第8話:ジュリジュリと魔女の国
――森の中――
俺は戸惑いながら、スマホを拾い上げた。
――いやいや、なんで今まで気づかなかったんだよ、俺。
そういえばテストが終わったあと、飯も食わずにベッドへ倒れ込み、そのまま寝落ちしたんだった。
だからスマホはポケットの中。
異世界に来てからは、新魔法だのラァラだの大男だの……怒涛の展開に振り回され、すっかり存在を忘れていた。
――最初からこれ出しとけば、一発で『異世界から来ました』って証明できてたんじゃないか?
自分の間抜けさに呆れつつも、気を取り直してパオタロとエミリにスマホの機能を簡単に説明した。
ふたりは未知の機械に目を丸くしながら、恐る恐る画面をなぞり、小さく息を呑んだ。
ラァラも興味津々で、横から覗き込んでくる。
こうして――俺が本当に『転移者』だったことは、拍子抜けするほどあっさり証明された。
それを受けて、エミリはすぐさまシシンへ向けて魔鳩を飛ばす。
……問題は、ここからだった。
『転移者』と判明した瞬間、俺の立場は劇的に変わった。
“怪しい奴” から一転――なぜか救世主みたいに扱われ始めたのだ。
「ヒカル様、どうぞ私のことはエミリとお呼びください!
お困りのことがありましたら、なんでもお申し付けくださいっ!」
エミリに至っては、当然のように『様』付け。
まぶしいほど敬意に満ちた眼差しを向けてくる。
――いや、いきなり『様』とか言われても居心地悪いんだよなぁ……。
「まあ、『転移者』って話自体は認めてやる。
だが俺はまだお前を信用したわけじゃない。じっくり観察させてもらうからな」
一方でパオタロは、『転移の間』を通じて正式に召喚された転移者ではないという理由から、相変わらず『お前』呼ばわりだ。
「ヒカル様、本当に申し訳ありません。パオタロはいつもこんな調子でして……。
どうぞ遠慮なく、彼のことも『お前』呼ばわりしてくださいね?」
いきなりの提案に言葉を失う。
「いや、それは……さすがに言いづらいって」
だが――話を聞くと、二人とも俺と同い年ということがわかった。
それなら呼び捨てでいこう、ということでまとまったものの……
エミリだけは、どうしても“様”を外してくれないようだ。
そんなやり取りをしていると、エミリの魔鳩がシシンの伝言を持って戻ってきた。
「シシン隊長からの伝言です。三日後に『属性解放の儀』が執り行われます。
ぜひヒカル様にもご参加いただき、この国の未来に新しい希望を示していただきたい、とのことです」
戻ってきた魔鳩を受け取りながら、エミリは真剣な表情でそう告げた。
――属性解放の儀、か……。
実際、願ったり叶ったりってやつだよな。
属性を解放しなければ、強力な魔法は使えない。
たしか、あの変なオッサンもそんなことを言っていた。
だけど、一つ問題がある。
それは、あのオッサンに『君の能力は期待外れだ』と、散々な評価をされてしまったことだ。
もしその事実が今ここで知られたら――
『属性解放の儀』への招待が取り消される可能性がある。
せっかく掴んだチャンスを失うなんて、絶対に嫌だ。
――……黙っておくしかないよな、これは。
「うん……俺にどれだけの力があるかは分からないけど、『属性解放の儀』には参加させてもらうよ」
「大丈夫ですよ、ヒカル様!
これまで召喚された転移者様は、みな素晴らしい才能をお持ちでしたから!」
「……え、そうなの?」
驚いて問い返すと、エミリは嬉しそうに微笑み、こくりと頷いた。
「はい!
これまでの転移者様はいつも、その国が“最も必要としている力”を授かって現れているんです。
だからヒカル様もきっと特別な――『光属性』の力を授かっているんじゃないかって、私はそう思っているんです!」
「光属性……?
