第10話 語られなかった動機
✦⋯⋯♔ 令嬢 ♔⋯⋯✦
ベルトランの命令を受けて、兵士たちは一瞬の迷いもなくリリアンを取り囲んだ。
ミルは無言で、泣き叫ぶ彼女を振り払った。怒りのこもった屈強な腕たちが、リリアンの両手両足を押さえつけ、地べたにぬいつけた。衣服をはぎ取り、危険物を隠し持っていないか徹底的に調べ、無力化していく。《氷花の手袋》も引きはがされて泥まみれの地面に投げ捨てられた。
リリアンは地面に顔をすりつけながら涙を落とし、呪うような言葉を広場に撒き散らす。……もう少しだったのに。みんな私をバカにして。好きで妾の子に生まれたんじゃないのに。あたしは王子さまに選ばれたのに。なんで、あんな生まれがいいだけの女が……声はだんだんすすり泣きに変わり、やがて小さくなって消えていった。
「……そんなに、私に死んでほしかったのですね」
私の口から声がこぼれた。
絞首台のエゴールは動かなかった。リリアンの姿を、息をするのも忘れるほど強く見つめていた。眼差しは、必死に計算を巡らせているようで、けれど焦点はどこか定まっていない。まだ何とかできるはずだと信じてやまないようだった。
「……このたびは、誠に申し訳ありませんでした」ベルトランが私に歩み寄って頭を下げてきた。「数々の非礼をお詫びいたします。罰はいかようにも。情けなくも娘を奪われたこの身でよければ、つつしんでお受けいたします」
「いえ、そんな……」
首を振った。立場上、彼がエゴールの意向に逆らえるはずもない。
「取り急ぎ、こちらを。凶器とされた短剣を見つけるにあたり、お預かりしていたものです。殿下は、ふれたくもないと言われ、中身を見てもおりませんでした。お返ししても問題はないでしょう」
セリスのケープが置かれていた机に、ケープの代わりにひとつの布袋が置かれた。私が聖女時代に持ち歩いていたカバンだ。中身はどれも私にとっては宝物。思い出として、王宮に持っていくつもりだったものたち。もっとも、その中に入っていた短剣が、殺人に使われたと決めつけられたのだけど……。
「古びた日記帳、かすれた地図の切れ端、くすんだ薬草の標本、ビー玉サイズの赤水晶、ポーションの入った小瓶、銀のドクロのオーナメント……」ミルがカバンの中身をのぞきこみ、つぶやいた。「すごい……まさにRPGのアイテムだ…」
「アールピージー?」
「あ。いえ、すいません。こっちの話です」
彼の声は少しばかり場違いで、少しだけ気持ちが和らいだ。
私は視界のはしに転がるリリアンに目をやった。
「……ベルトランさま。彼女をお願いします。正しく、しかるべく」
同情の余地はない。
何も悪くない女の子の命を奪ったのだから。
ただ――公正な裁きを、と、思った。
「殿下」ベルトランは私に一礼したのち、処刑台のエゴールを見上げた。「この件は、速やかに王都へ報告させていただきます。私はどこぞの無法者とは違う。アルアリエルさまのご要請通り、正当なる手続きのもと裁定を見届けます。ただし予想を申し上げておきましょう……この女ひとりの極刑で済むなら、むしろ温情というものです」
――極刑。
腹の底に氷塊が落ちるような寒々しさがあった。
エゴールは、何も答えない。
そして、ミルは、油断なくエゴールを観察している。
さながら、まだ何か追うべきものが残っているかのごとく。
「少しよろしいですか。アルアリエルさま」
「……どうしました?」
もう唇を読ませる必要もない。
私はミルを正面に見つめ、声を返した。
事件解決に協力したことへの、見返りの相談だろうか。
報酬か、あるいは不敬罪・暴行罪への減刑か。
いずれにしてもどんな願いにも応じるつもりでいた。
まだ感謝の言葉すら言えていない。
この身に代えても、彼は助けなければならない。
「――まだ終わりではありません。気になる点があります」
予想に反して、彼はエゴールを見ながら硬い口ぶりで続けた。
「気になる点とは?」受けた私も緊張を取り戻す。
「彼女には『動機』がありません」
「どうき……?」
言葉の意味がすぐには分からなかった。
「は……?」ミルの声はリリアンにも届いていたらしい。顔を伏せたまま声を漏らしてきた。「なによ、それ……もう、わたしに、いまさら隠すことなんて……」
「あなたが殺人を犯した理由です、リリアンさま」ミルはリリアンに向き直った。「アルアリエルさまを貶めたかった理由はよく分かりました。けれど、あなたは先ほどの『自供』の中で、セリスさまについては一言も触れなかった」
「今さら、何を言っている」様子を見ていたベルトランが会話に入る。「分かりきったことだ。セリスの〈無痛の魔法〉は、この女の企てのために都合が良かったのだろう。なんと身勝手な……!」
「そうかもしれません。ただ、男爵令嬢が伯爵令嬢を殺害するのは、まぎれもなく大罪です。『都合が良かったから』で片付けるには、あまりに重すぎる」
「……それは、そうだが……。だが、何があると言うのだ。この女はベルガラン家とは何のゆかりもない。娘は昨日が初対面だったのだ」
「初対面の少女であっても、死に至らしめる動機。僕には心当たりがあります」
彼は、一呼吸置いた。
「愛する人に、頼まれたから」
静寂に、言葉はハッキリと響き渡った。
「……待って」
泥と砂、涙と鼻水にまみれたリリアンが、地面に這いつくばりながら声を絞り出す。「ねえ、だめ。だめ、それだけは本当にだめ。ねえ、ねえってば……!」懇願するように必死でもがく。やがて、けたたましい奇声をあげて暴れ出す。「お願い! 誰か! なんでもするから! 誰でもいいから黙らせて、殺して、殺してお願いッ。そいつは悪魔よ! 悪魔、あグッ――っ!?」
リリアンの声が潰れた。ベルトランが、無言のまま鋭利なブーツで彼女の後頭部を容赦なく踏みつけたのだ。地面に赤黒い染みが広がった。
「頼まれただと! まさか……!」
「そうです。もし、『頼んだ者』にとって、これが大罪とは感じられないものだったら。……『平民』も『伯爵令嬢』も、大して変わりはしない、等しく価値がないと思っていたら。果てしない上から目線。持ちうる者がいるとすれば……」
――まさか……まさか!
