1.残りライフはたったの「1」
剣を振るのが下手すぎて、ボクの刃は雨だけ弾く。
何度やっても躱される。
振り下ろした切っ先は、濡れた土に刺さるだけ。
「……くそったれ」
でも当たり前。ボクはゲームの主人公じゃない。
受験勉強を終えたばかりのモヤシ体型のメガネ男子だ。
進学塾じゃ、動く死体の倒し方なんて教わらない。
泥を踏みしめ、肩ほどまである高さの剣を構えなおす。
重く湿気た森で、湧くように増える敵と対峙。
ボクは口から粘り気のある少量の血を吐き捨てた。
大剣を構える。
ペンが剣より強いなら、役に立ってくれよ。
ボクは偏差値だけは高いんだ。偏差値だけが取り柄なんだ。
まぐれでいいから、一撃くらいは当たってくれ。
「く、ら……ええッ!!」
ブンッッッ!!
大剣を大きく振り下ろした。
アンデッドの肩に刃の端が食い込む。
肉を断つ感覚が、ボクの手を伝わる。
そのまま、一気にぶったぎる。
飛び散る体液が目にしみた。
ようやく当たった久しぶりの斬撃。
笑みが、こぼれた。
「ミヤザワ!まだ来てるぞ!」
喜ぶ暇もなく、ハヤシ先輩の声がした。
湧くように増え続ける敵が、ボクに迫ってくる。
ちくしょう終わらねえ。
歯ぎしりで、血が出そうだ。
生気の抜け落ちた眼球。ところどころ肌が剥がれ落ちてむき出しになった筋肉。
身に着けた革鎧はボロボロで、身を守る機能を失っている。
ヤツらの名は"アンデッド"
装備は弱い。体ももろい。
だが、数だけは腐り散らすほどいる。それがエサをねだる鳩の群れのように迫ってくる。
生きた人体模型たちが剣を持つ手を休ませてくれない。
「くそったれがああぁぁぁぁ!!!」
ボクは駆け出した。勝ち目のない戦いを再開するために。
15歳。高校1年生のボク。人生最大の試練。
異世界から帰還せよ。
両手で大きな剣を握り、不恰好に振り回す。
刃は空気を斬り、空振りを続ける。
新品だったはずの制服は泥まみれで、ズボンに関してはあらゆる箇所が破けている。
疲労と絶望感で、雨を吸ったブレザーが重い。
「ミヤザワ、後ろ!!」
一緒に戦っているハヤシ先輩が必死で教えてくれた。
危険であることは分かったけど、ボクの反射神経ではとても反応できない。
肩を一匹のアンデッドに噛み付かれ、ボクは絶叫する。
肉を食いちぎられる感覚が、全身を駆け抜けた。
勇者ミヤザワトシキ:HP 997→268
命の残りが、大幅に減る。
ハヤシ先輩が、ボクの背中にしがみついたアンデッドを引き剥がした。ボクは膝をつき、倒れそうになる。もう、精神が壊れそうだ。流血と返り血でYシャツは真っ赤だし、口の中はひたすらに鉄の味がする。
「……ちくしょう。ちくしょうちくしょうちくしょうちくしょう!」
「ミヤザワ! あとちょっとだ! やるぞ!」
目の前で、ハヤシ先輩はボクに声をかける。
分かってる。『扉』はすぐそこだ。それはわかってる。
でもこれまで倒せた個体の数はわずかに4匹。2人の仲間を失い、アンデッド15匹に囲まれた今、ボクら2人に勝ち目はなかった。
「……撤退だよ先輩。撤退しかない」
「お前はまだライフが『2つ』あるからいい! でも俺はここを逃したら『消滅』するんだよ!」
ハヤシ先輩は必死だった。半袖から見える腕は紫色に腫れあがり、腹からの流血はボクの比ではない。
勇者ハヤシケンジ:HP 148→145→133……
「……先輩、もう限界なんじゃ」
「そんなことない!」
言い争いが、隙を生んだ。
5匹のアンデッドが一斉にハヤシ先輩に飛びかかる。腕、足、肩、首。あらゆる箇所を食いちぎられ、体から勢いよく血が噴き出す。
もう、終わりだ。
ボクは悟った。
そして、逃げた。
剣を投げ捨てた。ブレザーを脱ぎ捨てた。仲間を見捨てた。走り続けた。
豪雨が降り注ぐ森を、全力疾走で駆け抜ける。
人間として、最低の敗走。
それでも、死ぬよりマシだった。
ぬかるんだ地面。ずぶぬれの体。
傷口からの流血が止まらず、頭が痛い。足を取られて、転ぶ。冷たい水たまりに顔を突っ込む。泥だらけの顔をあげて、立ち上がる。