そんな属性、この世界にあるのか? 火・水・土・風の四つだけって聞いたけど」
「あ……普通はそうですね。
でも、この国には“特別な事情”があるんです」
エミリは少し躊躇うように言葉を切った。
俺が不思議そうに彼女を見つめると、彼女は小さく息を吐き、続けた。
「実はこのシングウ王国は、かつて“魔女”が率いるアルグランド王国に突然侵攻され、滅亡寸前まで追い込まれたんです。
その時、この国を救ったのが“大賢人”と呼ばれる謎の人物でした」
「大賢人……?」
「はい。その方が国全体を覆う『大結界』を張り巡らせ、魔女を封印したんです。
ですが大賢人は“いずれ結界は崩壊し、魔女も復活するだろう”と言い残し、姿を消しました。
そして――魔女の“闇属性”に対抗できる最も有効な力が『光属性』だとも」
息を呑んだ。
――魔女とか封印とか大結界とか……。
なんだかいきなり、スケールが大きすぎる話になってきたぞ。
その瞬間、脳裏にひっかかっていたラァラの言葉が蘇る。
『この国は、ジュリジュリが作った『大結界』で守られてるから特別なんだよ』
――……え?
ってことは――その『ジュリジュリ』ってやつが……
エミリの言う“大賢人”ってことなのか……?
混乱で頭がぐるぐるし、俺は隣のラァラをまじまじと見つめた。
ラァラは俺の袖をぎゅっと掴んだまま、気まずそうに俯いていた。
その仕草が、逆に何より分かりやすい。
エミリはそんな空気に気づかず、微かに頬を赤らめて言葉を続ける。
「実は私たち――“青の制服”の王血部隊・二期生も、三日後の『属性解放の儀』に参加するんです。
だから、その……ヒカル様と同じ日に受けられるのが、ちょっと嬉しくて……」
エミリが照れたような微笑みを見せ、その言葉を言い終えた瞬間だった――。
「グルァァァァァッ!」
突如、鋭い咆哮が森の静寂を切り裂いた。
茂みが激しく揺れ、先ほどの魔獣より二回りは小さい――しかし巨大なイノシシほどの魔獣が牙を剥き、突っ込んできた。
「ヒカル様、ラァラちゃん、私の後ろへ!」
エミリが咄嗟に二人を庇うように立ちはだかる。
「パオタロ!」
「ああ、わかってる!」
パオタロはすでに剣を抜き、魔獣へと駆けだしていた。
鋭く振り下ろされた剣先が光を裂く――
「おらぁっ!」
だが魔獣は驚くほど素早く、その一撃を紙一重で回避した。
「チッ、速いな……!」
パオタロが一瞬体勢を崩す。
「そこっ!」
エミリの炎が魔獣を捉えた――はずだったが、
「グルゥゥゥ……!」
属性解放を終えていない彼女の魔法は明らかに火力不足だった。
毛皮を少し焦がしただけで、ほとんど効いていない。
「ダメだっ、エミリ! 牽制にすらなってない!」
「そうみたいね……魔法陣を使うしかないわ!」
「わかった、俺が時間を稼ぐ」
そのやり取りの間、ラァラが俺の袖をそっと引っ張った。
「……ん? どうした?」
ラァラは声を震わせ、小さく首を振った。
「ラァラ……やっぱりこの人たちと一緒にいるの怖いよ……。
お願い、二人で逃げよう?」
「逃げるって……どうしたんだよ、ラァラ。
こんな魔獣が出る世界で、俺たち二人だけで逃げても生き抜けないだろ?」
ラァラは迷ったように唇を噛み、
そして――覚悟を決めたように絞り出した。
「……実は私、アルグランド王国から来たの」
一瞬、鼓動が止まった気がした。
――アルグランドって……
さっきエミリが言ってた、“魔女が支配してた国”じゃないか……?
そんなヤバい国から――
ラァラが来てた……?
驚きで声も出ない俺を見上げながら、ラァラは震える声で続ける。
「でも、この国の人たちはアルグランド王国のことを憎んでるでしょ?
だから……もしバレたら、ラァラ……この人たちに殺されちゃうかもしれない……」
うるんだ瞳が、すがるように俺を捉える。
袖を握る指は、必死すぎるほど震えていた。
「……仕方ないな」
小さく息を吐いた。
こんな目で訴えられて、断れるわけがない。
「わかったよ。だけど、今すぐは無理だろ?
せめて属性解放が終わるまでは我慢してくれないか?
それまでラァラのことは俺が必ず守るから」
しかしラァラは、小さく首を振った。
涙がこぼれそうになりながら、俺の袖をさらに強く握りしめる。
「属性解放まで待ったってダメなの……!」
悲痛な言葉が胸に刺さる。
その表情は、俺の心をざわつかせるには十分すぎた。
――どういうことだよ、それは……?




