優しい贈り物
私が中学二年生の時、父が再婚した。
母とは、小さい頃に離婚したらしい。
理由は知らない。
聞いたこともない。
母とは、それ以来一度も会っていなかった。
だから私にとっての家族は、ずっと父ひとりだった。
遠足も。
運動会も。
授業参観も。
いつだって父が来てくれた。
仕事で疲れているはずなのに、朝早く起きてお弁当も作ってくれた。
でも父の作るお弁当は、いつも茶色かった。
焦げた卵焼き。
少ししょっぱい唐揚げ。
冷凍食品。
茶色いおかずばかり。
「ごめんな。男の弁当だから、茶色いな」
照れくさそうに笑う父に、私は首を横に振った。
本当は、それだけでも十分嬉しかった。
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遠足のお昼。
レジャーシートを敷いて、班ごとにお弁当を広げる。
「見て見てー!」
友達がお弁当箱を開くたび、歓声があがった。
卵焼きに、タコさんウインナー。
ハートの形のにんじん。
色とりどりのおかずが、綺麗に並んでいる。
私はそっと自分のお弁当を開いた。
焦げた卵焼き。
茶色い唐揚げ。
冷凍食品。
いつものお弁当。
少しだけ恥ずかしくなって、私はそっと蓋を半分閉じながら食べた。
本当は、父が朝早く起きて作ってくれたって分かっていた。
でも、少しだけ羨ましかった。
家に帰った夜。
夕飯を食べながら、私は何気ないふりをして言った。
「みんなのお弁当、カラフルで美味しそうだった」
父の箸が、一瞬だけ止まる。
少し悲しそうな顔をしたあと、父はすぐ笑った。
「そっか」
それから、子どもみたいに笑う。
「じゃあ次は、楽しみにしとけ」
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次の遠足の日。
まだ眠たい目をこすりながらリビングへ行くと、台所からじゅうっと何かを炒める音が聞こえてきた。
「起きたか」
父はエプロン姿のまま振り返る。
フライパンの中では、バターで炒められたミックスベジタブルが湯気を立てていた。
甘いコーンの匂い。
少し焦げたバターの匂い。
父は真剣な顔で、お弁当箱にそれをぎっしり詰めていく。
「今日はちゃんとカラフルだからな」
どこか誇らしそうに笑う父を見て、私は思わず吹き出しそうになった。
ご飯の上いっぱいに敷き詰められたミックスベジタブル。
その横には、焦げた卵焼き。
ブロッコリー。
ミニトマト。
唐揚げ。
たぶん父なりに、一生懸命“カラフル”を考えてくれたんだと思う。
不器用な大きな手で。
慣れない料理をしながら。
その姿を想像した瞬間、胸の奥がじんわり熱くなった。
「すごい量のミックスベジタブル!」
友達に笑われて、私も笑った。
でも嫌じゃなかった。
私は、大嫌いだったミニトマトを口に入れた。
ミックスベジタブルも、全部食べた。
帰って空っぽになったお弁当箱を見た父は、少し照れくさそうに聞いた。
「……どうだった?」
私は小さく頷く。
「おいしかった」
父は、子どもみたいに嬉しそうに笑った。
あの笑顔が、今でも忘れられない。
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父との幸せな時間は、ずっと続くものだと思っていた。
中学生になって、友達と遊ぶ時間が増えても。
反抗期で少し口数が減っても。
帰れば、父がいた。
「おかえり」
その声があるだけで、安心できた。
だから私は、父とふたりの生活がずっと続くと思っていた。
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「今度の日曜、夜空いてるか?」
夕飯のあと、父が少し落ち着かない様子で聞いてきた。
珍しく何度もお茶を飲み直している。
「……別に空いてるけど」
「じゃあ、外でご飯食べよう」
その言い方で、なんとなく分かった。
父が緊張している。
何か大事な話がある。
日曜日。
連れて行かれたのは、駅前の小さなレストランだった。
父は落ち着かない様子で何度も水を飲んでいる。
しばらくして、店のドアが開いた。
「ごめんなさい、遅れちゃって」
柔らかく笑う女性が、父の隣に座る。
その瞬間、胸の奥がざわついた。
父が、少し照れくさそうに言う。
「あかね。紹介したい人がいる」
「幸子です。よろしくね」
優しそうな人だった。
でも私は、うまく笑えなかった。
父を取られる気がした。
