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黒い竜の物語  作者: 緋翠
18/63

終わりの始まり 3

 

 少年は不機嫌だった。

 もとよりいつも機嫌が良い訳ではないが。

 とにかく、少年は不機嫌だった。

 少年は仏頂面で目の前に居る老人を見据える。

 老人――ブラックドラゴンの長老は、その事に気付いていないという事はないだろうが、それでもその事に気付かないフリをして、いつものように書き物をしていた。

 少年は胸中で毒づく。


(……何だよ。まだ外に出た事怒ってんのかよ……ったく、この頑固ジジィが)


 長老はこの数日間、ずっと口を利いてくれない。

 いつもそう会話をする訳ではないが、それでも全く無いよりはマシだった。


(……ちぇっ。ここに居ても気まずいし……部屋に戻るか……)


 そう思って席を立った――その瞬間。


『黒竜』


『……えっ?』


 呼ばれて――“黒竜”と呼ばれたその少年はそちらに顔を向けた。 少し首を傾げ、


『黒竜?』


 おうむ返しに聞き返す。

 長老はゆっくりと頷いた。


『今日からそれがお前の名だ』


『…………』


 少年――黒竜は黙って長老を見返した。

 長老は続ける。


『お前は一族の中でも稀な力を持っている……』


『……じぃちゃん?』


『お前は我ら一族の誇りだ』


『…………』


 実際、黒竜にはよく分からなかった。

 自分が何を言われているのか……


(……誇り……? 俺が? 一族の誇り?)


 黒竜は暫し虚空を見上げ――怪訝な表情を浮かべて呟く。


『……何かよく分かんないんだけど……』


 すると、長老は事も無げに一言告げた。


『分からなくても良い。いずれ分かるようになる』


『……いっつもそれだし』


 黒竜は低く呻く。

 長老はいつも教えてくれない事の方が多かった。

 黒竜の呟きは無視して、長老が口を開く。


『……手を出しなさい。黒竜』


『…………』


 取り敢えず、黒竜は言われた通り手を差し出した。

 すると――


『…………!?』


 黒竜は訳が分からず、目をぱちくりさせた。

 差し出した黒竜の掌に黒い光が集まっていく。そしてそれは、次第に大きくなっていった。


『じっ……じぃちゃん……これ』


 黒竜がこれは何かと訊ねるより早く、長老が答える。


『これはな、黒竜。我ら一族の力の結晶だ』


『……力の……結晶?』


 黒竜は自分の掌を見詰めた。

 先程の黒い光は消えて何も無い。


『……何も無いんだケド……?』


『今はお前の中にある。お前が望めばそれは何時でも力を貸してくれる……』


『……俺が……望めば……』


 黒竜はじっと掌を見詰める。


『……だがな。黒竜』


『?』


 長老は黒竜の方へ向き直り、鋭い口調で言ってきた。


『その力を破壊に使ってはならぬ』


『……えっ?』


 長老は続けた。


『お前のその力は何かを破壊する為ではなく……何かを……大切な何かを護る為に使え。お前の力はそういうモノだ……良いな?』


『……うん』


 黒竜は頷いた。


『……仮令、この先何があろうとも、怒りや憎しみでその力を使う事があってはならぬ。お前の持つその力は破壊の力ではないのだ。お前の中にある力が何の為の力なのか……よく考えて使え』


