第13話:記憶から消された少女
16話まで毎日二話ずつの投稿になります。
――シングウ王都軍令府の近くにある森の中――
「先ほどおっしゃった『ラァラ』とは……一体、何のことですか?」
「は……?」
言葉の意味が、頭に入ってこなかった。
――今、なんて言ったんだ?
頭がうまく回らない。
足元が急に消えたみたいに現実感が揺らぎ、
何を考えればいいのかすらわからなくなる。
「いや……何言ってんだよ。ラァラを探しにここまで来たんだろ?」
戸惑いながら問い返すと、
エミリは困ったように眉をひそめ、小さく首を横に振った。
「ラァラ……というのは、人の名前なのですか?」
その瞬間、背筋がひやりと凍りついた。
エミリの瞳にはただの戸惑いではなく、
“ヒカル様、大丈夫ですか?”とでも言いたげな、心配の色が浮かんでいた。
――おいおい、冗談だろ……?
冷たい汗が背中を伝う。
森の静けさが、さっきよりも一層重く、冷たくまとわりついてくる。
「エミリ……お前、本気で言ってるのか?」
自然と、その言葉が口から溢れていた。
一瞬、風の音すら止んだ気がした。
「昨日から俺のそばにいた、小柄な女の子だよ!
いつもおどおどしててさ……ほら、昨日の夜だって、俺から離れないって言って、
お前も困ってただろ!?」
だがエミリは、ますます悲しそうに瞳を伏せた。
「ヒカル様……申し訳ありませんが、
私はラァラという方には一度もお会いしていませんし、
そのようなお名前を伺ったこともありません」
「いや……ちょっと待ってくれって……そんなバカな話があるかよ……!」
声が震えている。自分でも驚くほど。
――おかしいだろ、絶対。
心臓の鼓動が耳を打ち、現実が遠のいていくような感覚に襲われる。
ラァラは、絶対に存在していた。
確かに、俺のすぐそばにいたんだ。
それなのに、どうしてエミリが知らないんだよ――?
◇
――シングウ王都軍令府の裏庭――
結局、エミリだけじゃなかった。
軍令府に戻って護衛や王血部隊の隊員にまで訊いたが、
誰一人として『ラァラ』という少女を知らなかった。
エミリが“水の魔人”に捕らわれたのを自分だと勘違いしていたように、
ラァラの行動はすべて別の誰かに置き換えられ、あるいは最初から“無かった”ことにされている。
王都中の誰もが――まるで最初からラァラなんて存在しなかったみたいに振る舞っていた。
「クソッ……!」
拳を握りしめ、無意識にベンチを叩いた。
エミリに促されるまま、普段誰も寄りつかない裏庭まで来たが、
苛立ちはまったく収まらない。
ベンチに腰を下ろし、深く息を吐く。
「あり得ないだろ、こんなこと……」
だけど実際、そんなあり得ないことが起きてしまっている。
状況はシンプルだった。
ラァラという存在に関する記憶だけが、この世界から綺麗に消されている。
このまま彼女の存在を訴え続ければ、頭のおかしいヤツだと思われて終わりだ。
――いや……本当に俺の方がおかしいのか?
そんな疑いがよぎるほど、この状況は異常だった。
だが、あれほど鮮明な記憶が幻だったなんて――絶対にあり得ない。
ラァラは間違いなく“いた”。
900倍に強化された嗅覚で、森に残された『ラァラ特有の甘い香り』を、
指でなぞれるほどはっきりと感じ取ったんだ。
――つまり……記憶は消せても、
あの香りの痕跡までは消しきれなかったってことだろ?
それだけじゃない。
あの“甘い香り”を追って森に入ったとき、もう一つ異質な匂いも混ざっていた。
ラァラを追いかけるように続いていた、あの異質な匂いだ。
間違いない。あれは襲撃者の残した痕跡だ。
あの匂いを辿れば、必ず犯人に行き着く。
そいつなら――ラァラの行方も、このふざけた状況の理由も、全部知っているはずだ。
胸の奥で、焦りの熱が怒りに変わっていくのを感じた。
……絶対に逃がすかよ。
だが相手は、軍令府の厳重な警備を突破したほどの強敵だ。
正直、俺一人の力でどうにかなる相手じゃない。
だからこそ――味方が必要なんだ。
隣のエミリをちらりと見る。
困惑したままの表情。記憶を消されたんだから、そうなるのも無理はない。
だけど、こんな状況で“ハッタリの魔法”が通じるはずもない。
――なんとかしないと……。
そう思った瞬間。
火竜の口に合わせてパオタロが爆発を起こした光景がフラッシュバックした。
そうだ。
あの時、“水の魔人”が退いたのは――
派手なハッタリの中に、パオタロの“本物の攻撃”が混ざっていたからだ。
――なら、この状況って実はかなりラッキーなんじゃ……?
900倍に超強化された嗅覚が、裏庭の空気に混じる『異臭』を捉えていた。
姿は見えないが、確実にそこに“誰か”が潜んでいる。
潜伏魔法――。
王血部隊・甲種には、その腕前が随一の者がいるという。
……パオタロだ。
――お前が今どんな目的でここにいるのかは知らない。
だが、逆にこっちが利用してやる……!
