09・『覚醒する聖紋』
パン、パパン! と、連続する短い炸裂音が岩壁に反響する。すると、頭部を吹き飛ばされた二匹の魔獣が、もんどり打ってその場に倒れ込んだ。
やった! 僕は心の中で快哉を叫んだ。さすがは『魔弾の射手』、凄い威力だ!
だが、まだ油断は出来ない。僅かに狙いが逸れたか、致命的な直撃を免れた一匹が弱々しく立ち上がるのが見えた。
「ルフナ! あと一匹、まだ息がある!」
「分かってる!」
ロレッタの声を背中に受けて、僕は走りながら盾を投げ捨て、長剣を両手に握り直した。
僕だってやれる! 剣の訓練だって受けてきたんだ。成績は下から数えた方が早いけど。
僕だって倒せる! 狩りの経験だってあるんだ。ウサギとキツネしか狩った事無いけど。
「でやあっ!」
肝心な時にネガティブな事ばっかりを言う心の声を振り払う為に気合いを入れた。
狙いは急所の首筋だ。そこを叩けば例え刃が通らなくても、人間も含めて大概の動物は動けなくなる。と、本で読んだ。
突撃しながらイノシシの短い首を目掛けて長剣を振り上げたその時、あろう事か足元がズルッと滑った。
「ンなっ!?」
ぬっ、泥濘っ!? と思った時にはもう、顔面から泥水の中にヘッドスライディングかましていた。
ぺっぺっ、とジャリジャリする苦い水を吐き出しながら立ち上がると、血相を変えてロレッタが駆け寄ってきた。
「ルフナ! 怪我は!?」
「僕は何ともない。イノシシは?」
気が付くと両手から剣が失われていた。慌てて足元を見渡すと、深々と長剣が突き刺さったイノシシが倒れていた。
「あ~良かった。足を取られてスッ転んだ時は死ぬかと思ったよ」
「え? ルフナ、転んだの、あれ?」
「え? ロレッタにはどう見えた?」
「地を這うような突進技かと」
「じゃあ、そういう事にしておいて」
「なにそれ」
僕らは顔を見合わせて笑いあった。緊張が解けたせいだろうか、おかしくて笑いが止まらない。
ようやく落ち着いてきた頃に、ひーひーと苦しそうに息を整えながら、ロレッタが指折り数え始めた。
「三匹もやっつけたから、これで15000モンの儲けだね」
「僕は殆ど役に立たなかったけど」
「そんな事無いよ。ルフナがいなかったら、こんなに上手く狙撃出来なかったよ」
ロレッタは真っ直ぐな目をして言い切った。純粋に褒めてくれているのだろう。
僕は何だか照れ臭くなってきて、足元のイノシシに目を移した。
「ところでこのイノシシ、どうやって村まで持って帰ろう?」
「さすがに私たちだけじゃ無理だよね。村の人を呼ぼうか」
「じゃあその前に、駆除した証拠にイノシシの尾でも持って帰ろう」
倒れたイノシシの前に屈んで、泥に塗れた死骸を観察してみる。
なかなかな大きさのイノシシだ。肉もいっぱい取れそうだななぁ、なんて思いつつ泥水に浸かった尻尾を掴もうとして、はたと手が止まった。この縞模様は……まさか。
「……ロレッタ、まずい」
「どうしたの、ルフナ? 変な顔して」
「これ、瓜坊だ」
「ウリボー? ウリボー、って何?」
「詳しい説明は後だ。早くここを離れよう」
困惑顔のロレッタの手を掴んで駆け出そうとした時、すぐ傍にあった立木の数本がメキメキと音を立てて倒れて込んできた。
「なっ、なに? なんなの、これ!?」
「ロレッタ、逃げろ! 親だ!!」
「おや? おや、ってなにーっ!?」
間一髪、ロレッタの身体を抱えて身を投げ出すと、僕らのいた場所に巨大な獣が飛び込んできた。
「こ、こいつは――――!?」
ずんぐりとした身体は確かにイノシシだが、身体の大きさが違い過ぎる。僕らが乗ってきた乗合馬車よりも一回り大きい。そして、禍々しく反り返った巨大な牙が、この怪物が野生の獣では無い事を証明していた。
「何でこんな低地に『大岩喰らい』が……」
高山地帯に棲んでいるはずの魔獣、ロックバイターがどうしてこんな所にいるんだ!?