『うん』


 そこまで話すと、長老は満足げに頷いて黒竜の肩に手を置く。


『……お前には教えられる事は全て教えたつもりだ。お前はもう……私の力が無くとも生きて行ける……』


『じぃちゃん?』


 長老は黒竜の黒い瞳を見据えて、告げた。


『良いか……黒竜。最後にもう一度だけ言うぞ。お前の持つその力を破壊に使ってはならぬ。怒りや憎しみで使ってはならぬ……守れるな……?』


『……う……うん』


 念を押す様に長老が繰り返す。


『良いな……? 何があってもだぞ……』


『…………うん』


 黒竜は頷く。

 長老はそれだけ言うと、すっと黒竜から離れた。


『……私が言いたいのはそれだけだ。黒竜……お前はこの呪われた運命に抗う事が出来る唯一の存在。唯一のブラックドラゴン。我ら一族の長として誇り高く生きてくれ』


『……えっ?』


 黒竜は目を丸くする。


『もうあまり時間が無い……黒竜』


『えっ? 何? あっ……あのさ、じぃちゃん……俺……』


 黒竜の呟きは無視して、長老が口を開く。


『お前の力はいずれこの世界には必要となる……それまではどんな事があっても生き抜いてくれ』


『あっ……だから……じぃちゃん……俺は……』


『もう時間が無い……行けっ!』


 その声と同時に白い光が辺りを照らす。


 光。

 それだけで記憶のすべてを塗り潰すような光。

 それは幾筋にも分裂して、標的となった小さな影を包み込む。

 そして、黒竜の意識はそこで一度途切れた。


     ◆◇◆◇◆


『……ん……いてて……』


 目が覚めた時、まず感じたのは痛みだった。

 どれ程の時間そうしていたのかは分からないが、黒竜は俯せの状態で倒れていた。

 ひんやりとした土の感触を顔に覚える。


『……一体……何が起こったんだ?』


 黒竜は服に付いた土を払い、立ち上がると辺りを見回す。


『どこだ? ここ……』


 全く見覚えが無かった。

 そもそも竜界に居る時でさえ、ろくに外へ出た事は無いのだから無理も無い。


『……仲間の……みんなの気配が無い……』


 何度集中してみても、気配を感じ取る事は出来なかった。


『なんで……なんで何も感じ取れない……?』


 気や魔力を読む事は、黒竜にとってさほど難しい事では無い。

 意識しなくとも自然と感じ取る事が出来た。

 今までもそうだ。

 黒竜は大きく息を吸う。


『……空気が違う。ここは……竜界じゃない……』


 改めて辺りを見る。

 彼はどうやら別の世界へ来てしまったらしい。

 別の世界へ来てしまったのならば、気を読む事は出来ない。

 空間がまるで違うからだ。


『……転移させられたのか……俺』


 気配を読む事は諦めて、黒竜は適当に歩きだした。


『まずはこの世界の事を把握するのが先だ。でないと、帰るに帰れない』


 この世界が何処で、どんな種族が住んでいるのか。

 自分の居た世界とこの世界を繋ぐ道はあるのか――と、その時。

 ガサッ――


『…………!?』


 草を踏み分ける音がした。

 黒竜は近くの茂みに身を潜める。


(……隠れる必要があるとは思えないんだけど)


 そう思いながらも息を殺す。

 近付いて来たのは――……


(……人……間……?)


 人間種族だった。

 実際に見るのはこれが初めてだ。


(……って事は……ここは人間界)


 人間達は何か会話をしているようだが、よく聞き取れない。

 黒竜は小さく息を吐いた。


(……やれやれ。メンドーなコトになったなぁ……人間界……か)


 黒竜は軽く頭を掻く。

 と――


『…………?』


 ふと、左腕に違和感を覚え――黒竜は左腕に目をやった。

 すると、


『……文字が……消えてる』


 文字が消えていた。

 黒竜の強すぎる魔力を抑える為に刻まれた呪術文字が、跡形もなく消えている。


『なんで? じぃちゃんは呪いを解いてなんかないのに……』


 黒竜は腕を見据え、首を傾げた。

 文字が消えているという事は、つまり魔法が使えるという事だが……


『――……腑に落ちん……』


 黒竜は独りごちる。

 納得がいかなかった。何故だかは分からないが、とにかく納得がいかなかった。

 思えば、長老が急に真面目な話をしてきた辺りから違和感はあった。


『何でいきなり文字が消えたんだ?』


 あれこれ考えてはみるものの、答えなど出るはずもなく――黒竜は考えるのをやめた。


『……とにかく! ここが人間界って事は分かった! 取り敢えず、竜界に戻ろう。空間転移かぁ……出来るかな?』


 僅かに不安を覚えながら、黒竜は目を閉じる。

 呼吸を整え、意識を集中させた。


(……見えた……)


 自分の居た世界。

 記憶の中の世界とこの世界との空間を繋ぐ――その瞬間。

 黒竜の姿がこの世界から消えた。


     ◆◇◆◇◆


『……よっ……と』


 初めて使った空間転移は、まずまずの出来だった。

 大きく目的地を間違える事もなく、着地場所も悪く無い。高度が高過ぎて怪我をする事もなかった。

 黒竜は足で衝撃を受け流すと、辺りを見回す。

 恐らく、ここは以前、自分が抜け出した先にあった森。


『んん~……ここは竜界――だけど……どっちに行けば良いんだ?』


 土地勘の無い黒竜が暫くの間迷っていると、


『…………?』


 何かが臭ってきた。


『…………っ! この……臭いは……っ!』


 黒竜は走り出した。

 不安の色が胸に広がる。


(まさか……そんな事ある訳ないっ! そんな事……ある訳が……!)


 黒竜は走り続けた。

 ただひたすらに走り続けた。

 この――死臭を頼りに。


 自分に『そんな事は無い』と言い聞かせながらも、進むに連れて不安は確信へと変わる。

 出来る事なら、夢であって欲しいと思うような光景と共に。

 黒竜は足を止める。

 そして、暫くの間、目の前の光景を見詰めていた。

 何も考えられない。

 頭の中が真っ白になっていく……


『…………』


 黒竜はその場に座り込んだ。


(……俺の居ない間に何があった……?)


 辺り一面の黒い竜の死体。

 鼻をつく死臭――

 黒竜はその()()()()前方を、ただじっと見詰め続けていた。

 その時。


『まだ生き残りが居たのか』


 背後から声がした。

 聞き慣れない声だった。

 振り向くと、そこには見知らぬ男が二人――こちらを見下ろしている。



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