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優しい贈り物

作者: 香月 深青
掲載日:2026/05/22


私が中学二年生の時、父が再婚した。


母とは、小さい頃に離婚したらしい。


理由は知らない。


聞いたこともない。


母とは、それ以来一度も会っていなかった。


だから私にとっての家族は、ずっと父ひとりだった。


遠足も。


運動会も。


授業参観も。


いつだって父が来てくれた。


仕事で疲れているはずなのに、朝早く起きてお弁当も作ってくれた。


でも父の作るお弁当は、いつも茶色かった。


焦げた卵焼き。

少ししょっぱい唐揚げ。

冷凍食品。

茶色いおかずばかり。


「ごめんな。男の弁当だから、茶色いな」


照れくさそうに笑う父に、私は首を横に振った。


本当は、それだけでも十分嬉しかった。


---


遠足のお昼。


レジャーシートを敷いて、班ごとにお弁当を広げる。


「見て見てー!」


友達がお弁当箱を開くたび、歓声があがった。


卵焼きに、タコさんウインナー。


ハートの形のにんじん。


色とりどりのおかずが、綺麗に並んでいる。


私はそっと自分のお弁当を開いた。


焦げた卵焼き。


茶色い唐揚げ。


冷凍食品。


いつものお弁当。


少しだけ恥ずかしくなって、私はそっと蓋を半分閉じながら食べた。


本当は、父が朝早く起きて作ってくれたって分かっていた。


でも、少しだけ羨ましかった。


家に帰った夜。


夕飯を食べながら、私は何気ないふりをして言った。


「みんなのお弁当、カラフルで美味しそうだった」


父の箸が、一瞬だけ止まる。


少し悲しそうな顔をしたあと、父はすぐ笑った。


「そっか」


それから、子どもみたいに笑う。


「じゃあ次は、楽しみにしとけ」


---


次の遠足の日。


まだ眠たい目をこすりながらリビングへ行くと、台所からじゅうっと何かを炒める音が聞こえてきた。


「起きたか」


父はエプロン姿のまま振り返る。


フライパンの中では、バターで炒められたミックスベジタブルが湯気を立てていた。


甘いコーンの匂い。


少し焦げたバターの匂い。


父は真剣な顔で、お弁当箱にそれをぎっしり詰めていく。


「今日はちゃんとカラフルだからな」


どこか誇らしそうに笑う父を見て、私は思わず吹き出しそうになった。


ご飯の上いっぱいに敷き詰められたミックスベジタブル。


その横には、焦げた卵焼き。


ブロッコリー。


ミニトマト。


唐揚げ。


たぶん父なりに、一生懸命“カラフル”を考えてくれたんだと思う。


不器用な大きな手で。


慣れない料理をしながら。


その姿を想像した瞬間、胸の奥がじんわり熱くなった。


「すごい量のミックスベジタブル!」


友達に笑われて、私も笑った。


でも嫌じゃなかった。


私は、大嫌いだったミニトマトを口に入れた。


ミックスベジタブルも、全部食べた。


帰って空っぽになったお弁当箱を見た父は、少し照れくさそうに聞いた。


「……どうだった?」


私は小さく頷く。


「おいしかった」


父は、子どもみたいに嬉しそうに笑った。


あの笑顔が、今でも忘れられない。


---


父との幸せな時間は、ずっと続くものだと思っていた。


中学生になって、友達と遊ぶ時間が増えても。


反抗期で少し口数が減っても。


帰れば、父がいた。


「おかえり」


その声があるだけで、安心できた。


だから私は、父とふたりの生活がずっと続くと思っていた。


---


「今度の日曜、夜空いてるか?」


夕飯のあと、父が少し落ち着かない様子で聞いてきた。


珍しく何度もお茶を飲み直している。


「……別に空いてるけど」


「じゃあ、外でご飯食べよう」


その言い方で、なんとなく分かった。


父が緊張している。


何か大事な話がある。


日曜日。


連れて行かれたのは、駅前の小さなレストランだった。


父は落ち着かない様子で何度も水を飲んでいる。


しばらくして、店のドアが開いた。


「ごめんなさい、遅れちゃって」


柔らかく笑う女性が、父の隣に座る。


その瞬間、胸の奥がざわついた。


父が、少し照れくさそうに言う。


「あかね。紹介したい人がいる」


「幸子です。よろしくね」


優しそうな人だった。


でも私は、うまく笑えなかった。


父を取られる気がした。


