第拾幕 現世の退魔師
「ッ!?」
何か、確証があったわけではなかった。ただの感だ。
でも、それが当たってしまった。
熱いコンクリート、照り付ける日差し、熱気混じりの風——
全て懐かしく、そして二度と見たく、感じたくなかったもの。
間違える訳がない。俺が一度、去ろうとした場所なのだから。
「……現世……?」
一度確認すると、全て繋がった。
覚悟、明日、ああ、もう。楸さんの仕業か。
しかもここ、京都だ。一番嫌な所だよ、クソ。
退魔家の本家は全て京都にある。退魔師の連中は昔から嫌いだった。俺の見鬼と妖力を目当てにしつこく勧誘してくるし、断ったら断ったで考え直せ、とか、君はそれで良いのか、とか面倒だし。
兎も角、帰ろう。
立ち上がり、周りを見る。
どうやら京都の中心部に放り出されたようだ。足元にはリュックが転がっており、荷物も全て入っている。……まあ、自殺する気はもうないけど。
リュックを背負い、京都から出る為に走り出した。京都は妖力が集まる、常世ともっとも繋がりやすい所だが、結界に邪魔されて繋げられるかは怪しい。無理矢理ぶち抜けばいけるかもしれないが、そんな事したら退魔師との全面戦争は避けられない。怪異としても歓迎する事態ではないので、待雪も抑えるだろう。
「ちょっと待ちなさい、君」
「はい?」
俺を引き止めたのは、僧だった。……あっ、やばっ、俺妖力抑えてねえ!
これじゃすぐバレるに決まってるだろ……! 何やってんだ俺は!
「君、その妖力の量は一体……とりあえず、こっちに来なさい」
「いや、あの……くそっ!」
振り切って逃げようとした……が。
体が動かない。金縛りか。
「来なさい」
「……」
そのまま俺は、神社の中に連れて行かれた。
連れていかれた所は、退魔師が集まっている集会所のような場所だった。俺を取り囲み、逃げようにもこれは無理だ。
ビリッ
「あ、おい! 何やってんだ!」
突然出て来た男に、ビリビリと浴衣を破かれる。やめろ、やめてくれ。
「これは……鬼の羽衣ではないか! お前、何処に行っていた!」
「知らな……がっ!」
「嘘を吐くな! 鬼の羽衣は限られた数しか造られる事はない! それも、鬼本人しか造れない! それをたまたま? あり得るか!」
髪を掴まれ、地面に叩き付けられる。そのまま蹴られ、地面を転がった。
「……常世」
「何?」
「常世、だ……! わかったらさっさと離せぇ!」
案外簡単に離してくれた。口の中で鉄の味がする……血唾を吐いた。
周りは騒ついている。そりゃ、鬼の羽衣を着て常世から帰ってきた男がいたら、こうなるだろう。
「常世……本当に、そんな事が!?」
「いや、しかし、鬼の羽衣を着ていたのだぞ?」
「だが……」
「黙れぃ!」
鋭く重い、一喝。
それで騒めいていた有象無象は、一気に静まり返った。
靴音を鳴らして、こちらに近寄ってくる退魔師。明らかに格が違う。
「仲間が騒いで済まなかった。だが、君には頼みがあるのだ」
「……」
「見た所、君は常世に攫われたようだね。ならば、怪異を憎む気持ちがある筈だ。その気持ちを以って、私達に協力してほしい」
……ああ。
同じか。全部、同じだ。
結局こいつも、怪異は絶対悪だとか抜かす奴か。浴衣を破かれた時の俺の反応を見れば、わかったかもしれないのに。
気持ち悪い、吐き気がする。やっぱり、俺は——
この世界では、生きられないや。
頭を下げる退魔師。その鳩尾を、下から全力でぶん殴った。
「げ、ふ!?」
「退け!」
悶絶する退魔師を蹴り飛ばし、神社の中から全速力で出る。こっちは人間の限界値まで妖力を蓄えた人間だ、そう簡単にはやられない。
「なっ、お、おい!」
「待てっ!」
「くそっ!」
慌てて追いかけてくる退魔師達。でも、遅い。
街を駆け抜け、屋根を走る。早く、早く、此処を出るんだ。
「ちっ、仕方がない」
「アレを使え!」
「なんだ……っ!?」
俺に向けられている、光を反射する鏡。
しかしそれだけではない。その鏡からは莫大な妖力を感じる。何かの妖具か。
「天邪鬼の界鏡よ、彼奴を飲み込め!」
「なっ、ああぁ!?」
鏡から何かが現れ、俺に巻き付いた。これは、影か?
