変わる日常 5
「……僕との契約は信用云々では無いので……」
あまり詳しく説明する必要もないと思い、バランは口を閉ざした。
ちらと、地竜とフィリーの方を見やる。フィリーは魔力の供給を断たれた事と、元の流れに戻った事の変化に戸惑っているようだった。
意識もはっきりしないようで、どこかぼんやりとしている。
「フィリー」
地竜はフィリーの顔を覗き込んで、声を掛けた。
フィリーは、ぱちぱちと何度か瞬きしてから、
「地……竜様……」
「大丈夫か? どこかおかしなところは無いか?」
「あ……はい。大丈夫です」
「そうか。良かった」
ほっと息を吐いて、地竜はフィリーから離れる。
「あの……地竜様……」
フィリーが居心地悪そうに身動ぎすると、地竜は薄く笑み、
「いいよ。気にしないで。それより、今後は黒竜の言う事に耳を傾けるな。全部無視しろ」
「はい。地竜様」
「あれ。何かさり気なく酷い事言ってる。しかも了承しちゃうのか」
「それはそうでしょうね」
あまり気にしていないような調子ではあったが、黒竜がぼやくのでバランは当たり前のように肯定する。
黒竜はバランの顔を見上げ、
「なんかお前も冷たくなってきてるよね。火の精霊のクセに」
「それは関係ありませんから」
そうこう言っているうちに、フィリーも落ち着いたようなので、地竜は軽く指示を出す。
「フィリー。茶を頼めるか?」
「はい。分かりました」
フィリーは頷いて、ぱたぱたと走り去っていく。
それを見送って、地竜は深い溜め息をついた。
「フィリー、大丈夫なの? 具合悪かったんじゃないの?」
「……大丈夫だよ。魔力の流れは完全に戻ってる。それに……何かさせてやった方が落ち着くだろうからな」
黒竜の問いに答えてから、地竜は辺りを見回す。
フィリーが破壊した壁や柱を見て、思わず苦笑いする。
「派手に壊してくれたなぁ」と思いつつ、地竜は指を宙に滑らせた。
壊れた壁や柱をなぞるように指を動かすと、指先から光が零れ、瞬く間に神殿が修復される。
傷一つ無い柱を撫で、
「……やれやれ。何でこんな事に力を使わなきゃならないんだか……」
「僕の不始末はご主人様の責任だろう」
「お前が余計な事を言わなければこんな事にはならなかったよ」
苛立ちを込めて地竜がそう言うと、黒竜は悪びれた様子もなく返した。
「それにしても、地竜。お前も罪作りだね。僕を自分に惚れさせるなんて」
「……誤解を招くような事言わないでくれるか?」
「主従関係の中で育まれる禁断の愛……それはそれで良いと思うよ。うん」
「それ以上、無駄口叩くようなら思い切り殴って地上まで飛ばす」
「あ~、お茶楽しみだなぁ♪」
「お前の為に用意する訳じゃないからな」
「成る程。それが所謂、“ツンデレ”というヤツか」
「全く違うから」
ぐったりとしながら、地竜は自分の部屋に向けて歩き出した――その時。
『――あら。今日は随分賑やかなのね』
「えっ」
突如響いてきた声に、地竜はドキッとした。ついでに冷や汗が流れる。
淡い緑色の光が辺りを照らす。
これは――空間転移の光。
そこに満ちる魔力は、どこまでも澄んでいて美しい。
その光が消えた時、彼女は姿を現した。
ふわりと、優雅にその場に降り立ち、彼女は笑顔で地竜に声を掛ける。
「こんにちは♪ 地竜♪」
「……風竜……」
「バランもこんにちは♪」
風竜は地竜の傍に居たバランを見て、同じように声を掛けた。
バランはぺこりと頭を下げる。
「……風竜。一体、どうしたんだ? 突然……」
風竜の訪問はいつも突然だが、地竜は構わず問い掛けた。
すると、風竜は地竜の許へ歩み寄って、一冊の本を差し出す。
「この間、貴方に本を借りたでしょう? 返し忘れてた事を思い出したから持って来たの。はい。ありがとう♪」
「そ……それでわざわざ? だったら連絡してくれたら俺が取りに行ったのに」
本を受け取りながら、地竜は頭を抱えたい気分になった。
別に、本を返すだけなら明日でも明後日でも、百年後でも千年後でもいい。
今日、今この瞬間でなければいつだって構わない。
しかし、
「借りる時は持って来てくれたんですもの。返す時まで貴方の手を煩わせてはいけないと思って」
無邪気な笑顔でそう言われると、何も言えなくなる。
地竜は本に視線を落として、
「……そうか。その……持って来てくれてありがとう。風竜」
風竜はいつだって悪気は無い。
ただ――何をするにも、間が悪いだけだった。
「…………」
バランが無言で地竜と風竜のやり取りを見詰めていた時、
「……なー。あれが風竜?」
「そうです。というか……」
背後からの声に、バランは視線を動かし、
「……何故そんな所に?」
黒竜は太い柱の影から、ひょこっと顔を覗かせる。
「ちょっと隠れてるから」
「何故?」
一体どこに隠れる必要性があるのか。
「何事にもタイミングというモノがある。それに会話のきっかけも大事」
「……意味がよく分からないのですが……」
バランは風竜の方へ視線を向け、
