第1話 悪役令嬢の処刑を止めろ
「早く吊るせ!
吊るしてしまえ!
あの悪役令嬢を!」
急ごしらえの絞首台が、広場の中央にある。
歩かされながら、私はそれをぼうっと見つめていた。
ぼろぼろの布きれをまとい、両手を固く縛られている。粗い布がごわごわと肌をこする。
見物人たちの視線がまとわりつく。
好奇、嘲り、哀れみにさらされる。
みんな――私が死ぬのを待っている。
昨日まで、私のプラチナホワイトの髪は腰まで伸びていた。処刑台で首がよく見えるようにと、無造作に切り落とされた。
指先がかじかむ。
冬空を見上げた。
――泣くもんか。
私の名はアルアリエル。
十六歳の公爵令嬢。
かつて、世界を救う使命を果たした聖女。
それが今では、悪役令嬢と呼ばれる毒婦。
人殺しの罪で、もうすぐ処刑される――。
❖ ―― ♔ ―― ❖
ルミエール公爵家の令嬢として生まれ、物心ついたころから誰よりも厳しく育てられた。
十二歳のある日、運命は変わった。
私が《聖女の指輪》の担い手に選ばれた。
それは、幻の魔道具。数百年に一度、神の意志によって目覚め、世界の果てにある厄災をしずめるのが使命だ。
やらなければ、私たちの国は丸ごと闇に包まれるという。
私は女王の命で、救世の聖女となった。
使命を果たすため、世界を救う旅に出た。
多くの出会いと別れがあった。
四年をかけて世界の果てにたどり着いた。
そして、大いなる呪いを打ち払った。
やるべきことは果たした。
なのに。
帰郷した私を待っていたのは、
針のむしろだった。
私はいつのまにか、ふしだらなウワサを国じゅうにまき散らされていた。
なぜなのか、まったく分からない。
……貴族としてのしきたりを忘れた悪女。婚約者を捨て、行く先々で愛人を作り、好き放題にふるまった毒婦。上っ面だけの嫌な女……
どれも身に覚えのないことばかり。
でも、否定すればするほど、見苦しいと笑われた。
……早く痛い目を見ればいいのに……
私は『悪役令嬢』と呼ばれた。
誰もが私の破滅を願っていた。
ざまあみろ、と言いたそうにしていた。
それでも私は、希望を胸にいだいていた。
殿下なら、私を信じてくださるはずだと。
第三王子、エゴール・エルディリオン。
八歳からの許婚だ。
彼なら、こんなウワサ、きっと鼻で笑ってくれる。
先日、手紙が届いた。現在、彼は王都からやや離れた領地の運営を任されている。ここに私を迎えて祝言をあげたいという報せだった。
私は喜んで馬車に乗り、彼のもとへと向かった。
頑張った私をほめてくれる。
抱きしめてくれる。
そう、期待に胸を高鳴らせながら。
「アルアリエル・ド・ラ・ルミエール!
貴様との婚約を破棄し!
公開処刑を行う!」
――私の想いは砕かれた。
❖ ―― ♔ ―― ❖
絞首台の上、冬の朝日を受け、エゴールが私を待ち受けていた。
成長した彼はぐんと背が伸びていた。鮮やかなブロンドと、純白の清潔なフロックコートが、寒空のなかでもひときわ目を引いた。
切れ長の青い瞳は……
冷え切っていた。
「貴様は聖女の仮面をかぶり、各地で悪事を働いたあげく、ついに大罪を犯した。伯爵邸での宴席で、令嬢セリスの背を短剣で貫き、殺害した! 斬首など生ぬるい。絞首刑こそがふさわしい!」
――人殺しなんてしていない。
何度も否定したのに。
婚約者が私を断罪してくる。
耳鳴りがする。めまいが止まらない。
彼の手にある青緑色のケープが風を受けてはためいた。目立ったキズや汚れはないが、中央からすそにかけて真っ赤に染まっている。血の色だ。
「殿下。まことによろしいのですか。彼女は公爵令嬢。裁判もなく縛り首など……」
絞首台の下からエゴールを見上げる壮年の伯爵、ベルトランはためらいを隠せない。
「何度も言わせるな。俺はこの地の司法権も委任されている。王都で裁かせれば生ぬるい判決がでるやもしれん。それとも、他に下手人がいると?」
「……いいえ」
彼は己に言い聞かせるようにうなずいた。
「使われた短剣は、間違いなくあの方の持ち物です。ご本人がお認めになりました。なきがらの傷口とも、形状は一致しております」
昨日の取り調べで、私は聞かれたことに正直に答えた。結果、私は犯人にされた。
「お止めはしません。この地の治安はあなたのもの。裁判の省略も、死刑の決定も……」
