黒竜と白竜 3
街に辿り着いて、リヴェイアは後悔していた。
(……なんて騒々しい所……)
彼女は胸中で呻く。
思っていたより大きなその街は人間で溢れている。行き交う人の波を見ているだけで気が滅入った。
と――
「よぉ、そこのべっぴんさん」
背後から声がした。
リヴェイアは、その声が自分に向けられている事に気が付かなかった。
無視して歩き出した――その時。
男が数人、目の前に立ち塞がる。
リヴェイアは、この時初めて、この男達が自分に声を掛けてきたのだと気付いた。
「おいおい。無視して行くこたぁねぇだろ? 姉ちゃん。せっかく声掛けてやったのによ」
「この辺りじゃ見掛けねぇな。どうだ? 何なら俺達がこの辺案内してやるぜ?」
言いながら、一人の男がリヴェイアの肩に手を乗せる。
リヴェイアは肩に乗せられた手を見据え、
『……気安く触らないで』
「……あ? なんだ? 今なんつった?」
「さぁ……」
リヴェイアの言葉に男達は首を傾げる。
それを見て、彼女は嘆息した。
「……貴方達には理解出来ないのね……汚い手で触らないで。穢らわしい」
「んなっ……!」
リヴェイアの肩に手を乗せていた男が、その手に力を込める。
「……あんま調子乗んなよ? 痛い目に遭うぜ?」
リヴェイアは再び嘆息して、
「……触らないでって言ってるでしょう?」
彼女の視線が男に向いた瞬間。
男の体が宙を舞い、そのまま地面に叩き付けられた。
男は短く悲鳴をあげ、動かなくなる。
その様子を見て、他の男達は数歩後ろへ下がった。
「な……なんだ、コイツ……魔術士かっ!?」
動揺する男達に、リヴェイアは小さく呟く。
『……これだから他の種族と関わるのは嫌なのよ』
言って、リヴェイアは宙に円を描いた。その円は帯状の光となり、男達を撫でる。
光の帯に撫でられた男達は一斉に弾き飛ばされた。建物の壁に激突し、全員が意識を失う。
彼女は彼等に一瞥する事も無く、その場を後にした。
リヴェイアは無言で街を歩いて回る。
様々な人間が行き交う街。彼女にしてみれば賑やかで活気があるというより、ただ騒々しいだけに感じた。
(……ブラックドラゴンの事を知っている人間は居そうに無いわね……)
特に誰か引き留めて訊ねた訳ではないが、ここに居る人間達は竜とは無縁の者ばかりに見える。
暫く歩いて、彼女は徐々に人気の無い方へ足が向いている事に気が付いた。無意識の内に人混みを避けていたようだ。やがて、周りから人の気配が無くなる。
彼女は細い路地裏に迷い込んだようだった。
『…………』
リヴェイアは足を止めた。
元の場所へ戻ろうと向きを変えた――その時。
「そっちは行き止まりだよ」
『!?』
突如響いた声にリヴェイアは驚いた。
辺りを見回すが、人影は無い。
彼女は警戒しながら僅かに腰を落とす。
「ほら、こっちだよ。こっち」
声のする方へ視線を向けると、建物と建物の僅かな隙間から、何か布のような物がヒラヒラとこちらを誘うように動いている。
『…………』
警戒しながらそちらへ足を向けると、そこにはフードを目深に被った魔術士風の老婆が居た。
「……いらっしゃい。白髪のお嬢さん」
老婆の手元には大きな水晶玉がある。
どうやら――
「……占い師?」
「そうだよ。さて……今日は何を占おうかね?」
「……私、占いに興味無いの。悪いけど――……」
リヴェイアが踵を返した――瞬間。
「黒竜ってのかい? この黒髪のボウヤ。なかなか可愛い顔してるじゃないか」
「!?」
老婆の声に思わずリヴェイアは振り向いた。
水晶玉に映し出されていたその姿は――
「これは!?」
そこに映し出されていた姿は、紛れもなく黒竜だった。
老婆は僅かに笑い、
