黒い瞳の少年 1
夕暮れ。
空が赤く染まる頃、街の食堂は夕食を取る人々で賑わっている。
そこに、一人の少年がやって来た。
扉を開け、店に入って来たのは黒目黒髪、着ている物も黒一色の少年。
「来たね」
店の奥から顔を出した女が、少年に声を掛けた。
この少年、実はこの辺りでは(良くも悪くも)有名で――彼は気楽に手など振り、
「あちこち回ってたら腹減ってさ。すぐ出来る?」
と、少年はメニューには目を通さず女に訊ねる。
女は肩をすくめ、
「アンタが満足するだけのモンをすぐに用意するのは難しそうだよ」
女は背を向け、カウンターの奥へ向かう。
「もっとも……用意出来ない訳じゃ無いけどね」
女は、肩越しにウインクしてみせた。
少年は笑顔で答える。
「んじゃ、よろしく♪」
少年はグラスの水を飲み干す。
賑やかな店内。
他愛の無い世間話から、奇妙な噂話まで実に様々な会話が聞こえてくる。
と――
「おい、聞いたか? あの話」
「ああ。あの村の話だろ? 聞いた」
なにやら男二人が話し込んでいる場所に、少年は割って入った。
「何の話だ?」
「うわっ!?」
「ビックリした……なんだ、お前か。脅かすなよ」
言われて、少年は口を開く。
「別に脅かしたつもりはないけど。それより話の続き」
少年に促され、男が話し出す。
「ああ……ここからずっと西の方に小さな村があるんだが……数日前、魔物に襲われて壊滅的な打撃を受けたそうだ」
「とんでもない数の魔物が村に押し寄せて、女子供関係無く皆殺しにしたとか」
それを聞いて、少年は眉を顰める。
「……そりゃまた随分と物騒な話だねぇ」
「だろう? そんなむごい話ねぇよな」
少年の言葉に頷く男。
少年は少し何かを考える仕草をみせ、
「けど……何も無い村にそんな大群が襲って来るってのもおかしな話だ」
「……何?」
完全に魔物が無差別に人を襲ったと思い込んでいた男は、少年の言葉に首を傾げる。
少年は続けた。
「よっぽど餓えてるか……何か理由が無けりゃ、いきなり魔物が人里に下りる事は少ない。そんなホイホイ村でも街でも壊滅させられてたら、あっという間に人間が絶滅してるだろ?」
少年は、男達の頼んだ骨付き肉の唐揚げをひとつくわえる。
「あっ!」
「何か特別な理由があったんだろうよ。その村に」
男は、少年に取られた唐揚げを見詰めながら、
「……なら、お前は何でそんな事になったと思う?」
「さぁねぇ」
少年は曖昧な様子で、虚空を見据える。
「理由は色々考えられるけど……実際に見た訳じゃないしな。噂は噂だ。それにもし本当だとしても、襲って来た魔物が一方的に悪いとも限らない。人間が魔物の住処を荒らす事もよくあるし」
「…………」
男はふと考え込む。
「そう言えば……お前……竜族だと言ってたな?」
訊かれて、少年は半眼になる。
「……何? 信じて無かったの?」
「いや……信じるも信じないも……どうも、お前は竜っぽく見えなくてさ」
それを聞いた少年は、バンッ! とテーブルを叩いて声を張りあげた。
「なんだとぅっ!? 俺様のどこが竜っぽくないんだよ!」
「そういうトコロ全部だ」
男は笑いながら言う。
「まぁ、お前が仮にホントに竜族だったとしても、だ。お前みたいな変わり者も居るって事だな」
「そぉりゃ、いろんなヤツが居るに決まってんだろ」
そんな話をしていると、先程の女が料理を持って来た。
「はいよ。なんだか盛り上がってるね」
「来た来た♪」
「……いつ見てもスゲー量だな」
テーブルに運ばれてきた料理を見て喜ぶ少年を見据え、男は呻く。
少年は手を合わせ、料理を口に運ぶ。
「いただきま~す♪」
