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第一話 飛翔 前編


 いにしえより、四方を強国に囲まれし山々の合間にリダーニュあり。

 リダーニュを欲する者、長い時のあいだ数あれども、いずれも竜を駆る気高き者共の前に潰えたり。

 はかりごとをもって竜を駆る者共に接する者あれども、気高きがゆえに通ぜず。

 かくして、リダーニュは竜と竜騎士の土地となりけり。


 ゲラシアル・レーヒ帝国 主席宮廷学士 ルゼルグ・メイナー 聖歴一五九二年 春期第三節の二〇 リダーニュ軍鑑 冒頭




――聖歴一五八七年春期第一節の二六――


 雲の無い青く透き通った大空を背景に、二人の兄弟が大きな翼を広げた白い竜と赤い竜に跨り飛んでいる。二竜(にりょう)とも前足と翼が一体化した大きな翼を、気持ちよさそうに羽ばたかせていた。


 白い鱗を纏う、白竜モナトを駆って弟よりも先へ進む美丈夫は、ラダーザ家長男イブラ。歳は十六で、一つ結びにした黒髪を後ろではためかせながら、モナトの速度を更に一段と上げた。


 手綱を握る手はしっかりとモナトに命令を伝え、振り落とされないよう鞍を挟む足にも、力が込められている。


 その服装は赤染めの厚い皮で出来た防寒騎乗服に、黒色の鎖帷子を着込み、背嚢(はいのう)を背負うという、武装をしていない以外は正式な竜騎乗の姿だった。背嚢には、竜を駆る上で必要な様々な道具も詰まっている。


 弟より背の高い一八五サンチの背丈も、白竜モナトの巨躯も、今は遠くを飛び、晴れ渡る空に小さく映っていた。


 赤い鱗を纏う、赤竜スーノを駆って懸命に遠くへ行った兄に追いつこうとする少年は、次男のアラン。歳は兄より一つ若く、黒い短髪が幼げな印象を与え、中性的な顔立ちである。だが、体つきは兄イブラと同じく、竜を駆る上で必要な筋肉がついている。彼もまた、兄と同様の格好をしていた。


「スーノ! もっと速くだ! もっと速く!」


 アランは兄に置いて行かれまいと、まだ低くない掛け声とともに手綱で加速の命令を出す。しかし、ふと、眼下に光るものを認めてそちらに視線をやった時、ぱぁっと広がる景色に見惚れてしまった。


 湖が直上に輝く日光に反射して煌めいている。それの回りに広がる平原や深い谷、高い山々。鬱蒼(うっそう)と多い茂る、実り多き森林。北から南はヴィルト皇国の海まで続く暴竜川が流れ、支流がいくつも分かれている。立ち並ぶ家々は木組みや白い石造りで、屋根の朱色が一層と景観を絶佳(ぜっか)に彩っていた。

 

 この見えるもの全て、竜の国リダーニュ盟約連合の領地であった。


 アランが眼下の景色に気を取られていると、イブラがモナトを旋回させてスーノと並進させる。


「遅いぞアラン! それではリダーニュ盟約連合にリヴェーロありとまで言われた父上に顔向けできぬぞ!」


 イブラが笑いながらアランを叱咤する。イブラの放つ言葉は厳しいが、弟のアランと同じ青い目は優しさを帯びていた。


「兄上が速いのです! それに――」


 アランが二の句を告げる前に、イブラがモナトの上から忽然と姿を消した。

 素早く周囲を見回したアランは、兄が真っ逆さまに地上へ加速していく姿を見付け、振り落とされたのだと悟った。


「あ、兄上!」


 アランは手綱を押し込み、スーノを急降下させる。大翼を折り畳んだスーノは赤い鱗を輝かせながら、逆さに堕ちるイブラに急接近する。


「兄上! 今お助けしますから!」


 アランがイブラを拾う為、徐々に近づき手を伸ばす。すると、逆さまのイブラが急に前転して、背嚢から竜の翼膜で出来た落下傘を展開した。


 スーノが突然と開いた落下傘(らっかさん)に驚き、翼を羽ばたかせて滞空する。竜は人間に比べて目が何倍も良い故に、急に目の前に大きな物が開くと大層驚く。


「引っかかったな、アラン! 兄が落ちるとでも思ったか!?」


 落下傘で悠々と大空を漂う兄を、滑るようにやってきた白竜モナトが器用に背中へと乗せる。イブラが手早く慣れた手つきで落下傘を四角に畳んで背嚢にしまい、アランに向かって快活に笑った。


