変わる日常 2
「あっ! 水竜! お前どこ行ってたんだよ! お客様ほったらかして!」
水竜が客室に戻ると、不機嫌そうな黒竜が声をあげる。
色々と言いたい事が頭を駆け巡ったが、言い合いをしている暇は無いと、水竜は言葉を飲み込み――告げる。
「……黒竜。ちょうど……手が空いてそうな奴が居るから、今からそこへ送ってやる」
危うく、「暇そうな奴」と言い掛けて、水竜は即座に表現を変えた。
そんな事を口にしようものなら、黒竜は今後もここに入り浸る。
「手が空いてそうな奴? 誰?」
「行きゃ分かる」
言って、水竜は黒竜の周りに転移の魔力を張り巡らせた。
黒竜は足下の光を見ながら、
「あれ? お前は来ないの?」
「……何で俺まで行かなきゃならねぇ。後、お前は用が済んだらさっさとそこから帰れ。長居はするな」
「何ソレ。まあいいけど」
そんな呟きを残して、黒竜の姿は消える。
水竜は一つ溜め息をついてから、椅子に腰掛けた。
黒竜と四聖竜の関わりは、黒竜が“神の心臓”を持ち続ける限り終わらない。
ならば、監視の対象となる者がどのような者なのか知っておくのは悪い事では無い筈だ。
何より――水竜だけで黒竜の相手をするのは手に余る。
「……あいつが“心臓”持ってる時点で避けられねぇ事なんだから……まあいいだろ」
◆◇◆◇◆
「――ここは……」
転移の光が消えた時。黒竜の目に映る景色は変わっていた。
高い天井と、仄かに光る赤い壁。つるつると滑らかな壁は、触れるとほんのり温かい。
「……変わった壁。だけど、寒い季節には役立ちそう」
黒竜はきょろきょろと辺りを見回す。
長い廊下を挟んで幾つか扉がある。ついでに言うと、目の前にも扉が一つ。
このまま適当に探索してみても良いかとも思ったが……
「何か水竜の家じゃ無いっぽいし。この扉が一番立派で綺麗だから、まずはここから調べよう」
そう言って、黒竜が扉に手を伸ばした――その時。
「水竜!?」
「わっ!」
勢い良く扉が開け放たれ、黒竜は床を転がる。
扉の向こうから出て来たのは、やたら露出度の高い格好をした派手な女だった。
赤い髪に赤い瞳。そして、その身に秘められた強大な魔力――
女は黒竜など眼中に無い様子で辺りを見渡し、
「……おかしいわね。確かに水竜の魔力を感じたのに……」
女を見上げ、黒竜は胸中で呟いた。
(あっ。ひょっとして……)
黒竜はぱっと立ち上がり、
「ねー、ねー。お姉さんが火竜?」
「……は? 何。あんた誰?」
女は漸く黒竜の存在に気付いて、眉を顰める。
黒竜は両腕を広げ、
「俺ね。水竜に飛ばされてここに来たの」
「水竜に飛ばされて……って――ちょっと待って」
女は手を挙げて、一度会話を止めた。
まじまじと黒竜を見据え、
「……あんた。ブラックドラゴン?」
「そだよ♪ 黒竜って言うの♪」
「黒竜……」
以前、水竜の神殿に集まって話をした時に聞いた名前。
“神の心臓”を宿すブラックドラゴン。その子供。
それが何故ここに……
「俺は火竜に会いたくて来たの♪」
「……私に?」
「あっ。やっぱりお姉さんが“火竜”なんだね。水竜は最初しら切ってたけど。いやでも想像してたよりずっと美人♪」
「……一体何の用?」
“心臓”が直接やって来たのだから、何かしら目的がある筈。
まさか、自身の“身体”を取り戻しに来たのか。
だとしたら――
火竜が僅かに身構えていると、黒竜はにこにこと笑顔で答えた。
「用はコレだよー。火竜に会うのが用♪」
「はあ?」
意味が分からず、火竜は素っ頓狂な声をあげる。
「会うのが用事って……それだけ?」
「それだけ♪ 美人だって聞いたから、是非お近付きになりたいなと」
「…………」
火竜は無言で黒竜を見詰めた。
自分の知っている“心臓”と随分違う。意識して気配を探れば、確かにそれらしい邪気は感じるものの、神の意思で動いているとは思えない。
よくよく考えてみれば、水竜が飛ばして来るくらいだ。“神の封印”に関わるようなモノを火竜だけに押し付ける訳が無い。
火竜はさっと手を振り、
「じゃあ、もう会ったんだから用は済んだでしょ? さっさと帰んなさい」
「えー? せっかくだからお茶の一つでもしていきたいなぁ」
「……何図々しい事言ってんのよ。大体、お茶するって言ったって、バランは今居ないし」
「バラン? 誰? 恋人?」
それを聞いた瞬間、火竜は声を張り上げて怒鳴った。
「馬鹿な事言わないで! 何であんな口煩い子を恋人にしなきゃなんないの! 私は水竜と愛し合っているのよ!」
「へー? そーなんだ? 聞いた話だと水竜とは仲悪いって。後、水竜も何か嫌そうにしてたけど」