そのまま、俺は鏡の中に引き摺り込まれてしまった。
◇◆◇
「……此処は?」
結晶のようなものが地面に転がる、青白い空間。なんだか、得体の知れない雰囲気を感じる。
『此処は鏡の中だよ』
「……お前は?」
俺の目の前に現れた、角を生やした気色の悪い男。
紛れもなく、その男は……俺そのものであった。
『僕は俺、俺は僕。私は君で、君は私だ』
「……あの妖具か」
恐らく、内部でその人間そっくりの怪異を生み出し、質問するのだろう。それで精神が脆くなれば強くなり、といった具合か。
『君は本当に思っているのかい? 自分は常世が本当の居場所だと』
『それは本当なのかな? 彼等と同じように、彼女達も君を裏切るんじゃないのかな?』
俺は何も答えない。唯じっと、怪異の言葉を聞く。
『信じちゃいけない。人なんてそんなもの。じゃあ、なんで怪異は裏切らないと言えるんだい?』
『なら、死のうよ。君が死んだ後の事なんて知った事じゃないだろう? だから、ほら』
ゆっくりと、目を開く。
その目には、一つの光が満ちていた。
「言いたい事はそれだけか?」
『……困ったなぁ。他にないし、全然力が増えてない』
「なら、一つ一つ答えてやる。
常世が俺の居場所だ。あいつらに裏切られたのなら、俺は仕方ないと諦めるだろう。もう他に存在していい場所がないのだから、死んでしまった方が良いと。
ああ、俺は人なんて大っ嫌いだ。でも、待雪になら殺されても良いよ。元々死のうと思っていた身だ、愛する女に殺されるのも悪くない。
でも、自分からは死なない。死んじゃいけないんだ。それは助けれくれた待雪を、裏切る事になるから。俺は裏切りたくない。絶対に嫌なんだよ。
これで良いか天邪鬼。俺はお前に屈しない。
わかったらとっとと退け。俺は急がないといけないんだ」
全部答え終わり、いざ見てみると、天邪鬼は笑っていた。少しムカつく。
『いや、ごめんごめん。此処まで開き直るのも珍しいからね。
でも、此処から出たいなら僕を殺していかないとダメだよ。それがこの空間から出る唯一の手段だからね』
「そうなのか?」
『そうそう』
うーん、それは少し遠慮したい。
怪異とは言え、見た目はそっくりなのだ。自分を殺すようで些か気分が悪い。
「なら、こういうのはどうだ?」
怪異に歩み寄り、手を掴む。
そして、呟いた。
「俺は僕、僕は俺。俺が俺であるという明確な違いはなく、どちらも紛れもなく俺である。又、俺であり俺ではない。俺であると証明するには人格と意識が必要。しかしその二つを持った存在が二人いて、本物という定義に意味はあるのだろうか?」
『意味がない。どちらも持っていたのなら、それも間違いなく俺である』
「ならば、虚実の意味は存在するのか? 否、虚実の違いは意味がない」
『俺は僕で』
「僕は俺」
天邪鬼が光と妖力に還元され、俺の周囲を渦巻き、体内に吸収されていく。
それと同時に、異変が起きた。
額から黒い角が生え、髪は艶やかに黒く輝く。爪が伸び、犬歯は鋭く。
筋肉は強靭に変わり、しかし体は細いまま。
——人の姿のまま、怪異へと転生したのだ。
「これは……?」
『僕と融合した事で、人の姿のまま黒鬼に転生したようだ。まあ、僕の自意識もすぐ消えるだろうけどね』
「……まあ良い。そんじゃ、ぶち破りますか」
待雪並みに増えた妖力を、全て拳に収束させる。
そして黒鬼の固有能力……『倍加』を発動。
「どぉぉぉーーーーりゃゃぁあぁぁああ!!!」
倍加により倍増した運動エネルギーが、空間に炸裂した。
そしてピキキッ、と空間に亀裂が生じ——
バァァァァァン!
空間が、決壊した。
◇◆◇
神社の中、本殿。
そこの広場の中心に、天邪鬼の界鏡が立て掛けられていた。
そこを守る、二人の退魔師。
彼等はこんな所を守るのに不満があり、大して真剣にやっていなかった。
——それが彼等の、一番の不幸かもしれない。
——ピキッ
「む?」
何処からか、何かに罅が入る音が聞こえた気がした。
それが後ろにある天邪鬼の界鏡から発せられたとは気付かずに、退魔師の男は気の所為だと思い——
——バキャァァァン!
その後の決壊に、気づく事が出来なかった。
「なっ、なんだ!?」
「何が起き——ぐぅぁああ!」
途端に溢れ出る、膨大な妖力。
そして、それらを凌駕する妖力を持つ、怪異が出現した。
「く、黒鬼、黒鬼があぁぁあぁー!!?」
「喧しい」
弱い腹パンで退魔師を二人黙らせた黒鬼——棗は、怪異転生の影響か美しく妖艶に変化したその顔を歪ませて、あらん限りの力で叫んだ。
「常世の扉よ、待雪の元へ、開けぇぇぇぇぇぇえーーー!!!!」
ガグン、と空間に黒い穴が開く。
棗はそこに駆け出すと、飛び込んだ。
ゆっくりと、落ちる。
妖力のぶつかり合いによるものか定かではないが、羽のように棗は落ちる。
その先には、白鬼の少女。
あどけなさが残る美しい顔を濡らして、手を広げている。
「お帰りなさい……っ!」
「ああ——ただいま」
やはり、此処が自分の居場所なのだ——
棗は、手を広げる待雪に飛び込むと、その女の子らしい柔らかい体を抱きしめる。
そのまま、頭を撫でた。
しばらくそうしていたが、一旦止めた。そして、待雪と抱きしめあったまま向き合った。
「待雪、言いたい事があるんだけど……」
「ん……私もある」
「そっか……じゃあ、一緒に言おう?」
「ん……せーの」
「俺を——」
「私を——」
「待雪の、婿にしてください」
「棗の、お嫁さんにしてください」
それは、かつて。
かつて、二人が相手に豪語した言葉そのものだった。意識したのかは、わからない。
ただ——それに今、意味はない。今、意味があるのは。
二人とも、相手を愛しているという事のみ。
「……喜んで」
「……不束者ですが、よろしくお願いしますっ」
お互いに、顔を赤く染めながらの、承諾であった。
次回、本編最終話。




