黒竜と白竜 1
ブラックドラゴン――
彼らが地上から姿を消したのは、今から千年近く前になる。
強大無比な魔力を持ち、一度その力を振るえば一瞬で見渡す限りが焦土と化す。破壊と殺戮の象徴として恐れられた存在――
だが今はその姿を見る事はない。
たった一人――彼を除いては。
◆◇◆◇◆
爽やかな風が髪を撫でる。
その風を受け、彼は上機嫌で歩みを進めた。
足取りは軽く、トットッと軽快な音を立てて地面を蹴る。
黒髪黒目。着ている服も真っ黒な少年。傍目に見れば、特にどうという特徴は無い。
十四、五かそこらのただの少年である。だが、彼はただの少年では無かった。
ブラックドラゴン――かつて破壊と殺戮の象徴として恐れられた漆黒の竜。
その少年――黒竜は、リンゴをかじりながら独りごちる。
「先に手ぇ出したのは向こうだもんな♪」
言って、リンゴの芯を投げ捨てた。
彼の歩いて来た道は綺麗さっぱり更地になり、無数の魔物が横たわっている。
「……ちょ~っとやり過ぎちまったかもしれないけど……」
黒竜はちらと背後を見やった。
自分が居る場所と、魔物が横たわっている場所ははっきりと分かれている。
この辺りは広大な森林地帯だったが、その半分程が消えて無くなっていた。
「たまにやると力加減が難しいんだよなぁ……」
軽く頭を掻く。
黒竜は普段、その強大な魔力を抑えて生活している。
ただ常に抑制している為、たまにそれを解放した時、力の加減が思うように出来なかった。
力を適度に発散させる事が出来れば多少は違うのだが、無闇矢鱈と物を壊したり、自分からけしかけるのは気が進まない。
「なんかこう……ちょうど良い“遊び相手”が居ればなぁ……」
黒竜はぼんやりと虚空を見詰めた。
魔物は危険に対して敏感で、自分より強い者にはまず近寄らない。
黒竜は力を抑えているとはいえ、そんじょそこらの魔物が束になっても敵わない魔力を持っている。大抵の魔物は、その気配だけで怯え――逃げていく。
しかし、中には戦いを挑んでくる者もあった。黒竜を倒し、名を上げ、己の力を誇示する為に。
だがそういった者は、ことごとく敗北していった。
先程の魔物のように。
黒竜は退屈していた。
魔物も他の竜族も自分を相手にしない。
「……はぁ。つまんねぇの」
黒竜はその場に転がった。
――と、その時。視界の端に何かが見えた。
黒竜は跳ね起き、大きく後方へ飛び退く。
瞬間、純白の閃光が自分の足下を貫き炸裂した。
黒竜は顔を上げる。
「……へぇ? ちょっとは退屈しのぎになるかな?」
視線の先には白銀の髪を持つ男が立っていた。
見た目でいえば、二十代半ばといったところ。
男は掲げていた腕を下ろし、口を開いた。
『……ブラックドラゴン……だな』
竜族と会って、会話をするのは何年振りだろうかと、そんな事を黒竜は思う。
友好的な相手ではない事は分かっているが。
黒竜は頷き、同じように返した。
『そうだよ。そーゆーアンタはホワイトドラゴンだな』
男はこちらの言葉に反応を見せない。
淡々と続ける。
『……我々は貴様の行方を探していた……』
『へぇ? 何の為に?』
黒竜は訊き返す。
男は短く答えた。
『……貴様を抹殺する為だ』
その言葉と同時に純白の光が溢れ、光は辺り一帯を爆砕させる。
黒竜は、相手の術が完成する一瞬前に術の範囲外へと転移していた。
破壊された大地を見下ろし――にやりと笑う。
『……ちょうど良いや♪ あれじゃ物足りないと思ってたんだ♪ せっかくだから遊んでやるよ♪』
黒竜はそう言って膨大な魔力を編み上げた。
――この日を境に、彼の日常が少しずつ変化を見せる。
それまでただその日を生きて来た黒竜の許に、頻繁に刺客が送られてくるようになったのだ。
おかげで黒竜は退屈せずに済んだ。
それどころか、昼夜を問わず狙われる為、逆に煩わしささえ覚えた。
そんな日々が百年近く続いたある日――……
「……最近めっきり静かになったなぁ……」
黒竜はぼんやりと空を見上げ――呟く。
ここ数日はいたって平和で、それまでの襲撃が嘘の様にぱったり途絶えた。
「……ヒマ……」
不服そうにぼやく。
しつこく襲われれば面倒だが、まったく相手にされないとなるとつまらない。
「はぁ……誰でも良いから遊びに来ねぇかなぁ……」
黒竜がそう言った――瞬間。
ふわっ……と辺りが白い霧に包まれる。
「…………!」
たちまち視界は利かなくなり、真っ白な闇が辺りを支配した。
黒竜はゆっくりと周囲に目を配らせる。
何も見えないが、微かに感じる――強い魔力。
(……今までのは様子見ってワケか……?)
