終わりの始まり 5
◆◇◆◇◆
あれから暫くの間、黒竜は空を見上げていた。
少しでも視線を落とすと、悪夢の様な光景が目に入ってくるからだ。
(……夢なら良いのに……)
黒竜は胸中で呟いた。
(……夢だったら良かったのに。何もかもすべて……)
黒竜は視線を落とす。
そこには仲間の変わり果てた姿があった。動く者など誰ひとりとして居ない。
まるで、時間が止まっているかの様に。
黒竜はその中によく見知った者の姿を目にした。それは遠目に見ても、見間違えるはずがない。
ゆっくりとその者の傍に歩み寄り、黒竜は小さく呼び掛ける。
『……じぃちゃん……』
当然返事らしいものは返って来ない。
黒竜はその巨竜の額に軽く手を触れさせる。
『……じぃちゃん……俺、護れなかった。約束……護れなかった』
黒竜は自分の額を竜に押し当てた。
『怒りや憎しみで力を使うなって言われたのに……俺……力使っちまった。大切なものを護る為に使えって言われたのに……何も護れなかった……何も』
喉の奥が焼ける様に熱い。
それは痛みとなって、黒竜に涙を流させた。
『護り……たかった……のに……じぃちゃんも……仲間も……みんな護りたかった。俺は皆を傷付けた……皆を悲しませた。だから……もう傷付かないで良い様に……悲しまないで良い様に……仲間を護りたかった。その為にこの力を使おうと思ってた……なのに……俺は……誰も……何も……護れなかった……』
悔しかった。
今までこれほど悔しいと思った事は無かった。
黒竜は巨竜に縋り付く。
『ごめん……御免じぃちゃん……御免みんな……たくさん傷付けて……ごめんなさい……ごめん……なさい……』
涙が止まらなかった。
怒りが、憎しみが、悲しみが。少年の心を支配する。
無力な自分を少年は呪った。
あれだけの力を持っていながら、何も護れなかった自分を。
『……本当に大切なモノは何も護れない……こんな俺に何が護れるんだ……?』
少年の問いに答える者は居ない。
『俺はどうしたら良い……? じぃちゃんは最後まで俺を護ってくれたのに……なのに……俺は……』
――その時。
『…………?』
コン……と、何かが倒れる音がした。
黒竜は顔を上げ、辺りを見回す。
すると、彼の足下に黒い棒の様な物が落ちていた。
『…………』
手に取る。
それは武器だった。柄の長い斧。
それは見かけとは違い、まるで羽の様に軽い。
何よりそれは、長い間使い込まれていたかの様に驚くほど手に馴染む。
『……これ……じぃちゃんが言ってた……力の結晶……』
実際に見るのはこれが初めてだった。
最初に見た時は、すぐに光となって消えてしまったからだ。
しかし、黒竜にはそれが長老のくれた物だという事が分かった。その斧からは魔力が溢れている。
それは間違いなくブラックドラゴンの魔力だった。
力強く、そして――温かい。
黒竜はそれを抱き締めた。
『……護らなきゃいけないモノ……まだあったな……』
そう言って黒竜は立ち上がり、長老の方を見やる。
無論、動いたりはしない。
護らなければならないもの……
仲間が生きていたこの場所。
仲間がくれたこの力。
そして、仲間が命を賭して護ってくれたこの命――
自分の為ではない。自分を護ってくれた者達の為に、自分は生きるのだ。
仲間のくれた総てのものを護る為に。
『……じぃちゃん。俺は生きるよ。じぃちゃんが……皆が護ってくれたこの命……絶対無駄にしないから……』
黒竜は斧を天に掲げた。
自分に何が出来るのかは分からない。何が変えられるのかも分からない。
それでも、黒竜は生きなければならないと思った。
何があっても生き続けなければならない。
仲間のくれた総てのものを護る為に。
仲間の想いに応える為に――
『俺は生きる。皆の分も“黒竜”の名に恥じない様に……誇り高く生きる……』
怒りも憎しみも消え失せた訳ではない。
だが迷いは消えた。迷う必要など無い。
自分は生きる。仲間の分も。
そして、護るのだ。
仲間のくれた総てのものを。
仲間の存在していた証を。
誇り高きブラックドラゴンの長として。
総てを護るのだ――