 全ては兄イブラの戯れだった。だが、これは兄イブラのアランに対する信頼の裏返しである。


「……兄上ぇ! わざとでしたか! 父上に似て何と人が悪い」


 アランが口を尖らせて抗議するが、その手はスーノを正確に操っている。アランも若輩とはいえ、立派な竜騎士。竜を操る事は己の体を動かす事と同じであった。再びアランはスーノをモナトと並進させた。


「父上はもっと人が悪いぞ! なんたって、竜騎士にあるまじきお方だからなぁ!」


 イブラが大笑いする。


 二人の父であるエーバルは人の悪さで有名であり、一番身近にいる兄弟はそれが身に染みていた。竜と空を飛ぶ時間よりも謀を考える時間の方が多い。『竜を駆るだけで潜在的な敵が全ていなくなるなら、苦労せぬ』とは、実利主義のエーバルらしい言であろう。


 そうであるから、イブラの言葉にアランも大笑いした。


「確かに、いかに兄上のお人柄が悪くとも父上には敵いませぬ!」


 竜上の二人が顔を見合せながら笑いあっていると、遥か向こうの空に二人と同じように竜を駆る一団が現れた。


 竜を駆る女性が三人ほど、弧を描くように飛んでいる。その内の白藍(はくあい)色の竜に跨る青いバンダナを巻いた、紅藤(べにふじ)色の長い髪の少女がいた。


「見ろアラン! あれは女衆であろう! どうやら谷の停竜所(ていりゅうじょ)に止めようとしているようだが、我らも行ってみるか?」


 アランが女衆と聞いて少し身構え、不必要に体が強張ってしまった。女嫌いな訳では無く、女衆の中に見知った顔がいたからである。


「兄上、まさか声を掛けるおつもりですか?」


 イブラが二カッと笑い「今日から春竜祭ぞ! 戦の戦勝を祈願するためにも、我らも祭りを盛り上げねば!」とモナトを女衆が降り立つ停竜所へ急いで駆けた。


「これも立派な戦ぞぉ!」


 既に遠くにいるイブラが、大声を張り上げながら手を振っている。


「お待ちください兄上ぇ!」


 アランがスーノを羽ばたかせ、速度を上げていく。


 速度を上げるアランの脳裏には、父エーバルが西の帝国との戦に赴く前に言っていた事を思い出していた。


『……今回のレーヒ帝国との戦は、お前達は来なくて良い。春竜祭で戦勝祈願でもしておれ』


 あの時はエーバルの顔皺(かおじわ)の堀が一段と深くなり、両の青い目は何時になくギラついていた。あれは父が良からぬ何かを考えている時の顔である。


 地上の停竜所の高い灯台が見え、アランは考えを巡らすのを止めた。二階建ての石造りの休憩所も見える。空と陸の境目を表す魔除けの一文字の紋様が書かれた、石畳の発着場も直ぐそこであった。一足先に降り立った兄は白竜モナトから既に降りている。


「スーノ! 停竜所に降り立て!」


 赤竜スーノを発着場に降り立たせ、アランはスーノの背から飛び降りた。地面にしっかりと四つ脚をついたスーノが空に向かって眠そうに大欠伸する。

 

 そんなどこか自然体なスーノの首を、アランは愛おしそうに撫でる。幼き頃からスーノと居たアランからしてみれば、相棒よりも血を分けた兄弟のような気さえしていた。


「アラン遅いぞ!」


 イブラが笑いながらアランに駆け寄り「……ほら向こうを見てみろ」目線で三人の女衆の一人を示した。イブラの視線の先には、紅藤色の麗美な長い髪の上に魔除けの刺繍(ししゅう)が施された青いバンダナを巻き、髪色と同じ目を持った年頃の少女がいた。少し大人びた顔と一五六サンチほどの小柄な背丈が、彼女の可愛らしさを際立たせている。彼女の横にいる白藍色の竜もまた美しい。


 少女は白満月に黒丸星が描かれた、家紋付きの青いマフラーを首に巻いており、白染の厚い皮で出来た防寒騎乗服の上に、これまた青い上衣を着ている。下には上衣と同色の丈の長いキュロットを穿いていた。彼女の身に着ける衣服には、襟や袖に加えて裾にまで華美な刺繍が施され、竜の翼を模した刺繍から彼女が高貴な家柄であると判った。


「あの子はモントの娘だな」

 

 モントはリダーニュ盟約連合の南の領地で、古代樹が多く繁る美しい土地である。


 広がる古代樹が天然の要害を作りだし、西のゲラシアル・レーヒ帝国の属国である、南のヴィルト皇国からリダーニュを守る重要な土地の一つであった。モント領主は、父エーバルの古い友人でもある。


