前に亡くなった先代竜貴王を良く知らずに育った者も多く、我が主足り得るはヴェルコ様だと思っている者が大多数であった。それはイブラもアランも同じである。


「なのに何故父上は戦に馳せ参じよと御命じになられなかったのか! 今こそ我らがヴェルコ様をお助けする時であろうに!」


 イブラが両拳を握りしめて声を荒げた。それは、悔しそうな声色である。


「兄上は割り切っておられたと思っておりましたが……」


「考え無いようにしてはおったさ。ただ、こう薄暗い静かな場所にいると、頭の中で悔しさが反響して仕方ない。何故父上は我々を連れて行ってはくれなかったのか……」


 アランもイブラと同様に最初は思っていた。


 父上があのように出陣する前に言ったのは、何か訳があるのだろうとも考えていた。


 思い当たる節と言えば一つある。南のヴィルト皇国が戦支度をしている可能性であった。ヴィルト皇国はゲラシアル・レーヒ帝国の属国であるから『リダーニュを攻めよ』と帝国の皇帝に命ぜられている可能性は多分に存在している。


「父上はもしかしたら南を気に掛けているのかも知れません。ですから父上は、決して、我々を蔑ろにしている訳ではございません。もしもの備えとして我々を置いておいたのですから、用心深い父上らしいではないですか」


 イブラがアランの諫めを聞き「……そうか。うむ、父上は何時もそうであったな。少し熱が上り過ぎていたようだ。今のは聞かなかった事にしてくれ」とアランの頭をぽんぽんと撫でて頷いた。


「であれば父上はヴィルト皇国を気にしておられるのか。あれは九年前の西方作戦の折に手ひどく叩いてやった事がある。それを恨んでいてもおかしくはないな」


 西方作戦。それは、リダーニュ盟約連合が聖王国の号令で集った諸国の帝国包囲網に馳せ参じるべく、南のヴィルト皇国の領地を切り取りながら進軍し、西の帝国領まで突き抜ける作戦であった。


 この作戦は陣中で竜貴王フィドが倒れリダーニュ領内まで撤退し、無念にも西方作戦は失敗に終わる。

 竜貴王フィド・ティーゴ、享年五八歳であった。


「では兄上、南を見に行きますか?」


「それは駄目だアラン。父上に知られたら大層お怒りになる。今は父上のご差配に従うべきだろう。悔しいが弁えねば」


「兄上は一度地上に降りますと、真面目になりますね」


「馬鹿な事を言うな。竜に跨ると……何というか、こう気分が高揚するのだ」


 イブラが両腕を曲げてぐっと拳に力を込めて空手綱を握る素振りをした後、アランに笑いかけた。イブラの中にあった気掛かりは、アランの言葉でするっと抜け落ちたようだ。


「俺達もそろそろカステロ城下に行くか。この際だ、目一杯遊んでやるとする。どうせ、奴らはリダーニュの竜騎士に手も足も出ないのだからな」


「ええ、行きましょうか兄上」


 イブラとアランはそれぞれの竜を発着場まで牽いていく。

 二人は竜に跨りカステロまで飛び立ち、イブラは堂々と、アランは悠々と空彼方に飛び去って行った。

 

 ――これから先にラダーザ家を巻き込む混迷極まる波乱が待ち受けているのだが、二人の兄弟はまだ知る由も無く、今はただ竜に跨り、空を駆けるのみ。


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