認識 2
メアリはグレイグから離れると、こちらに駆け寄ってきた。
「お恥ずかしい所をお見せして……すみません。私、グレイグの妻、メアリと申します。どうぞ上がって下さい。今、お茶でも淹れますから」
「これはこれは……ご丁寧に……俺様は黒竜♪ んじゃ、お言葉に甘えてお邪魔させて頂きます♪」
黒竜は挨拶しながら上がり込むと、手近な椅子を引き腰掛ける。
「ほら、グレイグ。そんな所に立ってないで……荷物片付けて」
「そんな気を遣わなくても良いだろう」
グレイグは、適当に背負っていた荷物を放り出す。
メアリはキッチンの方へ向かった。
「ああ、そうだメアリ。コイツ朝飯食ってなくて腹が減ってるらしい。なんか適当に摘まめるモン出してやってくれ」
「はい」
キッチンで作業をしている妻に声を掛け、グレイグも椅子に座る。
「良い奥さんじゃないか。美人だし♪」
黒竜がそう言うと、グレイグは嬉しそうに答えた。
「だろう? 俺の自慢なんだ」
言って、グレイグはふと思い付いたように話題を変える。
「そういや……お前さん、あの島で何やってたんだ? あそこは地元の奴らも近寄らない場所だぞ?」
「ん? 何って……お祓い……かな?」
先程の出来事を思い出しながら黒竜。
グレイグは小首を傾げ、
「お祓いって……お前さん、退魔師とかなんかそんなのか?」
グレイグの問いに、黒竜はかぶりを振る。
「んにゃ。違うけど……俺様、心が清らかだから、そーゆー奴らの声が聞こえたり、聞こえなかったり」
「……どっちだよ」
黒竜の言葉を聞き、グレイグは呆れたようにぼやく。
と、そこへお盆を持ったメアリが姿を見せた。
メアリは、グレイグと黒竜の前に茶を置く。
「ああ、ありがとな」
「どうも♪」
「もう少し待ってて下さい。今、何かすぐ食べられる物を用意しますから」
優しく微笑んで、メアリは再びキッチンへ向かう。
彼女を見送って、グレイグはこちらに視線を向けた。
「しかし……旅人にしちゃ軽装だし……お前さん、どこから来た?」
訊かれて、黒竜は暫し考え込む。
「んむ~……どこと言われても……あちこち」
「あちこちって……」
グレイグは軽く息を吐き、目の前で茶を啜る少年を見る。
年の頃は十七、八といった所だろうか。
黒目に黒髪。特に目立った特徴がある訳でも無い――それこそ、どこにでも居そうな少年だった。
と、黒竜がこちらの視線に気付き、小首を傾げる。
「何? なんか付いてる?」
「いや……」
グレイグは、慌てて顔を背けた。
(……それがどうしてあんな化け物を……)
ただの人間に、あれほど悪鬼が怯えるものだろうか……
この少年がいたおかげで命拾いした。
だが、それと同時に言い様のない不安感が頭を過る。
「どうぞ。こんな物しか用意出来なかったのですけれど」
「わぁ~い♪ んまそ♪」
眼前で妻の手料理に瞳を輝かせる少年を、グレイグは無言で見詰めた。
その表情に何かを感じたのか、メアリが呼び掛ける。
「どうしたの? グレイグ」
「……いや……何でもない」
「そう?」
メアリは怪訝な表情を浮かべながら、椅子に座った。
グレイグは、メアリに話し掛ける。
「それにしても……村が壊滅したなんて聞いてたのに……思った程の被害じゃ無かったんだな」
それを聞いたメアリはかぶりを振り、
「ううん。ホントに酷い有り様だったのよ。家は幸い無事だったけど……襲われた直後は、村は火の海。村人も……七人も殺されたんだから」
「……なんだって?」
「怪我人もたくさんいて……この村にはお医者様も居ないし、魔物の襲撃を受けてる場所になんて誰も来なくて……もうダメだと思ったわ」
メアリは自分の体を抱き締めた。恐ろしいモノ思い出し、身震いがする。
グレイグは、彼女の肩に軽く手を添え、
「でも今はそんな事ないよな?」
「……ええ。旅の法術師様が村を救って下さったのよ」
メアリは、グレイグの手に自分の手を乗せる。
と――
「ほーじゅつひ?」
口の中で芋の煮物を転がしながら、黒竜が問い掛けた。
メアリは、黒竜の方に顔を向け、
「お医者様の居ない村や集落を巡って、怪我人や病人の治療をして下さる偉い魔術士様の事ですわ」
「へー、そりゃ奇特な人も居たもんだ」
メアリはグレイグの方へ向き直る。
