第2話 異世界転生の少年探偵
✦⋯⋯❖ 探偵 ❖⋯⋯✦
突然、前世の記憶がよみがえった。
ふたつの人生が頭の中でぶつかる。
こめかみがジンジン締めつけられる。
『異世界転生』。
冗談みたいな言葉が、脳裏に浮かんだ。
僕の名前はミル。
町外れに住む玩具職人の子。
十六歳の平民。
けれど、思い出した。
僕は二十一世紀の東京で、十六歳の高校生探偵だった。
数々の難事件を解決してきた。
だが――ある事件で失敗し、殺された――。
❖ ―― ♔ ―― ❖
ここは、ベルトラン・ベルガラン伯爵の迎賓館前広場。
今日は特別に平民も入れる。
なので軽い気持ちでここに来た。
新聞でサンザンに書かれている悪役令嬢がどんなヤツか見てやろうと。
でも、アルアリエルは、ウワサとまるっきり正反対。
王子のロジックもめちゃくちゃに胸クソ悪かった。
おかしい。
間違っている。
こんなの見ていられない。
心の底から思った。
言わなければと思った。
だって、僕は!
……お待ちください、殿下!
気づけば、叫んでいた。
――そのとき、すべてを思い出したのだ。
前世の記憶が脳内ではじけて混ざる中、
勢いにまかせて、推理をまくしたてた。
……ニセモノだとしか考えられないのです!
やってしまった。
どうかしている。
自分でも何をやっているのかわからなかった。相手は王子、伯爵、男爵令嬢。完全武装の兵士たち。こんなことをしでかして、どうなるかなど考えるまでもない。
白い息が、熱を帯びている。
息を整え、心臓の音に意識を向ける。
鼓動がうるさい。のどが渇く。
足が、わずかに震えている。
正直、怖い。
転生のことも。
この状況を変えられるのかも。
けれど。
それでも。
前世の僕が叫んでいるのだ。
あの女の子を見捨てるなんて、
『探偵』としてありえない。
だから、後悔はしない。
だから、なんとかする。
たとえ――
失敗したら、命がないとしても。
❖ ―― ♔ ―― ❖
……「本当に聖女さまが殺したの?」
「リリアンさまがウソなんて…」
「確かに羽根が残ってるのは変よ」
「あの子、何言ってるの?」……
周囲の人々は僕から距離を取ったまま小声でささやき合う。
さすがに一発逆転とはいかないが、疑念は確かに生まれている。
――考えろ! やるしかない。彼女のためにも、僕自身のためにも。
昨夜、伯爵邸で殺人事件が起きた。
エゴール第三王子との婚姻のためやってきたアルアリエル公爵令嬢を、王子の臣従たるベルトラン伯爵が出迎え、夜会を催している最中のことだったという。
被害者は伯爵の愛娘、セリス・ベルガラン。一人きりでバルコニーにいたところ、何者かに背中を刺されて殺された。
現場は三階建ての館。
二階は、大きなバルコニーが外に張り出している。
出入口となる大きな窓は昨晩、兵士たちが警備をしていたと聞く。
見晴らしがよく、隠れる場所もない。
昨晩はホールにも広場にも見張りがそこらじゅうにいたはずだ。
外部の人間が、見つからずに忍び込めるとは思えない。
バルコニーに出たのは被害者ただ一人。
短剣に背中を刺され、殺された。
つまり――『密室』での殺人だ。
ただし。
この世界には、魔法がある。
魔法使いが《魔法の道具》に魔力をそそぐことで、〈道具に備わった魔法〉を発動できる。炎や氷を生み出したり、空を飛んだり、鏡に映像を記録したりだ。
三つの原則のもと、前世の常識では図れないようなできごとが、ごく普通に起こる。確か……こんな内容。
一、《魔法の道具》がなければ使えない。
二、ふさわしい魔力と技術が必要。
三、どんな魔法も《魔法の道具》には効かない。
三つ目については、例えば、アルアリエルの《聖女の指輪》は、リリアンがどんなに氷刃で切りつけても傷ひとつつけられない。
