来訪者 2
『…………っ!』
黒竜はしゃがみ込んで、ジェクスの顔を覗き込む。
『さて……これでちょっとは話を聞いてくれる気になったかな?』
『…………』
ジェクスが何も言って来ないのを肯定と受け取り、黒竜は話し始めた。
『これは、ず~っと前から思ってたんだけど……そろそろ同族で争うのヤメにしない?』
『……なんだと?』
『そっちがどう思ってるか知らないけど……一応、同じ竜族な訳だし。「仲良くしよう」とは言わないから――お互い干渉しないってので手を打たねぇ?』
『……バカな事を……』
呆れた様子のジェクスに、黒竜は腕組みして、
『いや。俺様は仲良く出来るなら、それが一番だと思ってる。でも、アンタらはそれが嫌な訳だ。だったら、干渉しないってのが良いんじゃ無いかと』
『貴様が死ねばそれで終わりだ』
素っ気なく言うジェクスに、黒竜はにこやかに告げる。
『それは俺様にも言える事だ。アンタらホワイトドラゴン皆殺しにすれば、このイザコザも終わる♪』
『……本気で言っているのか……我ら一族を貴様一人で滅ぼすなど……』
ジェクスは低い声音で呻く。
さぁ……と、黒竜は薄く笑みを浮かべた。
そして――その瞳に恐ろしい程の殺気を宿し、
『試してやっても良いけど』
『…………』
黒竜の言葉に、ジェクスの表情が険しくなる。
それを見て、黒竜はにこっと無邪気な笑顔を作った。
『――なんてな♪ それは冗談。でも、最初言ったのは結構本気♪』
先程の瞳の色からすれば、決して冗談とも思えなかったが、ジェクスは口を開く。
『……お互い干渉しないと言う話か……』
『そそ♪ それそれ♪ どうだろう? 悪い話じゃ無いと思うんだけど』
ジェクスは、ニコニコと笑う黒竜の顔を見上げる。
(……コイツは何を考えている……)
黒竜の表情からは、いまいち思考が読み取れない――いや。読み取る必要など無い。
この竜の言葉には裏がないのだから。
『……それは私が判断する事では無い』
顔を背け、ジェクスは呟く。
黒竜はどこか残念そうな顔をして、
『まあ……そぉだろなぁ。ヤッパ下っぱじゃ話にならないから――……』
黒竜の言葉を聞いたジェクスの表情が歪む。
それを見た黒竜は、わざとらしく口元に手を当てた。
『おっと失礼。でも実際、三下じゃ話になんないし……ここで、もうひとつ提案』
黒竜は、ピッと指を立てる。
『そっちの長と俺様が直接話をするってのどお?』
黒竜の提案に、ジェクスは目を見開く。
『バカなっ! そんな事……出来る筈がないだろう!』
『そっかな? 一応、立場的には対等な訳だし……』
『対等だと……?』
それを聞いたジェクスは鼻で笑う。
『たまたま運良く生き延びただけのモノが……族長だなどと……笑わせる』
それを聞いた黒竜は、にっこりと笑顔で返す。
『その「たまたま運良く生き延びただけのモノ」相手に、手も足も出ないのはどこのどいつだ?』
『…………っ!』
ジェクスは言葉を詰まらせる。
『ああ。それと――……』
黒竜は、笑みを崩さずに続けた。
『発言には気を付けな。言っとくけど……てめぇらの事、憎んで無い訳じゃないからな?』
その笑顔とは裏腹に、恐ろしい程の殺気を放つ黒竜。
ジェクスは、この時初めて恐怖を覚えた。
自分より明らかに年下の――場数も踏んでいないであろう、この少年竜が恐ろしい。
『たまたま運良く生き延びたんじゃなくて、ちゃあ~んと実力認められてんだよ。俺様は。伊達や酔狂でこの名を名乗ってるワケじゃねぇの』
『…………』
ジェクスは黙って黒竜を見据える。
震える手を握りしめ、なんとか言葉を吐き出す。
『……仮にそうであったとしても……貴様を長と会わせる事は……出来ぬ』
『まあ、そう言うだろうとは思ったけどさ』
黒竜は軽く頭を掻いてから、ジェクスの鼻先にビシと指を突き付け、
『じゃあ、アンタがそっちの長に伝えてくんね? 俺様の言葉を。ブラックドラゴンの族長の言葉として。それなら問題無いだろ?』
『……なんだと?』
『アンタが族長に伝えてくれたら、その呪力から解放してやるよ』
『……そんな話に応じるとでも思っているのか……?』
皮肉げな笑みを浮かべ、ジェクスは口を開く。
黒竜は虚空を見詰め、
『じゃ、アンタ。こっちで人間に混じって暮らす?』
僅かに視線をジェクスに向ける。
『その文字が消えない限りアンタは魔法を使えない。どうやって向こうに帰るつもりだ?』
