第11話:もう一つの夜
――シングウ王都軍令府のゲスト用宿泊施設――
俺たちはすでに王都シングウへと到着していた。
軍令府の管理下に置かれた――という言い方が正しいのだろうが、
今のところ拘束されているわけでもなく、“保護”という形らしい。
ただ、王都の空気はどこか張りつめていた。
聞いた話によると、この日、王都では暴動があったらしい。
あの大男が「もう手遅れだ」と警告していた通りの展開だった。
しかし、先行して帰還していたシシンが速やかに鎮圧したおかげで
被害は最小限に留まったという。
到着後、俺はスマホを操作して転移者であることを改めて証明することになった。
とはいえ、エミリが魔鳩ですでに報告していたため、
軍令府での確認はほとんど形式的なものだった。
それでも、スマホの動画や機能を見せた瞬間、
それまで冷静だった軍令府の人たちの表情が一斉に強張ったのは印象的だった。
というのも、どうやらこのシングウ王国にとって“転移者”っていうのは、
何百年ぶりの、とんでもない存在らしい。
――そこからはもう、ドタバタだった。
軍令府の中がざわつき始め、あちこちの部署が慌ただしく動き出す。
気づけば、俺は“転移者様”なんて呼ばれながら丁寧にもてなされていて、
しかも専属の世話係としてエミリがその任に就くことまで正式に決まった。
いや、あの……そんな立派に扱われるほど俺すごいのか?
という疑問もあったけど――
エミリはなぜかすごく嬉しそうだったので、
まぁいいか、と思うことにした。
◆
で、夜。
俺とラァラは、軍令府のゲスト用宿泊施設に案内された。
いや、もうすごい。
ホテルっていうより、高級貴族の別荘って感じの部屋。
いかにも「お客様扱い」って雰囲気。
ようやく落ち着ける時間が来た――そんな気がしたのだが、
まぁそんな穏やかな空気が長く続くわけもなく。
すぐ隣にはぴたりと控えるエミリ。
反対側では、ラァラが俺の腕にぴったりしがみついて離れない。
完全にサンドイッチ状態で、身動きが取れない。
普通なら、さ――。
こんな可愛い子二人と同じ部屋とか、男なら泣いて喜ぶべき状況だと思うんだ。
だけどなんでだろな。
今の俺は全然そんな余裕ない。
だって、この二人の間に流れてる空気が明らかにヤバい。
火花が本当に見えるんじゃないかってくらい、ピリピリしてる。
「ラァラちゃん。ヒカル様から……少し離れていただけますか?」
エミリの声は丁寧なのに……なぜか圧がすごい。
ラァラも全然動かないし、逆にぎゅっと俺の腕を抱きしめてくる。
「だって……ヒカル、ずっとラァラのそばにいるって言ってくれたもん!」
「……そうなんですか、ヒカル様?」
うわ、なんかエミリの目、冷たい。
……っていうか、え、軽蔑入ってない? これ。
――えっと……どうして俺が悪者みたいな空気になってるんだっけ?
「あ、いや……あの時はその……。
俺がラァラを召喚しちゃったのかと思ってて。
だから、なんかこう……責任あるのかなーって……」
でもラァラは、自分の意志でこの国にやってきた。
つまり、俺には何の責任もない……はず、だよな?
エミリは小さくため息をつくと、スッと立ち上がった。
「……だそうですよ、ラァラちゃん。
ヒカル様があなたを召喚したわけじゃないと分かったんですから、
もうくっつくのはやめてください」
「やだ! ラァラはヒカルのそばがいいの!」
そう言いながら、ラァラは俺の袖をぎゅっと掴み、
潤んだ目で見上げてくる。
――ああもう、それ反則だって……。
「ヒカル……ラァラのこと、嫌になっちゃったの……?」
「いや、そんなこと言ってないし……!」
――なんか、どんどん追い詰められてる気がするんだけど……。
「いい加減にしてください!」
ビシッと、エミリの怒声が飛んだ。
「私にはヒカル様を守る任務があるんです!」
その視線が鋭くて、正直ちょっと怖い。
――……うん、ごめん、エミリ。
たぶん俺が悪い。
なんかそういう雰囲気になってる。
「ヒカル様も、もう少し転移者としての自覚を持ってください!」
ぐぅ……それを言われると、何も言い返せない。
自覚あるかって言われたら……うん、ない……かも。
「それにラァラちゃんは、おそらく転移者ではありません。
まだ素性も不明です。本当は、そばに置いておくこと自体が危険なんです。
万が一、何かあったらどうするつもりですか!」
うぅ……正論だ。痛いほど正論だ。
でも――
「……エミリが心配してくれるのは、ありがたいよ。ほんとに」
ゆっくりとラァラのほうを見る。
まだ袖を掴んだまま、心細そうな顔をしていた。
「でもさ、ラァラだって……一人ぼっちで、知らない世界にやってきて、不安なんじゃないかな。
それに、もし俺に危害を加える気があったなら、これまでにチャンスなんて、いくらでもあったはずだよ」
そう言いながら、ゆっくり息を吐いた。
――こんなとき、もっと気の利いた言葉が出せる人間だったらな。
「ラァラは……この世界で、俺が一番最初に見つけた仲間なんだ。
もう少しだけ、大目に見てあげられないかな?」
真剣な目で訴えると、エミリは唇をきゅっと引き結んだ。
納得しきれない様子ではあったけど、それでも渋々と頷いてくれる。
「……わかりました。でも、これは特例です。
もし私が危険と判断した場合、そのときは即座に隔離しますからね」
言葉はきついけど――エミリなりに本気で心配してくれてるんだ。
「ラァラも、エミリにちょっと対抗してるだけだったりしない……?
