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第肆幕 白鬼さんから逃げられない

「……ん」


 まず視界に入ってきたのは、この前とは違う天井。

 昨日は……ああ、そうか……待雪に『迷いの刻印』を刻まれて、もう出れなくなったのか。

 俺の見鬼は幻術の類を無効化する。しかしそれはあくまで『目』と『脳』という器官のどちらか、或いは両方を介する幻術に対してのみ、という留意点があるのだ。

 これは俺の『身体』、それも『背中』から『心臓』に刻まれてしまったため、見鬼の幻術無効化能力が働かなくなってしまったようである。


「しかも……『自傷封じの刻印』も刻まれてる……」


 迷いの刻印に重なるように刻まれた、もう一つの刻印。

 見鬼で確認すると、自傷封じの刻印という事が分かった。これは、怪異の精神干渉による自害を防ぐ防護刻印だったはず。

 それがこんな理由で使われるとは……


「諦めるしかない、かな」


 残念ながら、俺は刻印妖術の類を習った事がない。

 初歩的なお祓いくらいなら出来るが、やり方も知らない刻印を解除するのは不可能だ。それに防護刻印だから、敵性刻印を解除する妖術を使っても解除出来ないし。

 結論、逃走不可能。白鬼さんから逃げられない。

 と、結論を導き出して途方に暮れていた俺の耳に、こんこん、という遠慮がちに扉を叩く音が入ってきた。


『……起きてるの?』


「ああ。怒らんから、入ってこい」


 がちゃ、キィィィー、という音を立てて、扉が開く。

 そこから、ゆっくりと待雪が入ってきた。その顔は赤く、目元は腫れている。泣いたのか?


「……ごめんなさい」


 俺の寝ている寝台の隣まで来ると、勢いよく……はないが、必死さが伝わるような謝罪をしてきた。刻印の事と当たりはつくが、それにしても必死だな。

 今日は青い花が咲き誇るような着物だ。昨日の白い着物も良かったが、これもまた一興。


「私は、あなたにやってはいけない事をした。きっと怒ってると思う。私を殴っても何をしても良いから、これだけは聞いて欲しい」


「ん、別に気にしてないさ。怒るのも面倒だし、そもそも待雪みたいな子に好かれて嫌な男はいないよ」


 そう言って宥めたのだが、待雪にはこちらへの配慮と取られたらしい。

 にこりと苦しげに笑うと、その理由を話し始めた。


「……私は鬼の一族なのは、この角を見ればわかると思う」

 

「ああ。それも白鬼。良い家系に生まれたんじゃないのか?」


 白鬼は、黒鬼と並びに鬼の一族の序列で最高位に位置する。

 白鬼は妖術に特化していて、ほぼ全ての怪異の中で最強クラスの妖術の資質を持つ。身体能力は鬼の中では普通クラスだ。黒鬼はそれとは逆に妖術が苦手で、身体能力が鬼の一族に限らずほぼ全ての怪異の中で最強クラスと言われている。固有の能力もあり、例外的に身体強化の妖術などは得意。

 この二つとも、鬼の一族の良い家系にしか生まれない。それが当たり前で、常識なのだ。


「……ううん。私は鬼の一族の中でも最下級、赤鬼の夫婦から生まれたの」


「……そんな事があり得るのか?」


 赤鬼から白鬼が生まれる。鳶が鷹を産むの典型的な例だが、本来あり得ない。

 圧倒的に、格が違う。怪異としての格が。

 待雪は、前例にない出来事、らしい、と言った後、話を続けた。


「それに、私は生まれた時からこの姿だった。まるで人間のようで、気味悪がられた、らしい。私は生まれてすぐに捨てられたから、詳しいことはわからないけど」


「それは……」


 おそらく、生まれた時から保有していた莫大な妖力のせいだろう。それにより、姿がより人間に近くなった……というのが今、一番高い確率の原因だ。

 怪異はほとんど異形しかいない。妖力が増えれば人の姿に近づいていくが、人間そのものな待雪は、異端視されていたのだろう。


「私は怪異の長に育てられた。それはそれは愛情たっぷりに育てられたの。けど、この待雪という〝名〟は変えられなかった。肉親の名付けの言霊により、魂に刻まれてしまったから」


「……」


 俺は何も言わず、待雪の話を聞く。

 待雪、つまりスノードロップの花言葉は、四つ。

 希望、慰め、逆境の中の希望……そして、死。

 下手に他者に贈ると、『あなたの死を望みます』と捉えられる事も少なくない花だ。そしてそれは……おそらく、忌み名。


「私は嫌だった、この名前が。死を望まれる忌み名は、己の子に付ければその子の生涯を壊す事になる。私はそれによって誰も近づかれなかった。忌み名を名乗れば、誰もが離れていった……!」


 ぽろぽろ、と。

 待雪の目から涙が溢れ、シーツを濡らしていく。

 怪異にとっての〝名〟は、人のように気軽に変えられるものではない。ましてや偽名など、己を否定するようなものなのだ。故に、彼女は待雪という名しか名乗れなかったのだろう。


「……でも、一人だけ」


 待雪は涙を拭うと、俺の顔を見た。

 あの時か。あの時、待雪は気付いていたんだな。


「私の忌み名に気付いていながら、普通に接してくれた人がいた」


 俺が、待雪の真の意味に、気付いていた事を。


「それが、あなた。橘棗、あなたなの」


「……それだけで、俺を伴侶と決めたのか?」


 その程度の事で、俺を伴侶と決めた。あまりにも弱い理由。だが、その程度の事が、待雪にとっては大きなものだったのだろう。


「それだけじゃ、ないよ」


「……なんだ?」


 あれ以外に俺、なんかしただろうか。まったく記憶にないのだが……


「私の妖力を見ても怖がらず、接してくれた。人間にとって『化け物』である私と、普通に話してくれた。それが私にとっては、今まで過ごした時間の中でもっとも幸福な事だった」


「……」


「だけど、棗は現世に戻れば死ぬ。それを想像したら、とても、とても怖くなった。また一人になるんじゃないのか、って」


「だから棗の意思も聞かず、刻印を刻んでしまった……謝って許される事じゃないと思う。けど、ごめんなさい」


 ……今まで、罵倒される言葉はいくつも聞いてきた。

 元家族、元クラスメイト。

 でも……必要とされる言葉を聞いたのは、初めてかもしれない。

 もちろんこれで癒える程俺の傷は浅く、膿んでいない。だが、それでも。

 彼女のためなら、生きてもいいんじゃないか。そう思った。まだ惚れてはいないが、時間の問題かもしれないな。


「いいさ、許す。こんなに嬉しい気持ちになったのは久しぶり……というか初めてだが、まだ自殺するのを諦めた訳じゃないぞ?」


 これも事実だ。「待雪のためなら、生きてもいいかもしれない」。その言葉も真実だが、まだこの世界から消えたいという気持ちが優っている。それでも凄い進歩だと思うけどな!


「……うん。今はまだ(・・・・)、これは私の片想い。だからいずれ、棗から「婿にしてください」と頼ませてみせる、からね?」


「じょーとー」


 まあ、結局。

 俺ら二人とも、チョロいんだけどな。

 当然、それは言わぬが花というやつだろうが。


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