「死にたくないっ! 死にたくないっ!」
醜いともいえる願い。
生きて帰る。絶対に生きて帰る。
だって悔しいじゃないか。
チビで、眼鏡で、友達もいなくて、あだ名がお受験くん。
中学三年間は地獄だった。
ようやく高校に受かったのに、こんなのあんまりじゃないか。
意地でも元の世界に戻ってやる。
しかし、
「……なんで、ここにも」
ボクの行く手を阻む。アンデッドの群れ。
ニタニタと笑いながら、囲まれる。
もう、戦う術はない。
肩を射抜かれた。
HP:268→215
刹那、一斉にアンデッドがとびかかってくる。
逃げきれず、捕まる。衣服をむしり取られる。錆びた短剣や、肌を裂く鋭い牙。あらゆる凶器がボクの肉を破り、突き刺さり、意識が遠ざかる。
肉体に、力が入らない。神経が痺れて、感覚が失われて行く。地面を爪で引っ掻いた。指先が何も感じない。
目の前の全てが遠ざかる。
世界から温度が消える。
HP:215→0
思考が止まる。
×××
『起きてください。異世界人310番 ミヤザワトシキ』
番号を呼ばれ、ゆっくりと目を開いた。
大きな切り株。そしてそこに刺さる自分の大剣。
「……またか」
ボクは、自分が再び『セーブポイント』と呼ばれる切り株の側で倒れているのを認識した。
立ち上がり、自分の体を確認する。
傷は、何一つない。
着ている制服は、土を被ってこそいるがこの世界にやってくる前の状態に近い。
破れていたはずの箇所は、全て元通りになっている。
これが、異世界のルール。
「……死んだら、無傷で復活できる」
涙を流す。しかし、感傷に浸れる時間は短かった。
自分の胸ポケットを見る。
青いランプのような光が、1つ点灯していた。
「……減ってる」
ボクは、先ほどの戦闘で2回目の死亡を迎えていた。
ここは、3回死んだら終わりの異世界だ。
ゲームに例えるなら、残機は残り『1』。
奈落の底に片足踏み入れた状態。
この状況で、ボクは『森』を脱出せねばならなかった。
周囲を見渡す。
そこあるのは、大量の武器。
森の植物のように、地面に突き刺さる剣や斧、そして杖。
辺り一帯を埋め尽くす、地面に突き刺さる武器。
それは敗れ去ったものたちの墓。
「あれは……」
見覚えのある武器が3つ増えている。
「ハヤシ先輩……」
ハヤシ先輩が握っていた剣。
異世界に来たばかりの頃、ボクに丁寧にルールを説明してくれた。
「ミカミちゃん……」
メガネをかけた女の子――ミカミちゃんが使っていた弓。
何度も何度も、怖いからセーブポイントから動きたくないと泣いていた。
「コミヤマ先生」
ボクの学年ではないけど、別学年で国語を教える先生の斧。
『ミヤザワ。この森で、ライフを3つ消費した人間――つまり、3回死んだ人間は、復活できないんだ。与えられた武器だけ残して、消滅する』
初めて会ってから状況を読み込めない自分に、ハヤシはそう説明してくれた。
新参者で、人が消滅した瞬間を見たことがないボクは、その意味を実感していなかった。
ハヤシ、ミカミちゃん、コミヤマ先生。
同じ学校に通い始めて、同じ森に飛ばされた3人。
そして、彼らはボクを残し、『消滅』した。
膝をつき、両手を地につける。
歯を食いしばり、湿った砂利を握る。
逃げておきながら、悲しむ権利はないかもしれない。
しかし、それでもつらかった。
一人にしないでほしかった。
地面に突き刺さる周囲の武器の数は、パッと見るだけで100を超えている。
いずれ自分も、この敗者の墓を建てられる日が来てしまう。
何一つ情報がない。何が正しいのかわからない。
4人が全力を尽くして脱出できなかった『森』を、たった1人で抜けなければならない。
そんな絶望的なボクの前に。
「……なに泣いてんだよ」
一人の女が現れた。
ボクは顔をあげる。
艶のある長い黒髪。真っ白な肌にほんのり浮かぶピンク色の頬。
ブレザーの下にパーカーを羽織った小柄な女の子。
切れ長の瞳が僕を射抜く。
「姉、さん?」
「バカ弟。ここは、どこだ?」
どん底の果てに、一筋の光が差した。
番号を呼んだ人物に関する描写は2話ですぐに明かされます。