いや、別に悪いとか言いたいわけじゃなくてさ……
ただ、ほら、今までずっとくっついてたわけでもないしさ」
やんわり問いかけると、ラァラはしばらく袖を見つめたまま沈黙した。
やがて、小さくため息をついて――ようやく手を離した。
……でも、その表情はどこか寂しそうで、胸がちょっとだけ痛んだ。
ラァラはとぼとぼと歩き、ベッドの端で丸くなっていたシュレに近づく。
「シュレ~、遊ぼ?」
気だるげに顔を上げたシュレが、「みぃ」と短く鳴く。
その小さな声で、部屋の空気がすっと柔らかくなった気がした。
……ふう。
――なんで俺、
可愛い子に囲まれてんのに、
胃が痛くなってんだろな……。
いたたまれない沈黙に耐えきれず、俺は慌てて話題を変えた。
咳払いをひとつしてから、エミリに尋ねる。
「そういえばエミリ、さっきラァラは転移者じゃないかもしれないって言ってたけど……なんでそう思うんだ?」
「あっ、はい! それはヒカル様が転移者様だからです」
エミリ曰く、転移魔法は世界中のマナを消費する超レアな魔法で、
数十年に一度しか使えないらしい。
――だから、転移者が来たってだけで大騒ぎだったのか……。
そりゃ、エミリがピリピリしてるのも無理ないよな。
「だから、大結界ができる前の時代は、“転移者”を手に入れるために、
各国が熾烈な転移競争を繰り広げていたらしいです」
その言葉が終わった瞬間だった。
背後で、空気がかすかに揺れる“違和感”が走った。
振り返る暇もなく――
後頭部に、強烈な衝撃。
鈍痛が脳天を焼き、視界がぐにゃりと歪む。
耳鳴りが爆ぜ、身体がふわりと宙に浮いたような感覚に包まれる。
――な、何が起きた……?
意識が遠のく中、窓際のラァラがぼやけて映る。
黒猫を抱きしめたまま、恐怖で顔を引きつらせ、
震える指で窓を押し開けようとしていた。
誰かから――必死に逃げようとするみたいに。
――ラァラ……?
その疑問に答えが返ることはなかった。
俺の意識は、そのまま深い闇の中へと沈んでいった。
◇
目を覚ましたのは、翌朝のことだった。
「う……っ、エミリ!?」
頭に鈍い痛みを感じながら身を起こすと、
隣で倒れているエミリの姿が目に飛び込んできた。
慌てて肩を揺さぶると、彼女はかすかに眉を寄せ、小さくうめきながら目を開ける。
「ヒカル……様?」
「よかった、無事か……!」
だが安堵もつかの間、
乱暴に開け放たれた窓から吹き込む冷たい空気が、不安を鋭く刺してきた。
「ラァラ……?」
呟きは室内に虚しく響くだけ。彼女の姿はどこにもない。
心臓が早鐘を打ち、嫌な予感が全身を駆け巡る。
倒れた家具、散乱する書類……誰かが侵入した痕跡があまりにも露骨だった。
「申し訳ありません、ヒカル様……!
私も油断してしまって。部屋の前には厳重な警備がいたはずなのに……!」
エミリは、自分を責めるように声を震わせた。
悔しさと怒り、そして深い後悔がその声に滲んでいる。
俺は唇を強く噛んだ。
胸の中がどうしようもない後悔で満ちていく。
「あの時……俺が、離れるように言わなければ……!」
衝動のまま立ち上がる。
足が少しよろめくが、それでも走り出した。
「ヒカル様……! 待って――!」
エミリの不安げな呼びかけが背中に届いたが、
俺は振り返らず、勢いよく部屋を飛び出した。
しかし――
どれほど必死に探しても、
ラァラの姿を見つけることはできなかった。




