020・『人は見かけによらぬもの』
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イオが手配してくれたスタイリッシュな馬車、それは今春発表されたばかりの最新モデルだった。
しかも、馬車を引く四頭の青鹿毛の馬は見るからに逞しくって、いかにも脚が速そうだ。
ただし、「素晴らしい速度を誇る反面、安定性を犠牲にしているので乗り心地についてはご容赦を」と、最高級の馬車を操るに相応しいジェントルな御者から丁重な説明を受けた。
「おおぅ……速い速い」
小窓の外を急流のように流れていく景色を眺めながら、僕は独り言みたいに呟いてみた。
これから僕らが調査クエストに向かう廃寺院まで、乗合馬車を使うと休憩も含めて五時間は掛かってしまう道程なのが、この高速馬車ならば僅か二時間足らずで着くらしい。
――――あと二時間も掛かるのか……
げんなりして車内に備え付けられた時計を見ると、まだ三十分も経っていなかった。
今、僕がこの馬車に乗り心地よりも居心地の悪さを感じている原因……もとい元凶は、二人乗りがベストとして設計されている車内の狭さでも、思った以上に揺れる車体のせいでも無い。
はっきり言っておこう。
面子の濃さが尋常では無いからだ。
極大魔法『天の極北』で訓練生全員を恐怖のドン底に陥れた氷結王子『デュセリオ・ファニングス』。
校庭に巨大なクレーターを幾つも穿った静かなる爆裂姫『イオ・クオンタヴィア』。
そして、何の気まぐれで付いてきたのか金髪天を衝く電撃ヤンキー『ベイゼル・ハイデン』。
どのピースを組み合わせてもロクでも無いパズルしか出来上がらないのは目に見えている。
いいや、そもそもこの個性の塊みたいなこの面々がこの狭いこの車内にこの収まっているこの状況こそが尋常では無いのだ。
駄目だ……振動と緊張の余りに思考がおかしくなってきているようだ。
「……てっ、天気良いよね」
とりあえず差し障りの無い事を口にしてみたものの、誰からも応答が無い。
せめて隣に座っているデュセリオくらいは何か言ってくれても良いだろうに、彼は苦虫を噛み潰したような顔をして、いつもよりも強力な冷気を発散させていた。
「……ちっ」
そして、デュセリオの向かいには窮屈そうに前屈みになって顎を突き出すベイゼルが座り、頻りに舌打ちを繰り返していた。たぶん、時間を掛けてセットした自慢の金髪が天井に当たるのが気に喰わないのだろう。
「はぁ……」
僕が小さく溜息を吐くと、飢えた獣のようなベイゼルの目がギロリ、と僕の方を向いた。
「ご、ごめん……」
反射的に謝ると、一層大きな舌打ちが僕の耳を打った。
どうして僕が謝らないといけないんだ……何故にイオはベイゼルなんか連れて来たんだ?
恨みがましく真向かいに座るイオの顔を盗み見ると、瞬きの少ない瞳が僕に向かって真っ直ぐに固定されていた。
「うぐっ?」
思いっきり目と目が合ってしまった瞬間、喉の奥から変な音が出た。
……やっぱりこの子は何かがおかしいぞ。
その整い過ぎた感のある顔立ちからは、ロレッタ曰く「イオちゃんって、お人形さんみたい」と評する以上に無機質な印象を受ける。
それに加えて、馬車が揺れるのに合わせてコトコト揺れる小さな頭が、彼女をより人形っぽく見せてしまっている。
年頃の女の子って、もっとギャーギャーうるさい存在では無かっただろうか?
先生に「静かにしろ」と怒鳴られてもクスクス笑ってたりするもんじゃなかろうか?
ロレッタだったら絶対に……ああ、そうだ、やっぱりロレッタも連れて来れば良かった。今更ながらに後悔だ。
彼女がいれば馬車に全員で乗り込むなんて事も無かっただろうし、この沈黙の墓場みたいな状況にも陥ってなかったはずだ。
もう、誰でも良いから何か言ってくれよ。特にイオ、君が詳しい話を聞かせてくれるって約束だっただろうに。
だけど、僕にはイオに話すよう促す勇気は無い。
今も彼女は僕を見ている、絶対に。
その暗くて底の見えない瞳で。
「おい」
喋った! と思ったらベイゼルか。しかも、その威圧的な口調はとても友好的とは思えない。
「デュセリオ……調子こいてんじゃねぇぞ」
その声にデュセリオは固く閉じていた目を薄く開いた。
「……調子?」
「さっきっから寒ぃんだよ。ちったぁ考えろ」
凶悪な面でメンチ切ってきたベイゼルに、デュセリオは面倒臭そうな顔をして答えた。
「……だったら上着でも羽織るがいい」
うん、確かにその通り。春と言えどもベイゼルの肩剥き出しヤンキーファッションは寒々しく映る。
だが、売り文句には買い文句で切り返したデュセリオに向かって、ベイゼルは意外な文句を言い放った。
「俺じゃねえよ。姫が寒がってんだろうが」
……イオのどの辺を見て、寒がっていると分かったんだ?
