認識 1
湖の中心に浮かぶ小さな島。
その島は昔から呪われていると言われていて、近付く者は殆ど居ない。
特に、霧が出たら危険だと言われている。
実際、何人か島を調べに行ったが、誰一人戻って来なかった。
村へ帰る途中、その湖の側を通るのだが、その島に人影が見える。
彼は、その人影に向かって大声で叫んだ。
「おおい! そんな所で何してんだ!?」
「……ん?」
黒竜は砕けた魔石の欠片を見送って、振り返る。対岸から呼び掛けてくる者がいた。
黒竜は軽く跳躍し、その男のすぐ側に着地する。
それを見た男は、驚いて目を見開いた。
「おおっ……すげぇな、お前。あんな遠くから」
「ふっ……こんなの朝飯前よ」
と――黒竜はある事を思い出す。
「ああ。ホントに朝飯食ってなかった」
へなへなとその場に座り込むと、男を見上げ、
「何か食うもん持ってねぇ?」
黒竜の問いに、男は困ったように眉根を寄せる。
「わりぃな。今は何も持ってねぇんだ」
「はぁ……腹減った」
黒竜は息を吐く。
すると、男が思い付いた様に声をあげた。
「そうだ! この先に村があるんだが……良かったらウチへ来ないか? 簡単なモノしか出せないが――……」
「ご馳走になります!」
黒竜は彼の手を取り、キラキラと輝く瞳を向ける。
「そ……そうか。ちょっとだけ歩くけど勘弁な」
男はそういうと、歩き始めた。
黒竜もその後に続く。
「ああ、そうだ。俺はグレイグ。お前さん、名前は?」
訊かれて、黒竜は名乗る。
「俺様は黒竜♪」
「……黒竜? どっかで聞いた名前だな」
「おっ? どこで、どこで?」
期待を込めた眼差しで、彼の言葉を待つ。
グレイグは、暫し考え込み――やがて、ポンと手を打った。
「ああ! 確か、アルデの街で年一度開かれる大食い大会で五年連続優勝してるヤツだろ?」
「……そんな事か……」
何故か落胆の色をみせる黒竜に、グレイグは首を傾げる。
「何だよ。すげぇ事だと思うぜ? 俺は。その業界じゃ有名だぞ」
「どうせならもっとカッコイイ事で有名になりたい」
黒竜は低く呻いた。
その時。
茂みの奥で、ガサッと草を踏み分ける音がした。
「……なんだ?」
「おや」
グレイグは警戒し、黒竜は特に慌てた様子もなく、音のした方を見やる。
その直後――すぐ側の茂みから勢いよく飛び出して来たのは、三体の悪鬼。
「う……うわぁぁぁぁっ!? 何でこんな明るい内から悪鬼が!?」
と――悲鳴をあげるグレイグの耳に、みしっとやたら生々しい音が聞こえてくる。
「……えっ?」
見ると、黒竜の飛び蹴りが悪鬼の顔面に直撃していた。
黒竜は、ドサッと倒れた悪鬼を踏み越え、
「お前ら、こんなトコロで何やってんの?」
ニコニコと悪鬼に話し掛ける黒竜に、グレイグは驚愕した。
「おっ……おい! 何やってんだよ!? 早く逃げない……と……」
叫ぶグレイグの声は次第に小さくなる。
悪鬼は、棍棒を振り上げたままの姿勢で固まっていた。
冷や汗を垂らし、
『……オ……オマエハ……』
『コクリュウ!?』
呻く悪鬼を見て、黒竜は極上の笑顔をみせる。
「お前らのスポンジみてぇな脳ミソも、多少の記憶力はあったらしいな♪」
『ドウシテ……コンナトコロニ……コクリュウ、イル……!?』
『ムリ……コクリュウ……ムリ』
そう言うと、悪鬼達は怯えきった様子で、あっという間に姿をくらませた。
「た……助かった……」
ホッと息を吐くグレイグ。
彼は黒竜の方を見やり、
「お前……そんなに強いのか? 悪鬼が逃げ出すなんて」
黒竜は得意げに頷く。
「そりゃもう♪ アイツらは弱過ぎだが、俺様は強過ぎなくらいだ♪」
自信たっぷりに言う黒竜に、グレイグは呆れたようにぼやいた。
「……って、自分で言うなよ」
「ホントの事だ」
尊大なポーズのまま、黒竜が口を開く。
グレイグは辺りを見回し、
「こんな時間に悪鬼が出るくらいだ。急いだ方が良いな」
それを聞いて、黒竜はウンウンと頷いた。
「そうだな。腹減って死にそうだし」
「……いや。そっちじゃないだろ」
グレイグは、半眼になって呻く。
「俺様にとってはそっちのが問題だ」
「…………」
グレイグは小さく息を吐き、ぽつりと呟いた。
「……こんなにモンスターの動きが活発だなんて……メアリが心配だ」