『!』
言われて――ジェクスは、はっとする。
竜には竜の住まう世界があるが、当然誰でも行けるような場所ではない。
そこへ行く為には空間を繋ぎ、道を開かねばならないが、今のジェクスにはそれが出来ない。
『魔力を封じられたアンタを仲間が見付けてくれるまで、一体どれだけ時間が掛かるだろうねぇ?』
黒竜はさっと立ち上がると、くつくつと笑う。
『十年か、百年か……仮にすぐ見付けて貰えたとしても、アンタが俺様の意に反している間は帰れない』
それから、その場でくるくると回り始めた。
実に楽しげに。
『いや~……俺様も、もうちょい開けた場所なら力使えたけど……場所が悪かったなぁ♪』
『!』
ジェクスは、この少年の言わんとする事の意味を悟り、目を見開く。
『だから言っただろ? 逃げ道無くなるってな♪』
ジェクスは無言で少年を見た。
この少年はジェクスと対峙してから一度も破壊的な力を使っていない。
そのせいで、ジェクスは少年の力を見誤ったのだ。
小技ばかりの小物だと。
もし、もっと早くこの少年との力量の差に気付いていたなら退く事も出来ただろう。
だが不思議な事に、それを言われるまで気付かなかった。
『…………くっ』
ジェクスは低く呻いた。
その表情には、苦渋の色が浮かんでいる。
くるくるとその場を回っていた黒竜はピタッと動きを止め、
『――さて。俺様ってば優しいからアンタに好きな道を選ばせてやるよ♪ 俺様の言葉を伝えに里に帰るか、人間と混じってこっちで暮らすか』
『…………』
ジェクスは沈黙した。
この呪縛から逃れる為には、黒竜の言葉に従わざるを得ない。
拒めば、死ぬまで縛られる事になる。
ジェクスは、ゆっくり立ち上がると踵を返し、
『……貴様の思い通りになどなるものか……!』
黒竜を睨み付けると、森の方へと姿を消して行った。
黒竜は頭の後ろで手を組む。
『好きにしな♪』
ああ、と黒竜は付け加えた。
ジェクスの背中に向け、
『次からは相手見てケンカ売れよ~♪』
「こっ……黒竜……」
「ん?」
呼ばれて、黒竜は振り返った。
ホワイトドラゴンの姿が完全に見えなくなり――落ち着いたのを見計らって、街の住人が黒竜に呼び掛ける。
「あ……アイツ、追わなくて良いのか? また襲ってきたら……」
恐怖に引き攣った表情の男に、黒竜は笑う。
ぱたぱたと手を振り、
「ああ。大丈夫、ダイジョ~ブ♪ もうここにゃ来ねぇから♪」
「しかし……相手はドラゴンだろう? 放っておくのは危険なんじゃ……」
「…………」
黒竜は、先程手にしていた斧を取り出すと、刃の部分で地面を軽く叩く。
すると、破壊された街がみるみるうちに修復されていった。
肩に斧を担ぎ、
「別にヤツは人間殺しに来たワケじゃないし……心配いらねぇよ」
「でも……」
なおも食い下がる男に、黒竜は指を突き付ける。
「俺様が大丈夫って言ったら大丈夫なのっ!」
「……黒竜」
男は目を閉じた。
そして、複雑な表情で黒竜を見る。
「黒竜。お前も同じなのか……?」
「何が?」
黒竜は担いでいた斧を仕舞う。
男が何を言いたいのか――分かっていて訊く。
「お前も……さっきのヤツみたいな力があるのか? あんな……力が……」
初めて見せる――黒竜への恐怖。
黒竜は嘆息混じりに答えた。
「――あるよ。言っとくが、俺様はヤツより遥かに強い」
それを聞いた男が目を見開く。
ぎゅっと拳を握り、
「……俺はずっとお前が竜族だなんて思っちゃいなかった。でも……それは本当だったんだな」
黒竜は小さく息を吐いた。
腰に手を当て、
「俺様は何度も言ったぞ」
「そんな事言われて、そのまま信じられるかよ!」
男は叫ぶ。
黒竜は肩をすくめた。
「心配しなくても、ヤツはもうここには来ない。それと……」
黒竜は歩き出す。
ホワイトドラゴンの消えた方向とは逆に。
「俺様、弱い者イジメはしない主義なんでな。人間を襲ったりしない」
「…………」
暫く歩いて、黒竜は振り返った。
「ほんじゃな♪ そのうちまた飯食いに行くかも~♪」
男に手を振って、再び歩き始める。
男は黙って黒竜の背中を見詰めていたが、大きく息を吸い――思い切り叫んだ。
「厄介なモンスター連れて来るんじゃねぇぞっ!」
黒竜は手を挙げて、それに応える。
やがて、黒竜の姿は見えなくなった。
先程までの騒ぎが嘘のように、辺りは静寂に包まれる。
空は白み――夜が明けようとしていた。