魔王様と愉快な手下たち
「いくら丈夫な魔王様でも、そいつは流石に死んじまいますよ」
野太い声に呼ばれて目を開けると、大きな影が視界を覆っていた。どうやら影の主が身を盾にして、落ちてくる瓦礫から守ってくれていたようだ。
「すまぬ。考え事をしていた」
ヌルヌルする顔をローブの袖で拭きながら弁明すると、つい先ほどまで壁か天井だったであろう、大きな瓦礫を押しのけて、のっそりと影が立ち上がった。
目の前に立ちはだかる鋼のような巨躯は、縦にも横にも優に人の倍はある。しかし、その全身を覆う金色の剛毛と首の上に乗った牛頭が、彼が人非ざる者だと証明している。
「ダメっすよ、魔王様。アンタを殺すのはオレの目標であって、老後の楽しみなんスから」
「ふふっ、そうであったな……ところで先ほどから我の顔を濡らしているのは?」
「あぁ!? こいつは、すんません! つい癖で」
へへへ、と笑いながら涎を拭うその顔面は、正しく牡牛そのもの。
この牛頭の巨人こそ我が腹心の部下、百の獣魔を従える『魔獣王』だ。しかし、勇者との激闘の末に自慢の角は半ばから折れ、金毛は血に汚れている。
「随分と深手を負ったな、魔獣王」
「へっ? オレの心配をしてくれてんスか?」
「おかしいか?」
「いや、おかしか無いっすけど……あのぅ、もしかして頭でも打ちました?」
「いや、大事無い。少し考え事をしていただけだ」
「なら良いんスけど」と、差し出された毛むくじゃらの手を握って立ち上がると、魔獣王は腰を屈めて心配げに我の顔を覗き込んできた。恐ろしげな見た目をしている割に繊細な奴である。
「しっかし、今回の勇者は強かったっスね」
「ああ、単身で乗り込んでくるとは驚いたな」
「そっスね。ここ最近は三人か四人が多かったっスよね。戦士に僧侶に魔法使い。たまに武闘家、あと賢者か」
指折り数える魔獣王に、他の部下の安否を尋ねてみた。
「それで、死者王はどうした?」
「聖剣でスパーンと真っ二つ。で、大コウモリに化けて逃げてったッス」
「火竜王は無事か?」
「アイツなら、ズッタズタのギッタギタにされちまいました。あそこまでやられたら、再生は間に合わんでしょ。卵っからやり直しっスね」
「飢狼王は?」
「さあ? そこら辺で潰れて死んでんじゃないスか?」
がっはっは、と魔獣王が豪快に笑うと、「私は死んでなどいないぞ」と、頭上から良く通る声が聞こえた。頭を巡らせて声の出処を探ると、積み重なった瓦礫の山から、音も無く一人の男が舞い降りた。体格こそ人間と大差無いが、銀色の長い体毛と犬にも似たその頭部は狼を連想させる。
「生きておったか。嬉しく思うぞ」
「ありがたきお言葉。しかし、城の爆破が遅れたのは恥ずべき失態と心得ております。この飢狼王、どのような仕置きでも甘んじてお受けしましょう」
誇り高き孤狼の王が、石畳に膝を突き、頭を垂れて許しを請いた。その傷ついた身体は恥辱に震えている。
「気にするな、飢狼王よ。それよりも勇者は逃げおおせたか?」
「はっ、間違いなくこの目で見届けましてございます」
「そうか、大儀であったな。顔を上げるが良い」
「……お見苦しき故、ご容赦を」
「構わぬ。顔を上げよ、と我は言ったぞ」
躊躇しながら頭を上げた飢狼王の顔には大きな刀傷が走り、その右目は無残にも潰れていた。背後に立っていた魔獣王の鼻息が、俄かに荒くなるのを感じた。
「手酷くやられたな。飢狼王」
「こ、これは汗顔の至り。どうぞ仕置きを」
「必要無い。聖剣で受けた傷は治りが悪い。身体を労われ」
「お優しきお言葉なれど、どうか仕置きを!」