「その法術師――ラフィナ様のおかげで村の復旧が早く済んだのよ」
「そうだったのか」
「それに、ラフィナ様が村に魔物が寄り付かないように結界を張って下さって……夜も安心して眠れるようになったの」
グレイグは感嘆する。
「……この村の恩人だな」
「ええ。本当に……あの方が居なかったら、村は全滅だったでしょうね」
グレイグとメアリが暫し感慨に耽っていると、窓の外から煙が立ち上るのが見えた。
「ん?」
「何かしら……?」
グレイグは立ち上がり、
「ちょっと見てくる」
そう言い残し、家を出る。
「グレイグ!」
「…………」
ちらと窓の外を見た黒竜は、出された料理の最後の一口を口に運び、
「……何だかめんどくさい事になりそうだな」
そう言って席を立つと、グレイグの後を追う。
「あっ……」
扉が閉まり――、一人残されたメアリは迷った末、戸締まりをして二人の後を追った。
グレイグが騒ぎの大きい方へ向かうと、そこには黒いローブを纏った魔術士風の男が五人。何やら村人達と揉めていた。
「なんだ? あいつら……」
少し離れた場所から、グレイグが呟く。
その背後から、メアリが口を挟んできた。
「あれって……確かルヴィルの魔術士じゃなかったかしら?」
「メアリ! ついてきたのか?」
「だって……」
何か言いたげなメアリを遮り、グレイグは視線をローブの男達に向ける。
「ルヴィルって言ったら、西の魔術国家だろう? なんだってそんな国の魔術士がこんな所に……」
「さぁ……」
「…………」
二人の会話を黒竜は黙って聞いていた。
正直、あまり興味は無い。
と――
「だから! ここには居ないと言っているだろう!?」
村人が声を張りあげる。
グレイグはそちらに近寄り、
「おい、一体どうしたんだ? なんだ、この騒ぎは」
「グレイグ! お前帰ってたのか?」
呼び掛けられた村人は、驚いたようにグレイグを見る。
「こいつらが……ラフィナ様を出せってしつこく言ってくるからさ……」
「……ラフィナ様?」
この村を災厄から救ったという、法術師の名前――
「……アンタら……そのラフィナって魔術士に何の用があるんだ?」
グレイグは男達に問い掛けた。
が――
「お前達の知る所では無い。彼女の身柄を我々に引き渡して貰いたい」
「だから……!」
「この村にその魔術士は居ない!」
「ならば行き先を教えて貰いたい」
斬って捨てる様な口調で男は口を開く。
「行き先も知らない! 他を当たってくれ!」
「……強情を張ると為にならんぞ」
「ホントに知らないんだ!」
村人の言葉に、男は僅かに笑みを浮かべた。
長大な剣を抜き、
「……ならば、その知らぬ事を訊くまでだ」
その剣は一人の女に向けられた。
グレイグが叫ぶ。
「メアリ!」
「!」
男の剣が彼女に振り下ろされる――刹那。
ギィィンッ!――
「なっ!?」
「!?」
男の剣は、突如現れた漆黒の刃に阻害された。
そして――
「はいはい。そこまでね」
場違いな明るい――というより軽い声が響く。
「……お前」
グレイグは、駆け出そうとしたままの格好で少年を見る。
「そ~んなモン使ったら、この辺全部ひっくり返るだろ?」
「地の魔力が込められた俺の剣を……貴様、何者だ!?」
男の問いは無視して、黒竜はメアリに声を掛けた。
「大丈夫? 怪我ない?」
「え……ええ。大丈夫よ。ありがとう」
「そっ♪ 良かった♪ 危ないから旦那と一緒に下がってな」
言われて、彼女は頷く。
グレイグの許へ駆け寄り、
「グレイグ!」
「メアリ! 大丈夫か!?」
「大丈夫よ。それよりあの人が……」
メアリは黒竜の方へ視線を向ける。
「アイツは……大丈夫だろ。多分」
「……でも……」
グレイグは不安げなメアリの肩を抱き、
「とにかく、メアリは安全な場所へ。アイツ等は相当危ない連中のようだ」
「……ええ」
村人達が下がるのを見ながら、黒竜は気楽な様子で斧を担ぎ上げる。
「……貴様……俺の質問が聞こえなかったのか? 何者かと訊いている!」
「…………」
黒竜はゆっくりと視線を男達へ向け――やがて、深々と嘆息した。
「……はぁ。俺様もいちいち名乗らんで良いように有名人になろうかなぁ」
「……なん……だと?」
その言葉に、男は眉根を寄せる。
それには構わず、黒竜はぶつぶつと独りごちた。