まずは『ゆっくり歩いてるだけでただモノじゃない感が出る魔法』を発動するところからだ。
本当はこういうの、マジで苦手なんだけどな……。
意を決し、わざとらしいほど堂々と、ゆっくりとエミリに向かって歩き出す。
一歩進むたびに、裏庭に足音がやたらと響き、『ゆっくり歩いてるだけでただモノじゃない感が出る魔法』が効いているのがはっきり分かった。
「ヒ、ヒ……ヒカル様?」
エミリの顔が見る見る変わっていく。
さっきまでの戸惑いが一瞬で吹き飛び、まるで得体の知れない怪物でも見たかのように全身が硬直し、瞳が大きく見開かれている。
よし、いい反応だ。
だけど、こっからが勝負だぞ。
「エミリ、これから話すことは誰にも言わないって約束してほしいんだけど」
「は、はいっ! 約束しますっ……!」
緊張で心臓はバカみたいにうるさく暴れているが、絶対に顔には出さない。
表情を無理やり引き締める。
「ハッキリ言わせてもらうが、ラァラは実在していたんだ」
「……っ!?」
「この国の人間は全員、記憶を書き換えられてる。
それが分かったのは……転移者である俺の“特殊能力”のおかげみたいなんだ」
エミリは絶句し、目を見開いたまま固まる。
胸の奥に魔力の気配が集まっていく。
『ハッタリが通用し易くなる魔法』が確かに発動している。
「そ、その……本当なんですか、ヒカル様……!?
この国の人たち全員の記憶が……書き換えられているなんて……」
――……まぁ、そう簡単には信じてくれないか。
これだけ大きなハッタリだ。
“ただモノじゃない感”と重ね合わせたくらいじゃ、さすがに通らないってことだろう。
――落ち着け、俺。
ここで焦ったら負けだ。
本能が強烈に警告している。
少しでも焦った素振りを見せれば、『ただモノじゃない感』なんてあっさり消え去る。
大丈夫だ――。
“水の魔人”の時だって、火竜が本当に火を噴くまでは半信半疑だった。
今はまだ、あの時と同じ段階だ。
そう自分に言い聞かせるが、心臓の鼓動は一向に止まらない。
声が震えそうで怖い。
――自信を持つんだ。
ハッタリにほんの少しの『真実』を混ぜる。それだけのことだろ。
「ハハっ、この国の人たち全員の記憶が書き換えられたなんて、
普通なら信じられないよな。でも俺には……“隠されたもの”を一定の確率で見抜ける力があるらしい」
なんとか言い切った。もちろん、ゆっくりと歩き続けたままだ。
「例えば今、俺たちの会話を――隠れて聞いている男がいる。
少し前から、ずっとな」
「えっ!? ど、どういうことですか?」
エミリが息を呑み、慌てふためいたように声を震わせた。
――そりゃそうだ。
俺だって逆の立場ならそうなる。
ここで次の一言を放てば、エミリは完全に堕ちるはずだ。
――というか、堕ちてくれないと困る……。
内心、汗が背筋をつたうのを必死に隠しながら、わざとらしく肩をすくめた。
「なあ、エミリがびっくりしてるだろ。いい加減出てきてくれよ――パオタロ」
その瞬間、周囲の空気がピリリと張り詰めた。
裏庭の一画がゆらりと歪み、パオタロが姿を現す。
「きゃっ!!」
エミリが小さく悲鳴を上げ、反射的に抱きついてきた。
――えっ!? ちょっ、今それは困るって!
……いや、困るというか、最高だけど!
鼓動が暴走寸前になり、顔が熱を帯びる。
『ただモノじゃない感』を維持するために必死で表情を引き締めたが、
エミリの温かくて柔らかい感触が頭から離れない。
「だ、大丈夫か、エミリ?」
無理に冷静ぶって声を絞り出す。
「あっ……は、はい、大丈夫ですっ……!」
エミリはハッとして顔を上げ、自分が抱きついていたことに気付き、
パッと頬を赤く染め、慌てて身体を離した。
――くっ……今の反応は俺に効く、クソかわいいじゃねえか……!
その破壊力をどうにか押し殺し、何事もないふりでうなずいた。
そしてパオタロに視線を戻す。
パオタロは苦々しい表情で立っていた。
その目に焦りや困惑がはっきりと浮かんでいる。
「チッ……俺の潜伏をどうやって見抜いた? なぜ分かる?」
その問いに、あえて余裕たっぷりの笑みを浮かべてみせた。
内心は全然余裕なんかないけど。
「分かるのは隠れていたことだけじゃないぜ?
お前、俺に何か言いたいことがあるんだろ?」
わざわざこんな場所まで追いかけてきたんだ。
理由がないわけがない……よな? そうだろ? そうであってくれ。
「……なるほどな。伊達に『転移者様』じゃないってわけか……」
パオタロは軽く鼻を鳴らすように笑い、小さくため息をついた。
「俺と――取引しないかと思ってな」




