霧に浮かぶモノ 2
そこに居たのは、一人の女。
肩まで伸びた黒髪のポニーテールに、自分とよく似た黒い瞳。
その瞳は涙に濡れていた。
足には重そうな鎖が絡み付き、彼女の自由を奪っている。
黒竜は軽く扉を叩き、人懐っこそうな笑顔を浮かべた。
「こんにちは♪ キレイなお嬢さん。こんな所で何してんの?」
黒竜が呼び掛けると、彼女は弾かれたように目を見開いた。
「誰!? 貴方は!?」
彼女の問いに、黒竜は淀みなく答える。
「君を救いに来た……君の味方さ♪」
「……えっ?」
彼女は黒竜をまじまじと見詰め、
「……本当に……? 助けに来てくれたの? 私を?」
黒竜は頷く。
「ああ。今ここを開ける」
カチリ、と小さな音を立てて鍵が外れた。
扉が開かれ、黒竜は部屋の中へ入ると、彼女を束縛している鎖を断ち切る。
自由になった女は、涙を浮かべながら黒竜に抱き付いた。
「おっと」
「ありがとうっ! もうダメかと思ったわ!」
「いや~、女の子がピンチの時はいつだって駆け付けるよ♪ 俺様は♪」
黒竜は彼女の腰に手を回そうとしたが、彼女が素早く離れた為にその手は空振りする。
「さっ、早くここから脱出しましょ!」
「……そだね」
空振りしたままの格好で、黒竜は頷いた。
と、扉の方へ向かう彼女が振り向き、
「そう言えば、まだ名前を聞いてなかったわ」
言われて、黒竜は笑顔で名乗った。
「俺様は黒竜。是非、君の名前も聞かせて貰いたいな」
「黒竜ね。変わった名前……私はマディーネよ。よろしくね」
彼女――マディーネと軽く握手をして、黒竜は扉に手を掛ける。
「まっ、お話は後でゆっくりするとして。さっさとここ出るとしようか」
と、部屋を出ようとした瞬間。
「!」
「えっ!? ちょっ……」
黒竜はマディーネを抱き寄せると、困惑する彼女は無視して周囲に防御結界を張り巡らせる。
その直後――部屋に爆音が響き、炎が部屋中を焼き焦がした。
「まったく……こんな狭い場所で派手な術を……」
術を防ぎながら、胸中で呻く。
(……っていうか。さっきまで何の気配も無かったのに……)
マディーネは、その光景を見て表情を強張らせた。
「……まさか……」
彼女は切羽詰まった様子で黒竜に縋る。
「ねぇ! 早くここから脱出しましょう!? ここに居たら殺されてしまうわ!」
「まぁ、ちょっと待って。すぐ脱出するから」
取り乱す彼女を制し、黒竜は壁に手を当てる。
「何をするつもり? 早くここから……」
問い掛けてくるマディーネに、黒竜は答えた。
「そっから出たら狙い撃ちにされるだろ? だからって相手の力が尽きるまでここに居る訳にもいかないし」
「でも……そっちは何も無いわ。ここしか出られる場所は……」
黒竜はニコッと笑う。
「道なんかなけりゃ作れば良いんだよ♪」
黒竜がそう言った瞬間――黒竜の手が触れていた壁が音もなく消え、一直線に道が出来る。
黒竜は彼女を抱き上げると、マントでその顔を覆った。
「きゃっ!?」
「ちょ~っと、目ぇ瞑ってな? すぐだからさ」
黒竜は彼女を抱いたまま、一気に部屋を駆け抜ける。
途中、積み重ねられた死体を飛び越え――
「後でちゃんと葬ってやるよ!」
黒竜はそう言うと、あっという間に部屋の端――つまり、入口に一番近い部屋までたどり着いた。
扉に手を当て――開くのではなく扉を吹き飛ばす。
「何っ!?」
扉の向こうで、誰かが呻くのが聞こえた――が、それは綺麗さっぱり無視する。
派手な爆音を響かせ、あっけなく破壊された扉と、それに押し潰された何かを踏み越え、
「おっと。失礼♪」
黒竜は悪びれる事なく階段を駆け上がった。
マディーネを抱き抱えたまま階段を駆け上がり、一階へたどり着いた黒竜は、目の前の光景に驚いた。
「……こいつは……」
そこは、先程見た部屋とは思えないくらい小綺麗になっていたのだ。
床に散乱していた本や書類は、きちんと棚に納められ、実験器具も手入れがされているようだった。
床や壁に付着していた血痕も見当たらない。
「…………」
「……あの」
「ん?」
黒竜が呆然としていると、マディーネが声を掛けてきた。
「取り敢えず下ろしてくれる?」
「ああ、なんだ。もうちょっとこのままでも良かったのに」