でも今はそんな事を考えている場合じゃない。怒りに燃える魔獣の双眸が、逃がしはしないと叫んでいる。
「ロレッタ! とにかく逃げ――――」
立ち上がってロレッタの手を引こうとすると、彼女は座り込んだままポーチから弾丸を取り出して掌に乗せた。
「私の弾丸は外れない」
呟くロレッタの掌から鋼鉄の弾丸が放たれ、至近距離で『魔弾の射手』が炸裂した。
弾丸はロックバイターの右目を抉り、そこから噴水の様に血が噴き出した。
「やったか!?」
ヴォオオオオ――――!! と、凄まじい咆哮を上げて、ロックバイターはメチャクチャに暴れ始めた。
巨体が木々を薙ぎ倒し、岩壁が崩れて落ちてきた。
「今のうちに!」
ロックバイターが痛みに我を忘れている隙に、この場を離れるのが最善だ。
腰を抜かしてしまったのか、座り込んだままのロレッタの手を掴んで無理矢理にでも立たせようとすると、彼女は顔を歪めて短い悲鳴を上げた。
「足を痛めたのか?」
ロレッタは懸命に立ち上がろうとしていたが、痛みに耐えかねて座り込んでしまった。
「ルフナ、私は良いから逃げて」
「何言ってんだよ、ロレッタ!」
ありふれた冒険物のヒロインみたいな事を言うロレッタに、僕は本気で怒鳴り返した。これで彼女を怒鳴ったのは二回目だ。
「散々、夢なんて語ってたくせに、こんな所で諦めんのかよ!」
「でも、このままじゃ二人とも死んじゃうよ」
「僕に考えがある。『烈火の弾丸』を使うんだ」
「駄目だよ、ルフナ。『魔弾の射手』の七発目は……ごめん、私が無駄使いなんてしたから……」
ボロボロと涙を零すロレッタを見た途端、かつて折られた左腕が……肋骨が酷く痛んだ。でも、それが何だって言うんだ。
歯を食いしばれば、痛みなんていくらでも耐えられる。
拳を握り締めれば、どんな苦しみだって越えていける。
だけど、ロレッタが悲しむのだけは――――それだけは、どうしても我慢が出来ない。
「ロレッタ、良く聞いて。『魔弾の射手』の七発目が誤射するのは君のせいじゃない。あれはそういう聖紋なんだ」
ロレッタは涙でぐしゃぐしゃになった顔で僕を見上げた。
「七発目は『試しの弾丸』。例え味方を、己を貫こうとも破壊の弾丸を撃つ覚悟があるのか、『魔弾の射手』が試しているんだ」
「……私には出来ない。ルフナが死んじゃう。ルフナが死んだら私も死ぬ」
子供みたいに、いやいやと首を振るロレッタの姿が、棒で打たれる僕を見て、泣き叫んでいた幼い頃のロレッタと重なった。
「ロレッタの為だったら、僕はどんな痛みにだって耐えられるんだ。嘘じゃないって知ってるだろ?」
僕はロレッタのポーチに手を突っ込み、『烈火の弾丸』を取り出した。
「撃つんだ、ロレッタ。二人で生きて帰る為に」
ロレッタの手に『烈火の弾丸』を乗せると、彼女は嗚咽を上げながら、赤い弾丸を握り込んだ。
「僕があいつに取り付いたら撃つんだ。良いね」
ロレッタがしっかりと頷いたのを見届けて、僕は暴れ回る魔獣を睨み付けた。
怖くなんて無い……なんてワケが無い。
Bランク聖紋『魔弾の射手』だぞ!? 鉄兜に大穴空けんだぞ!? イノシシの頭、一発で吹っ飛ばすんだぞ!?
また僕の中のネガティヴが騒ぎ始めた。
頭を振って振り払おうとすると、どこからか声が聞こえた気がした。
――――何があっても逃げなさい
不思議な声を耳にした途端、足が勝手に後ずさった。
――――そうしないと死んでしまうわ
恐怖とか、そう言う類の物じゃない。身体が誰かに乗っ取られたかの様に動いた。
太腿を何度も叩いても、じりじり後ずさる足が止まらない。
――――死んでしまうわ
「畜生! 何なんだよ、これ!?」
聖紋は薄いし、剣だって上手く扱えない。だけど、僕には死んだって譲れない物があるんだ!
気が付くと、ツールナイフが右手にあった。どうした事だろう、ナイフは発熱しているようだった。
――――ああ、そうか。そういう事か。
僕は躊躇いもなく、熱いナイフを太腿に突き立てた。
「痛うっ!」
灼熱感に声が漏れる。だけど、そのおかげで全身を支配していた呪縛が解けた。
僕はナイフを投げ捨てて、迷い無くロックバイターへ飛び掛かった。
「ロレッタ! 今だ!!」
炸裂音のすぐ後に、全身を激しい衝撃が襲った。
ロレッタの悲鳴が聞こえた気がした。そして、猛る炎が僕と魔獣を包み込んだ。
真っ赤に染まった視界の中で、ロックバイターが炎に苛まれ、苦しみ悶えている。
大成功だ。さすがはロレッタ。さすがは自慢の幼馴染。
不思議と苦しみは感じなかったけど、意識が遠退いていく。なのに、むしろ暴れ回る勢いを増したロックバイターの凄まじいまでの生命力は、まだ尽きようとはしていないかった。
燃え盛る炎に包まれて巨大な火の玉のようになったロックバイターが、ロレッタに向かって突進するのが見えた。
「逃げて……ロレッ……タ」
最後の力を振り絞って魔獣の尾に手を伸ばす僕の目を、沈みかけた西日が灼いた。
昼間はポカポカ優しい陽射しが、今はあんなに赤くて、大きくて。
手を伸ばせば、掴めそうな――――
どくん、と鼓動が強く鳴った瞬間、右手に煌めく光が宿った。後はもう夢中だった。
「ロレッタに――――」
ベイゼルをブチのめしたイオの姿を思い出して、拳を強く握り込む。
「触るんじゃねえ!!」
輝く拳を思いっきりロックバイターに叩きつけると、眩い光が弾け飛び、世界が真っ白になった。
僕の拳は届かなかったのか? 手応えが全く無い。
目が眩んで何も見えない僕に届いたのは、水が蒸発する時のジュワッと言う音と、何かが焼け焦げた時の苦い臭い。
「僕は……? 一体何が……」
何がどうなったのか分からないけど、もう指の一本も動かせそうに無い。
僕はそのまま前のめりに倒れ込んでしまった。
「ルフナ! 死んじゃ嫌だよ、ルフナ!」
ロレッタの声が聞こえる。ああ、良かった、無事だったんだな。
「ルフナ、安心しろ。もう大丈夫だ」
その声は……デュセリオ?
ごめん、もう弁当温める気力は無いよ。
たまには冷たくても美味しい物を弁当に――――
後日譚に続きます。