「……メアリ?」
早足で黒竜の横を通り過ぎるグレイグに、黒竜は訊き返す。
彼は、ちらと横目でこちらを一瞥すると頷いた。
「ああ。俺の女房だ」
「へぇ~」
「村が襲われたって聞いたから、急いで帰って来たんだよ」
「んじゃあ、急がないとねぇ」
彼の足に合わせて、黒竜も早足になる。
「……無事で居てくれれば良いんだが……」
それから二時間程歩いただろうか。
グレイグが声をあげた。
前方を指差し、
「ああ――ホラ、やっと着いたぞ」
「……ホント?」
黒竜はゆっくりと視線を上げる。その視線の先に、小さな村が見えた。
村の入口に来て――黒竜は足を止める。
村の周辺は邪気が濃かったが、村に近付くにつれて、その空気が清浄になるのを感じていた。
そして――その訳を知る。
「……結界……」
グレイグは特に気にした様子もなく村の中へと入っていく。
黒竜は見えない壁に手を触れさせた。
触れた先から伝わる魔力で、これを張った者の力が窺える。
並の術者では無い。繊細で、美しいとも思える魔力がそこにはある。
それは、術者本人を象徴しているかのようであった。
それだけに、黒竜は一瞬村へ足を踏み入れて良いものか迷った。
結界から感じる魔力は聖なる力。
自分の持つ魔力とは性質が異なる――というより、対極に位置する。
ならば、この結界は黒竜の侵入を拒む。
無理矢理入れなくはないが、この結界を破れば周辺の魔物がこの村に集まって来るだろう。
「う~ん……どうしたモンか」
呻いて、黒竜は結界に触れていた手に体重を預ける。
と――
「……おや?」
支えを失い、黒竜の体はそのまま倒れた――結界の内側へと。
倒れたままの姿勢で、黒竜は小さく声を漏らす。
暫し目を閉じて、
「こりは……」
ゆっくりと起き上がり、再び結界に触れる。
手を通してみるが、何の抵抗もない。
黒竜は腕組みして呟く。
「……魔力の性質云々じゃなくて、村に害意があるかどうかが排除の対象って事?」
どうやらこの結界は、この村――そして、村に住む者に害意を抱いていれば、その気質に関わらず侵入する事は出来ない仕組みのようだった。
この結界を張った者は、徹底して争いを避けようとしているように思える。
黒竜は服に付いた埃を払いながら心底感嘆した。
「なるほど。単に魔を追っ払うんじゃない訳ね」
その時――
「おい! 何してんだ! こっちだ、こっち!」
少し離れた場所から、グレイグが呼び掛けてくる。
一人考えを巡らせているうちに、置いていかれていたようだ。
黒竜は小走りで、彼の許へ向かう。
「いや~、ちょっと考え事してたモンで」
「まぁ、いいけどよ。ほら……あれだ。俺の家」
彼の指さす方を見やると、赤い屋根の小さな家が見えた。
村の家屋の多くは壁なり、屋根なりが壊れていたが、この家はその様子がない。
見た限りでは無事なようだった。
グレイグは、足早に家の前まで行くと、素早く扉に手を掛ける。
彼は扉を開け――中へ入ると大声で呼び掛けた。
「メアリ! メアリ、居ないのか!?」
グレイグが家の中へ入るのを見て、開け放たれた扉から黒竜は中を覗く。
すると、奥にある扉が開き、その向こうから金髪碧眼の女が姿を現した。
女は、グレイグの姿を見ると驚いたような声をあげる。
「グレイグ!?」
「メアリ!」
グレイグは彼女の姿を見るなり駆け寄り、彼女を抱き締めた。
「どうしたの? 次の休みまで戻らないって言ってたのに……」
「バカヤロウ! 村が襲われたって聞いたから、お前が心配で戻って来たんじゃねぇか!」
彼は彼女の問いに声を張り上げたが、すぐトーンを落とす。
「ああ……でも良かった。お前が無事で……」
「グレイグ……」
お互いの無事を確かめるように抱き合う二人。
「……あのー……」
黒竜は、暫しぼーっとその光景を見詰めていたが、やがて口を開いた。
さもつまらなさそうに、
「お取り込み中、大変申し訳ないが……できればほっとかないで欲しいんだけど……」
「ん? ああ! わりぃわりぃ。別に忘れてた訳じゃないんだぜ?」
黒竜の声に反応したグレイグは、こちらに顔を向ける。
それを見たメアリは口元に手を当て、
「やだっ! お客さん!? グレイグったら、どうして最初に言ってくれなかったの!?」