あくまでも魔法が効かないだけで刃物などでの破壊はできる。
おそらく今回の殺人事件にも、魔法は使われているはずだ。
――もっとも。事件そのものは単純。
もう、犯人の目星はついている。
リリアン・フォルナ。
庶子でありながら、男爵家の家宝たる《氷花の手袋》を手に入れた、〈氷晶の魔法〉使い。優秀で、人気者で、この地の総督たるエゴール王子といい仲だと、僕たち平民の間でさえもっぱらのウワサの女。昨夜、悪役令嬢アルアリエルの犯行を暴いた『主役』の女。
さっき、一撃を食らわせた時。
僕はアイツの『動揺』をハッキリ見た。
王子の隣での愛想笑いがひび割れて――
歯ぎしりした。
左手の羽根を震わせた。
右拳を握りしめた。
顔をみにくくゆがめていた。
すぐに、とりつくろったけれど。
二十一世紀の東京で、悪党どもとやり合ってきた探偵の勘が告げている。
――あの女はド外道だ。
……問題は、僕の立場。
僕はただの平民。
発言力なんてゼロに等しい。
対してエゴール第三王子は領地の総督。司法も裁判も、好き放題。
この世界は権威が絶対だ。さっきのような不意打ちでもなければ、僕の推理に耳を貸す者はいない。
賭けるしかない。
布石は、もう打った。
「そなた、自分のしたことがわかっておろうな」
低く、威圧的な声。エゴールたちの動揺を見かねたのか、ベルトランが僕の目の前に立ちはだかった。
黒い毛皮のクローク、肉厚なアーマー。巨躯がこちらを見下ろす。
「名は何と。見覚えがあるのだが」
隠す意味はない。ここには顔見知りが何人もいる。
「玩具職人の息子、ミルと申します。一度、父と一緒にお会いしました、閣下」
「……ジャンの子か。おろかなことを」
彼はなげいていた。この世界での僕の父はなかなか裕福で、富裕層向けの知育玩具を手がけ、貴族ともつながりがある。おかげで僕も、この異世界の仕組みや魔法についてはそれなりの知識がある。
「処刑を止めることはできぬ」
「わかっています」
「ならば、なぜ、こんな狼藉を。不敬がどれほどの大罪かわからぬ年でもあるまい」
「間違っているからです。真犯人は別にいる。あなたの令嬢を死に追いやり、罰を逃れようとする者が」
ベルトランの顔に一瞬、父親としての色が浮かぶ。
「……そなたがどう思おうと無意味。殿下が命じれば終わりだ。誰が何を言おうと」
「そうでしょうか。平民の僕でもわかります。この処刑は裁判もすっ飛ばした強引なものだ」
「同じことを二度も言わせるな。殿下の判断は正しい。それが王権というもの」
「いいえ。無論、殿下のご威光もあるでしょう。でもこの処刑が通るのは、これが悪役令嬢を討つ『正義と愛の物語』だからです。殿下のご期待にこたえ、僕たち観客は聖女死すべしと歓声を上げた。ゆえに正当化されるのです」
先ほど周囲を見渡したとき、鏡をたずさえる王子配下の騎士を何人か見つけた。
あれは――《写し取りの鏡》。
名前の通り、鏡面に写したものを録画して、あとでいつでも見返せる魔法の鏡だ。とても簡単な作りで、国じゅうの工房で量産されている。ベルトランもどういうものかはわかっているはずだ。
「何が言いたい」
彼の言葉にトゲが交じる。
「簡単です。殿下のお裁きには、一点の曇りもあってはならない。ましてや見逃しなど」
けれど、この場でいちばん警戒心が強いはずの彼でさえ、僕の仕込みには気づいていなかった。
「僕の口車なんかに気を取られ、足元がおろそかなどあるワケがない……」
異変に気づいたベルトランの顔色が変わる。
この世界で父の手ほどきを受けた僕は、ジョークグッズ作りくらいならお手のもの。
いくつか持ってきていた。
転がしておいた。
僕とアルアリエルの足元に、
――『煙玉』を。
――パシュゥウ――ッ……――!
