黒竜と白竜 4
眼下に広がる広大な大地。
リヴェイアはただ黙ってその景色を眺めていた。
あの怪しげな占い師の言う通り、最初に目に止まった山の山頂に来て早三日。
ブラックドラゴンが姿を現す気配すらない。
(……やっぱり自分の足で捜すべきだったわ)
彼女は胸中でそう呻いて、下山しようとした。
その時――
ふっ……と、頭上に影が出来る。
見上げると、そこには巨大な翼を持つ魔鳥が旋回していた。
《小娘……ここに何の用だ》
直接頭に響いてくる声に、リヴェイアは小さく呟く。
『……心話……テレパシーね』
魔鳥に視線を向け、
『別に貴方に用があって来た訳じゃないわ。ちょっと気になる事があったから足を運んだだけ。もうここに用は――……』
言いかけて、リヴェイアは言葉を飲み込んだ。
山頂には巨大な鳥の巣があり、魔鳥はちょうどその巣の真上を飛んでいる。
巣には卵が四つあったが、それが二つ無くなっていた。
そして、なんとなく視線を向けた先に、彼女は黒い影を見る。
『――……!』
リヴェイアが口を開くより早く、魔鳥が叫び声をあげた。
《き――……貴様ぁぁっ!》
『あっ、ヤベッ。見付かった』
大きな袋を背負って、黒竜が逃げ出す。
リヴェイアはハッとして、素早く彼の背後に回ると、思い切りマントを引っ張り彼を引き寄せた。
『ぐえっ!』
『やっと見付けたわ!』
ギリギリと力を込め、リヴェイアが口を開く。
『……この様子だと……今回は幻影じゃないみたいね』
抵抗しながら黒竜が低く呻く。
『そ……そりゃ幻影は飯食わねぇから……っていうか……気道の確保……』
呻く黒竜は無視して、リヴェイアはさらに力を込める。
『このまま絞め殺しても良いけど……それじゃ安心出来ないから……』
言って、彼女は黒竜の周囲に純白の光球を生み出した。
『この距離なら外さない……』
この光球は触れたモノを全て分解し、消滅させる。
『今度こそ消えて貰うわ』
『くっ……!』
ゆっくりと光球が黒竜に向かう。
黒竜は光球を見据えながら背後に手を回し、リヴェイアの死角から彼女の胸を掴んだ。
『……っきゃあぁぁぁぁぁぁぁっ!?』
悲鳴をあげて、リヴェイアが後退する。
彼女の集中が途切れ、光が消え――そして、黒竜の首を締め付けていた力も緩む。
『! しまっ……』
その隙に黒竜はパッと身を翻し、リヴェイアとの距離を取った。
軽く咳き込み、
『……ケホッ。ケホッ。まったく……いきなり何すんだよ。殺す気か?』
それを聞いて、リヴェイアは声を荒らげる。
『殺す気だって言ってるでしょう!? っていうか「何すんだ」はこっちのセリフよ! どこ触ってんのよ!? この変態!』
すると、黒竜もたまらず叫び返す。
『なんだと!? 変態とは失礼な! こちとらいきなりお花畑に連れて行かれそうになったんだぞ!? その場に限りなく不釣り合いなヤツが手招きしてるのが見えたんだからな!』
『知らないわよ! そんな妄想!』
黒竜は咳き込みながら、ゆっくりと立ち上がる。
『大体、こっちは生死の境を彷徨いかけたんだ。咄嗟に取った行動なんていちいち覚えて……』
言いながら黒竜は自分の手を見下ろし――そしてぐっと拳を握る。
『……さっきの感触は忘れない♪』
『忘れろっ!』
怒りと共にリヴェイアの放った熱衝撃波が黒竜の足下に炸裂する。
黒竜はそれを軽く跳躍してかわした。
『残念だったなぁ♪ せっかくのチャンスだったのに♪』
『…………』
リヴェイアは無言で眼前の竜を見据える。
トッと軽い音を立てて、黒竜が着地した。
『……あーあ。卵落としちまった』
黒竜は背後の崖に目をやり、残念そうにぼやく。
魔鳥は黒竜に襲いかかる寸前で方向を変え、卵を追って行った。
それを見送って、黒竜は視線をリヴェイアに向ける。