見上げる。たった今まで立たされていた絞首台を。
彼はいまも、そこにいる。石像のように表情を凍らせ、動かない。ただ、顔は何もかも拒絶するかのように暗く、私たちを見下ろしている。
そうだ。ミルにうながされて分かった。
確かにまだ、不思議な点がある。
リリアンに……アレができるとは思えない。
「エゴールさま」
私の頭のなかで、疑問が浮かび言語化される。
「……以前、女王陛下に、お話をうかがったことがございます。《黄金の宝鍵》……どんな鍵でも開けられる魔法の鍵」
声をぶつける。
この処刑劇は、まだ終わらない。
「……昨夜、お使いになったのですか? 施錠された私の控室を開け、短剣を盗み出すため。リリアンさまに『氷の短剣』を造らせるために」
言うやいなや。
甲高い金属音が鳴った。
エゴールが、自身の首飾りを握りしめた音だった。
彼のまとう空気が、底知れぬほど重く、昏く変わった。
「あ―――――――――ァあ」
ドス黒い声が落ちてきた。場の空気が凍りつく。
「それを言っちまうのか。……余計なことを。ここを適当に流して終わらせて、リリアンをどこか適当なころあいで取り戻すつもりだったのに」
エゴールは、薄ら笑いを浮かべて髪をかき上げた。
瞳に、ふぬけた気配は微塵もなくなっていた。
「だけどな。ムダだよ。俺は王子。俺が欲しいものはみんな俺のもの。――いや、違うな。誰もが『奪ってください』と差し出してくれるんだ。だから、お前たちには何もゆずってやらないよ」
「……エ……エゴールさま……?」
間の抜けた声が私の口から落ちる。
私の中にいた、在りし日の優しい笑顔。先ほどまでの、うろたえていた顔。
いずれもが不快な音をたてて砕け散る。
「バカ女が」
エゴールは舌打ちした。
「俺を信じて、大人しく捕まったんだろう? 命に等しい《指輪》を渡してくれたんだろう? なんで俺のために死んでくれないのかなあ!? お前、俺のものじゃなかったのかよッ!」
「……エゴールッ……!」
私の口から憎悪の声がこぼれ出た。怒り。悲しみ。とまどい。いくつもの感情が胸の中で渦巻く。されども、ミルが素早く前に進み出て、私を静かに制止した。
「ご乱心されましたか、殿下。あなたに付き従う者どもが見ておりますぞ」ベルトランが低く警告めいた声を放った。
「お前たちのせいじゃないか」
エゴールは呆れたように、大きくため息をついて首を横に振った。チャリンと軽い音を立てて、フロックコートから黄金に輝く鍵を取り出し、私たちに向けた。
「教えてやるよ、アルアリエル。隠し立てもしていない。ベルトランも知ってることだ」
エゴールは愉快そうに、口の端をゆがめてせせら笑った。
「《宝鍵》に備わった魔法は〈強制調査の魔法〉。これはただ鍵を開けられるだけじゃない。部屋に関わる人間を好きに眠らせ、静かにさせられる。お前の控室には侍女や召使いもいたが……俺にかかれば無意味だ」
――やっぱりだ。
不自然だった。あの短剣は、いつもカバンに入れっぱなしで、ここ数日は誰にも見せていない。昨晩が初対面だったリリアンが、どうやって私の短剣をもとにして『氷の短剣』を偽造したのか分からなかった。こんな特権があればあまりにも簡単だ。
あまりにも暴力的。あまりにも身勝手。
誰なの。誰なの、この人は。
私があこがれた面影がどこにも、見当たらない。
「……くだらないチートですね。エロ本にでも出てきそうな」
ミルはなおも不敵に笑いながら挑発する。
「ぬかせよ。クソガキが」
エゴールは不快そうに応じた。
「とは言え、当たりだ。気になる女の子がいたら、面倒な見張りどもを全員黙らせて、たやすく二人きりになれる……こいつのおかげで俺はリリアンと出会えた」彼はしたり顔でミルを見下ろした。「なあ。お前みたいな平民には無理なことだ。どうだ? うらやましいか?」