第13話 勝利をもたらす『決定的な証言』
「アルアリエル。そもそも、お前にこいつが効かないのが悪いんだ」
いつのまに試したのだろうか。私にエゴールの『切り札』は通じない。
だから彼は、愛人とともにこんな手段に出た。
「認めてやるよ。全部リリアンと心も体も結ばれるためさ。王族の責任も、許嫁の約束も、ぜんぶ捨てたかった。お前たちがぶち壊しにした!」
エゴールは、フロックコートから長方形の『札』を取り出し、私たちに見せつけていた。表面は淡く白色の輝きを放ち、たくさんの人間の名前が並んでいる。
「なんだ、あれ。スマートフォンに似てる……?」
ミルが意味のわからないことをつぶやくが、問いただす余裕もない。
「俺の王族特権を秘めた、究極の宝。ベルトランにすら明かしていない切り札だ」
「……そのわりに安っぽいデザインですね」
ミルの挑発に「口の減らないやつだ」とエゴールが眉を深々とゆがめる。
「これは《王族の紋章》。扱う権能は〈全軍指揮の魔法〉。この光を――そうだな、平民。お前程度のザコなら十五分も浴びせてやれば、魂の一部を奪い、この奴隷リストに刻印できる」
言葉を失う。王家の者がなぜそのような、人の心を無視するような魔技をあつかうのか。第三王子とはいえ、どうしてエゴールのような男に与えられてしまったのか。聞きたいことが渋滞し、のどの奥でからまる。
「名を刻まれた者は、『咆哮音』を号令に、いつでも支配下に置ける。ベルトランやその配下どもはとっくに奴隷化済みだし、こんなこともあろうかと昨日、伯爵邸のホールにこっそり置いておいた。たっぷりと効いてくれたみたいだなあ!」
「……どうして、はじめから使わなかったのですか」
私がようやく口に出したのは、率直な疑問だった。
「このようにおそろしい魔法が使えるならば……セリスさまを殺し、私に罪を着せる必要なんて、なかったはず……」
「お前のせいだ。アルアリエル」
エゴールが、吐き捨てた。
「〈全軍指揮〉で人をあやつるには、バカみたいな爆音を辺り一帯にまき散らさないといけない。コソコソした企てには向かない。もともと大軍団を率いるための魔法でな。それに、だ」
背筋が凍る。
心臓がドクンと高鳴る。
「こいつは、支配された記憶を消せないんだよ」
結論は一つしかない。
最悪の、地獄。
「しばらくすれば、魔法は解ける。すぐさま伯爵が報復に来るだろう。部下の兵士どもも、俺を許さないだろう」
やめて。
お願い。
優しかった、怖がりだったはずの王子さま。
お願いだから。
その先を言わないで。
「なにふりかまっていられないと、お前が決断させたんだ。俺とリリアンはもう、血まみれ、クソまみれ、下衆の極み。だから……」
火と水、二色の大蛇が出口――迎賓館の門を呑み込んだ。噴き上がる水柱や火柱がいっせいに駆け回り、外壁を埋め尽くしていく。
ベルトランの〈竜脈の魔法〉だ。
外への脱出経路が、絶たれた。
……「な、何が起きておる!?」
「信じられん。伯爵さまが民に刃を向けるなど!」
「誰か!このままじゃ殺される!!」……
今さらのように、先ほどから大騒ぎになっていた民衆の声が、耳に入ってきた。
「全員、消す。リリアン以外、灰にする」
エゴールは笑っていた。
「お前も、隣のザコも、誰も彼も皆殺し。奴隷にしたやつらも全員自害させる。罪は一切合切、お前にかぶってもらう!」
理解できない。この広場には、少なくとも百人を超える人々がいる。冒険者、商人、貴族、職人。幼い子を抱え逃げ惑う父親や母親。パニックに陥る若者たち。
……「たすけて、たすけてええ!」
「逃げろ!今すぐここから逃げろ!」
「たのむ、たのむよ!なんとかしてくれよ!」
「だれか!だれかあ!」……
絶望と恐怖で総崩れになる。
助けを求める言葉が、私を滅多刺しにする。
「本当に本当に残念だよ。〈全軍指揮〉をうまく使って、俺は部下たちをていねいに抱き込んできたのに。あとでどう女王に言いわけするか、考えただけでクラクラしそうだ」
ベルトランだけではない。よく見ると、王子直属の兵士たちは素人目にも洗練された動きで、強力な魔法を構えている。王都や大都市の騎士や冒険者などもスカウトしてきたのだろうか。洗脳、催眠、権力、飴と鞭の卑劣な合わせ技。悪用するすべには事欠かないだろう。
めまいがする。立っていられない。本当にここまでやってしまうなんて。
「どうして……どうしてですか!」
私は声をしぼりだす。
「あなたは王子でしょう!? 国を動かしてる自覚はないのですか。昔のあなたは、もっと!」
「国を動かす? 自覚?」
エゴールは呆れたように、大きくため息をついて首を横に振った。
「本当に求められているとでも? 俺はこの世界でもっとも手軽で、もっとも便利な特権を満喫するためだけに生まれたんだよ」
……ああ、そうなのか。そうなってしまったのか。私は、昔のあの人の影を見た。口を真一文字に結んで耐えていた子ども。どうかいつか報われてほしいと願っていた。
