来訪者 1
夜明け前。
まだ薄暗いその部屋の扉が、勢いよく開け放たれた。
「黒竜っ!」
扉の向こうから、女が慌てた様子で部屋に駆け込んで来た。
「黒竜! ちょいと起きとくれよっ!」
「……ん~……何だよ。こんな時間に……夜這い?」
「バカな事言ってんじゃないよっ! ほら、起きて!」
女はベッドに近寄ると、布団を剥いで黒竜の体を無理矢理起こす。
「だから……何だよぉ……一体……」
目を擦りながら上体を起こした黒竜は、突然パッと立ち上がる。
「……これは……」
女は、不安げな表情で口を開いた。
「なんだか街に見馴れない男が来てさ……あちこち壊して回ってるんだよ」
黒竜はベッドから跳ね降り、窓辺へと駆け寄る。
窓の外を見ると、真っ白な炎が燃え盛り、街を照らし出していた。
「…………」
「このままじゃ、街が全部焼けちまうよ」
女の言葉を聞きながら、黙って街を見詰めていた黒竜の目の前で、巨大な炎の柱が立ち上がる。
「……あそこか……」
小さく呟いて、黒竜は窓を開け放つ。
窓枠に足を掛けると、肩越しに女を見やり、
「おばちゃんはここに居な。外に出ちゃダメだぞ」
言われて、女は黒竜の背に声を掛ける。
「あ……アンタはどうするんだい!?」
すると、黒竜は笑顔で答えた。
「もちろん。悪者を懲らしめに行くんだよ♪」
そう言って、黒竜は窓から飛び降りた。
真っ直ぐ炎の立ち上った場所へ向かう黒竜。
目的地に着くと、見馴れぬ男が一人立っていた。
白銀の髪に、紫色の瞳。手には長大な剣が握られている。
その男がこちらに気付き、視線を黒竜に向けた。
『……やっと出てきたか……』
「俺様一人呼び出すのに、えらくまぁ手荒なマネするねぇ」
淡々とした口調の男に、黒竜は呆れたようにぼやく。
「もちっと普通の呼び出し方は出来ないもん?」
民家には人気が無くなっている。
この辺りの住民は、みな避難したらしい。
『……私が何者か……何をしに来たか……分かっているのだろう?』
男はそう言って、長大な剣を構えた。
黒竜は自然体でその男を見る。
『私はホワイトドラゴン・ジェクス。ブラックドラゴン・黒竜。貴様の命……貰い受ける』
こちらに向かって駆け出して来る男――ジェクスを見据え、黒竜も巨大な斧を構える。
刹那。
鋭い金属音が響き、二人の間に火花が散った。
ジェクスの剣を受けながら、黒竜が口を開く。
「だぁ~からさぁ……ずぅ~と前から言ってんだろ? アンタらと殺り合う気は無いんだってば」
『貴様にそのつもりがあろうとなかろうと関係無い……それと――……』
ジェクスは剣に力を込めながら、
『……その喋り方をやめろ』
黒竜が今話している言葉は人間の言葉で、竜族であるジェクスには少々聞き取り辛い。
黒竜は剣の衝撃を受け流し、後方へ飛び退く。
深々と嘆息し、
『……どーせこっちの話は聞く耳持たないクセに』
『貴様の話など聞くつもりは無いが、ごちゃごちゃと言われるのも気分が悪い』
ジェクスの手に純白の光が灯る。
それを見た黒竜の手にも光が収束していく。
すべてを飲み込む様な漆黒の光――
二人は、ほぼ同時に魔力を解き放った。
破壊の為に放たれた力と、それを打ち消す為に放たれた力とがぶつかり、巨大な光の渦を生み出す。
その光は一瞬で消えた。
破壊の魔力は打ち消され、後に残ったのは優しく頬を撫でる風。
黒竜は髪をかき上げながら、
『……何も無いトコなら良いけどさ。一応、人もいる事だし……あんま物騒な術は使わない方が良いと思わねぇ?』
『人間に気を遣って力が振るえぬと……そういう訳か?』
『別に気ぃ遣ってる訳じゃないけど。無関係の連中を巻き込むのは、どーにも気が引けて……』
黒竜はちらと背後に目をやる。
この騒ぎで逃げたはずの住民が、いつの間にか建物の陰に隠れ、こちらの様子を窺っている。
『見物人も居るみたいだし……ここはひとつ、場所変えてゆっくり話し合いませんかね?』
『貴様の話は聞かぬと言ったはずだ……貴様が人間に遠慮して力が振るえぬというなら好都合。ここで倒させてもらう』
『やれやれ……』
黒竜は短く息を吐く。
『一応、言っといてやるけど。場所変えようってのはアンタの為でもあるんだからな』
『……何?』
怪訝な表情のジェクスに、黒竜は不敵な笑みを浮かべてみせた。
『ここでやると逃げ道無くなるからさ』
『……逃げ道だと?』
『俺様、同族は殺さないと決めてるんで』
『言っている言葉の意味が分からんな』
再び構え直すジェクスに、黒竜はにこやかに告げる。
