第14話 決着:断罪ざまぁ劇――悪逆の魔法
かつて、私には使命があった。
《聖女の指輪》の望みを果たすこと。
伝承の形式を守るため、侍女は連れず、旅のなかで出会った者のみを仲間としなければならなかった。
果てまでの道のりは瘴気と怪物に満ち、まともな人間にはたどれない。
だから、私の周りには変わり者たちだけが残った。異郷の魔女、炎をまとう精霊、鋼鉄のゴーレム、半竜の少女――。
みんなとはどこか気が合って、私はこの旅から逃げたいと思ったことはなかった。
……アルア。使命を果たしたらどうするつもりだ?
仲間の魔女に聞かれたことがある。
……どうするって、家に帰ると思うけど。
……やめておけよ。旅を終えて《指輪》がなくなるわけでもないだろうに。ワタシなら好き放題やるけどね。何だって思いのままだ。
……興味ないよ。王子さまが待ってるんだもの。
……キマジメなヤツ。まったく筋金入りだよ。魔法で着替えられるからって、毎朝きつくコルセットを締めて、ドレスを着て。テキトーでいいだろ。
……いいの。決まりなんだから。
……そうかい。ま、直させるつもりはないさ。いずれ、変わりたいと思うようなキッカケもあるだろう。
……あるかな。私に。
……あるさ。ワタシの遠い故郷に、ファンタジーになりたいって真顔でいうバカがいてなァ……
――果たして、今日がその瞬間なのだろうか。
襲いかかる炎や氷は、魔法の壁に阻まれて泡のように消え去った。
熱を帯びた光がめぐり、地に魔法の陣が敷かれる。
身にまとわされていたボロ布が溶け、身体にぴたりと寄り添うコルセットへと編みなおされる。
レースと絹の白いドレスとしての形をなす。
肩までざくざく切られたプラチナホワイトの髪は、吹き抜けるつむじ風によって毛先をきれいに整え、気品を取り戻す。
これが『聖女』としての私。
私はゆっくりと顔を上げる。
白亜のドレスが、まばゆい光を絞首台に返していた。
「……アルアリエルさま」
そばにいたミルが、私をじっと見ていた。
「ミル。どうでしょうか。似合ってますか?」
彼はなんとも言いにくそうな顔をしていた。
――答えにくいよね。
私は苦笑しながら立ち、絞首台を見上げた。
「いまさら何のつもりだ、アルアリエル!」
操り人形と化した兵士たちやベルトラン、そしてリリアンの向こうで、絞首台の上のエゴールが口から唾を飛ばす。
「わかりきったことです」
怯えてざわめく民衆の声を背に、エゴールを見すえる。
私の声は揺るがない。
「私は聖女。《指輪》の加護を受けて、みんなの望みをかなえに来ました。悪者を討つために」
「は……。頭でもやられたか」
エゴールが乾いた声で笑う。
「この兵力差が理解できないのか。一人きりで世界の果てまで行っただけの女が!」
「王都からほとんど出もしないあなたが、聖女の何を知るというのです」
「何?」
「聖女の試練はただの観光ではありません。きらびやかな王都を去り、豊かな公爵領を離れ、各地を巡礼し、世界の果てへ。行けば行くほど環境は悪くなる。地獄を、私と仲間たちは超えてきました」
「でたらめを言うな! 聖女の旅は巡礼を済ませて穢れを祓うだけのものだと……!」
「いろいろと事情があるのです。が、それは本筋ではありません。エゴールさま。質問があります」
「質問だと?」
「あなたの戦力、これで全部ですか?」
洗脳された面々を順に指差し、息を払う。
「心外です。それっぽっちで、私を屈服させられると思っていたなんて」
エゴールは一瞬、何を言われたのか理解できなかったようだった。
眉間にしわを寄せ、わずかに口を開いたまま、黙り込む。
数秒の沈黙。
ようやく意味をつかんだらしい。
「それっぽっち、だと」エゴールが凍りつく。
「殿下。僕からご説明さしあげますよ」
立ち上がったミルが私の隣に出た。
私に勝算ありと賭けてくれた人。
「〈全軍指揮の魔法〉。アルアリエルさまには効かなかったと言ってましたよね?」
「……それがどうしたッ! 《聖女の指輪》の加護か、何か特別な守りでもあるのか……」
「違います」
彼はきっぱりとさえぎった。
「こうも言いましたよね。お前みたいなザコなら十五分くらいで魂の一部を奪えると。つまり、所要時間は相手によって変わる。この世界の魔法使いの優劣は、いろいろなとらえ方があるでしょうが、結局のところ一つに集約されます。魔法三原則で定められた通り、ふさわしい魔力と技術が必要。とりわけ、僕をザコだと断定しやすいのは、多い少ないの定量化ができる『魔力量』。したがって、〈全軍指揮の魔法〉は、相手の魔力量によって洗脳に必要な時間は変わる――と推理されます」