素早く切り分けられた肉が、少年の口に入る――その瞬間。
「た……大変だっ!」
店の扉が派手な音を立て開く。
その扉の向こうから、若い男が慌てて店に駆け込んで来た。
入り口の近くに座っていた客が、男に声を掛ける。
「どうしたんだ? そんな血相変えて……」
「大変なんだよ! アイツ……黒竜は居るか!?」
「……あ? 黒竜なら――……」
客は、中央のテーブルに座っている少年を指差した。
少年――黒竜は切り分けた肉を飲み下すと、ナイフを振りながら口を開く。
「何だ~? 俺様になんか用?」
「ああ! 良かった! ちょっと来てくれ!」
男は黒竜の姿を見るや否や、その首根っこをひっ掴み――引き摺るようにして店から黒竜を連れ出す。
「ちょっ……俺様まだ飯の途中――……」
店から連れ出される黒竜を見て、先程唐揚げを取られた男達が気楽に手を振る。
「安心しろー。これは俺達が処理しといてやるから」
「払いは勿論、お前持ちな♪」
「あーっ! 喰うなよ! それは俺様のだかんな!」
黒竜は叫んだが、その声は扉に遮られて、男達には届かなかった。
男に引き摺られ、黒竜は不満げな声をあげる。
「なんなんだよ……一体。せぇ~っかくの食事の時間が台無しじゃんか」
黒竜の声に、男が答える。
「あれだ……空を見てみろ」
「ん~?」
完全にヤル気の無い調子で、黒竜は空を見る。
夕日に染まる空。
そして空には、美しい夕日を背負うようにして巨大な鳥が羽ばたいていた。
「……でっけぇ鳥だなぁ。焼鳥何人前出来るやら」
「言ってる場合かっ! 周りをよく見ろ!」
言われて、黒竜は街を見渡す。
辺りには無数の羽が道やら建物やら――あらゆるモノに刺さっている。
黒竜は顎に手を添え、
「……ふむ。なかなか斬新なデザインだ」
「そうじゃない! あの鳥が空から雨のように羽を降らせて、街を攻撃してるんだよ!」
そうこう言い合っている間にも、巨大鳥は上空から攻撃を仕掛けてくる。
黒竜は無言で、右手を空に向け掲げた。
瞬間――こちらに向かって飛んできた羽は、黒竜の作り出した魔障壁にぶつかり、鋭い金属音と共に弾き返される。
その様子を見た男が、黒竜の肩を掴んで激しく揺さぶり、
「なぁ! お前なら、あの鳥なんとか出来るだろう!? なんとかしてくれよ!」
「なんとかったってなぁ……」
黒竜は眉根を寄せて呻く。
と――その時。
《……見付けた……》
突然、頭の中に声が響いてきた。
「なんだ? 頭に声が響いて……」
「ほう」
黒竜は思わず息を漏らした。
男は黒竜に問い掛けてくる。
「何なんだ、これは? 変な声が聞こえるぞ?」
男の問いに、黒竜はこめかみに人差し指をトントンと当てながら答えた。
「あの鳥が直接こっちの頭ん中に話し掛けてきてるんだ。心話――テレパシーってヤツだな」
「あの鳥、そんな事が出来るのか!?」
黒竜は腕組みして、
「なかなか賢い鳥だ。飼い慣らせば色々便利かもな」
「飼い慣らせるかっ! あんなの!」
思い切り叫んでから、男は鳥の方を見据える。
「大体、なんでいきなり話し掛けて来たんだ? さっきまで鳴き声しか聞こえなかったのに……」
「いきなり話し掛けて来たんじゃなくて、聞こえなかっただけだろ? アンタが魔力ゼロで、感知能力無しの鈍感なただの人間だから」
黒竜の言葉に男が眉を顰める。
「……どーゆー事だ」
「どーもこーも……そーゆー事だ。ある程度の魔力が無いと聞き取れないみたいだな。アレは」
「じゃあ何で……まさか、お……俺にもそんな力が……?」
期待を込めた眼差しに、黒竜はかぶりを振った。
小馬鹿にするように軽く手を振り、
