第伍幕 白鬼は家庭力高し
さてと、まずは自殺用のアイテムを沢山入れておいたリュックを見てみるか。
リュックを寝台の上に引き上げ、ファスナーを開ける。
なんも入ってなかった。
「……妥当、だな」
多分、自殺用のアイテムがどれかわからなかったから、全部抜いたんだろう。正しい判断なのに、今は恨めしい。
適当に机の角にでもぶつけようとすると、自傷封じの刻印がそれを妨害する。実質、ほぼ全ての自殺が封じられてしまっているようだ。
……足を引っ掛けて転び、頭を強打でもしたら死ねるかもしれないが、それも即死じゃなければ待雪に回復されてしまうだろう。迷いの刻印で待雪に居場所が知られてしまうからだ。
「しゃーない。一旦諦めよう」
出来ないものを考えても仕方がない。潔く諦めるしかないだろう。
それにしても、今の俺が素なのだろうか。現世にいた頃はもっと暗かった気がする。
「待雪のおかげ……かな」
その点も、感謝しよう。表情は動かないし声も平坦みたいだから、外見じゃわからないだろうけど。
常世は時間と空間を超越、或いは無視している世界。故に滅びはしないし、逆に発展もない。現世の今に至るまでの時間と空間が入り混じっているため、常世の区間ごとに空間のカタチが違うようだ。ここは江戸、だろうか。
それでも怪異ならともかく人間の俺は普通に老いるし、死ぬ。待雪はそれを承知して、俺をここにおいているのだろう。
「……待雪は、俺が死んだ後どうするんだろ」
また一人に戻るのか。それとも、俺を追って死ぬのか。いや、それはないな。俺程度のために待雪が死ぬとか、なんの冗談だよ。自意識過剰というものだ。
「えーい、暗く考えるな!」
そうだ、楽しい事考えよう。どうやったら自殺できるかなーとか、そういう感じで。
睡眠薬も奪われてんだよなー、というかせめて自傷封じの刻印は消してもらわないと。どうやって消してもらおうかー……
そんな事を考えているうちに、お腹がくー、と鳴った。
「……あ、そっか。俺何も食ってねえわ」
待てよ? これはチャンスなのでは?
待雪は食事の必要がない。だから必要性を感じなくて食事を出さな……ないな。待雪は「裁縫と料理」が得意って言ってたし、娯楽としてやってるに違いない。
でも、それも一ヶ月に一度くらいという可能性も……
そう考えたとき、がちゃりと扉が開いた。そこから、お椀を乗せたお盆を持った待雪が入ってきた。
「お待たせ。ご飯、だよ」
「……何というグットタイミング」
「鑪に、人間は一日三回食事をしなければ死んでしまうって言われたの。だから、作ってきた」
待雪が手に持つのは、白い湯気を出しているお粥だ。
……ごくっ。何だこれは、物凄く美味しそう。お粥なのに、お粥なのに何だか負けた気がする。
というか待てよ? このパターンはまさか……
待雪は木で作られた匙でお粥を掬うと、俺の口に近づけてきた。やっぱり。
「自分で食えるから。だから食べさせようとしないで」
「何で? 楸にはこうすればイチコロじゃよ! って言われた、よ?」
「それ言っちゃダメなやつだろ?」
「……あっ」
うん、可愛いんだけどさ、楸さんにはグッジョブと言っていいのか何というか。
その後俺と待雪の押し問答が続いたが、俺が折れる形で終了した。
「ふー、ふー、あーん」
「……あ、あーん。ぱくっ……美味い」
「……そう? 嬉しい。あーん」
こ、これほどまでにあーんが恥ずかしいとは……世のバカップル達は、よくこんな事を出来るな……
「もぐもぐ……待雪、あーんって言うのも、鑪さんに教わったのか?」
「そうだ、よ。でも、これ……なんか、嬉しいね」
