第12話:この場所で消えたモノ
――シングウ王都軍令府の近くにある森の中――
「ラァラ、どこだ……どこにいるんだよ……!」
どれだけ走り回っても、ラァラは見つからない。
心臓はうるさいくらいに暴れまくってる。
肺が焼けるみたいに痛いのに、足は止まらなかった。
こんなに息苦しく胸を締めつけられるのは、生まれて初めてだ。
落ち着け、俺。
とにかく何か方法を考えろ。
必死に頭を働かせてみて、ようやく浮かんだのは――
『嗅覚が30倍になる魔法』
よりによって、微妙すぎるやつだった。
以前、あのオッサンの研究室で使わされた時は本当に地獄だった。
薬品の臭いが強烈すぎて、鼻がもげるかと思ったくらいだ。
そもそも嗅覚が30倍になったところで、
犬みたいに匂いを追跡できるわけでもない。
――ったく、あのオッサンもロクでもない魔法ばかり作りやがって……。
そう毒づいた瞬間、あいつの妙にテンション高い声が脳裏に蘇った。
『私も今から可愛い女の子を召喚するぞ!』
……いや、思い返しても気持ち悪い。
でも、あのオッサンのことだ。
どうせ女絡みのくだらない理由で作った魔法に決まってる。
例えば――
“向かい合って話してるだけで、抱きしめた時と同じ匂いが嗅げるようになりたい”
とか……?
――いや、まさかな……。
さすがにそれは……いや、あいつなら普通にやりかねない。
とにかく今は、オッサンに文句を言ってる場合じゃない。
俺は歯を食いしばり、祈るように震える指を握りしめ――
覚悟を決めて、魔法を発動させた。
「……っ!」
一瞬で世界が変わった。
だが、鋭くなった嗅覚が拾ったのは、期待していたラァラの匂いなんかじゃない。
吐き気を催すような雑多な臭いの洪水だけだった。
――クソ……30倍程度だと、やっぱりこんなもんかよ!
だけど、ここで諦めるわけにはいかない。
焦りに頭を掻きむしりながら必死に考えを巡らせていると、ふと『魔法を重ね掛けしたらどうだ?』という、無茶なアイデアが浮かんだ。
――そうか!
30倍をもう一回重ねれば、単純計算で900倍ってことか……?
衝動に突き動かされるまま、別の魔力器にも迷う暇なく『嗅覚が30倍になる魔法』を叩き込む。
「っ……!?」
次の瞬間、鼻から脳天を貫くほどの強烈な衝撃が襲いかかってきた。
凄まじい匂いの大波が押し寄せ、頭の中がぐちゃぐちゃにかき混ぜられる。
息を吸うたび視界が揺らぎ、マジで吐きそうだ。
――ぐっ、なんだよこれ……死ぬほどキツイじゃねぇか……!
だけど……これならいけるっ!
無数の匂いの洪水の中に、一つだけはっきりと掴める香りがあった。
絶対に間違えるはずのない――あのラァラ特有の甘い香り。
――やっと見つけた……! ラァラ、そこにいるんだな……!
胸がバクバクと鳴り響く。
その香りだけを頼りに、俺は全力で駆け出した。
絶対まだ生きてる。
必ず見つけ出してやるからな……!
とはいえ、このまま闇雲に突っ込めば襲撃者に出くわすかもしれない。
少し迷った末、残り二つの空きになっている魔力器に
『ハッタリが通用し易くなる魔法』と
『ゆっくり歩いているだけでただモノじゃない感が出る魔法』を込めた。
――我ながら頼りなさすぎるだろ、これ……。
“水の魔人”のときにパオタロにあっさりハッタリを見抜かれたのを思い出し、
軽く舌打ちしつつも、ため息をひとつ。
――まあ、パオタロ以外は誰も気づかなかったわけだし……。
魔法の準備を終えると、ラァラの甘い香りを手掛かりに、
細い糸を手繰るように、慎重に森の奥へと足を踏み入れた。
しかし、その匂いはある場所で、あっさり途切れてしまった。
雨が降ったわけでもないのに、痕跡だけが妙に綺麗さっぱりと消えている。
まるでラァラが突然、空気に溶けて消えてしまったみたいだ。
――冗談だろ。どうなってんだ……どこにいるんだよ、ラァラ……!
焦りと不安が胸を締めつける。
苛立ち紛れに周囲を見回しても、目立った痕跡も、人の気配すら感じられない。
ただ深い静寂だけが、不気味なくらいの重さで俺を押し包んでいた。
ふと、頭の片隅で小さな声が蘇る。
『……知らない』
ラァラに元の世界への帰り方を尋ねた時の、
あの戸惑った表情、視線の泳ぎ方が鮮明に脳裏に浮かび上がる。
おそらくラァラは、転移に関する何かを隠していた――。
どうすれば元の世界に、日本に戻れるのか、その方法を知っていたかもしれない。
いやそれどころか、あいつなら転移魔法を使えたとしてもおかしくない。
だって実際、ラァラは自分の意志でこの国にやって来たんだから。
その可能性に気づいた瞬間、衝撃が稲妻のように背筋を駆け抜けた。
――もしかしてラァラのやつ……ここで転移魔法を使ったのか?