「黒竜様は風竜様にお会いしたかったのではないのですか?」
「会いたかったよ。だから、会話のタイミングを見計らっているのだ」
「……普通に声をお掛けしたらよろしいかと」
「とゆー訳で、そろそろあの二人のやり取りも一段落しそうだし、ついでに面白そうな事も分かったから会話に加わってくる」
「……えっ?」
意味深な言葉を残し、黒竜は風竜の許へてこてこと歩いて行く。
「こんにちは♪」
「……あら? こんにちは♪」
それを見た地竜はぎょっとした。
風竜は黒竜に声を掛けられて、笑顔で返す。
「お姉さんが風竜?」
「そうよ♪ はじめまして♪」
風竜はしゃがみ込むと、黒竜と目線を合わせる。
「貴方はさっきそこの柱の影に隠れていたブラックドラゴンね?」
「あれ? バレてた?」
「ふふっ♪ 私、かくれんぼは得意なの。特に探すのは♪」
「……まあ……そうだろうなぁ……」
複雑な表情で地竜が呻く。
黒竜は少し上目遣いで、
「ごめんね? 気分悪くさせちゃった?」
「そんな事は無いわ」
「物凄く強い魔力を感じたから……ちょっと驚いて」
「まあ」
風竜は口元に手を当て、
「そうだったの。驚かせてごめんなさいね」
「ううん。もう大丈夫。危なくないって分かったから」
「…………」
地竜は半眼になる。
黒竜が強い魔力を感じて怖がるなど、ある訳が無い。風竜の魔力に恐怖を覚えるのなら、水竜でも火竜でも同じように感じる筈だ。無論、地竜にも。
だが、黒竜は最初から怯えた様子は微塵も見せていない。
なのに何故、そんな事を言っているのか……
「俺はね。風竜に会いたくてここまで来たんだ」
「まあ、そうなの? 実は私も一度貴方に会いたいと思っていたのよ」
「えー? 本当?」
「ええ♪ 色々話は聞いているわ。でも、実際に会ってみるとイメージと少し違うみたい」
「俺も風竜はイメージと違ったなぁ。噂で綺麗な人だって聞いたけど……」
と、黒竜は一拍置いて告げる。
「噂は当てにならない。風竜は噂以上の美人だ」
「まあ」
風竜は驚いたような声をあげると、くすくすと笑う。
「煽てても何も出ないわよ?」
「そんなんじゃないよ。事実を言ってるだけ。風竜はすっごい綺麗だし美人」
「ふふっ♪ ありがとう♪」
二人の会話は他愛無く、実に平和なものだった。
「あの……黒竜様の事は風竜様にお任せした方が良いのでは……多少、不安な要素もありますが」
黒竜と風竜の会話を訝しげな顔付きで見詰めている地竜に、バランは進言する。
地竜は横目でバランを見やり、
「……お前はそう思うか?」
「は……はあ。そのように思います」
水竜の所でも、火竜の所でも――そして、ここでも問題を起こしている黒竜が、あれだけ打ち解けている。
風竜も、黒竜の話を聞いて相槌を打ち、驚いたり笑ったりして楽しそうにしていた。
特に問題は無いように見える。
そう言えば、地竜はますます眉間に皺を寄せた。
「……確かに、風竜と黒竜の会話は成立してる。だけど、俺はそこに違和感を覚える」
「違和感?」
バランが首を傾げると、地竜は少し困ったように眉を下げる。
「……何て言うのかな。あの二人の会話は何の問題も無いように進んでる。けど……何かずれてる気がするんだ。敢えてずらしているというか」
「それはどういう……」
「平凡なやり取りの裏に何か別の意図を感じる」
「別の意図……?」
バランは改めて、黒竜の話の内容を思い返す。
それは、人の世で遭った人攫いの事や、賞金稼ぎになろうとした事、その過程で知り合った精霊や魔術士の事などで、取り立てて気に留める話でも無い気がする。
と――
「――でね。人の世で生きていくのに困ってた時、地竜が色々アドバイスくれたの」
「……ん?」
急に名前を挙げられて、地竜は眉を顰めた。
黒竜はにっこりと笑顔で、話を続ける。
「地竜は良い人だよね♪ 最初に会った時も親切にしてくれたし」
「……そうだったかな」
必要な事は話したが、親切にした覚えは無い。
黒竜と出会ってからの事を考えていると、風竜が嬉しそうに手を叩く。
「そうね♪ 地竜はとっても良い人よ♪」
「うんうん♪ 水竜は何だか取っ付きにくいし、すぐ怒るけど、地竜は優しくて理解もあるから頼りになる」
「あら。でも、水竜も面倒見は良いし、細かい所によく気が付くし、頼りになるのよ? 確かにちょっと怒りっぽい所はあるけれど、本当は優しいの」
「でも、俺にはあんまり優しくない……」
「あらあら」
少し俯いて、どことなく淋しそうにしている黒竜の頭を風竜が撫でる。
外見だけは幼く愛嬌のある子供の姿なので、事情を知らない者の目にはそれは哀れに映っただろう。
実にあざとい。
地竜は一つ溜め息をついた。これは風竜にきちんと説明しておかないと、後々ややこしい事になりそうだ。
そう思い、地竜が口を挟もうとした瞬間、黒竜の明るい声がそれを遮った。
「でもね。地竜は最初から優しかったよ。俺ね、地竜の事はすご~く信頼してるんだ」




