第一章 出発
秋風が心地よい時節となりました。そちらの生活は充実しているでしょうか。
さて、私は再び旅に出ようと思います。止めないでください。見守ってください。
またいつか、親愛なるあなたの面影に出会える日を楽しみにして
隆司
新たに買った日記帳の初めにそう記して、リュックに詰めた。他の装備は、使い慣れ始めたカメラ、ペットボトル一本の渋い茶、手作り弁当で十分だった。
東北線が、上野駅より先、即ち東京、品川駅まで延線したことによって、通勤客を始めとした多くの利用客の利便性向上につながることは、言うまでもなかったが、懐かしの山手線乗り換えが無くなったこと、石川啄木の記念碑を拝めなくなったことが、少しばかりさみしく感じられた。
日本の中心を走るといっても過言でない路線ではあるが、それでも、昼の頃合いは閑散としていて、ボックスシートにも、十分な空きがあった。腰かけるや、否や、ペットボトルを取り出して、濃厚な茶を味わった。恐らく、大半の通勤客は味わうことができないだろうと感じ、胸が高鳴った。
東京駅の発車メロディーは、ホームによって様々であり、聴き比べるのが、一つの楽しみであった。一昔前は、自動音声がなく、各ホーム上の駅員によるアナウンスが響き渡っていた。いかにも鉄道系、といった声があれば、不慣れで、一般人レベルといった声もあり、それぞれを聴き比べるのもまた、ちょっとした楽しみであった。
ドアの閉まる音は、新型車両だけあって、老体の重厚な響きというよりは、若者の気持ちの籠っていない返事といった感覚だった。窓際で、眠りに落ちた人にとっては朗報であろうが、隆司にとっては、やはりネガティブな印象を持たざるをえなかった。
東京駅を出発して、五分ほど経ち、問題の上野駅に到着した。存在感や、印象で語れば、恐らく東京駅が勝つのであろうが、上野という街の雰囲気、歴史を考慮すれば、上野駅も、いい勝負になるはずだ、と考えることが多くなった。かつて、鉄道写真の展覧会に訪れた際に、確か、八十歳くらいのおじいさんであったと思うが、四十年近く上野駅を撮り続けてきた、と言っていた。
「どうして、白黒で撮り続けているかって、それは、上野という町を表すのに一番適切だからだよ」
一枚一枚のフィルムに籠めた想いを語るおじいさんの熱意、大切に守られてきた風景、一つ一つの物語。
上野駅の停車時間は、二分と短ったものの、記録するには十分な時間だった。
引継ぎ、世界トップの技術を誇る日本の鉄道。利便性を追求するあまり、少しばかり忘れ物をしたようだ。寝台特急が走っていたころの掲示板が残されている。札幌、青森、と刻まれている。よく見ると、書き込みの跡が残っている。様々な人の想いが交錯して、一つの歴史を作ったのだろう。今まで背負ってきた重責は、みんなで分かち合うのが得策なようだ。だけど、私は知っている。この、錆びついた鉄は、後世の鉄路に受け継がれていくことを。
軽快な音で、ドアが閉まった。東北に続く鉄路の軋む音が、新鮮な響きに感じられた。