07・『ロレッタの戦い』
*
「ねえ、ロレッタ。その胸当て、カッコ良いね」
「でしょ? 良いでしょ? 新調したばっかりなんだ」
「そのブーツも良いね」
「えへへ。ちょっと奮発したんだよね、コレ」
「良いなぁ、カッコ良いなぁ」
褒められたのがよっぽど嬉しかったのか、ロレッタは僕の前でくるり、と一回りさえしてみせた。
正式に依頼を受諾した後、ロレッタは預けておいた愛用の装備に着替え、僕は一日無料レンタルの初心者感丸出しな装備一式を借り受けた。
ロレッタが身に着けている軽戦闘用装備は見るからに機能性に溢れていて、それでいてコーディネイトにも抜かりは無い。それに比べて僕の格好ときたら……
「ルフナも良い感じだよ。何ていうか、その……初々しい感じというか」
「初々しい、ってこの場合、褒め言葉になってないよ」
僕は長剣を収めた鞘をトントン叩いてみせた。
「この剣なんてさぁ、商品名が『どうのつるぎ』なんだよ!? なんでわざわざテンション下げるような名前を付けるかな」
今、僕が身に着けている装備は、『かわのよろい』に『かわのたて』だ。しかも、名前だけじゃなくデザイン的にも垢抜けていなくって、なんかモッサリ感が半端無い。
「鎧だけでも買えば良かったのに。それだけでも随分違うよ」
「だって、ちょっと良いな、と思ったヤツなんて10000モンもするし……」
普段着すら事欠く僕に、イケてる鎧なんて買ってる余裕は無い。
「みんなそれがイヤだから、クエスト頑張ってお金貯めるんだよね。そう思ってさ、イノシシ退治を頑張ろー!」
イノシシ退治ね……ロレッタの見つけた”良い感じ”なクエストの内容はこうだった。
***逃げたイノシシを駆除して下さい***
イノシシ退治をハンター協会に頼んだのですが、何匹かが裏の岩山に逃げ込んでしまいました。
協会は追加料金を要求してきましたが、村の少ない予算では到底足りません。
一匹ごとに報酬をお支払しますので、可能な限りの駆除をお願いします。
***一匹の駆除につき報奨金5000モンの他、ご希望によりイノシシ肉をお分けします***
なるほど、これなら一匹だけ駆除して帰ったって、クエスト達成の条件を満たしている事になるし、『烈火の弾丸』の試し打ちも出来て一石二鳥。いや、一石二猪か。
聖紋の強化に繋がる”危機的状況”には陥らないかも知れないけど、僕の初クエストには丁度良い難度だろう。
「うん、頑張ろう!」
「うへへ、今夜はお鍋だよぅ。パンはもう飽きたんじゃあ!」
「ロレッタ、涎」
もしかして、最初っからロレッタの目的は肉だったのではないだろうか。
足取り軽くスキップするかのようなロレッタの後を、僕は釈然としない気持ちで付いて行った。
平日とはいえ、王都の大通りは賑やかで騒がしい。
大勢の人たちが道を行き、引っ切り無しに馬車が行き交かっている。
道の端には許可など取っているとは思えない雑多な露店が並び、大声を張り上げて客引きをしていた。
これぞ我が街、王都『フォーレルム』だ! と胸を張りたいところだけど、魔王が倒れて平和が戻ってから二十年が経った今も復興は遅々として進んでいない。
王都のシンボルたる王宮には未だに再建の手も着かず、風雨に打たれた痛々しい姿を晒している。
再建が遅れているのは公的な施設だけでは無い。背の高い建物は取り壊される事も無く放置され、歩道の石畳は所々の舗装が剥げて、隙間からは逞しい雑草が生い茂っている。
「……また新しい教会だ」
乗合馬車の停車場までの道すがら、ロレッタは完成したばかりの立派な教会を見て露骨に眉を寄せた。
「教会ばっかり建てたって、お腹はいっぱいにならないのに」
「ロレッタ、あんまり大きな声でそういう事を言わない方が……」
「こんなの建ててるお金があったら、もっとちゃんとした孤児院を建てれば良いのに」
王都の復興が進まない大きな理由の一つが、この『聖鎖天使教会』だ。
セイローン王の急逝の後、王国の運営は王弟であり、国教である天使教の教主『マスカテル・ブラッサム』が担う事になった。だけど、マスカテル大教主は王国の運営よりも天使教の布教に力とお金を注ぎ込んだ。その結果、王国の復興は遅れるどころか、むしろ荒廃に向かっているようにも感じる。
不信心者の僕でも、原初の人に聖紋を授けたという天使の存在を信じている。でも、信仰で心は満たせるかも知れないけど空腹は満たせない。その点では僕もロレッタと同じ気持ちだ。
「怒る気持ちは分かるけど、もう行こうよ」
