終わりの始まり 3
少年は不機嫌だった。
もとよりいつも機嫌が良い訳ではないが。
とにかく、少年は不機嫌だった。
少年は仏頂面で目の前に居る老人を見据える。
老人――ブラックドラゴンの長老は、その事に気付いていないという事はないだろうが、それでもその事に気付かないフリをして、いつものように書き物をしていた。
少年は胸中で毒づく。
(……何だよ。まだ外に出た事怒ってんのかよ……ったく、この頑固ジジィが)
長老はこの数日間、ずっと口を利いてくれない。
いつもそう会話をする訳ではないが、それでも全く無いよりはマシだった。
(……ちぇっ。ここに居ても気まずいし……部屋に戻るか……)
そう思って席を立った――その瞬間。
『黒竜』
『……えっ?』
呼ばれて――“黒竜”と呼ばれたその少年はそちらに顔を向けた。 少し首を傾げ、
『黒竜?』
おうむ返しに聞き返す。
長老はゆっくりと頷いた。
『今日からそれがお前の名だ』
『…………』
少年――黒竜は黙って長老を見返した。
長老は続ける。
『お前は一族の中でも稀な力を持っている……』
『……じぃちゃん?』
『お前は我ら一族の誇りだ』
『…………』
実際、黒竜にはよく分からなかった。
自分が何を言われているのか……
(……誇り……? 俺が? 一族の誇り?)
黒竜は暫し虚空を見上げ――怪訝な表情を浮かべて呟く。
『……何かよく分かんないんだけど……』
すると、長老は事も無げに一言告げた。
『分からなくても良い。いずれ分かるようになる』
『……いっつもそれだし』
黒竜は低く呻く。
長老はいつも教えてくれない事の方が多かった。
黒竜の呟きは無視して、長老が口を開く。
『……手を出しなさい。黒竜』
『…………』
取り敢えず、黒竜は言われた通り手を差し出した。
すると――
『…………!?』
黒竜は訳が分からず、目をぱちくりさせた。
差し出した黒竜の掌に黒い光が集まっていく。そしてそれは、次第に大きくなっていった。
『じっ……じぃちゃん……これ』
黒竜がこれは何かと訊ねるより早く、長老が答える。
『これはな、黒竜。我ら一族の力の結晶だ』
『……力の……結晶?』
黒竜は自分の掌を見詰めた。
先程の黒い光は消えて何も無い。
『……何も無いんだケド……?』
『今はお前の中にある。お前が望めばそれは何時でも力を貸してくれる……』
『……俺が……望めば……』
黒竜はじっと掌を見詰める。
『……だがな。黒竜』
『?』
長老は黒竜の方へ向き直り、鋭い口調で言ってきた。
『その力を破壊に使ってはならぬ』
『……えっ?』
長老は続けた。
『お前のその力は何かを破壊する為ではなく……何かを……大切な何かを護る為に使え。お前の力はそういうモノだ……良いな?』
『……うん』
黒竜は頷いた。
『……仮令、この先何があろうとも、怒りや憎しみでその力を使う事があってはならぬ。お前の持つその力は破壊の力ではないのだ。お前の中にある力が何の為の力なのか……よく考えて使え』
『うん』
そこまで話すと、長老は満足げに頷いて黒竜の肩に手を置く。
『……お前には教えられる事は全て教えたつもりだ。お前はもう……私の力が無くとも生きて行ける……』
『じぃちゃん?』
長老は黒竜の黒い瞳を見据えて、告げた。
『良いか……黒竜。最後にもう一度だけ言うぞ。お前の持つその力を破壊に使ってはならぬ。怒りや憎しみで使ってはならぬ……守れるな……?』
『……う……うん』
念を押す様に長老が繰り返す。
『良いな……? 何があってもだぞ……』
『…………うん』
黒竜は頷く。
長老はそれだけ言うと、すっと黒竜から離れた。
『……私が言いたいのはそれだけだ。黒竜……お前はこの呪われた運命に抗う事が出来る唯一の存在。唯一のブラックドラゴン。我ら一族の長として誇り高く生きてくれ』
『……えっ?』
黒竜は目を丸くする。
『もうあまり時間が無い……黒竜』
『えっ? 何? あっ……あのさ、じぃちゃん……俺……』
黒竜の呟きは無視して、長老が口を開く。
『お前の力はいずれこの世界には必要となる……それまではどんな事があっても生き抜いてくれ』
『あっ……だから……じぃちゃん……俺は……』
『もう時間が無い……行けっ!』
その声と同時に白い光が辺りを照らす。
光。
それだけで記憶のすべてを塗り潰すような光。
それは幾筋にも分裂して、標的となった小さな影を包み込む。
そして、黒竜の意識はそこで一度途切れた。
◆◇◆◇◆
『……ん……いてて……』