「少しは興味が湧いたかい?」
「…………」
リヴェイアは老婆と水晶玉を交互に見やり、
「……少しだけなら話を聞いても良いわ」
「……そこにお掛け」
老婆は木の椅子を指差した。
リヴェイアは無言で腰掛ける。
目の前の水晶玉には黒竜の姿がはっきりと映し出されていた。
◆◇◆◇◆
『さてと♪ 飯も食ったし、そろそろ行くかな♪』
『なんだ。もう行っちまうのかい?』
黒竜は立ち上がり、
『いつまでもここに居たって詰まんないだろ? 女の子も居ねぇし』
『……飯食いに来ただけか。アンタは』
ルークは嘆息した。
と――ふと思い出したように手を打ち、その場を去ろうとする黒竜の背中に呼び掛ける。
『ああ。そうだ、黒竜のダンナ』
『あん?』
振り向いた黒竜に、ルークは一言告げた。
『“白”に気を付けな』
『……“白”?』
黒竜は眉根を寄せる。
ルークはピッと指を立て、
『人か物か分からねぇが……これから出会う“白”はダンナの運命を大きく変えると暗示が出てる』
『ほ~う?』
黒竜は顎に手を添え、興味ありげな表情を見せた。
――が、すぐに体の向きを変え歩き出す。
『んじゃ、手遅れだ♪』
『……何だって?』
黒竜はピタリと止まり、笑顔で答えた。
『俺様のトコに来た女。頭のてっぺんから足の先まで真っ白な女だったぞ♪』
『なっ……!?』
ルークは言葉を詰まらせる。
黒竜は腕組みし、うんうんと頷いた。
『なるほどな。出会う運命にある女だったってワケだ♪ どぉりで一目見た時からこう……ビビッと感じるモノがあると思った♪』
『……いや、ダンナ。そういう事じゃなくて……』
『ようやく巡ってきた春♪』
『…………』
全く聞く耳を持たない黒竜を半眼で睨みやり、ルークは溜め息をつく。
『じゃまあ、そーゆー事で♪ 俺様はもう行くぞ♪』
『ちょっ……』
ヒラヒラと手を振り、黒竜は姿を消す。
ルークはふう……と息を吐き、
『……まったく。相変わらず人の話を聞かないんだから……ん?』
と、頭上から一枚の紙切れが落ちてくる。
手に取ると、そこには黒竜らしいなんともいい加減な筆跡で一言。
――早く嫁さん貰え。
『アンタに言われたかねぇんだよっ!』
ルークは紙切れを丸めて地面に叩きつけた。
◆◇◆◇◆
「……さて、何を占おうかね?」
老婆は水晶玉に手を翳す。
先程まで映っていたブラックドラゴンの姿は無い。
「……さっき映っていた男……アイツは今、何処に居るの?」
リヴェイアが問うと、老婆は軽く笑う。
「なんだい。やっぱりさっきのボウヤが気になるのかい?」
老婆は水晶玉に翳す手を動かした。
「……名前は黒竜。年齢は――……何だかよく分からないねぇ。好きな食べ物は――……」
「……何処に居るか聞いてるのよ」
苛立ちのこもった声でリヴェイアは吐き捨てる。
「私急いでるの」
「……せっかちなお嬢さんだね。相手の事を知るのも必要だと思わないかい?」
「必要ないわ」
斬って捨てるような口調のリヴェイアに、老婆は肩をすくめた。
「……このボウヤはここから遥か南、シャスターという街に居るよ」
「……そう。ありがとう」
リヴェイアは席を立ち、その場を去ろうとする。
老婆はその背中に声を掛けた。
「ちょいとお待ちよ」
「……何?」
「アンタ……その街が何処にあるのか分かるのかい?」
「…………」
言われて、彼女は足を止める。
「移動の魔法も行き先が分からないじゃ使えないだろう?」
「…………」
リヴェイアは老婆の方へ向き直った。
「それにね……アンタがその街に着く頃には、そのボウヤはそこには居ないよ」
「……何ですって?」
老婆は、水晶玉を撫でるように手を動かす。