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家に帰ると、父が静かに言った。
「あかねが嫌なら、再婚しない」
その言葉に胸が苦しくなる。
困ったように笑う父を見て、私は小さく首を振った。
「……いい人そうだね」
「良かったね」
父は安心したように笑った。
その顔を見て、少しだけ後悔した。
本当は、まだ嫌だったから。
幸せになってほしい。
でも私だけのお父さんでいてほしい。
そんな子どもみたいな気持ちを、私はずっと抱えたままだった。
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父と幸子さんは、結婚式を挙げなかった。
身内だけの小さな食事会。
幸せそうに笑う父を見ながら、私はどこか遠い場所にいる気がしていた。
嬉しい。
でも苦しい。
その気持ちを、うまく言葉にできなかった。
だから私は、幸子さんに素っ気ない態度しか取れなかった。
「ねえ」
「あのさ」
用事がある時も、“お母さん”とは呼べなかった。
高校生になる頃には、もっとひどくなった。
部屋を勝手に片づけられるだけでイライラした。
洗濯物を触られるのも嫌だった。
父と幸子さんが楽しそうに話していると、なぜか胸がざわついた。
悲しくて。
苦しくて。
でも、その感情をどうしたらいいのか分からなかった。
きつく当たる日もあった。
無視する日もあった。
「家族じゃない」
「出ていってよ」
怒鳴ってしまったこともある。
そのたびに幸子さんは、少しだけ寂しそうに笑って、静かに俯いた。
でも次の日の朝になると、いつも通りだった。
「お弁当作ってあるよ」
「行ってらっしゃい」
帰れば、
「おかえり」
何事もなかったみたいに、優しく笑ってくれた。
無視されても。
冷たくされても。
ずっと。
本当は、分かっていた。
大事にされていること。
愛されていること。
ちゃんと伝わっていた。
でも、素直になれなかった。
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大学受験の日。
「頑張ってね」
玄関で幸子さんが小さく笑った。
私はぶっきらぼうに、
「うん」
とだけ返した。
本当は、ありがとうって言いたかった。
合格発表の日。
自分の番号を見つけた瞬間、涙が出た。
父は子どもみたいに喜んで、幸子さんも泣きながら、
「良かったねぇ……!」
と言ってくれた。
でも私は、照れくさくて何も言えなかった。
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それから月日は流れ、私は社会人になった。
好きな人ができて、結婚することになった。
結婚式当日。
白いドレスを着て、扉の向こうにいる父の姿を見た瞬間、胸がぎゅっと苦しくなった。
少し白くなった髪。
泣きそうなのを我慢している顔。
いろんな記憶が、一気に溢れてくる。
焦げた卵焼き。
茶色いお弁当。
ミックスベジタブル。
「行ってらっしゃい」
「おかえり」
ずっと、家族でいてくれた時間。
披露宴の最後。
両親への挨拶の時間が来た。
手紙を持つ手が震える。
でも、どうしても伝えたいことがあった。
私は幸子さんを見た。
黒留袖姿の幸子さんは、もう泣きそうな顔で笑っていた。
その顔を見た瞬間、もう駄目だった。
涙が溢れる。
声が震える。
「お母さん……ありがとう」
会場が静まり返る。
幸子さんの目が、大きく揺れた。
「ずっと、生意気な態度ばっかりで、ごめんね……」
涙で前が見えない。
「お父さんのこと、よろしくお願いします」
ずっと言えなかった。
ずっと呼べなかった。
お母さん。
幸子さんは顔を覆い、その場で泣き崩れた。
「ありがとう……」
「幸せになってね……」
「ありがとう……」
何度も。
何度も。
涙で声を詰まらせながら。
隣では、父も静かに泣いていた。
私は涙で滲む視界の向こうに、父の顔を見る。
あの日。
“カラフルなお弁当”を作ろうとしてくれた父と、同じ顔だった。
不器用で。
まっすぐで。
優しくて。
胸の奥が、あたたかく痛む。
帰る場所は、ずっとここにあったんだ。
そう思った瞬間、また涙が溢れた。
会場の灯りが、ぼやけて滲む。
その隣で、
黒留袖姿の母が、泣きながら笑っていた。
母を知らなかった私に。
父がくれた、
“母”という名の、優しい贈り物だった。




