帝妃は笑う
何番煎じという感じですが…婚約破棄ものです。
お楽しみいただければ幸いです。
一体、何だというの。
「――リュシエンヌ!君のことは見損なったぞ!」
エリザベートは美しい管楽器が奏でるハーモニーの中に飛び込んできた無粋な怒鳴り声に、眉をひそめた。彼女の隣に控えていた護衛の女性騎士が扇を手渡してくる。それを受け取って、不快さに歪む表情を隠しながら、ちらりと騒ぎの原因を見やった。淡いライムグリーンのドレスを着た少女が、ピンクのドレスを着た少女と彼女を取り巻く男たちに詰め寄られている。
ライムグリーンの少女は戸惑ったように視線を彷徨わせた。
「殿下、一体なんの、」
「ここまで来てしらばっくれるのか?!」
「すでに証拠は揃っている。さっさと自白しろ」
エリザベートはぱちぱちと目を瞬かせた。扇を右手で開いたまま、左手を広げる。心得ているのか女性騎士は、今度は錫杖をその手に握らせた。その扇に隠れるようにして、別の護衛に尋ねる。
「ジルバ、あの男たちは?」
「第四王子と…左から公爵家、伯爵家、騎士候、子爵家の御子息、それとあれは…伯爵家の次男ですね」
なんとまぁ。エリザベートは眉根を寄せる。
「この夜会には『身分の定まった者』しか招待されてないはずではないの?」
「そう、聞き及んでおりましたが……」
この場合の身分の定まった者というのは、伯爵位以上を指す。要は自国の貴族的な礼節だけでなく、諸外国に関する知識を持つ人間だけが招待されているはずなのだ。嫡男ならともかく、爵位を継いでない身内や、男爵・子爵程度が参加できるものではなかったはずだ。
エリザベートが護衛騎士に向かって口を開こうとした瞬間、別の甲高い声が響いた。
「――みんなやめて!私は大丈夫だったし、それに、リュシエンヌ様の気持ちも私、わかるの、」
目が半眼になりかけた。扇に隠れている口はぱっかりと開いてしまったので、扇をもらっておいて本当によかったとエリザベートは思う。
「これは…責任者が地方に飛ばされるわね」
「彼らを招き入れた者は首が飛びますね」
「…その程度で済めばいいですが、」
エリザベート以上に護衛の言葉は辛辣だ。王国に招かれた上位の国――帝国のNo.2がいるのに、こんな珍事を起こして責任者が追いやられないはずはない。エリザベートが名乗る前だったことが災いした。
本来だったらありえない喧騒に壮麗な音楽はすっかり止み、その場の全員が彼らに注目していた。
「わ、わたくしは、」
「リュシエンヌ様が殿下を好きなことわかってた。でも、殿下は私を望んでくれたの!だから、リュシエンヌ様、こんなことはもうやめて!」
ライムグリーンの爽やかなドレスに身を包んだリュシエンヌは顔色悪く口を震わせ、それでも気丈に言葉を紡ごうとする。だが、それを遮る甲高く煩わしい声。ドレスの色と言い、悪目立ちが過ぎる。
なんとまぁ、常識知らずなことを、と思う。リュシエンヌは高位の貴族、公爵だ。その言葉を遮ることを彼女は許されている身分なのか。
鮮やかすぎるピンクのドレスを纏う見慣れぬ黒髪の娘に、エリザベートは背後の従者に尋ねる。
「あの娘は?」
「……ミーナ・フェルゼン。子爵家だったかと」
「そう、」
エリザベートは彼らを睨み付けてしまいそうになるのをぐっとこらえた。このパーティーに出席するのも一つの仕事であると言い聞かせ、その眼差しを控える。仕事中、仕事中と脳内で念じて、周囲と同じく戸惑ったような顔を作った。
「あの、何のことですか?わたくし、」
「――リュシエンヌ様、どうか認めて。今までの嫌がらせだけなら、私、耐えようと思ってた。でも、でも!2日前に私を階段から突き飛ばしたの、リュシエンヌ様なんでしょう?」
第四王子を取り合って、二人の女性が修羅場。これだけでも醜聞ものなのに、どう考えても他国の人間がいる前で告げてはならないことを、こうも声高に言うのか。
その言葉に周囲がざわつく。一番に我を取り戻したのは第四王子。
分かりやすく顔色を変えているあたり、公務を任されたことはなさそうだ。どんなに動揺することを言われようとも、顔色を変えてはならぬと王族はまず叩き込まれるはずなのだから。
「リュシエンヌ…!!!貴様そこまで!」
「姉上、見損ないました。貴女はそこまでのことはされないと思っていたのに、」
姉上ということは、あの少年は今責め立てられている令嬢の身内なのか。エリザベートの隣に控える護衛騎士の顔に不可解気な色が躍る。普通なら、まず身内をこの醜聞の場から遠ざけるだろうに。
王子と弟からの怒号の声に戸惑いながらも、少女は必死に声を張り上げる。裏返った声が彼女の動揺具合を証明しているかのようだった。
「わ、わたくしは、わたくしは何もしておりません!」
周りの大人たちは止めなければならないと分かっていながらも、彼らの苛烈すぎる勢いに口を挟めずにいた。というより、今何が起こっているのかもよくわかってない人間の方が多いのではないだろうか。第四王子が眉を吊り上げる。