「ええ、兄上、存じております」


 アランがにっこりと笑いイブラを見た。イブラは「本当か?」と驚いている。


「存じておりますとも。彼女の名前がエスタ・ブランカという名前で、今年で歳が十三になる。そして、彼女が駆る竜の名は星竜(せいりゅう)メテオロであるとも、存じております」


 アランはエスタと三年前に初めて会った時から、会う機会を見つけては会っていた。

 というのも、イブラとアランの実の姉であるピノンが、エスタと接点を持っていたからである。


 それは、お茶会という名のピノンが作った女衆だけで集まる集会であった。


 ピノン主催のお茶会は、美しい古代樹広がるモントで定期的に開かれていたのだ。

 そこで女だけでしか出来ない、よもやま話をするのが目的であった。

 

 アランは得意の女が自身を無くすような綺麗な女装で、しれっとお茶会に参加していたのだ。アランとエスタが初めて会ったのは三年前のお茶会で、無論その時のアランは女装をしていた。


 イブラが「やりおる」とアランの頭を軽く小突く。小突かれたアランはニヤけて頭をさすっていた。


 こうしてイブラとアランが並んでみると、アランの背は一七二サンチほどで、イブラよりは些か背が低い。リダーニュの男の平均身長が一七〇サンチほどであるから、平均並みではある。


 そんなアランがエスタに歩み寄ると、エスタの侍女二人に呼び止められた。

 侍女は二人とも地味な皮製の防寒騎乗服を着ているが、その顔は強烈な殺気を帯びていた。


「そこの者、止まりなさい。あなたが近づいているのは、ストノ・モント・ブランカ様の御息女様であらせられます。何所ぞの野良犬風情が気軽に近づいて良いお方ではありませぬ」


 アランは自分の顔と体をぺたぺた触り『しまった』と思った。


 なぜなら、エスタが身に着けているような、ラダーザ家の家紋である六つ竜鱗の描かれた家紋付きマフラーを今日は身に着けていない。これでは、自分がどこそこの者であると身分を証明できず、不埒ものに思われても致し方ない事であった。


「彼らはエーバル・リヴェーロ・ラダーザの御子息」


 それは清流の様に澄み渡った声だった。


 エスタが「お下がりなさい」と命令して侍女を下がらせる。侍女二人は頭を垂れて一歩横に後ずさりし下がった。


「お久しぶりで御座います。アラン様、イブラ様」


 エスタが青いバンダナを脱いで挨拶する。あどけなさの残る顔立ちの白肌と木漏れ日のような温かさを持った微笑みが、紅藤色の綺麗な長い髪と相まって楚々たる印象を与えた。アランはエスタの容姿に思わず息を飲んで緊張する。

 

 兄イブラも「ははぁ」と感嘆し間抜けな声を出していた。


「スーノとモナトも元気そうで良かった」


 赤竜スーノと白竜モナトが、長い首を低く(もた)げてゴロゴロと唸った。竜なりの挨拶である。エスタの後ろの方で星竜メテオロも、同じように長い首を擡げてゴロゴロと唸っていた。


 エスタがスーノの頭をそっと撫でるのを見て、アランがハッと我に返った。

 折角の機会に声を掛けねば何とすると、アランは心の中で己を叱咤した。


「今日から春竜祭な訳だが……私と一緒にカステロの城下を巡ってはくれないだろうか?」


 春竜祭はリダーニュ盟約連合の君主たる竜貴王ヴェルコ・ティーゴのお膝元の領地、リダーニュの中央に位置するカステロの城下で三日間に渡り毎年行われる。平時は豊作祈願、これが戦時となると必勝祈願と趣きを変える祭事であった。人の集まる祭事であるため他国からの行商も沢山やってくる。


 リダーニュは高い山や谷、深い森に囲まれてはいるものの、東西南北に整備された街道が走る要衝であった。したがって、リダーニュの祭事は沢山の国や地域の行商が集まり、毎年大層な華やかなさを誇っている。今年は北のスーフェ公国、東のセンダード海商国から沢山の人々が峠にある関所を越えてやってくることだろう。


 なので、その華やかな祭事をエスタと過ごしたいアランは真剣である。至極真剣なアランだったが、エスタの反応はというと非常に困った顔をしていた。


挿絵(By みてみん) made in inkarnate


作中のリダーニュの国のモチーフはブルガリアの古都ヴェリコ・タルノヴォ+信州に中央アジア要素を足したチャンポンです。リダーニュの村々はアルバナシをモチーフ。

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