言いながら、黒竜は彼女を下ろした。
「さてと……この後どうするかな」
暫し考え込む。
マディーネは黒竜のマントを引っ張り、
「兎に角。早くここを出ましょう? ヴェルダルが来る前に」
「……ヴェルダル?」
黒竜が訊き返すと、彼女は頷く。
「この塔に住む魔術士よ。地下の人達はみんなヴェルダルに捕らえられ、ここへ連れて来られたの」
「もしかして……さっき踏んだヤツ――」
と――
黒竜が何か言うより先に、床が溶け始めた。
「……けっこう頑丈なのな」
「何感心してるの!? 早く逃げなきゃ殺されるわよ!」
叫ぶマディーネに、黒竜は軽く手を挙げて、
「なぁに。心配御無用♪ そこそこやるよーだが……俺様の敵じゃない♪」
黒竜はマディーネから視線を外す。
溶けて湯気が立ちのぼる床から姿を見せたのは、黒い法衣を身に付けた老魔術士。
この魔術士がヴェルダルとやらだろう。
他に人間は居ない。
尤も――
(……見たまんまの人間かどうかは怪しいモンだけど)
黒竜は魔術士を見やる。
彼は明らかに人間とは違う気配を纏っていた。
「……貴様……何者だ?」
魔術士はこちらを見据え、口を開く。
黒竜はそれに答えた。
「人に名前を訊く時は、まず自分から名乗るのが礼儀だと教わらなかったのか?」
「人の家に土足で踏み込んで来た者に礼儀が必要か?」
言われて――黒竜は唸る。
「う~む……そう来たか」
軽く息を吐き、
「まぁいいや。俺様は黒竜。アンタがヴェルダルとかいう魔術士か?」
「……そうだ。ここに何の用だ」
不快そうな声のヴェルダルに、黒竜はにこやかに告げる。
「特に用は無いけど、なんとも趣味の悪い……いや、趣のある素敵な建物だなぁと気になったもんだから♪」
ヴェルダルの表情が引き攣る。
黒竜は構わず続けた。
「それにしても、趣味が良いのは建物だけじゃなくて、研究内容もまた……」
黒竜の声はそこで途切れる。
ヴェルダルが黒竜に向け火の玉を投げ付けてきたのだ。
黒竜はそれをヒラリとかわし、
「短気は損気だぞ」
「貴様は私を愚弄しに来たのか!」
声を荒らげるヴェルダルに、黒竜は事も無げに言った。
「いんや~、んな事する程、俺様ヒマじゃないから」
呆気に取られていたマディーネは、思い切り黒竜の服を引っ張る。
「おわっ!?」
バランスを崩し、よろめく黒竜にマディーネは叫んだ。
「ちょっと! 怒らせてどうするの!? 早く逃げなきゃいけないのに!」
「大丈夫だって♪ ちゃんと出られるから」
ずれた服を直し、黒竜はヴェルダルに視線を向けた。
「……生きてここを出られると思っているのか……?」
冷たく――刺すような声音でヴェルダルが呟くのが聞こえる。
黒竜は笑った。
「勿論♪ こんな辛気臭い所で死ぬつもりはないね」
指先に漆黒の炎を灯し、
「まだまだ可愛い女の子達と仲良くなりたいし♪」
「……そうか」
黒竜の言葉にヴェルダルは小さく呟く。
そして、
「ならば……仲を深めて来るが良い……あの世でな!」
ヴェルダルは巨大な火の玉を放つ。
黒竜は、軽く頭を掻きながら、
「いや。透けてんのも良いけど、ヤッパ俺様は生の方が好きなんで♪」
飛んできた火の玉をかき消し、黒竜はヴェルダルに向け魔力を解き放つ。
漆黒の炎が渦を巻き、あっという間にその人影を飲み込む――が。
「!」
黒竜の放った炎は、何かに吸い込まれる様にして消え失せる。
ヴェルダルは無傷だった。
彼は薄く笑む。
「その程度か? その程度の力では私を傷付ける事など出来ぬぞ」
「……へぇ~? ちったぁ面白い事出来んじゃん」
黒竜は目を細める。
と、後ろからマディーネが口を挟んできた。
「ダメよ。彼に魔法は通用しないわ」
「何で?」
訊くと、マディーネは胸元で手を握り、
「どこかの遺跡で魔力を吸収する石を見付けてきて……それを研究して、より強力にしたモノを持ってるからよ。そして、その石の能力を使ってある力の研究を成功させたと……」
「その研究って?」
ここへ足を踏み入れた時に見た研究資料らしき紙は、血塗れで読む事は出来なかった。
黒竜の問いに、マディーネは短く答える。
「……不老不死の研究よ。死ぬ事の無い命の研究……」