胸中で呟く。
――随分と舐められたものだ。
気配のする方へ視線を向けると、霧の中に揺らめく影が見えた。
次第に霧が晴れ、姿を見せたのは――
「……おっ……?」
黒竜はその姿を見て目を丸くした。
霧の中から現れたのは女。
長い白銀の髪に、雪の様に白い肌。紫水晶の様な大きな瞳を持つ美しい女だった。
黒竜が言葉を失っていると、女が口を開く。
氷の様に冷たい視線と口調で、
『……貴方がブラックドラゴンね?』
その声に、黒竜は我に返る。
にっこりと笑い、
『そだよ♪ アンタみたいな美人さんが俺様に一体何の用?』
彼女は表情を全く変えず、
『……私はホワイトドラゴン・リヴェイア。私の目的が何か……分かっているのでしょう?』
『さぁ? デートの約束をした覚えは無いけど』
『……そう』
黒竜がそう言った瞬間、彼女の姿が消える。
そして、先程まで遠かった彼女の声が急に近くなった。
『……なら教えてあげる』
見ると彼女は一瞬で黒竜の懐に飛び込んでいる。
『いっ?』
『……尤も。それを知った時、貴方は生きていないでしょうけど』
純白の閃光が黒竜を包み込む。
リヴェイアは素早く彼の側から身を引く。
彼女が離れると同時、黒竜を包み込んだ光は爆裂した。派手な爆音を轟かせ――やがて光が消える。
後には巨大なクレーターが出来ていた。
『…………』
リヴェイアはゆっくりとクレーターに近付く――と、その時。
『そこには何も無いよ♪』
『!?』
背後からの声に、リヴェイアは振り返った。
視線の先にはブラックドラゴンが居る。
切り株に腰掛け、気楽な様子で手など振り、
『いやはや……結構速いな♪ ちょっぴりビックリしたぞ♪』
(……いつの間に……)
リヴェイアは表情を鋭くし、黒竜を睨み据える。
『あのまま喰らってたらちょっと痛かったかもな』
『…………』
黒竜はゆっくりと立ち上がり、
『美人な上に強いなんて……惚れちまいそうだ♪』
それを聞いたリヴェイアは眉根を寄せる。
『せっかく知り合えたんだし……こんなつまんない事やってないで、お茶でもどう?』
ニコニコと笑顔を見せる黒竜に、リヴェイアはきっぱり言い放つ。
『断るわ。私、お喋りな男は嫌いなの』
リヴェイアは再び魔力を放った。
純白の光が真っ直ぐ黒竜に向かって伸びる。
『何より……貴方がブラックドラゴンという時点でお断りよ』
黒竜はリヴェイアの放った閃光を真っ向から打ち消し、笑顔で口を開く。
『そりゃ残念。俺様はもうちょっと君とお話してたいんだけどなぁ』
『……私は貴方の声も聞きたく無いわ』
黒竜の言葉を聞き、リヴェイアは冷たく吐き捨てる。
だが、黒竜は気にした様子もなく続けた。
『俺様はもっと君の声が聞きたい♪』
『私、貴方みたいな男は嫌いなの』
『俺様はアンタみたいな女は嫌いじゃない♪』
『……貴方とはどこまでも平行線ね』
『そうかな? 結構ピッタリだと思うけど』
『…………っ!』
リヴェイアは拳を握り、かぶりを振った。
(……相手のペースに乗せられちゃダメだわ……冷静に……)
リヴェイアがそう自分に言い聞かせた――その時。
彼女の思考は一瞬途切れる。
『…………!?』
一瞬だった。彼女が黒竜から視線を外したのは。
その僅かな隙に間合いを詰め――黒竜は彼女に口付けしていた。
沈黙は長かった――が、それほど長い間そうしていた訳ではない。
リヴェイアは素早く黒竜から離れると、声を荒らげた。
『…………ッ! 貴様ぁぁぁぁっ!』
怒りと共に放たれた閃光は辺り全てを爆砕し、あらゆるモノを破壊し尽くす。
黒竜はパッと身を翻し、その光の範囲外へと転移した。
そして、面白がるようにリヴェイアを見る。
『なんだ。ずっと無表情だったからそーゆー仮面でも被ってるのかと思ったら……そんな顔も出来るんじゃん♪』
そう言って、黒竜は先程の感触を確かめ直すように唇を舐めた。
『貴様は殺す……! 絶対にっ!』
リヴェイアは再び黒竜に向けて、魔力を放つ。
先程より威力は増しているものの、狙いは甘い。どうやら怒りのせいで冷静に相手を見る事が出来なくなっているようだ。
黒竜は薄く笑みを浮かべる。
『そんな頭に血が昇ってちゃ俺様は倒せないぞ♪』
黒竜は彼女の放った魔力を相殺し、
『まあ、でも俺様はアンタが気に入った♪』
ポンと手を打ち、告げる。
『気に入ったから、アンタを今日から俺様の女にしてやるよ♪』
『なっ……』
リヴェイアは言葉を詰まらせた。
激しくかぶりを振り、
『ふざけるのもいい加減に……!』
『ふざけてなんか無いぞ。とっても本気だ♪』
『余計タチが悪いっ!』
叫んで――彼女は目を閉じると、深く息を吐いた。
『……もうこれ以上貴方に付き合うつもりは無いわ……だから』
リヴェイアはスッと、細い指先を黒竜に向ける。
『今すぐ消えて』
リヴェイアの指先から生まれた真っ白な光は徐々に肥大化し、黒竜を包み込んだ。