伯爵は疲れた顔で絞首台の向こう――迎賓館を見た。三階建ての立派なお屋敷だ。二階には、手すり以外に風をさえぎるものが何もない、吹きさらしのバルコニーが張り出している。
ふちに置かれた小さな花壇は荒れ放題になっていた。風のせいだろう。昨日は夜会が始まってから明け方まで、嵐のような暴風がひっきりなしに荒れ狂い、私が閉じ込められた牢獄にまで音が響いていた。
「ベルトランよ、まことに気の毒だ。セリスは難病に苛まれ、魔法の助けなくば、刺すような痛み、凍えるような震えに全身をさいなまれ、歩くこともできなかったと聞く。〈無痛の魔法〉によって夜会に出席し、もてなしてくれたというのに。ひどい裏切りだ」
伯爵令嬢セリスは領民に愛されていた。難病に苦しみながらも町に顔を出し、支援に励んでいたという。
昨日、私の悪評など気にもせず、「憧れています」と言ってくれた。なんで私が殺したことになっているの。
「さて、見物人の諸君。昨夜、何が起きたか説明しよう。セリスは夜会中、館のバルコニーで殺された。彼女以外の出入りはなかった。が――」
エゴールはコートのポケットから銀の指輪を取り出し、私の鼻先に突きつける。
星空をひとかけらにして閉じ込めたような、美しくも冷たい指輪。昨夜まで私の指にあったものだ。
「世界を救う力を秘めた《聖女の指輪》。アルアリエルはこれの力で、あらゆる魔法を使いこなす。水を生み、草花を咲かせ、傷を癒やす。背から翼を広げることすらできる。出入口を見張っていた兵士の目を盗み、空からバルコニーに舞い降りてセリスを殺めるなど簡単だ。よって俺はすぐに騎士たちに命じ、こやつを捕らえて指輪を取り上げた。これでもう聖女は何もできぬ! さあ、どうする!」
――聞きたくない。
人々の怒号が燃え広がった。
……「セリスさまを殺した魔女め!」「化けの皮がはがれたな!」「悪役令嬢を許すな!」……
顔面に向かって何かが飛んできた。
生卵だ。私は、動けず目を細める。
けれど、頬に生ぬるい感触は来なかった。
卵は、空中で突如、停止した。
音もなく横合いから巨大な氷のバラが現れ、卵をつかみとった。
無色透明の花弁が淡くきらめいた。
幻想的な美しさ。
束の間の静寂が訪れた。
「おやめなさいっ! 罪人とはいえ、やっていいことと、いけないことがあります!」
声が、絞首台の上から聞こえてきた。
視線を向けると、エゴールの隣に、ラベンダー色のドレスの少女が立っていた。
ピンクブロンドの髪をアップにまとめ、固く握った右手を突き出している。青みがかった右手袋から氷の花が咲く。コルセットは軽く、パニエを省略した足さばきのよいスカート。
左手の指を鳴らすと、氷はパキンと砕け、水滴ひとつ残さずに霧となって消えた。私を汚すはずの生卵は床に落ちて割れる。
彼女の名は――リリアン。
リリアン・フォルナ。
素朴な美少女、サロンの人気者。
社交界の『主役』と評判の女――
その顔は、「守ってあげたい」と思わせる抜け目ない仕上がりだった。
作り込みすぎていない眉。
ほんのりと赤みを差しただけの唇。
なにもかも男たちの心をわしづかみにする。
私を牢獄に入れたのは、あの女だ。セリスを刺した短剣が私のものだと言い、私ならば殺せるはずと悲痛そうな顔で、兵士たちを引き連れて。
彼女は泣きそうな顔で声を絞り出していた。なぜこんな間違いをしたのですか、アルアリエルさま、と。
私は、何もしていないのに。
「おお、戻ったか。今日も見事な魔法だ!」
エゴールはリリアンを愛おしげに抱き寄せた。
「わかるか、アルアリエル。リリアンが俺を癒やしてくれたのだ。好き放題をし、俺を放っておいたきさまと違ってな」
「……なぜですか。エゴールさま」
私は感情を押さえながら問いかけた。
「なぜだと? よく見ておけ。これが、俺の選んだ女性だ」
彼はリリアンの左手を取った。
ゆっくりとその指に――
《聖女の指輪》をはめてみせた。
何が起きているのかわからなかった。
目の前で、私の四年間が、
他人の指にはめられた。
「私に……いたらぬ点が、あったのでしょうか」
唇がわななく。
言葉がうまく出てこない。
「ともに、この国を良くしていきたいと、そばにいると、約束してくださったのに」
「俺のせいだとでも言うのか? 人殺しめ」
「違います! 私……バルコニーになんて一歩も……まして、セリスさまを手にかけるなんて!」