目が覚めた時、まず感じたのは痛みだった。
どれ程の時間そうしていたのかは分からないが、黒竜は俯せの状態で倒れていた。
ひんやりとした土の感触を顔に覚える。
『……一体……何が起こったんだ?』
黒竜は服に付いた土を払い、立ち上がると辺りを見回す。
『どこだ? ここ……』
全く見覚えが無かった。
そもそも竜界に居る時でさえ、ろくに外へ出た事は無いのだから無理も無い。
『……仲間の……みんなの気配が無い……』
何度集中してみても、気配を感じ取る事は出来なかった。
『なんで……なんで何も感じ取れない……?』
気や魔力を読む事は、黒竜にとってさほど難しい事では無い。
意識しなくとも自然と感じ取る事が出来た。
今までもそうだ。
黒竜は大きく息を吸う。
『……空気が違う。ここは……竜界じゃない……』
改めて辺りを見る。
彼はどうやら別の世界へ来てしまったらしい。
別の世界へ来てしまったのならば、気を読む事は出来ない。
空間がまるで違うからだ。
『……転移させられたのか……俺』
気配を読む事は諦めて、黒竜は適当に歩きだした。
『まずはこの世界の事を把握するのが先だ。でないと、帰るに帰れない』
この世界が何処で、どんな種族が住んでいるのか。
自分の居た世界とこの世界を繋ぐ道はあるのか――と、その時。
ガサッ――
『…………!?』
草を踏み分ける音がした。
黒竜は近くの茂みに身を潜める。
(……隠れる必要があるとは思えないんだけど)
そう思いながらも息を殺す。
近付いて来たのは――……
(……人……間……?)
人間種族だった。
実際に見るのはこれが初めてだ。
(……って事は……ここは人間界)
人間達は何か会話をしているようだが、よく聞き取れない。
黒竜は小さく息を吐いた。
(……やれやれ。メンドーなコトになったなぁ……人間界……か)
黒竜は軽く頭を掻く。
と――
『…………?』
ふと、左腕に違和感を覚え――黒竜は左腕に目をやった。
すると、
『……文字が……消えてる』
文字が消えていた。
黒竜の強すぎる魔力を抑える為に刻まれた呪術文字が、跡形もなく消えている。
『なんで? じぃちゃんは呪いを解いてなんかないのに……』
黒竜は腕を見据え、首を傾げた。
文字が消えているという事は、つまり魔法が使えるという事だが……
『――……腑に落ちん……』
黒竜は独りごちる。
納得がいかなかった。何故だかは分からないが、とにかく納得がいかなかった。
思えば、長老が急に真面目な話をしてきた辺りから違和感はあった。
『何でいきなり文字が消えたんだ?』
あれこれ考えてはみるものの、答えなど出るはずもなく――黒竜は考えるのをやめた。
『……とにかく! ここが人間界って事は分かった! 取り敢えず、竜界に戻ろう。空間転移かぁ……出来るかな?』
僅かに不安を覚えながら、黒竜は目を閉じる。
呼吸を整え、意識を集中させた。
(……見えた……)
自分の居た世界。
記憶の中の世界とこの世界との空間を繋ぐ――その瞬間。
黒竜の姿がこの世界から消えた。
◆◇◆◇◆
『……よっ……と』
初めて使った空間転移は、まずまずの出来だった。
大きく目的地を間違える事もなく、着地場所も悪く無い。高度が高過ぎて怪我をする事もなかった。
黒竜は足で衝撃を受け流すと、辺りを見回す。
恐らく、ここは以前、自分が抜け出した先にあった森。
『んん~……ここは竜界――だけど……どっちに行けば良いんだ?』
土地勘の無い黒竜が暫くの間迷っていると、
『…………?』
何かが臭ってきた。
『…………っ! この……臭いは……っ!』
黒竜は走り出した。
不安の色が胸に広がる。
(まさか……そんな事ある訳ないっ! そんな事……ある訳が……!)
黒竜は走り続けた。
ただひたすらに走り続けた。
この――死臭を頼りに。
自分に『そんな事は無い』と言い聞かせながらも、進むに連れて不安は確信へと変わる。
出来る事なら、夢であって欲しいと思うような光景と共に。
黒竜は足を止める。
そして、暫くの間、目の前の光景を見詰めていた。
何も考えられない。
頭の中が真っ白になっていく……
『…………』
黒竜はその場に座り込んだ。
(……俺の居ない間に何があった……?)
辺り一面の黒い竜の死体。
鼻をつく死臭――
黒竜はその何も無い前方を、ただじっと見詰め続けていた。
その時。
『まだ生き残りが居たのか』
背後から声がした。
聞き慣れない声だった。
振り向くと、そこには見知らぬ男が二人――こちらを見下ろしている。