---


家に帰ると、父が静かに言った。


「あかねが嫌なら、再婚しない」


その言葉に胸が苦しくなる。


困ったように笑う父を見て、私は小さく首を振った。


「……いい人そうだね」


「良かったね」


父は安心したように笑った。


その顔を見て、少しだけ後悔した。


本当は、まだ嫌だったから。


幸せになってほしい。


でも私だけのお父さんでいてほしい。


そんな子どもみたいな気持ちを、私はずっと抱えたままだった。


---


父と幸子さんは、結婚式を挙げなかった。


身内だけの小さな食事会。


幸せそうに笑う父を見ながら、私はどこか遠い場所にいる気がしていた。


嬉しい。


でも苦しい。


その気持ちを、うまく言葉にできなかった。


だから私は、幸子さんに素っ気ない態度しか取れなかった。


「ねえ」


「あのさ」


用事がある時も、“お母さん”とは呼べなかった。


高校生になる頃には、もっとひどくなった。


部屋を勝手に片づけられるだけでイライラした。


洗濯物を触られるのも嫌だった。


父と幸子さんが楽しそうに話していると、なぜか胸がざわついた。


悲しくて。


苦しくて。


でも、その感情をどうしたらいいのか分からなかった。


きつく当たる日もあった。


無視する日もあった。


「家族じゃない」


「出ていってよ」


怒鳴ってしまったこともある。


そのたびに幸子さんは、少しだけ寂しそうに笑って、静かに俯いた。


でも次の日の朝になると、いつも通りだった。


「お弁当作ってあるよ」


「行ってらっしゃい」


帰れば、


「おかえり」


何事もなかったみたいに、優しく笑ってくれた。


無視されても。


冷たくされても。


ずっと。


本当は、分かっていた。


大事にされていること。


愛されていること。


ちゃんと伝わっていた。


でも、素直になれなかった。


---


大学受験の日。


「頑張ってね」


玄関で幸子さんが小さく笑った。


私はぶっきらぼうに、


「うん」


とだけ返した。


本当は、ありがとうって言いたかった。


合格発表の日。


自分の番号を見つけた瞬間、涙が出た。


父は子どもみたいに喜んで、幸子さんも泣きながら、


「良かったねぇ……!」


と言ってくれた。


でも私は、照れくさくて何も言えなかった。


---


それから月日は流れ、私は社会人になった。


好きな人ができて、結婚することになった。


結婚式当日。


白いドレスを着て、扉の向こうにいる父の姿を見た瞬間、胸がぎゅっと苦しくなった。


少し白くなった髪。


泣きそうなのを我慢している顔。


いろんな記憶が、一気に溢れてくる。


焦げた卵焼き。


茶色いお弁当。


ミックスベジタブル。


「行ってらっしゃい」


「おかえり」


ずっと、家族でいてくれた時間。


披露宴の最後。


両親への挨拶の時間が来た。


手紙を持つ手が震える。


でも、どうしても伝えたいことがあった。


私は幸子さんを見た。


黒留袖姿の幸子さんは、もう泣きそうな顔で笑っていた。


その顔を見た瞬間、もう駄目だった。


涙が溢れる。


声が震える。


「お母さん……ありがとう」


会場が静まり返る。


幸子さんの目が、大きく揺れた。


「ずっと、生意気な態度ばっかりで、ごめんね……」


涙で前が見えない。


「お父さんのこと、よろしくお願いします」


ずっと言えなかった。


ずっと呼べなかった。


お母さん。


幸子さんは顔を覆い、その場で泣き崩れた。


「ありがとう……」


「幸せになってね……」


「ありがとう……」


何度も。


何度も。


涙で声を詰まらせながら。


隣では、父も静かに泣いていた。


私は涙で滲む視界の向こうに、父の顔を見る。


あの日。


“カラフルなお弁当”を作ろうとしてくれた父と、同じ顔だった。


不器用で。


まっすぐで。


優しくて。


胸の奥が、あたたかく痛む。


帰る場所は、ずっとここにあったんだ。


そう思った瞬間、また涙が溢れた。


会場の灯りが、ぼやけて滲む。


その隣で、


黒留袖姿の母が、泣きながら笑っていた。


母を知らなかった私に。


父がくれた、


“母”という名の、優しい贈り物だった。

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