「……おい、お前。まさか」
「いつ、どうやって、どれほどの時間をかけて試したのかはわかりません。でも、そこは問題じゃない。アルアリエルさまを洗脳できなかったのは、特別な理由があったんじゃなくて、単に魔力量があまりに大きすぎただけだったとしたら」
「待て、冗談だろう!?」エゴールががなった。「あるわけがない! 時間をかけるほど支配は加速的に進む。ベルトランでさえ一時間もかからなかった――あいつの侍女を抱き込んで何度も試したんだ! 昨夜だって、《指輪》を奪ったアルアリエルに、夜通し光を浴びせ続けてやったのに!!」
私は一歩、足を踏み出し、背筋を正す。《指輪》に魔力をこめる。空気が揺れる。震える。叫んでいる。号令を待つ軍団のように。
「あるわけがない、ですって?」
私は言い放った。
「では、わからせてあげますよ。今、ここで」
輝きながら編まれていく魔法の陣が《指輪》の貴石に宿る。
「お前、聖女のふるまいはどうした! しおらしくて、従順で、縄につながれて泣きそうになっていたろうがッ!」
「ええ、わかってます。もう聖女なんて名乗りませんとも。ほかでもない、あなたたちが与えたレッテルがあるのですから」
私は、毒婦なのだという。
行く先々で男を作っているとか。
あちこちで乱痴気騒ぎをしているとか。
魔法でものを壊したり人を傷つけたり。
やりたい放題の悪逆三昧。
「私は新たな在り方を選ぶ」
いいだろう。
「言ったはずです」
ならば悪役としての私を、私のものにしてやるまでだ。
「私はもう――『悪役令嬢』でかまわない!」
光が暗転した。
白き魔法陣が、漆黒に染まった。
四方八方に闇が手を伸ばし、塗りつぶす。
世界を呑みこむ魔法の波。
白いドレスが溶けていく。
まばゆかった聖女の衣は、あとかたもなく灰になった。
指先から黒い魔法の糸があふれて編み直される。
闇をまとった新たなドレスは、まさに夜そのもの。
黒のベルベット、大胆に開かれたオフショルダー。あざやかな生地が胸元から背へと流れ、デコルテが輝く。銀糸で織り出された星座がすそに広がる。スカートは星雲が幻想的に瞬く。
ウエストには、紫紺から黒へと移ろうコルセット。きゅっと締め上げ、シルエットは鮮やかに。
夜明け前の一番星を思わせる輝石のブローチが、微かな光を湛えていた。
足にはガラス細工の靴をはき、ハイヒールが硬質な音を立てる。
濃紺のグローブの上、《指輪》がきらめく。
処刑場の青空はドス黒く塗り替えられる。
青空が夜空に染まり、しかし閃光が破裂する。
私に喚ばれた魔道具の到着を告げる光だ。
何本もの光り輝く『塔』が夜の闇の向こうから、轟然と地に突き刺さる。整列して王子を包囲する。石畳が吹き飛ぶ。舞い上がった土煙にあおられてエゴールが声にならない叫びを漏らし、尻もちをつく。慌てるあまり《王族の紋章》を取り落とし、処刑台の床にカラカラと転がる。
「ぐっ……この塔……!」
うめき声を上げながら身を伏せるミルは、察したように目を見開く。
「ひょっとして〈全軍指揮〉……でもこの大きさと数は……!?」
私は手のひらを振り下ろす。
刹那――
すべての塔が呪詛のような爆音をあげ、紅蓮の衝撃波を吐き散らした。大気も大地も力任せにかき回す激震がミルとエゴールの耳を蹂躙しくずおれさせる。巻き込まれたミルにはあとで謝って許してもらおうと思う。
身悶えるエゴールは右手をめちゃくちゃに振って、周りの操り人形に私を攻撃させようとした。にもかかわらず誰一人として命令を聞かなかった。
彼らの目が赤一色に塗り替えられて私に向かって歩み、整列してエゴールを向いた。ベルトランもリリアンも、一人残らずが。
膝立ちになったエゴールは悲痛な声でリリアンの名を呼ぶ。
彼女は応えず、私の前にひざまずく。
彼は絶叫した。
なんで。
返せ。
何をした。
手にした《王族の紋章》を向けても何も変わらない。
「《聖女の指輪》は〈祈りの魔法〉によって、あらゆる魔法を使いこなす」
塔の爆音がやみ、広場がしんと静まる。
「――その正体は、祈りによって、他者の魔法をお借りして使わせていただく能力です。だから私は世界の果てに向かう前、国のあちらこちらを巡礼して回ったのです。この世界を救うために、大いなる魔法使いの方々を訪ね、彼ら彼女らの魔法を使わせていただくよう、お許しを願いました。聖女ともあろう者が、他人さまの魔法を勝手にあつかうなど、許されませんから。魔法とは、魔法使いたちにとって、何よりの誇りなのですから」
