第9話 紙の魚
翌日も、マイロは何事もなかったようにやって来た。
昼を少し過ぎた頃。馴染みの店にでも入るような顔で、部屋の奥のソファへどかりと腰を下ろす。
「いやぁ、今日はやけに風が強いな」
そう言って持参した酒瓶の封を切り、口をつける。
渋い顔一つ見せず、ゆっくりと喉を鳴らす。
そこへソラが何かを大切そうに両手で包み、マイロの前に差し出した。
「いらっしゃいませー! 本日の特製グリルド・イカす魚でございます! 召し上がれ!」
差し出されたのは、色とりどりのチラシの切れ端で折られた、いびつな形の紙の魚。
得意げなソラの表情を見ていると、本当に香ばしい匂いが漂ってきそうだった。
「お、これは美味そうだな!」
マイロは目を細め、にやりと笑うと、魚を両手で受け取った。
「じゃあ……うむ、これは絶品……どこで釣れたんだ?」
「ラドリーの荷物のいちばん底!」
「おお、そりゃワイルドだな〜!」
二人の笑い声が部屋に弾ける。
ラドリーは向かいのソファに身を預け、脚を組んだまま、じっとその様子を見ていた。
くだらない、他愛のないやり取り——だが、ソラが誰かと笑い合っているその姿は、悪くなかった。
「なぁ、ラド」
笑いの余韻がまだ部屋に残るうちにマイロが酒瓶をラドリーに向けて差し出した。
「そろそろ、考え直してもいいんじゃねぇか?」
「……何を」
「ハンター引退して、こっち来いよ。街の警備も捨てたもんじゃねぇ。人を守るってのは、遺跡探しよりよっぽど価値がある。そろそろ、そういう生き方も悪くねぇだろ?」
ラドリーはしばし視線を伏せ、無言で酒瓶を受け取ると、軽く口をつけた。
喉を通るアルコールの苦みだけが妙に鮮やかだった。
「わかってる。……けど、簡単には踏ん切りがつかねぇんだよ」
「でももう、ハンターとして上を目指す気もねぇんだろ?」
軽く投げられたその言葉には、静かな真意が込められていた。
ラドリーは沈黙のまま酒瓶を揺らす。
その横顔を見て、マイロはちらりとソラの方に目をやった。そして、口元にだけ笑みを浮かべる。
「……なにより、この猫。こいつは——お前を、人間に戻してくれる気がするぜ」
冗談めかした口ぶりだったが、その眼差しは真剣だった。
ラドリーは眉をわずかにひそめる。
「なんだよ、それ」
「前のお前は、モンスターと遺物しか見てなかった。今は少し違う。少しだけどな」
ちょうどそのとき、キッチンの方からソラの声が響いた。
「できたーっ! 今度はラドリーの分! すっごく高級な幻の魚のムニエル風でございますっ!」
ソラは大げさな仕草で紙の魚をトレイに乗せ、慎重にラドリーの前へと運んできた。
ラドリーは短く息をつき、頬をわずかに緩める。
「……まったく、しょうがねぇな」
受け取った紙の魚を手のひらで眺め、ひと呼吸置いてから口にした。
「これはなかなか……で、どこで釣れたんだ?」
「ラドリーの心のいちばん奥底!」
マイロが吹き出した。
「こいつ、育て甲斐があるなっ!」
その声につられるように、ラドリーも——ほんのわずかに笑った。
部屋の空気が、少しだけ柔らかくなった気がした。