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第3話:伝わりすぎた言葉

「ご、ごめん! でも君が現れてからずっと、この部屋には俺とあのオッサンしかいなかったんだ!」


「ジュリジュリなんて人は本当にいなかったんだって!」


 激しく責められながらも懸命に弁明すると、少女は驚いたように目を見開き、それから何かに強く納得したように深く頷いた。


 しかし、彼女の表情はみるみる悲しみに染まり、肩からふっと力が抜けた。瞳に涙が溜まり、大粒の涙がこぼれ――次の瞬間、堰を切ったように泣きわめき始めた。


「うわああん! ジュリジュリ~! なんでいないのよぉ~!」


 途方に暮れる俺。


 自分だって状況が飲み込めず混乱している。だけど、こんな状態の彼女を放っておくわけにもいかない。あの男の仲間がこの部屋にやって来る可能性だってある。


「……と、とにかくここは危ないと思うから、ひとまず外に出ない?」


 慎重に声をかけるが、少女はぷいっとそっぽを向いてしまった。


「……もう私に構わないでよ!

 勝手にどこへでも行けばいいじゃない!」


 涙を拭うことも忘れ、まっすぐ俺を睨みつける。


 俺は小さくため息をついた。

 完全に拗ねてしまったらしい。


 仕方なく周囲を見回したとき、さっきまでの『妙に笑いが込み上げてくる感覚』が、いつの間にか綺麗さっぱり消えていることに気づいた。


 ――『笑いのツボが浅くなる魔法』の効果時間が切れたのか……? いや、でも、これまでの魔法はどれも重複しなかった。たぶん、新しく使えば前の魔法が上書きされるんだろう……。


 そのとき、テーブルの上に例の新魔法のリストがまだ残されているのが目に留まった。また誰かに何かを試されるのはごめんだ。俺は苛立ちを隠さずリストを掴み取ると、それを忌々しげに睨みつけた。


 ――そういえば、低級魔法なら俺でも使えるようなこと言ってたよな。


 燃えるイメージを頭に描いた瞬間――思わず息を飲み、手を止めた。


 ――いや待てよ、こんな魔法でも命を懸けて手に入れたんだ。

   あのオッサン、新魔法って言ってたし、どこかで役に立つかもしれない……。


 改めてリストに視線を落とす。


 ――俺は暗記が得意なんだ。どんなテストでも一夜漬けで乗り切ってきたんだからな。


 慎重に、しかし素早く新魔法とその発動手順をすべて頭に叩き込む。

 それからもう一度意識を集中させると、リストは意外なほど簡単に燃え上がった。


「……案外簡単にできるんだな」


 少し気を取り直した俺は、まだ泣きじゃくっている少女を見つめ、ため息交じりに声をかけた。


「じゃ、じゃあ、俺は先に行くけど……君も早く逃げろよ?」


 返事はない。

 俺は仕方なく、扉に手をかけ、慎重に押し開けた。


 扉の先には驚くほど古びた教会が広がっていた。

 ひび割れたステンドグラスから、陽光が斜めに差し込んでいる。


 ……誰もいないようだ。


 振り返ると、今しがた出てきたはずの部屋の扉はどこにも見当たらない。


「……隠し部屋だったのか? もう戻れそうにないな……あの子、大丈夫かな」


 少女のことを気にかけつつ、教会の出口へと歩き始めたその時だった。


「ちょっと待ってよ! 勝手に行かないでってば!」


 焦った声とともに少女が小走りで追いかけてくる。


 ――いやいや、君が勝手にどこへでも行けって言ったんじゃないか。


 心の中で呟きつつも、俺は苦笑して足を止めた。


「……じゃあ、一緒に行く?」


 少女は無言のまま駆け寄ると、そのままぐっと近づいてきた。さらに予想以上に近くまで迫ってきて、ついには俺のパーカーの裾をぎゅっと握りしめ、俯いてしまう。


 気づけば黒猫も悠々と歩いて近づいてきており、少女の横に座ると、面倒くさそうにあくびをしてから冷めた目でこちらを見上げた。


 ――えっ、これ距離感おかしくないか?


 戸惑っている俺に気づいたのか、少女は微かに視線を逸らしながら小声で言った。


「お、お願いだから……私から絶対離れないで……ね?」


「おう……わかった」


 その控えめで不器用な仕草に、俺は胸のあたりがぎゅっと締め付けられるような感覚を覚えた。


 ――二歳くらい年下かな。いきなり知らない世界にひとりきりで転移させられたら、こんなふうに怯えるのも無理ないよな。俺が新魔法を試したせいで、この子を巻き込んだんだから、ちゃんと責任取らないとな……。


「君がちゃんと帰れるようになるまで、俺がずっとそばにいるからさ……。本当にごめんな」


 言葉にした途端、胸の奥に魔力が集中するような感覚が広がった。そういえば、『ジュリジュリなんて人は本当にいなかった』と懸命に弁明していた時にも、似た感覚があった気がする。


 その瞬間、少女は驚いたように勢いよく顔を上げた。パーカーの裾を掴む手にぎゅっと力がこもるのが伝わってくる。頬はみるみる赤く染まり、潤んだ瞳が戸惑いながら俺をじっと見つめていた。


 ――え、ちょっと待って。なんか俺の言葉が必要以上に強く伝わってるような……?


 予想外の少女の反応に、俺もつられて動揺し、心臓が不自然に跳ね上がった。


「あ、あのっ……ご、ごめんなさい! 私にはジュリジュリがいるの! その……気持ちは嬉しいけど……」


 ――は? いやいや、ちょっと待ってくれ! なんで告白したことになってるんだ!?