そう考えれば、不自然に途切れた痕跡にも説明がつく。
もし誰かに連れ去られたのなら、匂いは必ずどこかに続いてるはずだ。
なのに、現実は……まるで“瞬間移動した”みたいに消えている。
「生きてるんだよな……?」
自分に言い聞かせるように呟いたが、
ここでじっとしていたって答えが出るわけない。
――だったら、自分で確かめるしかないだろ。
腹を括って強く拳を握りしめた、その時だった。
「ヒカル様……!」
背後から、切羽詰まったエミリの声が響いた。
振り返ると、息を切らしながらエミリがこちらへ駆け寄ってくる。
彼女の顔には焦りと安堵が入り混じった、なんとも複雑な表情が浮かんでいた。
「よかった……!
急に部屋を飛び出して行かれたので、ずっと探していたんですよっ!」
だが、エミリはすぐにうつむいた。
「……申し訳ありません、ヒカル様。
『転移者様』をお守りするのが私の任務なのに、
襲撃者の侵入にすら気付けず、こんな事態を招いてしまいました……」
その声音には、自責と悔しさがはっきり滲んでいた。
胸がちくりと痛む。
「……いや、エミリだってまだ属性解放前なんだし」
そもそもエミリ自身、強力な魔法なんて使えるはずがない。
それに、『部屋の前には厳重な警備がいた』とエミリも言っていた。
防衛ラインが破られたなら、それは彼女一人の責任じゃない。
「……エミリのせいじゃないだろ」
だいたい誰かを責めたところで、状況が変わるわけじゃない。
とにかく今は、ラァラが無事かどうかを確かめるのが先決だ。
「……まあ、ラァラなら大丈夫だろ。
多分、転移魔法でも使ったんだ。それを今から確かめようと思ってるんだ」
「ラァラ……ですか?」
「ああ、あいつは多分、転移に関する秘密を知っていた。
元の世界への帰り方も、もしかしたら……」
そこまで言った瞬間――
エミリの表情が、まるで足元が揺らいだかのように沈んだ。
「……もしかして、ヒカル様は……
元の世界に帰りたいのですか?」
その瞳には、“救世主としてのヒカルを失うかもしれない”という
不安がはっきりと浮かんでいた。
そんな顔されたら――
本心がどうだろうと、「帰りたい」なんて言えるはずがない。
「あ、いや、その、帰るっていうかだな……」
必死に言葉を探すが、胸がザワザワして上手く出てこない。
「私たちには、ヒカル様に何かを強いる権利などありませんから……」
一瞬、沈黙が落ちた。
エミリは小さく胸を張り、『王血部隊』の誇りを示そうとしている。
けれど、その気丈な態度とは裏腹に、声は震え、
瞳には涙がじわじわと浮かび、そのままぽろぽろと零れ落ちていく。
「ちょ、ちょっと待てって。エミリがそんな顔すると、
俺がひどい奴みたいになるだろ……」
「だって……この国にはヒカル様が必要なんです……」
その言葉がやけに重く響いた。
幼い頃、両親が事故で死んだ。
誰かから必要とされるなんて感覚、いつぶりだったろう。
「だから、俺だって役に立ちたいって思ってるって。
こんなに誰かに必要としてもらったのなんて初めてだから……
嬉しいって気持ちもあるんだよ。これまでずっと助けてもらってばかりだしさ……」
施設の寮はあるし、世話を焼いてくれる人もいる。
だけど、俺には帰る家も、待ってくれてる人も――本当の意味では、なかったのかもしれない。
「まあ、危ないことばっかだから、帰りたいと思うときもあるけどさ……
ここでやるべきことがあるのなら、ちゃんとやろうとは思ってるよ」
焦って付け加えるように言うと、
エミリは涙の跡が残る頬に、ようやく微かな安堵の笑みを浮かべた。
「本当ですか?」
ほっとしたように小さく首をかしげるその仕草が、
可愛すぎて、自分の頬が熱くなるのを感じ、思わず視線を逸らした。
「ずっと……待っていたんです。
いつか転移者様が現れて、この国を救ってくださるのを。
だからヒカル様が転移者様だとわかった時、本当に……嬉しかった……」
胸元でぎゅっと両手を握り締め、小さく息を吐いたエミリ。
その瞬間、何かを決心したように顔を上げる。
彼女は、頬をほんのり赤らめながら必死に言葉を紡いだ。
「でも、それだけじゃないんです。
ヒカル様は“水の魔人”に捕らえられていた私を救ってくださいました。
……ヒカル様は優しくて、勇敢で……」
一瞬、言葉を詰まらせたエミリが、涙を拭いながら続けた。
「だから、私もできる限りお力になりたいんですっ!」
――は……? ちょっと待てよ。
耳の奥がジンと鳴った。
“水の魔人”に捕まったのはエミリじゃなくてラァラだろ?
なんだこれ……なんで話がこんな方向に膨らんでるんだ?
突然感じた強烈な違和感に、心臓が激しくざわつく。
エミリの顔を思わずまじまじと見つめ返したが、そこには感動と感謝しか浮かんでいない。嘘や冗談を言っているようには、とても見えなかった。
そんな俺をよそに、エミリが何かを言いかけては口をつぐむ。
迷うような表情で、まっすぐ俺を見つめ返してきた。
「ただ……一つだけ、確認させていただいてもよろしいでしょうか?」
「え……?」
涙の跡が残るエミリの顔を前に、胸のざわつきは収まらない。
彼女の瞳には、純粋な戸惑いしかなかった。
「先ほどおっしゃった『ラァラ』とは……一体、何のことですか?」