馬車に乗ってからの三十分間、イオは一言も口を開かないどころか、ただ揺れに合わせてカタコトしていただけにしか見えないんだけど?
「姫、ひざ掛け欲しいか?」
ベイゼルが訊ねるとと、イオはこくん、と頷いた。
ああ、良かった。僕の目の前に置かれていたのはイオに良く似た人形では無かったようだ。
「ちょっと待ってろ」
ベイゼルが背中の辺りをごそごそやると、そこから可愛らしいデザインのブランケットが出てきた。どうやら彼の座っている座席の後ろに収納スペースがあるらしい。
そして、ベイゼルは引っ張り出したブランケットを几帳面な手付きで整えてから、イオの膝にそうっと乗せた。
「どうだ?」
「……温かい」
「良かったな」
……何だ、このやり取りは? 二人は恋人同士だったのか?
それにしては妙な感じだ。もっとこう、何と言うか、親密だけど距離があるような……例えるなら兄妹みたいな? いやいやいやいや、流石にその可能性は無いだろう。
ありえない想像を頭を振って追い出すと、ブランケットから手を離したベイゼルが真っ直ぐに向き直った。
「デュセリオ……周りの迷惑も考えろ」
腕を組んだベイゼルは、背筋を伸ばしてデュセリオを見下ろすような姿勢になった。
「それとも手前ェは、自分の魔力もコントロール出来無ぇようなヘタレだったか?」
正論だ。ベイゼルが言っている事は至極真っ当だ。
デュセリオは集中力を切らすと冷気を放出してしまう困った体質の持ち主だが、少なくとも目的地に到着するまでの短い間ならば自分の魔力を抑える事なんて、彼にとってはどうって事も無いはずだ。
「おい、何とか言えよ」
だが、どうした事だろう。デュセリオは忌々しげな顔をしてベイゼルを睨み見返すだけだった。普段の彼ならもっとクールに、もっとカッコ良く振る舞うはずなのに。
「聞こえねぇのか」
「……馬車が」
「あぁ? 声が小せぇよ。もっとハッキリ言えや」
「揺れるんだ」
「そりゃそうだ」
「痛いんだよ」
「どこがだよ」
「馬車が揺れると腰が」
しばらく二人は睨みあっていたが、ふいにベイゼルが背中をごそごそとやり出して、収納から大きなクッションを取り出した。
「使えよ」
「すまん。恩に着る」
デュセリオは柔らかそうなクッションを受け取ると、座席と腰の間に挟んだ。すると、車内を満たしていた冷気が徐々に和らいでいった。
「……それ、ベイゼルが作ったの」
突然に口を開いたイオは、デュセリオが背にしたクッションを指差した。
「姫、余計な事を言うんじゃねえ」
「……それからこれも」
イオが膝から持ち上げたブランケットには、これまたファンシーな刺繍が全面に施されていた。
「や、やめろって!」
腰を浮かせて焦りまくるベイゼルの手が、イオに掴みかかる事もブランケットを奪い取る事も出来ずにアワアワと空中を掻き毟った。
「……ぷふっ、くふふっ」
僕はもう、デュセリオの腰痛やらベイゼルの意外な特技やら天井に当たって直角に折れ曲がっている金髪やら、もう色んな事に耐え切れなくなって、ついには爆笑してしまった。
「ふっ……ははは」
僕に釣られたようにデュセリオが笑いだすと、そのうち険しい顔をしていたベイゼルも額に手を当てて苦笑いを浮かべた。
何だよ、ベイゼル。イオが言っていた通り、見た目ほど悪い奴じゃなかったんだな。
ふと気が付くと、イオの口元が小さな蕾が花開くように綻んでいた。
「あ。姫が笑うの、初めて見たよ」
僕がそう言うと、イオは膝に向かって黙り込んでしまった。
あれ? 何かマズい事でも言っただろうか?
ちょっと不安になって、俯いてしまったイオの姿を眺めていると、
「まともに笑ったのは久しぶりだ。俺も……姫も」
と、ベイゼルは乾いた声で言った。