「くどい!私は此処に、リュシエンヌとの婚約の破棄を宣言する!」
「ならば、僕は次期公爵として、姉上、貴方を公爵家から追放します」
一瞬、その場は水を打ったように静まり返った。貴族令嬢としてこんな場に立たされたことはないだろうリュシエンヌは狼狽え、戸惑いながらもしっかりと背筋を伸ばす。震えた息を何度も吐きだしてどうにか呼吸をしていた。
「………では、殿下は、王が決められた婚約を破棄されるのですか?」
ぽつりと少女が呟いた声はあまりにもか細かった。声には咎める色はなく、ただただ戸惑ったような、信じられない響きで満ちていた。だが、第四王子にとってはなみなみと注がれた油に小さな火を灯したのと同じであったらしい。
「貴様、この期に及んでまだ身分に括る気か!ヴィル、ジーン、連れ出せ!!」
王子の隣にいた二人の取り巻きがすっと前に出て立ち尽くすばかりの少女の肩を掴んだ。乱暴な仕草に、婦人方の顔色がすっと悪くなる。
その時だった。
――ガァン、と音がした。エリザベートの錫杖が大理石の床を叩いた音だった。
全員の手が止まる。それを確認して、エリザベートは立ち上がる。するりと肩に付けられていたマントが揺らめいて、彼女を一層大きく見せる。周囲の目線が自分に向いているのを確認するようにその場をぐるりと見渡して、微笑んだ。
「第四王子殿下、並びに次期公爵殿。今の御言葉、しかと耳にいたしましたわ」
「あ、あなたは…?」
エリザベートは微笑むだけで何も言わない。当然だ。王族としての責務も果たしていない子供と、彼女では位が違う。名乗るのは常に、下の身分からだ。
王子たちは一向に気づかず、何故エリザベートが名乗らないのか不思議そうに首をかしげている。周囲の貴族たちは青ざめたり、頭を抱えたりと忙しそうだ。話が進まないので、エリザベートは彼女の真横に立つ護衛をちらりを見た。心得たように彼は一つ頷いて、声を張る。
「――こちらにおわしますのは、エリザベート帝妃殿下です」
その言葉にエリザベートを直接は知らなかった幾人かが、この状況を理解したのかざわついた。婦人方の中には事態を把握して、しゃがみこみかかった者もいる。王子たちも戸惑ったようにエリザベートを見やった。
帝妃は皇帝の妃だけが名乗れる身分である。一国王と同等の地位。それが分からぬものは流石にいないらしい。
ただ、ピンクのドレスの少女だけは目を輝かせたので、エリザベートは微かに眉を上げた。
「殿下方、今の御言葉はわたくしが承認いたしましょう」
その言葉に押さえつけられていたリュシエンヌの顔が青を通り越して白く染まる。ピンクドレスの少女は喜色満面だ。不快感が顔に出ないように気を付けて、エリザベートはリュシエンヌと目を合わせてそっと微笑んで見せた。彼女の顔が戸惑ったように揺れ、僅かに生気が甦る。
「しかし、一貴族令嬢が庶民となるには問題が多いのもまた事実。ですので、そちらのリュシエンヌ嬢は我が帝国で保護をし、お連れいたしましょう」
全員がぽかんとエリザベートを見ていた。周囲が硬直したのに気づきながらも、エリザベートはかつんかつんとヒールを揺らしてリュシエンヌに近づく。彼女が3歩目を踏み出のと、護衛たちがリュシエンヌを拘束しようとしていた男を突き飛ばすのは同時だった。翠の瞳を揺らす彼女にエリザベートは微笑む。
「さぁ、リュシエンヌ。参りましょう」
「ま、待て!そいつは、」
この国の国王夫妻でなければ、彼女は呼び止められない。しかも、敬語ですらない呼びかけである。その無礼さに、護衛たちは呆気にとられたり、眉根を寄せたりと忙しい。しかし、エリザベートはにこやかに微笑む。
「王子殿下、3つ申し上げておきます。一つ。リュシエンヌ嬢は、3日前にこちらに赴いた私の世話役として、この王都を案内する役目を果たしておりました。そちらが申された、2日前は私にこの国の港を案内していただいております。一つ。今日の夜会は帝国とこちらの国との食料提携の条約を結ぶ前座として開かれたもの。そこにこのような騒ぎを持ち込むということは、この国の帝国に対する誠意はその程度でしかない、ということですわね。少々、条約文を見直させていただきます。……そして最後に一つ。私を呼び止めて許されるのは各国国王と我が夫である陛下のみ。しかるべき罰を覚悟なさいませ」
そう言い切ると、エリザベートはにっこりと微笑んだ。リュシエンヌの手をそっと握る。
「さぁ、リュシエンヌ様。貴女様はもう殿下と閣下の言葉を私が保証したことで、『この国の人間』ではなくなりましたわ。我が帝国民として、歓迎いたします」
王国民はなぜか、金を払ってでも帝国の民になりたがる。リュシエンヌがエリザベート直々に帝国民を名乗る許可をもらったのは、王国にとってとんでもない快挙であった。