「ちゃうちゃう。俺様の近くに居るから、たまたま感応してるだけ」
そして、再び声が響く。
《見付けたぞ……邪竜め……》
「何言ってるんだ? あの鳥」
「ん~……」
黒竜が何か言うより先に、鳥の声が聞こえる。
《貴様が私の住処を荒らした事は分かっている! よくも我が子を……!》
「……お前、一体何をしでかしたんだ?」
「さてなぁ。鳥に恨まれるような覚えは無いが――……」
黒竜は口元に手を当て、暫し考え込む。
やがて、ぽんと手を打ち、
「あっ。そぉいえば」
「なんだ? 何か思い当たる事でも……」
訊かれて、黒竜は真顔で話し始めた。
「実は今朝、卵を食べた」
「……卵?」
「そう。今朝な、腹が減ったから『なんか喰うもん無いかなぁ』と思って、その辺を歩いてたんだよ。そしたら目の前にでっかい巣があって、そこに、これまたでっかい卵があったもんだから『ああ♪ こりゃちょうど良いや♪』と思って朝飯に喰っちまったんだが――……」
そこまで言って、黒竜は目を閉じる。
「……いや。まさか、それがあの鳥の卵だったとはな」
「お前が全面的に悪いんだろうがぁぁぁぁぁっ!」
話を聞いた男は、両手を戦慄かせ絶叫した。
黒竜は大声で叫ぶ男を煩そうに見やる。
「そんな……卵の一つや二つや三つの事で……」
「三つ!? 三つも食べたのか!?」
男は問い詰める。
すると、黒竜はあっさりとかぶりを振った。
「んにゃ。三つ“も”じゃない。三つ“しか”なかったんだ」
「全部食ったって事だろが!」
「大丈夫っ!」
黒竜はぐっと拳を握り、
「彼らは今も俺様の中で生き続けている!」
「何、誤魔化そうとしてんだ!?」
男が更に詰め寄ろうとした――その時。
耳をつんざく様な叫び声をあげ、巨大鳥がこちらに向かって急降下して来た。
「あわわわわっ!」
男は慌てて、黒竜の後ろに隠れる。
黒竜は、ぽりぽりと軽く頭を掻き、
「……やれやれ。ここまで言ってもダメとは……どうやら和解する事は出来ないようだな」
「今の流れで、どこに和解出来る要素があった!?」
男の声は無視して、黒竜は夕陽をなぞる様に宙に円を描く。
そして――
「死んでも恨むなよ」
指を鳴らした。
乾いた音が響く――その瞬間。巨大鳥は漆黒の炎に包まれ、激しい咆哮と共に、街の中央へと落下していく。
その様子を黙って見ていた男が、ぽつりと呟いた。
「……いや。もうとっくに恨んでるだろ」
「あっ。そぉ? そりゃ困ったな」
どこまでも軽い口調の黒竜。
街の住人は突然の災厄に、皆、家に閉じ籠っていた。
取り敢えず、巨大鳥が落下した場所へ向かう。
炎は消えて、後には真っ黒に焼け焦げた魔鳥の姿があった。魔鳥はピクリとも動かない。
完全に息絶えている。
「……なんか俺、この鳥にスゲー同情する」
「なんだよぉ。なんとかしてくれって言ったクセにぃ」
男の言葉に、黒竜は不服そうに口を尖らせる。
男は顔を上げ、
「お前が卵盗み食いしなけりゃ、こんな事にならなかったんだろ」
言われて――黒竜は、むぅと唸り、
「でも、コイツ人間も襲うだろ? 被害がデカくならずに済んだじゃんか」
「そりゃそうだが……なんか後味悪いな」
男は苦々しい思いで、魔鳥の死体を見下ろした。
男の言葉を聞き、黒竜は頷く。
「うむ……ちゃんと供養してやらんとな」
そう言って、魔鳥の許へ歩み寄る。
黒竜は魔鳥の側まで来ると、瓶のようなモノを取り出した。
「……何してる?」
半眼になって問い掛けてくる彼に、黒竜は至極真面目な顔で答える。
「いや。素材本来の味を活かすには、やはりシンプルな味付けの方が……」
「塩をかけるなっ!」
「……タレ派?」
「そういう事を言ってるんじゃない!」