『まぁ、すぐ分かる♪』
黒竜は黒い玉を掌の上で踊らせる。
斧は既に仕舞って、手ぶらになっていた。
ジェクスの放った白銀の閃光が黒竜を襲う。
黒竜は、すかさず魔力で術の軌道を逸らす。
そして、ジェクスの頭上を軽く跳躍し――先程いた場所から十メートルは離れた位置に着地した。
黒竜とジェクスの位置が入れ替わる。
『……何故攻撃してこない』
冷ややかな声音で問い掛けてくるジェクスに、黒竜は事も無げに答える。
『だから言ってんだろ? アンタらと殺り合う気は無いって。後、そっち側に居るとアンタの術が見物人を巻き込むからさ』
『……そうか。ならば――』
言葉を切ったジェクスの姿が突然歪みだす。
数秒後、彼の姿は変わっていた。
純白の鱗が輝く巨大な竜の姿に。
「うっ……うわぁぁぁぁっ!」
「ド……ドラゴンが……なんでこんな所に!?」
黒竜は悲鳴をあげて逃げ出す街の住民を見て、その後ゆっくりと視線をジェクスに移す。
『そのナリで力使われると、さすがにちょっと困るんだけど』
と、まったく緊張感の無い口調で黒竜。
ジェクスは構わず強大な魔力を編み上げる。
黒竜は無言で溜め息をついた。
ジェクスの放った閃光が辺り一帯を爆砕する。
黒竜は空高く舞い上がり、その光をかわす。
『……ふぅ。やる事がメチャクチャだなぁ……って、まあ人の事ぁ言えないけど』
見下ろすと、先程自分の居た場所は見事に平らになっていた。
ジェクスが再び光を集め出す。
それに合わせて、黒竜も意識を集中させた。
ジェクスが光を放ち――同時に黒竜も黒球を放つ。
黒竜の放った黒球は、ジェクスの光を貫く。
『何っ!?』
ジェクスは思わず呻いた。
彼の放った光は呆気なく消え去り、黒球はジェクスの身体を撃ち抜く。
『!』
ジェクスは僅かに後退した。
暫しの沈黙。
『……何だ? 何も起こらな……うっ!?』
瞬間。
ジェクスの身体は、何の前触れもなく人の形に戻る。
『な……何だ!? これは!?』
ジェクスは意識を集中させるが、魔力をまるで感じない。
黒竜を睨み付け、ジェクスが叫ぶ。
『貴様っ! 一体何をした!?』
それを聞いて、黒竜は意地の悪そうな笑みを浮かべ、
『あっれ~? 俺様の話は聞かないんじゃなかったっけ~?』
『……くっ』
『ああ。まあでも俺様は心が広いから話してやっても良いぞ♪』
黒竜は自らの左腕を指差す。
『腕、見てみ? あ、自分のな』
『…………』
ジェクスは黒竜の動きを警戒しながら――言われた通り左腕を見やる。
そこには……
『…………!? これは!?』
彼の左腕には、何やら複雑な紋様が刻まれていた。
ジェクスは黒竜を見る。
その視線に合わせて、黒竜は口を開いた。
『呪術文字。呪力の込められた文字を身体に刻み込む事で、相手に直接呪いを与える。その文字に込められた呪力は“封魔”。その文字が消えない限りアンタは魔法を使えない』
『……なん……だと?』
『ついでに、それは俺様にしか消せない。洗っても、削っても、腕切り落としても無駄なので悪しからず♪』
『――――!』
黒竜はポンと手を打ち付け加えた。
『ああ。後はアンタが死んだら消えるかな。意味無いけど』
ジェクスは、剣を握る手に力を込める。
『……まだ……この呪力を解く方法はあるだろう』
黒竜は目を眇めた。
ジェクスは剣を振り上げ、黒竜の方へ駆け出す。
『術者が死ねば呪力も消える筈だ!』
『ま……そりゃそうなんだけど』
『貴様の首など、この剣で斬り落として……!』
ジェクスの剣が黒竜に振り下ろされる――瞬間。
ジェクスは突然倒れた。
うつ伏せの状態で、なんとか顔だけ持ち上げる。
それ以外の動きは出来ない。
『ど……どうなっているんだ……』
それに答えるように、黒竜はにっこりと笑った。
『あのね~? こう見えて、俺様ってば結構勉強熱心でね? 日々いろぉ~んな術を研究してるんだよ』
大仰に手を広げて、
『例えば、複合術。二つ以上の術を掛け合わせて、新しい術を生み出す……複雑な術の組み合わせはなかなか上手くいかないんだけどさ』
『……何が言いたい』
ジェクスは苛立たしげに、黒竜を睨み付ける。
『まあ、早い話がさっきの呪術も複合術。その術に秘められたもう一つの効果は“束縛”。俺様の意に反する行動は一切取れない』
『何っ!?』
黒竜は人差し指を左右に振りながら、
『つ・ま・り――俺様が望まない限り、アンタはこの首を斬り落とすどころか、俺様に指一本触れるコトすら出来ないってワケだ♪』