私は手にしたものをひらひらとつまみあげる。
「でも、ひざを折り、許しを乞う生き方はもう終わり。だって、別にお許しをいただく必要なんてないんですもの。私はただ義理を果たしただけ。正しい手順を踏もうとしただけ」
見せつけた。
《聖女の指輪》の力で、
「これよりは《魔女の指輪》の――
〈悪逆の魔法〉と名を改めましょう」
『複製』された
《王族の紋章》を。
エゴールのオリジナルよりも遥かに強烈な輝きを放っていた。
「欲しいものは欲しいと言って手に入れる。〈氷晶〉でも〈竜脈〉でも〈全軍指揮〉であろうとも。一度でも目にしたものならば、この世の魔法はすべて私のもの!」
「贋作……まがいもの……盗人ごときが……!」
エゴールが巨大な塔たちを見上げながらわめく。
「……でも! なんなんだよこれは! 俺はこんなの一度も……」
「あら、殿下。ご冗談を」
私は笑った。
「あなたの《紋章》を手にしてわかりました。〈全軍指揮〉――なんと恐ろしい魔法なのでしょう。天候すら支配し、世界を夜の闇に染め上げ、まばゆい塔を呼び寄せて炸裂させ、轟音とともに人心までも操る。まさに、大軍勢を支配するにふさわしい特権です。初めて会ったばかりの人々でさえ、敵も味方も関係なく、ほんの数秒で私色に染め上げられる……これが真の力というものなのですね」
「は……? 真の力……?」
エゴールはうつろな顔になり、必死に首を振りはじめた。
「世界を夜に染める……? 塔を呼び寄せる……? 会ったばかりでも、数秒……?」
認めるのを拒んでいた。
なぜならば、魔法とは誇り高き貴族の、力の象徴なのだから。
「殿下、本気を出してくださいませ。リリアンさま、こんなにも簡単に、私の〈全軍指揮〉で上書きされてしまうなんて。かわいそうに」
かしずくリリアンの頭をなでる。
エゴールの手元で《王家の紋章》が頼りなく輝く。
見下ろして、見下して、声を潜めて私は笑う。
魔法三原則。魔法には、ふさわしい魔力と技術が必要。
「まさか……王族でありながら、この魔法をまったく使いこなせていなかった? ふふ、失礼。そんな無様なこと、あってはならないはずですよね?」
エゴールは、壊れた。
恐慌。
かつて夢中になったその顔にはもう何の感情もわかない。
ついに虚飾も虚勢もはぎ取られ、心からの恐慌の形相で吠える。
俺は王子なんだぞ。
すべて思いのままなんだぞ。
お前は一体何なんだ、と。
でもリリアンの眼光は赤く冷たいまま。
ベルトランが杖を構える。
兵士たちが、転がりまわるエゴールを見すえる。
彼らは操られていながらも意識も記憶も保持している。けれども私が見る限り、リリアン以外に、イヤイヤ動かされているという印象はない。
彼らの見解は一致していた。
エゴール。
この光景がお前の果てなのだと。
ああ、そういえば。
真実の愛、だっけ?
目線がなぜかミルに向いた。黒髪の、整ったお顔。彼は私の〈全軍指揮〉のせいで地面に転がされたまま、お腹を抱えて空をあおいで笑っていた。
「は……あははははっ……! 最ッ高です! やっぱり、今のあなたがいちばん輝いてます!」
――こんな無邪気に笑うこともあるんだ、この人。
なんだか、朗らかな気持ちになった。
とっても機嫌がよくなった。
よって私は明るい声で問いかけることにした。
「さて、殿下」
私はスカートのすそをつまみ、広げる。
「〈大爆炎〉〈大氷河〉〈大旋風〉〈大岩石〉……〈竜脈〉」
「……ひ……ひぃっ……!!」
「お選びください。ぜひ、お好みのものを。やはりここは〈氷晶の魔法〉でしょうか」
エゴールは往生際が悪かった。血まみれの《氷花の手袋》を手に歩んでいくリリアンを見て、泥水に落ちた虫のようにばたついた。
全身を私にもてあそばれながらリリアンは何を思うだろうか。何か言ったところで聞き届けるつもりはないけれど。
「ゆ、ゆるして。みのがして」
「ふふ。迷ってしまわれますか。では」
私は元婚約者のために、とびきりの冷たい微笑みを作ってさしあげた。
「――全部! いっぺんにいきますね!!」
指先で夜空が弾ける。
この景色はもう私のもの。
闇は踊り、光はうねる。
暖色から寒色まで色彩の混沌。
私の悪逆に染め上げられていった。