第16話 エピローグ2:悪役令嬢と探偵騎士
✦⋯⋯♔ 令嬢 ♔⋯⋯✦
王都は、百万人もの人々が暮らす巨大都市だ。
エメラルドの海、スカイブルーの海岸線。貿易船の白い帆が港に並び、透明な運河の水面に、カモメが輪を描いて舞っている。
王族や貴族、市民はもとより、商人や冒険者などの異郷・異種族も数多く出入りしている。人の声と笑い声、希望と欲望がうずまく場所。活気にあふれた交易と冒険の街。
下町にはカラフルな石造りの家々がぎっしりと並び、潮の香りとパン屋の焼きたての匂いが空気にまざっている。一方で、繁華街には巨大な石造りの建物、市場や宿屋、オペラ劇場や酒場、カフェやビリヤード室などが並び、あでやかなにぎわいを見せている。
市場の近くには王立冒険者組合の建物がある。朝から晩まで、旅立つ人と帰ってくる人、誰かの新しい物語が始まっている。
こうした大都会の中枢にそびえるのが、王都中央大宮殿。
白亜の壁をもつ超巨大な魔法宮殿。蒼穹のように青く染められた屋根と尖塔は遠くからでもよく目立ち、金色の装飾が陽光を受けてきらめいている。裏側には海岸線を望める、幾何学模様の巨大庭園。建築様式は華麗を極め、王権と魔法の力を誇示するように設計されていた。
宮殿の敷地は街ひとつに匹敵し、王族の私邸から官僚の執務区画、儀式殿、大講堂、魔法研究塔、舞踏の間までを内包している。
宮殿内における私たちの拠点は、父が所有する公爵家のアパルトマン……ではなく、女王陛下から新たに私個人へと下賜された、小さな居室だった。大宮殿につくやいなや、私はさっそく女官としての役職を与えられ、従者用の控室を含めたいくつかの部屋を割り振られたのである。
表向きは、聖女の勤めを果たした公爵令嬢にふさわしい待遇。
実態は、監視下に置くための飼育小屋ということか。
――上等。受けて立ってやる。
居室は公爵令嬢の住まいとしてはやや手狭で、控えの間とサロン兼主寝室、奥に書斎があるだけの質素なつくり。けれど、ここが宮廷という戦場で生き抜くための、私たちの『探偵事務所』だ。
ミルには、私の書斎の隣にある客間を使ってもらうつもりだった。護衛である彼が側にいるのは合理的だし、私なりの信頼の証でもあった。けれど彼は、案内されたその部屋を一瞥しただけで、きっぱりと首を横に振った。
「お心遣いは痛み入りますが、僕は騎士ですし、一応、男です。立場ってものがあります。あらぬウワサの種を増やすわけにはいかない。併設の従者部屋で結構です」
――別に、どうでもいいんだけどな。もう。
どうせ私は、男をとっかえひっかえする悪役令嬢だって、国じゅうでウワサされている。
先日の〈悪逆の魔法〉が知れ渡ったためか、私の耳に届くように好き放題言うやつはほとんどいない。でも流言はいつだって勝手に一人歩きするものだ。
父ももう半ばあきらめ顔で「今さら令嬢の価値を上げろとは言わない」と言っていたし。私がまだ生娘だなんて、もう誰も信じてくれやしないのだ。
ただ、思わず笑ってしまった話がある。
このごろ一部で、奇妙な髪型が静かに流行りはじめているという。肩先で切りそろえた短い髪。首筋から鎖骨、肩、胸元にかけてをあらわにする、私の髪型だ。
もともとはリリアンが悪ふざけでやったもの。優雅さなど一片もなく、誇りや気品をはぎとるためのものだったのに。
人の口に戸は立てられず、私の逆転劇は都市伝説のように流れている。
定番に飽きた、少し背伸びをしたがる娘たちが、あこがれを込めてこうささやくのだ。
「勇気ある悪役令嬢にあこがれて」
「新しい風をまとう先進的な女性の証」――
あきれるしかない。
でもわからないでもない。
気まぐれで無責任、それが流行というものだ。
この髪型も私にとっては侮辱の記憶だが、誰かにとっては希望の形かもしれない。いずれは短髪が新たな定番になるのかも。
少しだけ、この髪になった自分を、肯定してもいいような気分になった。
「ミル。あれこれ指図するつもりはありませんが、自己管理はしっかりと」
「気をつけます。恥ずかしくないように。いい服も仕立てていただきましたし」
王都についてすぐ、仕立て屋と理髪師を呼んで、ミルの身だしなみを徹底的に整えさせた。
公爵家の名前を背負い、私を護る探偵騎士なのだから、ふさわしい格好でいてもらわないと困る。
一日かけて何着も着せ替えたのは、決して楽しかったからというわけではない、はず。多分。
彼はびっくりするほど格好よくなった。
新調した黒絹の上着はぴたりと肩幅に沿い、体に沿うラインのキュロットはミルの長い脚を美しく包む。
首元にはさらりとしたフリルシャツ、品のいい色合いのクロークは銀のブローチで留めてある。
どこに出しても恥ずかしくない、公爵令嬢お抱えの黒衣の騎士。
ぴしっと決まっているけれど、やっぱり少年らしさもどこか残っている。つやのある黒髪もきれいにすいてもらった。もう大満足だ。