えへへとはにかみ、俺にお粥を食べさせる待雪。
こっちは恥ずかしいが、待雪の顔を見てるとなんかどうでもよくなってくるな。
待雪のお粥を食べ終えた俺は、ベットから出た。
お粥のおかげが、調子が良い。それに少しは運動しないと、太ってしまう。待雪的にも(もちろん俺も)それは嫌だろうから、運動するのだ。
でも、この着流しじゃ動きにくいよなぁ……どうするか。
「運動するの?」
「太りたくないからな」
「私は棗が太っても愛せるけど……わかった。袴を織るね」
そんな事言うな、恥ずかしい。
待雪は何処からか白と紺色の糸を持ってくると、早速一室で作り始めた。何となく、それを座って見る。
待雪が袴を織る音のみが部屋に響く。こんな時間も、たまには良いかもしれないな。
「……うん、出来た!」
「おー、良いじゃん」
専門的な事はわからないが、それが良い出来である事は理解できた。
早速それに着替え……ようとしたが、着方がわからない。
「……待雪、教えてくれ」
「わかった」
待雪に教えてもらいながら、袴を着る。下着は着ているものの、半裸を見られているため恥ずかしい。ここに来てから羞恥の感情が凄い動く。何故か嬉しくないけどね。
何とか袴を着て、外に出た。
まずは走るか。
◆◇◆
「ふう……」
軽く百周はしたかな。一周が短いから、これくらいが妥当だろう。もちろん身体強化はなしで。
本殿に入ると、待雪が手ぬぐいと着流しを持って待っていた。
「お疲れ様」
「ありがと」
手ぬぐいを受け取り、汗を拭く。前髪が邪魔だが、待雪にわざわざ不細工な顔を晒す必要もないだろう。
「うーん、服を用意してくれたのに悪いんだが、先に風呂入って良いか?」
「うん。それで良いよ」
「ごめんな」
魔木化した檜で作られた風呂に入る。何故か想定していたように熱湯が溜められていたが、気にしない事にする。
ふう、気持ちいい……現世では、一番最後の温くて汚い湯だったから、風呂は嫌いだったんだけどな……
そんな事を懇々と考えながら、髪を洗い体を洗う。
「風呂がこんなに気持ちいいとは……」
「風呂は気持ちいい。これは世界の真理、だよ?」
「おいおい、それはおおげ……」
待て。ちょっと待て。俺は今、誰と話している。
湯で暑い頭を回転させる。すぐに答えは出た。
「……待雪さん?」
「なあに? 待雪って呼んで欲しいな……」
「こほん、待雪……何で、風呂にいる?」
袖を捲り、手ぬぐいを持った巫女装束姿の待雪が俺の後ろに構えていた。微塵も気配を感じなかったぞ。
俺の問いに、首を傾げる待雪。
「背中を洗うため。要するに、奉公」
「……わかった」
絶対に引かないという意思を感じましたよ。ええ、諦めました。
為すがままに背中を洗われ、あれよあれよと服を着させられた。下着は死守したけどね。
今日は藍色の着流しのようだ。
「うん、似合うよ」
「そうかねぇ……俺みたいな不細工には、似合わんと思うが」
「そんな事はないだろう」
突然、俺と待雪の真上から声が聞こえた。空間を繋いで、転移してきたのか?
そいつは紅髪に金目の美少年で、待雪には及ばぬものの莫大な妖力を持っている。そして、火鳥の赤翼が生えていた。火鳥の一族、か。
「……あなたは誰だ? それにその姿、仮だよな?」
ふわり、と床に着地し、翼を仕舞ったそいつは、質問に答えた。
「私は迦楼羅。烏枢沙摩明王には及ばぬが千鳥の一族の代表格の怪異にして、鬼の一族の神格怪異たる不動明王に仕える者。担当は炎で、再生から破壊までこなせるぞ。そして、そこの待雪の養親、妖狐楸の友だ。主が言う通り真の姿は大きな火鳥だ。宜しくな、待雪の婿殿」