第12話 真相暴露:汚らわしい愛と行為
「火の赤、水の青、風の緑、土の黄――」
私はゆらりと、殿下の首飾りを、指で示した。
述べ立てたのは、この世界の理である『四大要素の色』。
国のどこでも見かける定番の組み合わせだ。女王が暮らす王都、大宮殿の正門にも使われている流行色。
「ひとつ……足りませんね、殿下」
首飾りには、青、緑、黄の水晶球しか残っていない。
よく見れば、赤い石があったと思われる場所には小さなくぼみがある。
「それが」エゴールは鼻で笑ったが、声が少しだけ裏返った。「それが、どうした」
「それがどうした? あなたが、私に言うのですか? ご様子を見るにリリアンさまからの贈りものでしょう?」
「知るか! 関係ない話で煙にまこうなど!」
「見つけてさしあげますわ。私、あなたの婚約者でしたもの」
言って、『それ』を見下ろした。
「私は探偵。探偵とは、探るもの、偵うもの。ウソを見破り、真実を見つける仕事……」
「覚えていてくださったんですね」後ろでミルは照れくさそうに言った。「見つけるものはさまざまです。物探し、人探し、犯罪の証拠探しなど」
「さしずめ今は、浮気の証拠探しというわけね」
目を細めてエゴールを見た。ひどく愉しい気分になった。
「そうでしょう、殿下? 『これ』は、先ほどまでベルトランさまの手にありました。夜会が始まってから今まで、控室を出た私にふれるすべはなかった。何より、殿下の首飾りは、今朝になるまで誰も存在すら知らなかった。私にとっては好都合。いまの私は《指輪》を持たない無力な女。魔法で何かしたなんて、バカのひとつ覚えみたいな言いわけはさせない。これは間違いなく殿下のものです」
「――おい」
私の動きを見たエゴールが、表情を失った。
「何をしている――アルアリエル。お前、何のつもりだ! 『それ』にふれるな!」
もし彼が私の控室に忍び込んだのなら、慌ただしい最中、シャツから首飾りを取り出し、乱暴に扱って――赤水晶が落ちてしまったとしても、不思議ではない。ならば、きっと見つかるはず――。
「ベルトランさまは先ほど、殿下は『これ』に手をふれてもいないとおっしゃいました。だからこそ、ここにあるものこそが『最後の証拠』なのです」
エゴールの絶叫が私に届いた。
彼の顔は真っ赤になっていた。
自分がいかに――あまりにも――
なんというマヌケなミスをしていたか、理解させられた顔だ。
誰か止めろ。
ふざけるな。
殺してやる。
まともな形にならない怒号と、いななき。
――なんて、気持ちいい。
知らなかった。
本性を暴かれた人間が崩壊する音。
薄汚くて、みっともなくて、哀れで、でも赦してやる必要はぜんぜんなくて、いくらでもためらいなく踏みにじれる。
あとは敗北を待つだけの相手を、じっくりといたぶったうえで、とどめを刺す。こんなに、いいものだなんて思わなかった!
私は、わざと、ひどく、ゆったりと、中身をまさぐる。
――そう、もっとよ。もっと聞かせて。
『私の聖女時代のカバン』。
『私の短剣が入っていたカバン』。
『私の控室に置かれていたカバン』。
旅の最中の持ち物たちの中からただ一つ――
見覚えのないものが混ざっていた。
さっき、ミルが言っていたっけ。……古びた日記帳、かすれた地図の切れ端、くすんだ薬草の標本、ビー玉サイズの赤水晶、ポーションの入った小瓶、銀のドクロのオーナメント……。
取り出す。
赤い水晶球を。
「エゴールさま。私の想い人だった人」
彼の叫び声が、どこか遠くで響いている。
安物の小さな水晶は、首飾りのくぼみにぴったり合いそうだった。
「受け取りなさい。そこのクソ女との、汚らわしい愛と行為の証拠よ」
高らかに、つきつけて、宣告する。
「真実の愛と、残酷な謀の『最後の証拠』。
――――これは! あなたにこそふさわしい!」
民衆が爆発した。
……「嘘だろ!?」
「あの王子さまが!?」
「聖女さまは冤罪だったのか!?」
「ちょっと、誰か説明して!」
「本当に本物だったのか!?」
「みんな見ろよ、殿下の首飾りの石が!」……
悲鳴にも似た叫び声。
怒号。
すすり泣き。
誰かを責める声、誰かをかばう声。
王子を信じていた女たちは顔を覆い、老いた商人たちは表情を失い、子どもたちが母親のスカートにしがみつく。
エゴールの顔はみるみる変わっていく。