「いや、さっき『絶対離れないで』って言ってたから……」

「そういう意味じゃなくって……ごめんなさい……!!」


 ――そうなのよ。こっちもそういう意味じゃないんだって!

   ……あれ? どうしてこうなった? なんで俺、告白してもないのに振られてるんだ!?


 頭を下げる少女を見て、俺はこの状況を受け入れるしかなかった。


 ――もういいや……なんかどうでもよくなってきた。


「あー、えっと、まあいいや! うん、気にしないでくれ!」


 気まずさを振り払うように無理やり明るく笑いかけた。


「と、とりあえず自己紹介でもしない? 俺の名前は一条光流! 日本の高校二年生だったんだけど……君は? どこから来たの?」


 少女はしばらく黙り込み、ためらいがちに小声で口を開いた。


「私はラァラ……。ラァラも、ニホンのコーコーニネンセーだった」


 ――ああ、うん。絶対嘘だよね、あまり詳しく話したくない感じなのね。


 この世界に転移して以来、疑問ばかりが膨らんでいる。できればラァラから何か情報を聞き出したいところだけど、無理強いしない方が良さそうだ。


 とにかく今は、話したくない理由が『相手が俺だから』じゃないなら、それでいい。


 ――……いや、まさかね?


 そんなことを考えていると、ラァラが控えめに話しかけてきた。


「えっと、イ、イチジョーヒ……カルはどうやってこっちに来たの?」


 ――ああ、そっか。一条光流って名前は言いづらいのか。漢字の文化もないだろうし、こっちの世界では“ヒカル”でやっていった方がいいかも。


「ヒカルって呼んでくれればいいよ。俺は、さっきのオッサンに無理やり転移させられちゃったみたいでさ、魔法のこととかも全然分からないんだ」


「そうなんだ……」


 一呼吸置いて、少女の目を見ながら尋ねる。


「それで実は帰り方も分からなくてさ……もしかしてラァラは何か方法を知ってる?」


 ラァラは目を逸らし、微かに唇を噛んだあと、小さな声で短く答えた。


「……知らない」


 ――いや、絶対知ってるじゃん……。


 ラァラの微かな仕草で、俺はそう確信した。


 俺にはチート能力がないと判明した以上、この世界で生き抜くためには慎重に行動しなくちゃならない。ラァラはきっと、この世界に関して何か重要なことを知っている。元の世界に戻るためにも、絶対に彼女を手放すわけにはいかないし、何よりラァラを無事に帰してあげることが俺の責任だ。


「ラァラも帰れないってことか。やっぱり……俺がこの世界にラァラを転移させちゃったから……だよな。

 本当に悪いことしちゃったな……」


 胸の奥が、じわりと熱を帯びていく。

 さっきから何だろう…この感覚。

 言葉に気持ちを乗せるたび、魔力がざわめく――。


「そっか、ヒカルが私を召喚したのかぁ……でも……あれっ!?」


「え……違うの?」


「……だって、ラァラはジュリジュリに会いたくて……あ、あっ!」


 ラァラは慌てて口を塞いだが、もう遅かった。


「ちょ、ちょっと待ってくれよ」


 俺は目を見開き、困惑と――そして、ようやく点と点が繋がったような感覚に、思わず息を呑んだ。


「……つまりラァラは、俺に召喚されたんじゃなくて、自分の力でここに来たってことか?」


「そ、それは……」


 ラァラはしばらく沈黙したあと、観念したように、小さくうなずいた。


「ご、ごめんなさい……」


 その小さな声が、教会の中に溶けていった。


 あのリストは間違ってなかった。


 つまり、自分が最後に使った魔法は『召喚魔法』なんかじゃなくて、

 あのリストに書いてあった――『ハッタリが通用し易くなる魔法』だってことだ。


 言葉にしてみると、不思議なくらいすんなりと腑に落ちた。


 さっきから胸の奥で何度も感じていた妙な“高鳴り”は、

 『ハッタリ』の魔法が働いていた合図だったってことだ。


 なるほど、そう考えるとすべての辻褄が合う。


 ――あのオッサンが『召喚魔法だと早合点』したことも、さっきラァラが『告白だと誤解』したことも、今、『俺に召喚されてここに来たと一瞬信じかけた』のも、すべてこの魔法のせいだったんだ。


「いや、謝るのはこっちだよ。俺が勝手に勘違いしてただけだし……」


 頭を掻きながら苦笑した。


 ――まあでも、この『ハッタリ』の魔法は、案外使えるのかもしれない。

   限界はあるみたいだけど、こんなふうに相手の認識を誘導できるのなら……。


 他の魔法も、念のため暗記しておいて正解だったかもしれない。


 そんなことを考えているうちに、ある重大な疑問に行き着いた。


 ――でも待てよ。そうなると、この子はいったい何者なんだ?


 自分の力でこの世界にやってきたなんて、そんなことが簡単にできるものなのか。

 それに、『ジュリジュリ』という謎の人物についても気になる。


 その疑問を問いかけようとした、その時だった。

 不意に空気の温度が下がった気がした。


「ヒカル、本当にごめんなさい」


 それまでの無邪気な表情が嘘のように消え去り、ラァラは、まるで光を失ったような瞳で俺をまっすぐ見据えていた。


「でも、ラァラの秘密を知られた以上……あなたを生かしておけない」


 冷たい声が、ひび割れた教会の壁に反響した。

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