終わりの始まり 1
ここから暫く過去のお話になります。
その日。
一匹の竜が生まれた。
恐らくは、その一族――いや、数居る竜族の中でも他に例を見ないほど強力な力を持った者に違いないだろう。
それは、この一族にとって喜ばしい事だったに違いない。
――だが。
その竜の誕生を祝福する者は居なかった。
何故なら、その生まれたばかりの竜に、その場に居たすべての竜が――
殺されてしまったのだから。
◆◇◆◇◆
『……あー。暇……』
広い庭の一角である。
一日の大半はそこで精神制御の訓練をしている。
その訓練も一段落ついて、少年は小さくため息をついた。
『……あーあ。何でこんなつまんない事ばっかやってなきゃなんないんだろ』
そう言って、自分の腕を見やる。
そこには何やら複雑な紋様が刻まれていた。今は色も薄く、近くで見なければ傷痕にしか見えなかったかもしれない。
だがそれは、傷痕などではなかった。
これこそまさに、この退屈の最大の原因――彼の魔力を封じる為の呪術文字だった。
無論、洗ったり削ったりしたところで消えるモノではない。
この文字のおかげで彼は魔法を使う事が出来ない。
それは、この退屈な日々を更に退屈なモノにするといった事でしかなかった。
『……ちょっとくらい外に出してくれても良いのにな』
いくら広い庭とはいえ、さすがに何年掛けても回りきれない程の広さはない。
今となっては、もうこの庭のどこに何があるのか正確に記憶してしまっている。
と――
『?』
その庭の隅の方に見慣れないモノがある事に、少年は気付いた。
それは穴。
この庭に張り巡らされた結界に開いた小さな穴だった。
小さい子供であれば、なんとか通り抜けられるかもしれない。
『…………』
その時。
少年の頭に閃くモノがあった。
それをするのに迷う必要は無い。
少年はその穴の中に体を滑り込ませた。
◆◇◆◇◆
『ん?』
長老はいつもの様に書き物をしていた。
そろそろ庭で制御訓練をしているであろう少年を中へ入れてやっても良い頃だ。
――が。
『!?』
少年の姿はどこにもなかった。
慌てて外へ出て庭を見渡しても、少年の姿は見えない。
気配さえ感じなかった。
『……バカ者め……さては抜け出しおったな!?』
◆◇◆◇◆
庭の外はまるで別世界だった。
その時、自分は今までなんと狭い世界に居たのだろうと思う。
初めて庭の外へ出てから見た物すべてが美しく、素晴らしく見えた。
何を見ても珍しかったし、何を見ても飽きなかった。
『要するに誰にも見付からなきゃ良いんだよな♪』
と、上機嫌で歩いていると――ぐにゃ。
『……ぐにゃ?』
何かを踏みつけた感触を足に覚える。
『?』
足をどけて、しゃがみ込んでみると、
『んー……何だ?……尻尾?』
確かにそれは尻尾だった。
それを持ち上げようとした――瞬間。
バシィッ!――
『!?』
少年は思い切り尻尾で顔を打たれ、その場に尻餅をついた。
『痛ってぇな! 何なんだ! いきなり!』
がばと勢い良く跳ね起き――茂みをかき分けて、その奥を覗いてみる。
『…………!? お前は……』
そこに居たのは、一匹の竜だった。
一族の者ではない。
ふと、少年は竜の足下に視線を向けた。
そこには赤い液体が流れている。
血だった。
『お前……怪我してんのか』
竜は答えない。
ただじっとこちらを見詰めている。
少年は竜に近付くと、
『ちょっと待ってな。今、傷を治して……』
治癒の魔法を使おうと手を翳す――が。
『!』
全身に激しい痛みが走り、少年はその場に膝を折る。
『……くっ! 治してやりたいん……だけど……俺、今魔法が使えない……から……悪いけど……これで我慢……してくれ……』
激痛から、途切れ途切れに言葉を吐き出す少年は、自分のマントを破ると、近くにあった薬草を竜の足に巻いてやった。
『……これでよし……っと。悪いなぁ、こんな事しかしてやれなくて』
そう言って苦笑する。
竜は暫く怪我をした自分の足を見詰めていたが、やがてこちらに顔を向け、
《……何故……私を助ける……?》
『…………?』
その言葉に少年は首を傾げた。
(……これは……)
竜の言葉は直接頭に響いてきた。
『お前……心話が使えるのか』
竜は頷く。
《……そうだ。何故、お前は私を助けた?》
『放っておけるワケないじゃん。こんな酷い怪我してんのにさ』
《……変わった奴だ》
少年が鼻の下を擦りながらそう言うと、竜は微かに表情を緩める。
《名は……何という?》
『へっ?』
突然の質問に少年はまごついた。
少年には名前が無かった。
『えっと……その……俺には名前が無くて……』
しどろもどろにそう告げる。
すると竜は少し首を傾げ、
《……名が無い?》
少年は小さく頷いた。
『うん』
《変わった者も居るのだな……》
竜は少年を見る。
(……名が無いとは……一族から認められておらぬという事か。それにしては……あまりにも……)
胸中で呟き、竜は少年の方へ向き直る。
《……お前……ブラックドラゴンだな?》
『!』
少年は驚いて目をぱちくりさせた。
『何で……その事……』
少年が訊くと、竜は事も無げに答えた。
《お前達の魔力は特別だからな》
『…………』
《私達は他の竜族と関わりは持たないが――話には聞いた事がある》
『……そっか』
《しかし……お前の魔力は随分と弱っている様だが……?》
言われて、少年は苦笑する。
『別に弱ってる訳じゃないよ。今は……ちょっと訳あって力が封印されてるだけ』
そう言うと、少年は自分の左腕を掲げて見せた。
《……ほう。成る程な……》
竜は暫く腕の文字を眺めていたが、やがて顔を上げ、心底感嘆した様に言ってきた。
《これは強力な呪術だな。これ程までに強力な術は見た事が無い》
『まぁね。俺達の一族は呪いとか暗示とか……そういうの得意だからな』
少年は苦笑混じりに、掲げていた左腕を引っ込める。
《だが……これ程までに強力な術で封じなければならないとは……お前は一体何者なのだ?》
『…………』
竜の問いに、少年は沈黙した。
それから暫く黙っていたが、やがてゆっくりと話し始める。
『……俺は……みんなとは違う力を持ってるんだって。一族には無い……大きな力を……』
《……どういう事だ?》
『俺は生まれた時、何か特別な力が宿ったらしい。でも……その力のせいで、俺は仲間を殺した。たくさん傷付けた。だから……力を封印されてるんだ』
《…………》
竜は黙って少年の話を聞いていた。
少年は続ける。
『俺には二つの力があって、一つは一族と同じ力。そして……もう一つが……仲間を傷付け……殺した力』
《……何故そんな事が分かる?》
少年は俯き加減だった顔を僅かに持ち上げ、
『俺の放った力が一族……竜族の力とは明らかに違っていたから。あらゆる力のどれにも属さない力……』
《そんな力が存在するのか?》
少年は首を左右に振った。
『……分かんない。ケド、じぃちゃんはそう言ってた』
そこまで話すと少年は顔を上げ、
『それより傷は? 傷はもう平気か?』
《ん?》
言われて、竜はちらりと自分の足を見やる。
《ああ。もう平気だ。お前のおかげで、随分と楽になったよ》
『そっか。良かった』
竜がそう言うと、少年は安堵の吐息を漏らした。