今にも聖鎖天使の像に石でも投げつけかねないロレッタの手を引くと、思いも寄らない力で手を振りほどかれた。突然過ぎる行動にあっけに取られていると、彼女は教会の角に消えてしまった。
「ちょっと? どこ行くんだよ!?」
慌てて追い駆けて教会の角を曲がると、ゴミ袋に向かってしゃがみ込んでいるロレッタの背中を見つけた。
「ロレッタ、そのゴミ袋がどうかした……」
ロレッタが懸命に話しかけていたのは、ゴミ袋なんかじゃなかった。
「お父さんかお母さんは? そう……これ、食べて」
汚い布を頭から被った幼い男の子と女の子が、ロレッタの差し出したクッキーに恐る恐る手を伸ばしていた。
「いい? この紙を持って、王立魔法局のフェンネム先生を訪ねるんだよ。大丈夫、お姉さんを信じて」
僕はただ、赤いニット帽だけを見ていた。
立ち尽くす僕に気付いたロレッタが、何かを書き込んだ紙を子供たちに渡して戻ってきた。
「お待たせ! さっ、行こ!」
「ロレッタ……」
「なぁにボケっとしてんの? ほら、日が暮れちゃったらイノシシ狩れないよ」
「あ、うん……」
今度はロレッタが僕の手を引いて歩き始めた。
その力強さは、僕が持っていない強さだ。
*
乗合馬車には、僕とロレッタ以外に乗客はいなかった。
僕らが向かっているのは王都フォーレルムから馬車で三十分ほど行った、麦畑の他には何にも無い寒村だ。
何だか落ち着かないのは、ガタガタ揺れる座りの悪い座席のせいだけでは無い。
いつもだったら景色を見てギャーギャー騒いでいるはずのロレッタが、ぼんやりと窓の外に目を向けたまま、黙り込んでいるからだ。
「ねえ……」
沈黙に耐えかねて、いよいよ僕から話しかけようとしたが、先に口を開いたのはロレッタの方だった。
「小さい頃、二人で食糧庫に忍び込んだのって、覚えてる?」
「ん、ああ……」
知らずに左腕を押えていた。折られたのは左腕と肋骨の数本だ。
「あの頃はホント、お腹が空いてお腹が空いて。でも、孤児院の先生たちは毎晩お酒を飲んで、美味しい物を食べていて」
もう痛むはずも無いのに、身体中が疼いた。
「今なら分かるよ。極限状態に子供を置くことで、反抗とか脱走する事を考えられないようにするんだよね」
「ロレッタ、その話は……」
「でも、あの頃は”お腹が一杯になれば畑仕事ももっと頑張れるのに”、なんて考えていたんだよね。笑っちゃう」
ロレッタは窓の外を見ながら、独り言のように続けた。
「それで寝ているルフナを起して、”一緒に食糧庫に忍び込もう”って誘ったの」
「もう、止めろよ」
「そしたらまんまと見つかっちゃってさ」
「止めろって言ってんだよ!」
僕は初めて、生まれて初めてロレッタを怒鳴った。
だけどロレッタは真っ赤な目で、涙をいっぱいに溜めた目で僕を見て、にっこりと微笑むだけだった。
僕はきっと……彼女を怒鳴った事を一生後悔するだろう。
「怒鳴ったりして、ごめん……でも、もう忘れようよ」
「ルフナが庇ってくれたんだよね。一人十回ずつ殴る、って決めた先生に”誘ったのは僕だから、殴るなら僕を二十回殴れ”って。私、一生忘れないよ。忘れちゃいけないんだ」
「ロレッタ、もう遠い昔の話だよ。気にしないで」
「やっぱりルフナは優しいね」
ロレッタが身体を寄せてきた。
僕らはそうやって、寄り添って生きてきたんだ。
教会の裏で見た、あの幼い子供たちと同じように。
「ねえ、聞いてくれる? 私には夢があるんだ」
「夢?」
「そう、夢」
「それって”聖紋の勇者になりたい”とか”最強の聖紋使いになりたい”とか、そういう事?」
あっはっはっ、と笑ったロレッタの瞳から、ぽろっと涙が零れた。
「そんな大それた夢は持ってないよ。私の手で救える者なんて、たかが知れてるもの」
「そんなこと無い! ロレッタは良く分かっていないかも知れないけど、『魔弾の射手』は本当に凄い聖紋なんだよ!」
ロレッタはふるふると頭を振り、そして言った。
「私、孤児院を建てたいんだ」
僕は……僕はなんて幼いのだろう。
「その為にはお金が必要なんだよね。しかも、すんごい大金が」
彼女は僕よりも、ずっと大人で。
「私、訓練科を卒業したらハンター協会か冒険者ギルドに入って、お金を貯めるんだ」
彼女は僕よりも、ずっと先を見ていて。
「子供たちが酷い目に遭わないように。これ以上、私たちみたいな子供たちを増やさない為に」
彼女は僕よりも、ずっと現実と向き合っていた。
「だから、初クエスト頑張ろうね。ルフナ」
彼女の戦いは、ずっと前から始まっていたんだ。