「分かってないわね。水竜は照れ屋なの。人前でそういう話題に触れられたくないだけよ。特に、あんたみたいな完全な部外者にはね」
やたら自信たっぷりに言い切る火竜を見て、黒竜は首を傾げる。
「そーゆーモン? そんな可愛げのある態度には見えなかったけど……てか、そもそもあいつのどこが良いの?」
「勿論全部よ。強くて優しくて凛々しくて格好良い……水竜は最高の人だもの!」
うっとりとした表情を浮かべる火竜に黒竜はぽつりと、
「……『強い』の部分は否定しないけど、他はあんまりピンと来ないなぁ」
黒竜は、水竜の姿とこれまでの言動を思い返し、
「口も目付きも態度も性格も悪くてチンピラみたいだし、優しくしてもらった覚え無いし、短気だし。後……」
と、指折り数えて話しいると、
「……ん? 何か暑……熱っ! あっつ!?」
急激に周囲の温度が上昇して、黒竜はたまらず結界を張る。
「何? 何でこんな急に暑くなって……」
「暑い? おかしな事言うわね。私には心地好い温度だけれど」
「あ」
黒竜は口元に手を当てて呻いた。
火竜は腕を組んでこちらを見下ろしている。ただ、その周囲には途轍もない魔力が漂っていた。
火竜はにこりと笑い、
「――で? 水竜が何ですって?」
「えっと……水竜は良い人だね。行くと文句言いながらだけど美味しいお茶出してくれるし」
他に良い所が思い当たらない。
黒竜は乾いた笑みを浮かべ、
「それよりね? そんなに熱くしちゃうと火事になるんじゃないかな? 結界の外じゃ息も出来ない」
「ここは私の力で護られた聖域よ。炎が燃え広がるとでも思っているの? 火災なんて起こる訳無いじゃない」
「そうかもしれないんだけどー」
黒竜はちょっと困ったように眉根を寄せる。
「……何でそんなに怒ってるの?」
「怒らない理由があるなら教えて欲しいわね」
火竜はすっと眼を細め、
「水竜が送って来たんだから特に問題無いんだろうと思ったけど……少し分からせてやらないといけないみたいね」
その瞬間、火竜の手に炎が巻き付く。
「あんたには“心臓”があるんだから……死にはしないわ」
「えっ」
その言葉にただならぬ気配を感じて、黒竜は後退りした。
「ちょっと待って。俺はいくら強くても女の子とやり合う気は無いよ」
「ならじっとしてなさいな。綺麗に焼き尽くしてあげるから」
「いやほんとちょっと待っ……」
黒竜が手を振って制止の声をあげた――その時。
パシュッ! と、焼けた石に水でも掛けたような音が響き、次いで周囲の温度が下がる。それと同時に声が聞こえてきた。
「……これは一体何事ですか。火竜様」
「あら……帰って来たのね」
火竜は腕に宿していた炎を消すと、声の主と向かい合う。
それに倣って、黒竜も視線を転じた。
コツコツと足音を響かせながら、誰かが歩み寄って来る。
火竜とよく似た赤い髪と黄金色の瞳。一瞬、女に見えたが、その身体付きはしっかり男のモノだ。
背まで伸びた赤い髪を揺らしながら火竜の傍まで来ると、男は足を止めた。
「この程度なら“外界”に影響はありませんが、火竜様の力の安定性が揺らぐのは……」
「良いところに来てくれたわ、バラン。私、ちょっと出掛けて来るから、私が戻る前にそこのドラゴンをどっか適当な場所に放り出しといて頂戴」
「……はい?」
帰って早々、訳の分からない役目を押し付けられて、バランは困惑する。
「あの、火竜様……」
「じゃあ任せたわよ」
「いやあの……火竜様、お待ち下さ……」
バランが引き止める前に、火竜は姿を消した。
火竜が残した転移の光を見詰めて、バランは大きく溜め息をつく。
「……また浄化をサボって……」
「…………」
黒竜は結界を解くと、ぐったりとしているバランの肩布を引っ張る。
「なー、なー」
「あっ……はい。何でしょうか?」
「お前、精霊だろ?」
「そうです」
バランは黒竜に引っ張られてズレた肩布を直しながら、
「俺は火竜様の僕で、火の精霊バランと申します」
「しもべ……ひょっとして、水竜の所に居た水の精霊と同じ?」
「はい」
バランは頷いてから、
「貴方が……ブラックドラゴン――黒竜様ですか?」
「そー♪ 黒竜様だよー♪」
黒竜は元気良く答えて、
「でもそっかぁ。火竜にも僕が居たのかー。俺はてっきり水竜が怠け者だからあいつに雑用を任せてるのだとばかり思ってた」
「まさか。水竜様はそのような方ではありません」
バランは激しくかぶりを振り、
「水竜様はとてもお優しい方です。雑用をさせる為に精霊を使うなどという事はありません」
「……火竜も言ってたけど……水竜ってそんなに優しい? 俺には随分冷たいんだけど。乱暴だし」
どこをどう思い返しても、水竜の優しい姿が見えて来ず、黒竜は首を捻った。