妙に喰い下がってくる餓狼王を遮るように、それまで黙っていた魔獣王が「あのぅ、魔王様」と、手を上げた。
「どうした魔獣王?」
「勇者って、生かして帰して良かったんスか? このまんまだとオレら、舐められません?」
苛立たしげに唸り声を上げる魔獣王を、片手を上げて制す。
「舐められるくらいで良いのだ。あれほどの勇者がいれば、暫くの間、人間どもは我ら魔族に怯える事無く過ごせるであろう」
「はあ、そりゃあ胸糞悪い話ですねぇ」
「十年、二十年と平穏に過ごす間に、恐怖に震えた記憶は薄れていく」
「はあ、そりゃあムカつく話ですねぇ」
「だが、死から遠ざかれば遠ざかるほどに、恐怖はより大きく育っていくものだ」
「はぁ、そんなモンですかねぇ」
首を捻る魔獣王に「平和が長く続くほどに、人間は死を恐れるようになる。魔王様は、そう仰っているのだ」と、飢狼王が付け足した。
「嘆き、苦しみ、そして恐怖……負の感情こそが我らの活力だ。時間をかけて熟成させた酒は、まろやかで美味い。貴様にも分かるだろう?」
ベロリ、と飢えた狼が舌なめずりをする。魔獣王は「ふぅーん」と、分かったような分からない様な顔をして、首をゴキリ、と鳴らした。
「まあ、オレは強ェ奴とガチで闘り合えれば、それで満足だけどな」
「はっ、良く言えたな。そのザマで」
「手前ぇこそ、よっぽどズタボロじゃねぇか。左の目ン玉もブッ潰して、バランス整えて差し上げましょうかぁ?」
「……殺すぞ」
「やってみろや」
睨みあう銀狼と牛頭の巨人。どちらも譲る気配は無いが、どちらも同じくらいに重傷で、同じくらいのバカである。
「止めんか! この馬鹿どもが!!」
一喝すると、二人は雷にでも撃たれたかのように飛び上がり、互いの顔を見合わせた。
「我が再生の眠りに就く間、誰が寝所を守ると言うのだ!」
「も、申し訳……」
「ございやせん……」
「分かれば良い。で、棺の用意は?」
はっ、今すぐに! と、弾かれたように飢狼王が瓦礫の向こうへ駆けていき、棺桶を引いて戻ってきた。
「いかがでございましょう? 一つ目巨人の名工に作らせました」
「ふむ……良い作りだが、前回みたいなのは御免だぞ。浸水して目が覚めるなど、悪い冗談だ」
「はい、その点も踏まえまして、今作は耐衝撃、完全防水仕様となっております。例え汚泥の中からでも、快適な目覚めを保障いたします」
汚泥の時点で快適では無いだろう、と苦笑いしつつ、寝心地の良さそうな棺の中に身を横たえてみる。すると、すぐに強烈な睡魔が襲ってきた。
「魔王様、此度はどれほど御休みになられますか?」
「そうだな……」
胸の傷を撫でてみる。既に出血は治まっていたが、傷はあまりにも深い。
「これほどの深手を追うのは久しぶりだ。百……いや、二百年は眠ろうか」
「かしこまりました」
「お前たちも、身体を休めるが良い。人間どもも平和に浮かれ、暫くは訪れる者もいないだろう」
「寝過ごさねーで下さいよ」
「ふっ、寝首を掻くなら今だぞ、魔獣王」
「さっきも言ったでしょ。ガチで闘わないと面白くねえって」
そうだな、と笑い返すと「では魔王様、暫しのお別れです」と、棺の蓋が閉められた。
真っ暗な棺の中で、先ほど中断した思索を再開しようと試みたが上手くいかなかった。ここには確かに闇が存在していたし、それに傷が酷く痛んだ。
我は胸に手を当てて、二百年後の世界に思いを馳せてみた。
次に目が覚めたとき、世界はどうなっているのだろう。
次に我が前に立つ勇者は、如何なる聖紋を背負っているのだろう。
次もまた我は、その次も、その次もまた我は……同じ事を繰り返すのだろうか。
これは我に科せられた罰なのか。
願わくば、どうか願わくば――――