「アンタがその街に着く頃には、ボウヤは別の場所に行っちまってる」
「なら先回りすれば良いだけの事よ。そいつは次に何処へ行くの?」
リヴェイアは老婆に問い詰めた。
老婆は軽く息を吐き、
「そいつはお前さん次第だねぇ」
「……どういう事?」
老婆は水晶玉を見詰めた。
「コイツの行き先は、アンタが何処へ行くかで変わってくる」
リヴェイアは眉根を寄せる。
「……どういう事なの?」
問い掛けると、老婆はくつくつ笑いながら、
「男は追えば逃げるモンさ」
「…………」
訝しげな表情のリヴェイアに老婆は続けた。
「どうやらコイツは相当な天の邪鬼のようだね。アンタがその街へ行けば、このボウヤはさらに南下する。アンタがその街を通り越し南へ向かえば、このボウヤは東の方へ行くと出てるね」
「……なら……どうすれば良いの」
水晶玉を見ながら、リヴェイアは問う。
老婆は暫し口を噤み――やがて、ゆっくりと口を開いた。
「……北へ行きな」
「……北?」
老婆は水晶玉を見据え、
「追えば逃げるが、逃げれば追いたくなるもの……アンタがボウヤの側から離れれば向こうからやって来る……そうだね……高い所が良い」
「高い所?」
リヴェイアは首を傾げる。
老婆は頷いた。
「そう。高い所。山のてっぺんが良いねぇ……アンタの目に一番最初に映った山……その山へお行き。そこへ行けば数日中にこのボウヤに会えるよ」
「…………」
リヴェイアは沈黙した。
この言葉をそのまま信用して良いモノかどうか――……
老婆はくくっと笑う。
「私の言葉を信じるも信じないもお前さんの自由さ」
「…………」
リヴェイアは暫し考え込む。
何の手掛かりも無かったところに、それらしい情報が舞い込んだ。
行く価値はあるのかもしれない。
「……北ね……ありがとう」
彼女は短く礼を言うと、背を向け歩き出す。
と――その手を老婆が掴んで止めた。
「ちょいとお待ち」
リヴェイアは不快そうに眉を顰める。
「……まだ何か……」
リヴェイアの言葉を遮り、老婆が口を開く。
「お代。貰ってないよ」
「…………」
「こっちも商売だからね。タダって訳にゃいかないよ」
言われて、リヴェイアは沈黙した。少し迷う仕草を見せ、机の上に一枚の鱗を置く。
白く輝く銀色の鱗――
リヴェイアは短く告げた。
「……今持ち合わせが無いの。それで足りるかしら?」
老婆は机の上に置かれた鱗を手に取る。
暫し眺めて、口元を緩めた。
「……充分だよ」
返事を聞いて、リヴェイアは踵を返す。
その背後から老婆の声が追ってきた。
「こんな上物をくれたお前さんにひとつ忠告だ」
「…………」
リヴェイアは足を止め、肩越しに老婆を見やる。
「もし、お前さんが今の場所を大切に思うなら――このボウヤに長く関わらない事だ。このボウヤはお前さんの運命を変える……良くも悪くもね」
それを聞いたリヴェイアは短く吐き捨てた。
「……長く関わるつもりは無いわ。私はそいつを殺すだけだから」
リヴェイアの言葉を聞いて、老婆は薄く笑う。
「……忠告はしたよ」
老婆は手際良く店仕舞いをし、怪しげな笑い声と共にあっという間に姿を消した。
老婆が消えた場所を見詰め、リヴェイアはふと気付く。
『……道……』
彼女は裏路地で迷ったままだった。
結局、リヴェイアは目の前の建物の屋上まで魔法で移動した。
そこからなら街の様子がよく分かる。
彼女は魔法で飛行し――街の大通りに着地した。
「うわっ! 姉ちゃん、どっから来た!?」
突然、目の前に現れたリヴェイアを見て驚く男に、彼女は一瞥する事もなくその場を去る。
(……ブラックドラゴン……)
彼女は歩きながら胸中で呟いた。
(……必ず殺す……どんな手を使ってでも……)