さっきまでの余裕も、嘲笑も、消えてなくなった。
瞳は底なしの闇に沈み、首筋の血管が脈打つのが見て取れる。
「違う。もう、黙れ。もう黙れ――だまれェッ!」
逆上は『火に油』だった。
……「殺せ!」
「よくも、だましたな…!」
「セリスさまの仇を討て!」
「公爵令嬢に詫びろ!」
「王子の首をはねろ!」……
叫ぶ声。混乱してうずくまる者。真っ青な顔で王子を見つめる若い令嬢。
恐怖、怒り、悲しみ、安堵――さまざまな感情が広場を薙ぎ払う。
ベルトラン配下の兵士が「下がれ!」と叫ぶが、群衆は止まらない。
かつて王子を称えた彼らは、いまや断罪者となっていた。
リリアンを押さえつける兵士たちも、今にも彼女の首を絞めあげそうな赫怒の形相を浮かべている。
「やだ……ちがう……こんな……どうして……」
リリアンは口からよだれを垂らし、もがきながらおびえきっている。
「エゴール第三王子!」ミルは容赦なく言い放つ。「もう、言い逃れはできません!」
エゴールは高らかに拳を振り上げるが、どこにも振り下ろせない。
あえぐように首元を押さえ、指に絡んだ首飾りが鈍く光を放つ。
「ふざけるな! クソッ……! クソがァッ!!」
広場に響き渡る怒号。
空気が、張りつめる。
ようやく理解した。ミルはこれを狙っていたのだ。
エゴールが利用しようとした民衆が、彼自身の失態で制御不能になることを――。
私は、静かにそれを眺めていた、が。
――悪寒が背中をかけぬけた。
……オォ――ンンン…オ――ン…ゴォーンンン…ガォ―――ンン…
鼓膜を引きちぎらんばかりの巨大な咆哮音が、唐突に鳴りひびいた。
この伯爵邸前広場にいる全員の耳に、有無を言わさず叩き込まれるほどの、爆音。
「がッ――グゥ――……ッ!?」
ベルトランが、胸を押さえて膝をついた。
続けて、リリアンが糸を切った人形のように動きを止める。
配下の兵士たちも次々、地に伏せた。
さらには広場の隅にいた貴族たちや令嬢たちまでもがバタバタと、ドミノ倒しのように。
「な……何ごと!?」
私の戸惑いの声に、答えるものはいない。
爆音がやみ、耳鳴りがえんえんと続く。
「この音は……!」ミルが顔をしかめながら、叫ぶ。
しばらくして、倒れ伏した彼らはゆっくりと動き出した。
双眸には――異様な色合いの光が宿っていた。
いくつもの色をパレットで混ぜたような、何色とも形容しがたい不快な色。
伯爵も兵士も貴族も令嬢も憎悪の形相で、ぎこちない動きで立ち上がる。
ベルトランもリリアンも例外ではない。絞首台に殺到し、エゴールの前に盾のように並んだ。
無表情で武器を抜き、魔法の道具を持つものはそれを取り出して、魔力の光をまき散らす。
今にも襲いかかってきそうな威圧感を放ち、立ちはだかる。
――いったい、どうして!?
ばりん。ぱりん。がしゃん。
前ぶれなく、鏡の割れる音がいくつも鳴り響いた。
《写し取りの鏡》。
写したものを永遠に記録する魔法の鏡。エゴールの息のかかった魔法使いたちや、ベルトランの部下が持っていたもの。すべて砕かれた。
「まずい……」ミルが言った。「証拠映像が消された。プロパガンダを作るつもりの殿下が、こう動いたということは……」
――そんな、バカな。ありえない!
こんな真似、身体か心でも操作されなければ絶対に…!
――ぜったい、に。
背筋に汗が流れる。頭に浮かんだ可能性を必死に打ち消そうとする。聖女として世界を旅した私でも、聞いたことすらない悪魔的な魔法。
けれど冷徹な事実が頭に落ちる。
《黄金の宝鍵》。どんな鍵でも開けられる〈強制調査〉のマスターキー。確かに、恐るべき魔道具には違いない。しかし、だけれど、魔法としての強大さという意味であれば、ベルトランの〈竜脈の魔法〉のほうが優れていそうに見える。この国の絶対君主たる女王が、不出来とはいえ自身の息子、この地の支配者たる総督、自身の代理人として分け与える権能に――この程度の能力を与えるものだろうか。
いいや、違う。《宝鍵》はあくまでもついでに与えられた脇役にすぎなくて――
ベルトランにすら知らされていない、秘中の秘、切り札をまだ隠し持っていたのだとしたら――!
「なあ、アルアリエル」
エゴールは、壮絶な顔で、唇を三日月にゆがめた。
「俺に与えられた特権が一つだけだなんて、誰が言った?」