「まだ言うか。ムダだ、魔女め!」
叫びそうになる。
昨夜からこの調子だ。
どんな抗弁も「魔法を使ったんだろう」の一点張り。
そんなことを言われたら、何も言い返せない。
「聖女さま。残念です。私たち、お友達になれたかもしれませんのに」
リリアンが絞首台を降りた。
私の目と鼻の先まで寄ってきた。
縛られた私は振り払えない。
「私、あなたさまを尊敬しています。けど、だからこそ。罪をつぐなう潔さも、みなに示していただきたいのです」
甘い声で、私を見て、左手の《指輪》を見せつけて、微笑んだ。
「私たちに手本を見せてください。
……『悪いことをすれば、こうなる』と」
目を見開く。
奥歯をかみ、涙をせきとめる。
どうして。何もしていない。
悪いことなんて一つもしていない。
私、力いっぱいやったのに。
やめて。だれか、たすけて。
死にたくない。
怖くて怖くてたまらない。
叫びを胸に押し込んだ。泣きわめいたところで「いい気味だ」と笑われるだけだと思った。
「……ふふ」
私の顔をじっとり眺めたリリアンはくるりと絞首台に戻り、エゴールに肩を寄せる。
「みなさま。私、エゴールさまのお役に立つため、ただいま新たな証を見つけてまいりました。ご覧ください」
左手の先に白く輝く、一枚の羽根。
「バルコニーの中央に落ちていたのです」
群衆がどよめく。
――知らない。そんなの、知らない。
誰か信じて。私が首をふるのを無視して断罪は進む。
「私、聖女さまが翼を広げるお姿、見たことがございます……間違いなく同じものです。これは、罪深き羽根でございます!」
周囲から称賛の声が湧き起こる。
「さすがだ。もはや疑いの余地はない! ただちにあれを吊り下げろ!」
首から力が抜けた。
私は何を間違えたのだろう。
やり直したい。時間を戻したい。
でも、そんな魔法は使えない。
私の人生は、首を絞められて、終わる。
もう何も、見たくなかった。
けれども、そのとき。
「お待ちください、殿下ッッ!!」
竜の咆哮がごとき大声が、喧騒を引き千切った。
「なッ……な! なんだこの大声はッ!」
エゴールはのけぞって両耳を押さえた。
私は振り返り、声の主を見た。
観衆の最前列に、一人の少年がいた。
私と同じ十六歳ほどか。古びたリネンシャツに膝丈ズボン。黒い短髪。顔立ちは整っているが垢抜けない。左手にステッキを持っている。
信じがたいことに、耳をつんざく声を放ったのは彼だった。周囲の人びとは少年から遠ざかり、困惑している。
「リリアン・フォルナさま!」
少年は、続けた。
「僕は、最前列で処刑を見るため、夜明け前からここにいました。だからわかります。あなたの証言には、おかしなところがあります!」
とんでもなくよく通る、真っ直ぐな声だった。
「あなたは今しがた、現場で羽根を見つけたとおっしゃいました。聖女さまは《指輪》の力で、翼を広げて飛翔できる。したがってバルコニーに彼女が降り立った証拠になると。だがしかしッ!」
青空をまっすぐ指さした。
「昨夜、この一帯は『嵐のような暴風』が吹き荒れていました。なのに、なぜそんなに軽そうな羽根が、一晩中飛ばされずに残っていたのですか!」
彼の、問いに。
群衆の声が途絶えた。
――そうだ。
暴風は私も目にした。
バルコニーはとても風通しが良かった。
花壇が、めちゃくちゃになるほどに――
「えっ。え。そんな。だ、だって」
全員が足を止める。おびただしい数の視線がリリアンに突き刺さる。
エゴールは身震いし、少年をにらみつける。
「な……何を言うか。こいつは万能の魔女! どうせ夜が明けてから魔法で……」
「ありえません! 聖女さまは《指輪》を没収され、いっさいの力を奪われて牢獄の中にいた! 完全なる現場不在証明があったのです! ならば、今になってバルコニーの中央で見つかったというその羽根は!」
彼は声を研ぎ澄まし、抜き放つ。
「あとから『真犯人』が用意した!
ニセモノだとしか、考えられないのです!」
***
彼の名は、ミル。
これが、出会いだった。
まだ『探偵』の意味すら知らなかった私の、世界を変えた人。
私はこれから、絶望に立ち向かう。
この少年の力を借りて、真犯人の有罪を証明する。
私の人生を台無しにした、
あいつらに。
――絶叫を、あげさせてやる。