『さて……と。何して遊ぶ?』
『……貴方と遊んでる暇はないわ』
リヴェイアは指先を僅かに動かした。
瞬間、細い糸の様なモノが黒竜の足に絡み付く。
『……これは……』
途端に黒竜の動きが鈍くなる。
『……なるほどねぇ。さっきの攻撃は目暗ましってワケだ』
『あれで死んでくれても良かったけど』
冷たく言い放つリヴェイアに、黒竜は笑う。
『ちょっとは頭冷えたみたいだな♪』
『……今度は逃がさない』
リヴェイアは糸に魔力を込めた。
『こんな細い糸で俺様をいつまでも捕まえておけると思ってんのか?』
黒竜は足下の糸を見やる。
かなり魔力が込められているが、それでも黒竜の動きを完全に封じる事は出来ない。
リヴェイアは、あっさりとかぶりを振る。
『思ってないわ。でも……』
リヴェイアは細い指先を黒竜に向けた。
『?』
そして、その指先を僅かに下へ向ける。
瞬間――
『!』
黒竜は、頭上から降りてきた光の帯に全身を締め上げられた。
その様子を見て、リヴェイアが口を開く。
『……糸で捕らえる事は出来ないけれど、その代わり頭上に意識が向かなくなるでしょう?』
『……やっぱりイイ女だな。お前は♪』
黒竜にニヤリと笑う。
『最初の攻撃は爆煙で糸を隠す為の目暗まし。糸は頭上の帯に気付かせない為のオトリってワケだ』
『…………』
リヴェイアが再び魔力を編み始める。
それを見て、黒竜はにっこりと笑顔を見せた。
『知ってるか? 俺様のラッキーカラーは白だそうだ♪』
『…………』
リヴェイアは眉根を寄せる。
『貴方のお喋りに付き合う気はないのよ』
突き放すような口調でリヴェイア。
だが、黒竜は気にした様子もなく続けた。
『まあまあ♪ そう言わずに……♪ その白はこれからの俺様の運命を大きく変える色なんだそうだ♪』
『……そう』
リヴェイアは短く呟き、白銀の光球を生み出した。
『なら当たりね。貴方の運命とやらはここで終わりだもの。尤も……私は貴方の運命になんか興味は無いけど』
『当たりだと思うか! やっぱりなぁ♪ 運命の出会いってヤツはあるもんだよな♪』
『……都合の良いように解釈しないで頂戴。それに……』
リヴェイアは黒竜に向け、光の玉を投げる。
『私は貴方と関わるとロクな目に遭わないと言われたわ』
『そうかい?』
黒竜は目の前の光球とリヴェイアを交互に見据え、
『やっぱり相性バッチリだな♪』
『どこが』
リヴェイアは吐き捨てた。
もう光球は彼を捉えている。
そして、黒竜から僅かに視線をそらした。
その瞬間――
『!?』
視線を戻すと、黒竜の姿が消えていた。
『なっ……どうして!? アイツの魔力は何も感じなかったのに……!』
リヴェイアは慌てて、黒竜の居た場所へ駆け寄った。
黒竜が先程まで立っていた場所――そのすぐ下は崖だった。
その崖の斜面を、光の帯でぐるぐる巻きにされた黒竜が転がっている。
『…………』
リヴェイアは暫し呆気に取られていたが――
『……馬鹿なの? アイツ』
トンと軽く足を鳴らし、リヴェイアは翼を生やした。
そして、黒竜の後を追う。
(……私に感知させない程の微弱な魔力で糸を断ち切ったのね)
リヴェイアは手の中にある細い糸を見やる。
だが、その魔力では帯まで断つ事は出来なかったようだ。光の帯で黒竜の魔力は制限されている。
彼女の術をかわすには他に手が無かったという事か……
(それにしても……)
ゴロゴロと転がる黒竜の後を追いながら、
『……馬鹿ね』
リヴェイアは再び手に光を灯す。
『それじゃ本当に逃げようが無いでしょう』
リヴェイアは黒竜に向け、純白の閃光を放った。
『意外と丈夫だったな。この糸』
黒竜は足に絡み付いた魔力の糸を見やる。
今はもう何の力も感じない。
そして、ゴロゴロと崖を転がりながら頭上に目をやる。
