第5話:もちろん俺は抵抗するで
思い出したくなかった理由は、殴ったことそのものじゃない。
その後に待っていた、耐えがたい「続き」のせいだ。
職員室に連れて行かれ、そのまま「職員会議での事情説明」という、聞いたこともない場所に放り込まれた。
長机が整然と並び、教師たちがずらりと座っている。その中央に、俺と主犯格と取り巻きたち。
逃げ場のない、完全な公開処刑だった。
「で、何があったのか説明しなさい」
担任に促され、取り巻きたちが口を開いた。
「あの、じゃれてただけなんです」
「そしたら急に、あいつが……」
ここまでは、まだよかった。よくある光景だ。
問題は、その次だった。
「なんか変なこと言いながら避けて……」
「それで……こう……」
――やめろ。
嫌な予感が、背筋を駆け上がる。
「『もちろん俺は抵抗するで』って言って……」
やめてくれ。
「こうやって……」
取り巻きの一人が、身振り手振りで「再現」を始めた。
会議室の端まで下がり、助走の動作をして、俺が避けた動きをして。
そして――。
「『 拳 で 』って……」
会議室の空気が、凍りついた。
担任は、深いため息をついた。他の教師たちは怒っているというより、どう反応していいか分からないという困惑の表情を浮かべている。
ただ一人。
若手の先生だけが、必死に笑いを堪えていた。
肩を小刻みに震わせ、下を向いている。それが、俺にとっては致命的だった。
(……やめてくれ。死ぬ、恥ずかしさで死ぬ)
その後、この問題は担任が以前から危惧していた「いじめ案件」だったこともあり、先生が俺のフォローに回ってくれた。
結果は――喧嘩両成敗。
表向きは、それで終わったはずだった。
だが、終わっていなかった。
次の日から、学校中に噂が広まった。
「あのいじめっ子を撃退したらしいぞ」
「いや、俺はじゃれてただけだからな? 今まで通り仲良くしような?」
そんな怯えと嘲笑が混ざった声が飛び交う中、決定的な追い打ちが来た。
誰が言い出したのかは分からない。
俺のあだ名は、その日から――「拳で」になった。
しかも、例の動画を知っている連中が、ニヤニヤしながら寄ってくる。
「あれやってよw」
「抵抗してよw」
(……思い出したくないわけだ)
場面が切り替わる。
映画館のスクリーンに、巨大な数字が表示された。
20。
19。
18――。
カウントダウンだった。
そのとき、スクリーンの後ろから足音が響いた。振り返ると、そこにはもう一人の「俺」がいた。
中学の頃の、あの腫れ上がった拳を握りしめた俺だ。
「もう分かるよな?」
「……何が」
「理不尽に対抗する、最適解」
俺は少し考えて、これまでの人生で学んできた「模範解答」を探した。
「冷静になることか?」
「対等な土俵に持ち込むことか?」
「その場を収めるため、とりあえず謝ることか?」
中学の俺は、首を横に振った。
「ちがう、ちがう、そうじゃあ、そうじゃなあい」
そして、真っ直ぐに俺を見て言った。
「抵抗するんだよ」
――それは、どう考えても昭和的な、古臭い答えだった。
正しいとは限らない。むしろ現代では、ただの短絡的な暴力解決だ。
だが同時に、俺は思い出していた。
理不尽な奴らは、ある日突然、理不尽になるわけじゃない。
最初から、ずっと理不尽だったのだ。
いじめの主犯格は、子供の頃からそういう奴だった。
大学にいたリア充は、二股をかける最低な男なのに、なぜかミスコン一位と付き合っていた。
会社の上司は、二十年前からあんなだったと、先輩が苦笑いで教えてくれた。
金持ちのインフルエンサーは、その存在そのものが社畜にとっての理不尽だった。
そんな連中に対抗する最適解なんて、綺麗な言葉で出るわけがない。
スクリーンの数字が――5になる。
答えは、もう分かっていた。
それでも、俺はあえて、あの動画の台詞をなぞって聞き返した。
「……どうてい抗すんねん」
中学の俺と、同時に動く。
右手と左手の拳を、迷いなく、思い切り合わせる。
そして。
『『 拳 で 』』
スクリーンのカウントが――0になった。