白煙が一気に広がってあたりをのみ込む。地球のものと仕組みは違うが、威力は折り紙つきだ。
苦しむベルトランの声を背に、僕は柵に足をかけて身を乗り出す。
前世で僕を鍛えた師の言葉を思い出す。
……ガキのクセに探偵なんてマンガの読みすぎだバカヤロー。やるならばテッテーテキにやれ。アタマがキレる、スイリができるなんてのは序の口だ……
弱っちい子どもの僕を、主人公にしてくれた人。
……『バリツ』って知ってるか? シャーロック・ホームズのバトルスキルだ。ファンタジーになりたいならやってのけろ……
重心を調整して、蹴り出す。
打ち出された僕の体は、バウンドするように地面を何度か蹴って加速し、車輪のように回転しながら前方へ跳ぶ。
アルアリエルは縄につながれ、兵士二人に押さえられている。
でも、煙で彼らの目はふさがれている。僕は事前に兵士の立ち位置も、頭の位置も全部見ていた。
一人めの兵士へ、回転の勢いをつけたカカトを叩きつける。地面で逆立ちし、もう片方の頭に向かって、二人まとめてぶつけ倒す。
鉄と地面がぶつかる衝撃、土煙と悲鳴。
気絶した兵士たちから縄を奪い、アルアリエルを手元にたぐり寄せる。
……「なんだこれは!」
「魔法か!?」
「前が見えない!」
「衛兵を呼べ!」
「誰か、早く!」……
煙がもうもうと広がり、エゴールやリリアンなど、遠くからいくつもの叫び声が聞こえる。
やがて煙は晴れ、何人もの兵士やベルトランが武器や魔法道具を構えていた。
だが、もう遅い。
「……あ、あなたは……」
アルアリエルが耳元で声を震わせる。
「みなさま、そのままで。動けば刺します」
僕のステッキは、剣を隠した仕込み杖。
アルアリエルを抱き寄せ、抜き放った剣の切っ先を首筋へと光らせる。
ありていにいえば、人質だ。
実は、刃は落としている。
友だちとチャンバラごっこで遊ぶためのニセモノ。
だが、こけおどしには事足りる。
「ベルトラン!?」エゴールの声はひっくり返っていた。「何をしている、あんなにたやすく見張りどもを倒されて、大失態だぞ!」
「申し訳ありません、殿下!」ベルトランが全身を震わせる。「だが――なんということだ。虚をつかれたとはいえ、腕利きをつけたはずだ……!」
「落ちついて、お話をしましょう。僕は、今すぐにでも、公開処刑をブチ壊しにできます。殿下の正義にケチがついてしまったら、これほどマズい話はない。女王陛下の納得を得たいはずですからね」
「あなた、何者!? 私にいまさらなにを……!」
発言の意図を理解したのか、アルアリエルは怒りをこめて僕を凝視する。
体温が感じられるほどに顔がすぐそばにある。
凛とした芯の強さを感じさせる眼差し。
不思議だった。
髪を切られ、ドレスをはがされ、力の源たる《聖女の指輪》もなくし、砂にまみれて、貴族の尊厳をこれでもかとズタズタにされたはずなのに。
――きれいな人だ、と思った。
「はじめまして。アルアリエルさま」
身体をかがめ、声をひそめて耳元でささやく。
「僕は『探偵』です。あなたと取引がしたい」
いきなりだが正念場だ。
ここの全員をなんとかする力なんて、僕にはない。
彼女が生き残りのカギを握る。
――そこに、僕の命を賭ける。