「本当に、僕が着ていいんですか?」
「当然よ。私の騎士なんだから」
少しだけ不満があるとすれば、服を選ぶときも理髪師にお願いするときも、ミルが思いのほか慣れていたことだ。
どこか、もともとおしゃれな服や髪型に親しんでいたような。
もっと、こう、手取り足取り教えてあげて「すごいですアルアリエルさま!」みたいなのを期待したのに。これまでそんな暮らしをしてきたようには見えないのに。不思議。
――考えてもしかたないか。
気持ちを切り替える。
実は、急がなければならない理由があるのだ。
「さて。さっそくですが行きましょう。実は私の耳に、事件の報告が入っているの」
「え? アルアさま、さっそく何かに巻き込まれたんですか?」
「いえ、そういうわけではないのだけれど……。王都の郊外で、謎の殺人があったそうなの。たまたま死体を見かけただけの子どもが、何となくで犯人にされているわ。どう思う?」
ミルの顔が変わった。
「わかりました。でも、どうやって行きましょう?」
「任せなさい。馬を呼ぶから」
「ああ、馬車ですね? ――うわっ!? ちょっとアルアリエルさま!? まさか馬って、魔法で呼ぶってことですか!?」
ミルの声が少し裏返った。……ふふ、慣れてもらうしかない。私は彼を促し、サロンに面したガラス扉を開ける。人が二人も立てばいっぱいになる小さなバルコニー。そこにあらわれた翼を生やした白い馬に、私は横乗りで鞍に座る。すぐ後ろには、ミル。彼に手綱を持たせてみたけれど、おっかなびっくりの様子が少しだけ可笑しい。まあ、操縦の腕なんて問われない。魔法の馬だもの。これならば現地につくまで五分とかからない。
馬が跳ね上がると、私は自然とミルの腕に背中を預ける形になった。手綱を握る彼の指先が、私の肩越しにそっと動く。風が頬をなで、髪をふわりと揺らす。ドレスのすそが、宙を舞うように軽やかに広がった。
町がどんどん遠ざかり、私たちは青空に吸い込まれていく。眼下には雄大な宮殿と、広大な王都、さらにはどこまでも続く地平。
もう少しすれば、春がやってくる。
すぐ前に、ミルの顔がある。
「お願いがあるの。私の騎士」
ふと思い出す。
大事なことだ。
「私のこと、これからはアルアと呼んで。昔の仲間たちもそうしていたから」
「わかりました。アルアさま」
「アルア」
「……すみません、アルアさまでいいですか」
「……まあ、いいわ。そのうち慣れてもらうもの」
きちんとしているところは、相変わらず。でも、不満を隠さずじっと見つめると、ミルは困ったような顔をした。
聖女時代はもっと楽だった。世界の果てで、身分も種族も関係なく、みんな気さくに声をかけてくれたのに。でも彼に強いるのは筋違いか。
思えば、この魔法を使うのもずいぶん久しぶり。旅の仲間は亜人、竜人などもいて体格が合わなかったもの。まして、男の子と二人きりで馬に乗るなんて初めて……。
――近い。
いえ、待って。
風に吹かれて彼の前髪がふれる。
整髪料のいいにおいがする。
ミルの顔もやたらに赤い。
目線をぜんぜん合わせない。
近い。何これ誰のしわざ。
私だ。
気がつけば顔が熱くなっていた。
違うんだ。私、事件現場に急ぐべきだと思っただけで。空高くだし地面は遠いし今さら止められない。到着するまで、涼しい顔をしてごまかすしかない。平気です私は悪役令嬢で男をとっかえひっかえ。何も問題などありませんとも。あと一分くらいで現場につくつもりだし。
……でも。次からは、カボチャを馬車に変える魔法でも使うようにいたしましょう……。
< FIN >
最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
本作『悪役令嬢と少年探偵』は、「スマートフォンの隙間時間で、気軽に読めて、それでいて『なるほど』と思えるようなアハ体験のあるミステリーを書きたい」という、ささやかな挑戦から始まりました。
そこで、本作では、いわゆる「ワトソン役」に推理の主導権を握らせるような構造を試みました。シャーロック・ホームズのようなスペックをもつ名探偵は、その立場ゆえに主人公にはなれず、難易度調整と論点整理のためのナビゲーターに徹してもらいました。
名探偵が提示した手がかりを、主人公が、読者と同じ目線でつなぎ合わせていく。この形を取ることで、ともすれば複雑になりがちな謎解きのプロセスを、サク読みしやすい形に落とし込めないかと考えた次第です。
魔法も、謎を複雑にするためではなく、「論点をシンプルにする」ためにルール設定しました。
近世風味のヒストリカルな雰囲気をスパイスに、この小さな実験を楽しんでいただけたなら幸いです。
それでは、またいつか、別の物語でお会いできることを願って。
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