「こうなってしまったんだ。いっそ、リリアンと一緒にどこかに消えるとするか。〈強制調査〉と〈全軍指揮〉があれば、平民どもの暮らしに紛れ込んだって、幸せになる方法はいくらでもある。俺みたいな頭でも、そのくらいのことは思いつくさ」
されど、ここにいるのは、哀れまれることにすら慣れきった男。
「さあ。アルアリエル。どれで死にたい?〈大爆炎の魔法〉〈大氷河の魔法〉〈大旋風の魔法〉〈大岩石の魔法〉……選り抜きの魔法が三十以上。それともリリアンの〈氷晶の魔法〉がいいか? 好きなものを選ばせてやる……!」
兵士たちが並び立つ。
膝から力が抜ける。
へたりこむ。
あと少しだったのに。
ここまで、追い詰めたのに。
後悔が胸をかきむしる。
――《聖女の指輪》さえ、この手にあれば。
巡礼の旅の四年間、一度たりとも外さなかった指輪を、私はエゴールに差し出してしまった。セリス殺害の疑いをかけられ、いっとき預かるだけだからと言われ、すぐに疑いが晴れるはずだと信じ、従ってしまった。
――なぜ、私はあのとき、あの人を疑いもしなかったのだろう。
八歳からの数年間、エゴールに会ったのは年に一回か二回ほど。いつも優しい言葉を投げかけてくれた。「好きだ」と言ってくれた。
思い出を信じていた私は《聖女の指輪》を献上した。
私の四年間を。
世界を救った、そのすべてを。
あのときの自分を引き裂いてやりたい。公爵令嬢として、聖女として、彼の言葉を信じるのが当然だと思っていた。うかつだったと今ならわかる。
結果、すべてを壊される。
巻き込まれた民たちの悲鳴が止まらない。
もう私には謝ることしかできない。
「ごめんなさい。ごめんなさい……!」
視界がにじみそうになる。
ダメだ、今、泣いている場合では。
「バカだった。だまされた私がバカだった……!」
そんな私の甘えた考えを。
「何をふぬけたことを言ってるんですか、アルアリエルさま」
バッサリと、ミルの声が切り裂いた。
「だますほうが悪いんです。あたりまえじゃないですか。自分を責めないでください。あなたは最高です。あなたは見事、リリアンさまの『有罪』を証明してみせた。完璧な取引でした」
確かに彼は言っていた。取引をしたい。この戦いのはじまりを告げた一言だ。
「ただ、ですね。取引とは公平であるべきです。僕はあなたにお願いをするばかりで、何をお返しするかを決めていませんでした」
「お返し……?」
私は膝をついたまま彼を見上げる。
「勝手ながら、こっちで決めさせてもらいました」
彼は穏やかに笑いかけた。
「失くしたものを探してくる。探偵の得意分野ですから」
「――――な、ない。ないぞ」
瞬間、私はエゴールの声を聞いた。嫌な予感でもしたのだろうか。彼は、歩く人形と化したリリアンの左手を取っていた。続いて、ベルトランを。
「お前――下男! いったい何をした! あれをどこにやった!」
リリアンの手には何もなかった。私への嫌味のためにつけていたはずの《聖女の指輪》も。彼女からそれを奪い取ったのはベルトランではなかったようだ、エゴールは慌てた顔で兵士たちを見渡すが、誰も《指輪》を持っていない。
誰かがいつのまにリリアンから盗んだのだ。
――犯人は、一人しかいない。
私は、腑に落ちた。
……覚えていますよ。胸クソ悪い、あの言葉を。
……僕たちに手本を見せてください。悪いことをすればこうなる、と。
あの時、ミルは彼女を乱暴につかみあげた。
少しだけ、彼らしくないと感じた。大した付き合いもないくせに。
敵に引導を渡す意図もあっただろう。
だけれども、真の狙いはその左手にあったのだ。
――彼は先が見えていた。
探る者、偵う者。
ウソを見破り、真実を見つける者。
「どうぞ。楽しみにしています。あなたがこれから、何を見せてくれるのか」
ミルは右手を差し出した。手のひらの白いハンカチの上に《聖女の指輪》が乗っていた。星の光を凝縮したような白銀の金属が、細密な模様を描きながら輪をかたどる。台座には宝石が一つ。完璧な研磨が施され、光を反射してきらめき、さながら月の満ち欠けのように表情をゆらめかせる。
これがあれば、聖女に戻れる。
元通りになれる。
《指輪》もそう願っているような気がした。
――でも、真実は違う。もう違う。
あなたは最高です。
ミルの声が、私の心に残っていた。
……何の権利があって、私を止めるつもりなの?
王子を退かせたあの高揚感。
愛人を屈服させた、あの快感。
胸の高鳴り。
もう、ただ使命に従うだけの私ではいたくない。
だから私自身の意志で、指輪に応えさせる。
エゴールが叫び声をあげた。あいつらを殺せと。居並ぶ兵士たちがいっせいに魔法を向けた。視界が光に埋め尽くされる。致死量の炎や氷に飲み込まれる。皮膚が焼け、呼吸すらできない。
だけど右手に戻った《指輪》は、私を否定しなかった。
「あなたなら、勝てます。アルアリエルさま」
覚悟を決めたように、ミルは目を閉じながら、言った。
「エゴール王子の『証言』から推理できました。
あなたの勝利は約束されていると。
信じています。
アルアリエルさまは――本物の天才だと」