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電気工学科の学生だったころ

作者: t-n

わたしが電気工学科で勉強したのは、いろいろあったはずなのに。思い出せるのはみんなに遅れてリレー接続のキットを組み立てて、しかも動作しなかったことだなんて。ほかにも、電気配線で小さな部品から発生する熱をひとつひとつ計算に入れながら設計することとか。でも、先生が教えてくれたことは、学校以外のどこにも同じことを言っているひとがいた記憶がない。電気がどうやって流れているかなんて、知らないで生きているひとのほうが多いとわたしは思う。

さて、わたしは学校に行かなかったらどうだったかを最近考えている。行かなかったら、わたしはその時間をべつのことに使っていただろう。あの日々を思い出してみる。いやなこともよかったことも。いろいろあったはずの思い出。何人かの友達。学校を卒業してからも何度か同級生と街中で出会った。ひとりは、そのまま工場に働きに行き、ひとりはエレベータの機械を製品としてあつかう有名企業へ行ったらしい。

長かったはずの日々。いま思い出しても、あまり語ることがない。たぶん、わたしはなにも印象に残るようなことを学校でしていないのだろう。

学生時代。そこで得た知識は、本を読んでみてもたぶん得られるような内容だと思う。そして、特に電気工学のような科学の進展によって時代遅れの知識が発生する分野は、どうだろう。わたしが通っていた頃ですら、先生が企業から招待されて来ていて、即刻役立つ知識を教えることに学校もチャレンジしていた。パソコンの授業というのもあったけれど。ほとんどの生徒は、パソコンのプログラミングということを経験していなかった。それでも、ついて来れるひとだけがついてくればいいと教師は言った。パソコンは通電するとかなりの排熱があるので、教室はパソコンがある部屋ではエアコンで冷房があった。快適ではあった。もっとおもしろく授業を受けることもできたのかもしれない。同級生のなかには、放課後の時間に教師の雑用を手伝い、雑学を教えてもらっているひともいた。資料を分厚いまま裁断する手動の機械を使用して忙しく教師の手伝いをしていた。パソコンのある部屋のよこの教師専用の部屋で。結局、そういうところに表れるやる気が教師の評価を受ける理由なのだろう。

こうやって考えてみると、教室が立派で設備が整っていたとか、やり手の同級生のごますりが印象に残っていたりと、授業で得たのは教科書の知識以外のなにかだったと思える。学校には、水泳の授業はないのにプールが整備されていた。わたしはなぜだったか忘れたが水泳部の生徒に連れられてプールを見に行った。立派なプールは、水泳部の数人の生徒のために満々と水が入れられていた。あの生徒たちがいま考えてみれば、一番に学費をプールの水として利用価値のあるものに換え、学生生活を満喫していたのではないだろうか。

いなかのほうにある学校だったためか、ひとと仲良くなろうとしている態度の学生も多く、それは良いことだったと思う。なぜ、いなかではひとと仲良くするのか。そして、都会ではどうなのか。ひとと接する機会というのは、都会のほうが多い。でも、長くおなじひとたちと暮らすのはいなかのひとたちだろう。それは違うと言われそうだけれど、わたしはそう感じた。刺激的な生活を求めて都会に行くというのがその時代に流行していた。テレビの影響もあった。いなかでは体験できない出世が都会ではできた。都会に出てテレビに出演できるような芸能人や歌手になるという夢。芸術家のような仕事。当時、いまのようにインターネットがなかったため、夢として語られていたすべて。物知りのひとに言わせれば、自分で歌手のようにインターネットで公開すれば、どうだろうかと現代はなっている。合理的で途中の仕組みも飛ばしていて、好きなことが好きな時間でできていいし、誰にも否定も肯定もされないまま、結果が分かる。手軽さ。わたしはそうしたインターネットの時代のひとむかしまえのコンピュータを勉強していた。高額でめずらしかったコンピュータが、いまではなんのためらしいもなくだれもが持つ必需品となった。五十万円くらいで、まず一台のパソコンを買ってから、周辺機器などもそれから買うという世界だった。でも、安いものもあった。電気店のすみのほうのコーナーに趣味の製品という感じでパソコンが置かれているところもあった。でも、なんだか暗いイメージでこどもが部屋にこもって、わけの分からないものをいじっているという否定的な語り口もあった。技術の進展と、インターネットという明るい話題も込められる家族の必需品的役割が加わり、コンピュータは世界を変えた。

社会的な生き物としての人間。そのつながりを意識しながら毎日をわたしたちは生きている。そこに機械が入り込み、手のなかに収まるほどになった。その機械の製品としての価値は、むかしの軍事的レベルの精度も簡単に超えている。夏も冬も、意識せずに画面をさわれば、適度に明るい画像が現れる。目に見えないはずの電波が空間をうめつくす感覚。

ここまでのわたしの思い出をまとめてみる。学校に行かなければ、学生生活がどんなものだという物語は他人事だ。有能な生徒がどうやって人間関係をうまく立ち回るか。まだ学生のときに、すぐそばでそういう動向をみてまわれる。そして、とくべつに優秀だったはずなのに、それがあまり人生に生かされていない場合もあることがわかるときもある。評価というのは、やはり人間的な感情が入ってくるもので、嫌いな生徒は露骨なほど嫌いで、理由があれば教室から追い出すことを実際にする教師もいた。上下関係があり、理由を悩み、苦痛に満ちた時間があり、すべてを忘れるために時間が必要だ。

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