『やっぱり追ってきたかぁ』
視線の先には純白の翼を羽ばたかせ、こちらに向かってくるリヴェイアの姿があった。
彼女はこちらが身動き出来ないと見るや否や、強烈な光熱波を放つ。
『うーん……あれ喰らうとちょっと痛そ』
身動ぎしてみるが、やはり思うようには動けない。
(……後少し……)
時間を稼ぐ事が出来れば――そう思った時だった。
『……おっ?』
『!?』
リヴェイアの放った光熱波が黒竜に届く寸前で、彼の体が宙に浮いた。
目標を外れた光の帯はそのまま真っ直ぐ伸び、眼下の森をなぎ払う。
『あらま。卵無事で良かったなぁ♪』
黒竜の身体は魔鳥に掴まれていた。
魔鳥は卵の入った袋をくわえ、
《……貴様だけは許さぬ……このまま地面に叩き付けてくれる!》
『ちょっと! 邪魔しないで!』
リヴェイアは堪らず叫んだ。
魔鳥はリヴェイアの方に顔を向け、
《この邪竜は私の獲物だ!》
『知らないわ! そんな事!』
言い争う二人(?)を眺めて、黒竜は小さく息を吐く。
『……やれやれ。モテる男はツラいねぇ……』
『何、勘違いしてるのよ!?』
リヴェイアの言葉をさらりと聞き流し、黒竜は魔鳥に話し掛けた。
『まぁ、なんにせよ。助かったぜ、非常食♪ お前のおかげで時間が稼げた♪』
《……何だと?》
はっとリヴェイアは息を呑んだ。
黒竜に巻き付けられている光の帯に亀裂が入っている。
『…………!』
《な……何だ! これは!?》
リヴェイアは咄嗟に幾つもの破壊的な魔法を放とうとしたが、それよりも先に変化が起こる。
黒い霧状の何かが辺りを覆い、視界を閉ざす。
そして、声が響いた。
《……生きてるヤツを間近で見た事無いだろ? お前、俺と同じくらいの歳だろうからな》
『…………』
漆黒の霧の中に浮かぶ一際濃い影。
それが何なのか――彼女は本能的に理解していた。
『……ブラック……ドラゴン……』
漆黒の翼に漆黒の鱗。
血の様に赤い真紅の瞳――初めて感じる恐怖と威圧感。
(……これが……)
《なかなか緊張感のある時間が過ごせた♪ いや、久し振りに楽しかったな♪》
『…………』
聞こえてくる声はどこまでも軽い。
だが、伝わってくる魔力は軽いモノではない。
黒竜の魔力で、リヴェイアの光の帯はバラバラになり、消えていった。
《惜しかったな♪ でも結構イイ線いってたぞ♪》
あの一撃が仮に当たったとして……彼を仕留める事が出来ただろうか?
リヴェイアは黒竜の真の姿を目の当たりにして、自問する。
(……きっと倒せなかった。いえ……絶対に倒せるはずがない)
力の差は感じていた。
だが、これほどとは……
リヴェイアが何も言えずにいると、
《ああ。そうだ、白竜》
『……白竜?』
リヴェイアは眉根を寄せた。
黒竜は頷き、
《そっ♪ 俺様が黒竜で、お前はホワイトドラゴンだから白竜♪ お揃い♪ その方が親しみ易いだろ?》
『親しんでくれなくて良いのよ! 私は貴方を殺しに来たって言ったでしょう!?』
リヴェイアは叫んだが、黒竜は笑いながら、
《それは何度も聞いた。それより、俺様ちょっと腹減ったから一旦飯食いに行く♪ さっき卵食い損ねたしな》
『なっ……逃げるつもり!?』
《逃げるんじゃなくて、飯食いに行くだけだってば。飯食ったらまた遊んでも良いぞ♪》
『そんな時間は無いわ! 今ここで殺す!』
《無理無理~♪》
リヴェイアは全力で魔力を解き放つ――が、あっさり黒竜にかわされた。
黒竜はそのまま空高く舞い上がる。
『……絶対……絶対殺してやるんだからっ! 黒竜!』
《おっ? 嬉しいねぇ♪ 初めて名前呼んでくれたな♪》
この出逢いからおよそ三百年。
彼らの争いは今なお続いている。
――そして。
この出逢いは、後に互いの一族の在り方を大きく変える事になる。




